35 / 46
第35話 ぬくもり
しおりを挟む
「寝る前に少し、抱擁をしませんか」
月明かりぼんやりと照らす薄暗い部屋の空気を、ヒストリカの声が揺らす。
「ほう……よう……?」
ごそごそと毛布が擦れる音。
ヒストリカの方を向いて、エリクが初めて聞いた言葉みたいに言った。
「昨日したやつですよ」
エリクの方を向いてヒストリが言う。
「それはわかるけど……どうして急に?」
「抱擁の効果は昨日話した通りです。今日一日仕事をしていて精神的な疲労が溜まっていると思うので、抱擁で少しでも緩和できればなと……あと、エリク様はまだ、交感神経と副交感神経の切り替えが完治していないでしょうから、スムーズに眠りに入るためにもした方が良いと考えます」
「な、なるほど……あくまでも身体のため、ってことね」
「第一の優先は身体のため、ではありますが……」
そこでヒストリカは言葉を切って、しばらく沈黙した後。
「なんと言いますか……私がしたくなったといいますか……」
小砂利のように淡白ないつものとは違う、ほんのりと感情を乗せた声。
含まれている感情は、恥じらい、戸惑い。
ヒストリカ自身、なぜそんな欲求を抱いたのかわかっていない口ぶりだった。
沈黙。
なんとも言えない空気が漂う。
「……変なことを言いました、申し訳ございません。嫌とかですよね、忘れてください。先ほど欠伸をしてらっしゃいましたし、抱擁しなくても自然に眠れるとは思いま……」
「ううん」
衣擦れの音と共に、エリクが動いた。
ヒストリカに身体を寄せて、腕を伸ばす。
「嫌じゃないよ」
ぎゅっと、その小さな身体を抱き寄せた。
「……ほんとう、ですか?」
伺うようにヒストリカが尋ねる。
「本当だよ。らしくない理由だったから、ちょっとびっくりしたけど……僕も、ヒストリカとこうしたかった、と思う……」
ヒストリカと違って、分かりやすく恥じらいを滲ませるエリク。
「そう、ですか……」
おずおずとエリクに身を寄せ、自分よりも大きな身体に腕を回すヒストリカ。
「それなら、良かったです……」
安心したように言ってから目を閉じ、ヒストリカは深く息をつく。
エリクのぬくもり、存在を感じる事によって、胸がじんわりと温かくなる。
心なしか速い心音が鼓膜を震わせ、エリクから漂うほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐる度に、精神がどんどん落ち着いていった
昨日は治療目的という事もあって余裕を感じる暇がなかったが、誰かに抱き締められるという状態は守られている感じがして落ち着くというか、言葉に言い表せない安らぎをもたらしてくれた。
今までずっと、一人だった。
両親から与えられたのは、愛の名を借りただけの攻撃的な感情で、安らぎを感じる暇はなかった。
だからこそ、はっきりとした実感を伴って身を包み込むぬくもりに、ヒストリカは大きな安心感を覚えた。
今になって、気づく。
なぜ自分が先ほど、エリクに『私が抱擁をしたくなった』と願い出たのか。
(温もりが……欲しかったのかも、しれませんね)
人間味が少ないとよく言われる自分が月並みな欲求を残していた事に、ヒストリカは一抹の驚きを覚えるのであった。
優しくて、ゆっくりとした時間が流れる。
抱擁には絶大なリラックス効果があるようで、今日一日の疲労がじわじわと溶けいく感覚をヒストリカは感じ取っていた。
「今日も一日、お疲れ様でした」
「ううん、ヒストリカも……本当に、色々ありがとうね」
労わるようにかけられた声が、ヒストリカの胸を温かくする。
「こんなにも気を遣ってくれるのは、久しぶりでさ……凄く、嬉しかったよ」
「お気になさらず。妻として当たり前のことをしたまでで……」
そっ……と、エリクがヒストリカの頭に触れた。
ヒストリカの肩がぴくんと震えるも構わず、大きな手がゆっくりと髪を撫でる。
「それでも、感謝してる」
エリクの声が、頭をじんじんと揺らす。
(なんでしょう、これは……)
色々と、凄い。
触れるか触れないかの力加減で優しく撫でられる度に、全身の力という力が抜けていく。
こんな感覚は、初めてだった。
「……大丈夫? 嫌じゃない?」
「嫌じゃない、です……むしろ……」
エリクの手に、頭を擦り寄せて言う。
「良い感じかもしれません……」
「ふふ、そっか」
そう言うエリクはどこか嬉しそうだった。
普段はどこか頼り無さげなエリクだが、よりにもよってこんな時に男らしさを出してきている。
そのギャップに、ヒストリカの思考は見事に乱された。
先ほども言った通り、昨日の治療行為を除くとヒストリカの男性経験は手を繋いだ事くらい。
強い精神を持ち感情の起伏は少ないヒストリカだが、人並みに恥じらいはある。
異性に抱き締められて頭を撫でられるというこの状態は、端的にいうとヒストリカには刺激が強すぎた。
自分の意思とは関係なく顔が熱くなっていく。
不整脈を疑うような奇妙な鼓動を心臓が刻んでいる。
このような感情を抱いた事が乏しいヒストリカは、動揺した。
おおいに、戸惑った。
しかし同時に、心地よい疲労と、エリクに撫でられていく度に増えていく安寧が、ヒストリカに眠気をもたらした。
動揺と、安心。
その二つがせめぎ合った結果、僅差で後者が先頭に躍り出た。
「……ヒストリカ?」
