49 / 125
第48話 少しずつ、わかるように
しおりを挟む「あらためて、あざまる!」
夕食後のリビング。
今日も今日とて読書に励んでいると、彼女がイマドキな謝辞を投げてきた。
喫緊で感謝の言葉を述べられるような事をした覚えはないが、独り言にしてはあまりに元気なその声は、やはり僕に向けられたものなのだろう。
顔を上げると、フォークを咥え「むっふー」と満足げに鼻を鳴らす彼女が目に入って、僕はあらかた理解した。
「ああ、完食?」
「そう!」
空になった小皿には、焦げ茶色のクリームとマロンのかけらが微かな存在を残している。
「よく、抑えられたね」
僕は皮肉のつもりで言った。
誕生日に宣言した通り、僕と彼女は、毎日少しずつケーキをシェアした。
今日、食べ終えたのだ。
てっきり途中で我慢できずペロリといってしまうかと思ってた。
食欲より自分に課したルールを遵守した彼女を、ちょっとだけ見直す。
感心する僕をよそに、彼女はぷくーと頬を膨らませていた。
「私をなんだと思ってるのようー」
「胃袋ブラックホーラー?」
「なにそれ、ネーミングセンス皆無!」
あははっと可笑しそうに笑って、彼女はフォークで虚空に円を描いた。
呪いの魔法でもかけられているような気分になったので、僕は少しだけ身体をずらす。
「当分はこの味を超えるケーキは食べられないだろうなー」
「あーあ」と名残惜しそうに小皿を見つめる彼女が、珍しくため息をついた。
「そんなこともないでしょ。有名店とはいえバカ高いってわけじゃなかったし。探せば、これ以上美味しいケーキはいっぱいある」
「んもおー、違うってばー」
彼女は小鼻を膨らませる。
ああ、またこのパターンか。
僕のそっけない理屈が、彼女の感情的な意見と反り合わなかった際に見られる反応。
いつもならここで思考を放棄し彼女の解説を黙って待つ僕だったが、今日は少しだけ考えてみることにした。
気まぐれ、というやつだ。
最近多い気がする。
腕を組み、黙考して、瞬発的に降ってきた推測をそのまま口にした。
「…………誕生日という特別な日に貰ったケーキには、普通ものとは違う価値が加えられているから?」
彼女の反応を疑う。
いつものように、すっかり解説モードに入っていた彼女の表情が、驚きに染まっていた。
やってしまった、と思った。
やっぱり慣れないことはするもんじゃない。
多分、びっくりするくらい的外れな事を言ってしまったのだろう、と思っていたが違った。
「合ってる!! 合ってるよ望月くん!」
昂ぶる感情を纏った彼女の腕が、僕の腕をガシッと掴む。
そしてその細さに似合わぬ力でギリギリと、指を食い込ませてきた。
「痛い痛い痛い」
「あっ、ごめん!」
突然の攻撃に怯える僕に気づき、彼女がぱっと手を離してくれる。
広げた手のひらをこちらに向ける『なにもしないポーズ』を確認して、僕は真面目な語気で言った。
「肉が引き千切られるかと思った」
「や、それは大げさだよ」
「割とガチなんだけど」
腕を労わるように摩りながら、彼女に抗議の視線を向ける。
「ごめんごめん、つい気持ちが昂ぶっちゃって」
彼女は後ろ手に頭を掻き、悪びれない様子で笑った。
いや、悪いとは思っているものの、それよりも喜びの感情が上まった、という風に見える。
「何がそんなに嬉しいの」
聞くと、彼女は「いやぁー」と机に頬杖をついて、上目遣い気味に僕を見た。
「なんというか、成長した子供を眺めているような気分?」
「なんの話?」
「君も少しずつ、人の気持ちがわかってきたんだなーって」
「……そんなこともないと思うけど」
「あるよー。君、前なら絶対わかんなかったもん」
彼女はそう言うが、論理的に逆算しただけで感覚として享受したかと訊かれるとそんなこともない。
ただ彼女のいう通り、以前まではわからなかった感覚が理屈としてわかるようになってきた。
「でも、理由はもう一つあるよ」
彼女が予想だにしない追加問題を出してきた。
ニコニコと、期待に満ちた笑顔を向けてくる。
少し考えたが、今度はわからなかった。
首を振り、両手を上げて降参のポーズをする。
「そっかー」
彼女はちょっぴり残念そうな声を残した。
一拍起いて、僕が辿り着けなかった答えを口にする。
「望月くんが買ってきてくれたケーキだから、いっそう美味しいって思えるの」
ああ、その笑顔はいけない。
いつもの明るく元気なものとは違う、柔らかく優しい、慈しむような笑顔。
その顔は、僕の理性を不安定にさせる。
「……気が向いたら、また買ってくる」
「え、ほんと!? 嬉しい!」
僕が努めてぶっきらぼうに返したが、彼女は満面の笑顔を花火みたいに弾かせた。
まるで、特大のお子様ランチを前にした子供みたいに。
なぜ彼女が、僕の買ってきたものに対し特別な価値を感じるのかは、よくわからなかった。
「ところで、テストはどうだったの?」
小皿を洗いに行って戻ってきた彼女に、なんとなく尋ねる。
「んー、それなりかな」
「聞くところによると、けっこう成績がいいとか」
「そうかな? というかそんな情報、誰から聞いたの」
「親友さんだよ」
「うええええ!? ゆーみん!?」
寝耳にコーラでもかけられたみたい驚く彼女。
「いつの間にそんな接点を……?」
彼女がわなわなと訊いてきた。
どうやら親友さんは、僕との約束を守り抜いてくれていたようだ。
親友さんに対する信頼残高の数値が少しだけ上昇する。
「たいした経緯じゃないよ。行きつけの書店で、たまたま遭遇したんだ」
「んあー、なるほど! 確かにあの子、本好きだもんねー」
彼女が納得したとばかりに大きく頷く。
「それで、なに話したの?」
「大したことは話してないよ。好きな本のこととか、学校での君のこととか」
誕生日プレゼントの件に関しては伏せた。
僕の中に芽生えたひとつまみの羞恥心がそうさせた。
彼女は「うええっ!?」と、変な悲鳴を響かせた。
うるさい。
「なになに!? ゆーみん、私のことなんて?」
「それこそ大したことないよ。昼休みと同時に誰よりも速く購買のパン争奪戦に参加するとか、文化祭で作ったバケツプリンをほとんど一人で食べ尽くしたとか」
「食べ物のことばっかじゃん!」
「懇ろ君のエピソードは、食に関する事で統一されているようだけど」
食以外にも聞いていたが、あえて伏せた。
余計な追及を受け止めきれるほど、僕のキャパは大きくない。
彼女は頭を両手で押さえて天を仰いでいたが、少し経つと、
「まあ確かに、間違ってはないねぇ」
けろりと表情を切り替えた。
このスイッチの潔さはどんな育ち方をすれば手に入るんだろう。
「で、どう?」
「なにが」
ニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべる彼女の言わんとしていることは察しつつも、聞き返す。
「ゆーみん、良い子でしょ?」
「良い悪いの判断は、あくまで主観的判断だけど……まあ、いい子だと思う」
礼儀正しく、歳の割に落ち着いていて、人のことをよく見ている、というのが親友さんの印象だ。
言葉ではうまく説明できないけど、相手の気持ちを察して自然な感じで歩み寄ってくる感じ。
全力突進で距離を詰めてくる彼女とは対照的だ。
だから彼女と相性が良いのかもしれない。
僕の言葉に、彼女は顔をほくほくとさせた。
「そっかそっかそっかー、むふふー」
「今日は普段にも増して機嫌がいいね」
「それはもう! 絶対仲良くしてほしい二人だったから」
なぜ。
僕と親友さんが仲良くすることで、彼女に何か得になることでもあるのだろうか。
その理由を考える機会は、彼女の思いがけない提案で中断された。
「そうだ! 今度ゆーみんも交えて、どっか遊びに行こうよ!」
「え」
つい間の抜けた声を零してしまう。
おそらくここで首を縦に振れば、彼女は本当にその通りにするだろう。
その確信があった。
有言必ず実行タイプ。
彼女は、そういう人間だ。
とはいえ拒否する材料も見つからなかったし、これまで散々彼女の提案に流されておいて今更反旗を翻す特別な理由も無い。
親友さんに対する僕の心象も悪くはなく、むしろ常識人ぽいので、暴走気味な彼女を食い止める緩衝材になってくれるかも。
なんて都合よく処理して自分を納得させてから、僕は以下のように返答した。
「……機会があれば」
「よしきた! ゆーみんにも聞いてみるね!」
もう関わることもないだろうと思っていたが、思わぬ強い鎖で引き繋がれた。
これが新たな面倒事の火種にならないといいけど。
僕の心配なぞ素知らぬ様子で、彼女はふんふんと鼻歌を歌い始めた。
すっかり彼女の言うがままになってしまった主体性の無さを情けないと思いつつも、まあ仕方がないかと無理くり納得する。
彼女はずっと上機嫌だった。
0
お気に入りに追加
43
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ゾンビ発生が台風並みの扱いで報道される中、ニートの俺は普通にゾンビ倒して普通に生活する
黄札
ホラー
朝、何気なくテレビを付けると流れる天気予報。お馴染みの花粉や紫外線情報も流してくれるのはありがたいことだが……ゾンビ発生注意報?……いやいや、それも普通よ。いつものこと。
だが、お気に入りのアニメを見ようとしたところ、母親から買い物に行ってくれという電話がかかってきた。
どうする俺? 今、ゾンビ発生してるんですけど? 注意報、発令されてるんですけど??
ニートである立場上、断れずしぶしぶ重い腰を上げ外へ出る事に──
家でアニメを見ていても、同人誌を売りに行っても、バイトへ出ても、ゾンビに襲われる主人公。
何で俺ばかりこんな目に……嘆きつつもだんだん耐性ができてくる。
しまいには、サバゲーフィールドにゾンビを放って遊んだり、ゾンビ災害ボランティアにまで参加する始末。
友人はゾンビをペットにし、効率よくゾンビを倒すためエアガンを改造する。
ゾンビのいることが日常となった世界で、当たり前のようにゾンビと戦う日常的ゾンビアクション。ノベルアッププラス、ツギクル、小説家になろうでも公開中。
表紙絵は姫嶋ヤシコさんからいただきました、
©2020黄札
ゼンタイリスト! 全身タイツなひとびと
ジャン・幸田
ライト文芸
ある日、繁華街に影人間に遭遇した!
それに興味を持った好奇心旺盛な大学生・誠弥が出会ったのはゼンタイ好きの連中だった。
それを興味本位と学術的な興味で追っかけた彼は驚異の世界に遭遇する!
なんとかして彼ら彼女らの心情を理解しようとして、振り回される事になった誠弥は文章を纏められることができるのだろうか?
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
りゅう
ファンタジー
異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
見習いシスター、フランチェスカは今日も自らのために祈る
通りすがりの冒険者
ライト文芸
高校2年の安藤次郎は不良たちにからまれ、逃げ出した先の教会でフランチェスカに出会う。
スペインからやってきた美少女はなんと、あのフランシスコ・ザビエルを先祖に持つ見習いシスター!?
ゲーマー&ロック好きのものぐさなフランチェスカが巻き起こす笑って泣けて、時にはラブコメあり、時には海外を舞台に大暴れ!
破天荒で型破りだけど人情味あふれる見習いシスターのドタバタコメディー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる