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第49話 知りたい:無意識
しおりを挟む気がつくと12月に突入していた。
近所にイルミネーションを飾る家が増え、コンビニのおでんについ手が伸びそうになるあたり、本格的な冬の到来を感じさせる。
とはいえ僕に起きた変化といえば上に羽織る衣服が一枚か二枚増えたくらいで、生活スタイルに大きな変化はない。
そう、彼女との奇妙な関係はいまだ継続中である。
「にー」
「おおー、そうかそうかー。マヨはお腹を撫でられるのが気持ちいんだねー?」
「なー」
「ああっ、ごめんねサトー。よしよし今からたくさん撫でてあげるからねー?」
近所の公園。
会社帰りに聞き覚えのある声と鳴き声がして立ち止まると、二匹の猫ときゃっきゃと戯れる彼女の姿が目に入った。
近づくも、彼女は猫に夢中で気づく様子はない。
しかし野生の勘は人間よりも優れているのか、白い毛並みに覆われた小さな二つの顔が同時に振り向いた。
それに連られて、彼女の端正な顔立ちもこちらを向く。
「あっ、望月くん!」
突然6つの瞳を向けられたじろぐ僕に、彼女は元から明るい表情をよりいっそう輝かせた。
”誰この人ー?”
そう言いたげに首をかしげる猫二匹。
二匹とも面識はあった。
小さい方は彼女が助けたあの子猫で、もう一方はその親猫。
子猫のほうは、前見たときよりも若干サイズ感が増していた。
「この人はねー、私のお友達だよー」
そう猫たちに紹介された僕は、一体どんな顔をすれば良いのだろう。
デフォルトが無表情なので、むしろ警戒心を露わにされるのではなかろうか。
と思ったら、二匹とも僕のほうにやってきて、足に頬をすりすりし始めた。
なんとも言えないくすぐったさに、身体がぶるりと震える。
「やったね望月くん! 君も友達だって」
「猫の心、読めるの?」
「読めないよ?」
「じゃあ」
「でも、マヨとサトーはそう言ったと思うんだー」
「まず日本語を理解していないと思うんだけど」
「冷めたこと言わないの! そう思う方が嬉しいし、楽しいでしょー?」
「かもね。というか、このやり取り前もしたくない?」
「そう言われれば確かに!」
思えば、ここで彼女と出会って約2ヶ月が経過したことになる。
時間の速さをそこまで感じないのは、彼女と過ごした日々が濃密だったからか。
「ところで、サトーって」
尋ねると、彼女は待ってましたと言わんばかりに鼻を鳴らし、僕の足に体を擦り付ける親猫を指差して言った。
「そう、この子です!」
どうだ素晴らしいだろうと言わんばかりのドヤ顔を浮かべる彼女。
特に感動も覚えなかった僕は、素朴な疑問を口にする。
「なんで、日本で一番多い苗字?」
「へ? そのつもりでつけた訳じゃないけど」
「まさか」
「私、甘いもの好きじゃん? それに白いし、もうこれしかないって!」
「なに考えてんの」
マヨネーズと、砂糖。
彼女のトチ狂った感性で調味料の名を与えられた二匹に、僕は心底同情した。
もし自分に『醤油』なんて名が付けられようものなら、早々に区役所に駆け込み改名手続きを踏むことだろう。
「マヨー、サトー、おいでー」
「なー」
「にー」
彼女の呼びかけで、猫たちが僕の足にかすかな熱を残して離れていく。
二匹はそれぞれ彼女の元へ行き、繊細な指先で顎をくすぐられてゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
「本当に、猫好きなんだね」
「まー、もふもふは愛してやまない主義だからねぇ」
「前も言ってたね」
「言ってよかったよ。この言葉を思い出してくれて、ぬいぐるみを選んだんでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
プレゼントを渡した際、そう伝えた気がする。
あの時のことはテンパっててあまりよく覚えてないけど。
彼女はニマニマと、口角を上げて嬉しそうにした。
「……なに」
「君、全然人見てなさそうで意外と見てるあたりがずるいんだよねぇ」
「記憶力は、多少良いかもしれない」
「そーゆんじゃなくて」
「どういう意味」
「自分で考えなさーい」
考えたが、今回はわからなかった。
僕が降参のポーズをすると、彼女はクスッと笑って不意打ちをかましてきた。
「本当に嬉しかった、ありがとうね」
「……それはなにより」
急に会話の流れを断ち切って、別角度からジャブを打ってくるのはほんとやめてほしい。
心臓に悪いから。
「あのぬいぐるみ、触り心地抜群でさー。今じゃすっかり、毎晩一緒に寝ている仲だよー」
「君のことだから、ぬいぐるみにも名前つけてそうだね」
塩とか味の素とか、そういうのだと予想。
かなり安直なネーミングパターンだから、きっとそれらに類するものに違いない。
そう踏んでいたのだが、
「名前は……付けてるけど、ひみつ!」
てっきり、教えてくれるものだと思っていたので少々面食らう
いつもオープンな彼女が、秘匿にしたいだなんて珍しい。
釈然としない面持ちになった僕に、彼女はなぜか口元を覆い目を逸らして言った。
「乙女には、秘密の一つや二つはあるものなの」
頭上にクエスチョンマークをポポポンと浮かべる僕。
構わず彼女は、この話はこれで終わりっ、とでも言うように親子猫へと興味の対象を向けた。
別にそこまで気になることでもないし、余計な追及に使えるほど僕のカロリー残高も多くはないので、追求はしないことにする。
とはいえ少しは気になったので、いつかもう一度聞いてみようと思った。
──そういえば。
秘密、というワードと、彼女にお腹を見せ背中を地面に擦り付ける親猫を見て、ふと思い出す。
僕の奥底で長らく埃をかぶっていた、彼女に関する疑問。
そういえば、ちゃんと尋ねたことは一度もなかった。
「ねえ」
「んう?」
君の親って。
そう切り出そうとして、口を紡ぐ。
……やっぱり、やめておこう。
明確に『聞かないで』とは言われていないが、これまでの彼女の反応からして触れられたくない部分であることは、多分間違っていない。
察しの悪い僕のことだから、彼女の無言のメッセージを察しきれていない可能性だってある。
「いや、なんでもない」
「んー? 変なの」
僕の心中など知る由もない彼女は、にへらっといつもの明るい笑顔を浮かべた。
それとは対照的な表情が、思い起こされる。
高尾山から帰ってきた日、ソファで寝落ちした彼女が見せた弱々しい表情、そして、
──おかあさん。
胸が騒ぐ。
普段は明るい彼女の裏に潜む、見えないなにか。
思えば彼女について知らないことだらけだが、それについて自発的に知ろうと思ったことはなかった。
にも関わらず、なぜさっきは自分から尋ねようとしたのだろう。
「ほーれほれほれー、気持ちいでしょ、サトー?」
身体をくねらせる親猫と、呑気に戯れる彼女。
マヨはその後ろで、地面に腰を下ろしてくあーっと小さな欠伸をしていた。
思えば全ての元凶だと言うのに、呑気なものだ。
その時、どこからか流れて来た冷たい風が僕たちを撫でた。
「わわっ、さむっ」
長く、繊細な黒髪を揺らして、「もうすっかり冬だねえ」としみじみ言う彼女。
「そうだね」
移りゆく季節を肌で感じながらふと、この先も彼女は僕との関わりを続けるのだろうかと疑問に思った。
なぜそんな疑問を抱いたのだろう。
考えてみたけど、わからなかった。
彼女と一緒にいたら、わからないことだらけだ。
それだけはわかった。
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