エリクの声が遠くに感じる。
微かに口は開くも、そこまでだった。
思考がぼんやりしていて、言葉が頭に浮かばない。
今日一日の疲労と、エリクがもたらしてくれた睡眠欲に抗えず、ヒストリカは意識をゆっくりと手放した。
月明かりぼんやりと照らす薄暗い部屋の空気を、ヒストリカの声が揺らす。
「ほう……よう……?」
ごそごそと毛布が擦れる音。
ヒストリカの方を向いて、エリクが初めて聞いた言葉みたいに言った。
「昨日したやつですよ」
エリクの方を向いてヒストリが言う。
「それはわかるけど……どうして急に?」
「抱擁の効果は昨日話した通りです。今日一日仕事をしていて精神的な疲労が溜まっていると思うので、抱擁で少しでも緩和できればなと……あと、エリク様はまだ、交感神経と副交感神経の切り替えが完治していないでしょうから、スムーズに眠りに入るためにもした方が良いと考えます」
「な、なるほど……あくまでも身体のため、ってことね」
「第一の優先は身体のため、ではありますが……」
そこでヒストリカは言葉を切って、しばらく沈黙した後。
「なんと言いますか……私がしたくなったといいますか……」
小砂利のように淡白ないつものとは違う、ほんのりと感情を乗せた声。
含まれている感情は、恥じらい、戸惑い。
ヒストリカ自身、なぜそんな欲求を抱いたのかわかっていない口ぶりだった。
沈黙。
なんとも言えない空気が漂う。
「……変なことを言いました、申し訳ございません。嫌とかですよね、忘れてください。先ほど欠伸をしてらっしゃいましたし、抱擁しなくても自然に眠れるとは思いま……」
「ううん」
衣擦れの音と共に、エリクが動いた。
ヒストリカに身体を寄せて、腕を伸ばす。
「嫌じゃないよ」
ぎゅっと、その小さな身体を抱き寄せた。
「……ほんとう、ですか?」
伺うようにヒストリカが尋ねる。
「本当だよ。らしくない理由だったから、ちょっとびっくりしたけど……僕も、ヒストリカとこうしたかった、と思う……」
ヒストリカと違って、分かりやすく恥じらいを滲ませるエリク。
「そう、ですか……」
おずおずとエリクに身を寄せ、自分よりも大きな身体に腕を回すヒストリカ。
「それなら、良かったです……」
安心したように言ってから目を閉じ、ヒストリカは深く息をつく。
エリクのぬくもり、存在を感じる事によって、胸がじんわりと温かくなる。
心なしか速い心音が鼓膜を震わせ、エリクから漂うほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐる度に、精神がどんどん落ち着いていった
昨日は治療目的という事もあって余裕を感じる暇がなかったが、誰かに抱き締められるという状態は守られている感じがして落ち着くというか、言葉に言い表せない安らぎをもたらしてくれた。
今までずっと、一人だった。
両親から与えられたのは、愛の名を借りただけの攻撃的な感情で、安らぎを感じる暇はなかった。
だからこそ、はっきりとした実感を伴って身を包み込むぬくもりに、ヒストリカは大きな安心感を覚えた。
今になって、気づく。
なぜ自分が先ほど、エリクに『私が抱擁をしたくなった』と願い出たのか。
(温もりが……欲しかったのかも、しれませんね)
人間味が少ないとよく言われる自分が月並みな欲求を残していた事に、ヒストリカは一抹の驚きを覚えるのであった。
優しくて、ゆっくりとした時間が流れる。
抱擁には絶大なリラックス効果があるようで、今日一日の疲労がじわじわと溶けいく感覚をヒストリカは感じ取っていた。
「今日も一日、お疲れ様でした」
「ううん、ヒストリカも……本当に、色々ありがとうね」
労わるようにかけられた声が、ヒストリカの胸を温かくする。
「こんなにも気を遣ってくれるのは、久しぶりでさ……凄く、嬉しかったよ」
「お気になさらず。妻として当たり前のことをしたまでで……」
そっ……と、エリクがヒストリカの頭に触れた。
ヒストリカの肩がぴくんと震えるも構わず、大きな手がゆっくりと髪を撫でる。
「それでも、感謝してる」
エリクの声が、頭をじんじんと揺らす。
(なんでしょう、これは……)
色々と、凄い。
触れるか触れないかの力加減で優しく撫でられる度に、全身の力という力が抜けていく。
こんな感覚は、初めてだった。
「……大丈夫? 嫌じゃない?」
「嫌じゃない、です……むしろ……」
エリクの手に、頭を擦り寄せて言う。
「良い感じかもしれません……」
「ふふ、そっか」
そう言うエリクはどこか嬉しそうだった。
普段はどこか頼り無さげなエリクだが、よりにもよってこんな時に男らしさを出してきている。
そのギャップに、ヒストリカの思考は見事に乱された。
先ほども言った通り、昨日の治療行為を除くとヒストリカの男性経験は手を繋いだ事くらい。
強い精神を持ち感情の起伏は少ないヒストリカだが、人並みに恥じらいはある。
異性に抱き締められて頭を撫でられるというこの状態は、端的にいうとヒストリカには刺激が強すぎた。
自分の意思とは関係なく顔が熱くなっていく。
不整脈を疑うような奇妙な鼓動を心臓が刻んでいる。
このような感情を抱いた事が乏しいヒストリカは、動揺した。
おおいに、戸惑った。
しかし同時に、心地よい疲労と、エリクに撫でられていく度に増えていく安寧が、ヒストリカに眠気をもたらした。
動揺と、安心。
その二つがせめぎ合った結果、僅差で後者が先頭に躍り出た。
「……ヒストリカ?」
エリクの声が遠くに感じる。
微かに口は開くも、そこまでだった。
思考がぼんやりしていて、言葉が頭に浮かばない。
今日一日の疲労と、エリクがもたらしてくれた睡眠欲に抗えず、ヒストリカは意識をゆっくりと手放した。
0
お気に入りに追加
1,614
あなたにおすすめの小説
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
女官になるはずだった妃
夜空 筒
恋愛
女官になる。
そう聞いていたはずなのに。
あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。
しかし、皇帝のお迎えもなく
「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」
そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。
秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。
朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。
そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。
皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。
縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。
誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。
更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。
多分…
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
五年目の浮気、七年目の破局。その後のわたし。
あとさん♪
恋愛
大恋愛での結婚後、まるまる七年経った某日。
夫は愛人を連れて帰宅した。(その愛人は妊娠中)
笑顔で愛人をわたしに紹介する夫。
え。この人、こんな人だったの(愕然)
やだやだ、気持ち悪い。離婚一択!
※全15話。完結保証。
※『愚かな夫とそれを見限る妻』というコンセプトで書いた第四弾。
今回の夫婦は子無し。騎士爵(ほぼ平民)。
第一弾『妻の死を人伝てに聞きました。』
第二弾『そういうとこだぞ』
第三弾『妻の死で思い知らされました。』
それぞれ因果関係のない独立したお話です。合わせてお楽しみくださると一興かと。
※この話は小説家になろうにも投稿しています。
※2024.03.28 15話冒頭部分を加筆修正しました。
【完結】真実の愛とやらに目覚めてしまった王太子のその後
綾森れん
恋愛
レオノーラ・ドゥランテ侯爵令嬢は夜会にて婚約者の王太子から、
「真実の愛に目覚めた」
と衝撃の告白をされる。
王太子の愛のお相手は男爵令嬢パミーナ。
婚約は破棄され、レオノーラは王太子の弟である公爵との婚約が決まる。
一方、今まで男爵令嬢としての教育しか受けていなかったパミーナには急遽、王妃教育がほどこされるが全く進まない。
文句ばかり言うわがままなパミーナに、王宮の人々は愛想を尽かす。
そんな中「真実の愛」で結ばれた王太子だけが愛する妃パミーナの面倒を見るが、それは不幸の始まりだった。
周囲の忠告を聞かず「真実の愛」とやらを貫いた王太子の末路とは?
(完結)お姉様を選んだことを今更後悔しても遅いです!
青空一夏
恋愛
私はブロッサム・ビアス。ビアス候爵家の次女で、私の婚約者はフロイド・ターナー伯爵令息だった。結婚式を一ヶ月後に控え、私は仕上がってきたドレスをお父様達に見せていた。
すると、お母様達は思いがけない言葉を口にする。
「まぁ、素敵! そのドレスはお腹周りをカバーできて良いわね。コーデリアにぴったりよ」
「まだ、コーデリアのお腹は目立たないが、それなら大丈夫だろう」
なぜ、お姉様の名前がでてくるの?
なんと、お姉様は私の婚約者の子供を妊娠していると言い出して、フロイドは私に婚約破棄をつきつけたのだった。
※タグの追加や変更あるかもしれません。
※因果応報的ざまぁのはず。
※作者独自の世界のゆるふわ設定。
※過去作のリメイク版です。過去作品は非公開にしました。
※表紙は作者作成AIイラスト。ブロッサムのイメージイラストです。
高貴な血筋の正妻の私より、どうしてもあの子が欲しいなら、私と離婚しましょうよ!
ヘロディア
恋愛
主人公・リュエル・エルンは身分の高い貴族のエルン家の二女。そして年ごろになり、嫁いだ家の夫・ラズ・ファルセットは彼女よりも他の女性に夢中になり続けるという日々を過ごしていた。
しかし彼女にも、本当に愛する人・ジャックが現れ、夫と過ごす夜に、とうとう離婚を切り出す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる