M00N!!

望月来夢

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絶望の終わり

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 ムーンの放った銃弾は、魔法の力でもって、現実へと干渉する。火薬の燃焼で発生するエネルギーより、もっと強く、もっと速く。明るく晴れた空の中、荒れ狂う風を切り、ターゲット目掛けて一直線に飛ぶ。そしてそれは、ピアノを守ろうと覆い被さり、窮地に陥っても尚演奏を継続しているメレフの、真横すれすれに着弾した。楽器の黒い表面が抉れ、小さく尖った破片を散らす。ピアノの上に上体を丸めていた彼は、頬の間近を過ぎる猛威に、顔を強張らせ瞠目した。だがしかし、彼の身体には傷一つついていない。自身の無事に気が付いた彼は、口が耳まで裂けたような、狂気的な笑みを浮かべた。
「っははははは!!馬鹿め!!結局私を殺すことなど出来ないじゃないか!!これだから口先ばかりの凡人は」
「いいえ、ちがうわ」
 彼の耳に、カルマの落ち着いた訂正が飛び込んでくる。急いで顔を上げると、ムーンの肩にしがみついたカルマが、眼下を冷静に見下ろしているところだった。実の父親に向けるには相応しくない、冷たい眼差しにメレフは苛立つ。彼女の隣では、ムーンもライフルを携えたまま、こちらをじっと凝視していた。彼は空いた手で眼鏡を外し、鋭い赤い瞳を露わにしている。ヒビの入ったレンズは、フレームから剥がれてパラパラと散っていた。
「何だ……!?」
 彼らが一体何を見ているのか。固唾を飲んで、何を期待しているなのか。メレフは最初訝しんだ。だが、唐突に、気が付く。気が付いて、しまった。
 再生の歌を綴った、何枚もの楽譜の束。譜面台にぎっしりと並べられ、奏でられるのを待っていたそれに、ぽっかりと黒い穴が空いている。ムーンの弾丸に貫かれ、熱に焦がされたせいで、五線譜に書かれた旋律は一部読めなくなってしまっていた。今弾いているフレーズも、もうじきに穴のある箇所へ到達してしまう。再生の歌は、至難の楽曲だ。何年も試行錯誤をして辿り着いた、複雑かつ繊細な音楽である。到底、暗譜など出来るはずがない。レパートリーならば手が勝手に覚えているかも知れないが、今回は違っていた。ほとんど初見に近い状態で、適当に鳴らした鍵盤が、偶然正解を引き当てる確率は万に一つもないだろう。どうするべきかと悩んでいる間に、歌は件のところにまで行き着いてしまった。焦燥にメレフの指は狂い、予定にない一音を軽はずみに弾く。
 それが、全てだった。
 たった一つの不調和が、旋律の持つ全ての力を無効化する。
 たった一つの失敗で、彼が積み上げに積み上げてきた、途方もない努力は全て台無しになった。
 終わった。
 彼は即座に敗北を悟り、ガックリと項垂れる。
 後に残るのは、後悔。頭の中を埋め尽くすのは、その一心のみだ。
 この世界を変えるため、より良いものに作り直すため。何もかもを投げ打って、強引に進めてきた計画が、とうとう終わってしまった。
 多分、二度目のチャンスは来ない。一曲のみの時と違って、二曲を同時に演奏し、滅亡と再生を世にもたらそうとしたのだから。途中で止めれば、相応の代償が発生する。呪いに返しがあるように、莫大な力を使用すれば己もいずれ巻き込まれるのだ。誤った旋律が崩壊を始め、そこに込められた力も、暴走する。それが、死という形を取るのか、また別の方法で襲ってくるのか。実際に体験するまでは、誰にも分からない。仕方のないことだ。この腐った魔界を変えると決めた時から、覚悟はしていた。どれほど酷い結末を迎えるのだとしても、彼は己の行動に、一切後悔は抱いていなかった。
 目を覆いたくなるような閃光が、辺りを満たす。ムーンもカルマも眩さに耐えかねて、咄嗟に顔を背けた。
  *  *  *
 何かが大量に落下する轟音と共に、ムーンはその場に転倒する。掌に、ざらついたアスファルトの感触が伝わった。足も、しっかりと硬い地面についている。瞼の裏に残る強烈な光を、数回瞬いて追い払った。
 そこは、紛れもなく地上だった。魔法の効果は完全に潰え、空間や重力を歪める力も働いていない。やはり時間も書き換えられていたのか、上空から降り注ぐ光は、早朝の爽やかな日差しに戻っていた。
 だが、破壊された建物までは、その限りではないらしい。彼らの周りには無数の瓦礫が積み上がり、爆撃にでも遭ったかのような、無惨な様相を呈していた。原型を残しているものは何一つなく、そこだけぽっかりと更地に変えられてしまっている。まるで最初から何もなかったと言いたげな様子で、ただ残骸の山を撫でるだけの風が、塵芥を巻き上げていた。
「ムーン!カルマ!!無事かー!?」
 やや離れたところから、聞き慣れた友人の声が響いてくる。一足早く立ち上がったカルマが、一方を指差し、彼の名を呼んだ。
「ガイアモンド!」
 ムーンは近くに転がっていた木の枝を掴み取り、それを支えにして身を起こす。腹の刺し傷と肩の銃創が、ずきりと鈍く痛んだ。
「おーい!ムーン!!」
 彼の姿を見つけるなり、ガイアモンドは大きく腕を振って、こちらの位置をアピールする。ムーンはカルマにも力を借りて、緩慢な歩みで彼の方へと近付いた。血を流し、憔悴した彼の姿を目の当たりにし、ガイアモンドはわずかに身震いする。だが、すぐに何事もなかったかのような顔をして、澄ました態度で口を開いた。
「何だ?随分やられているじゃないか。この程度の敵で、君が手間取るとは予想外だったな」
「ムーンがたすけてくれたのよ」
 カルマはつぶらな瞳で彼を見上げ、ムーンにも視線を向ける。彼女に負担をかけぬよう、ムーンはどうにか自分の足で地を踏み締めた。
「君こそ、酷い姿だよ。洒落者の称号は捨てたのかな?」
 ガイアモンドの高飛車な発言に、ムーンはいつもの通りの軽口で返す。想像よりも余裕のある口調に、彼は内心で安堵を抱いた。しかし、やはり表には出さないで、盛んに反論する。
「うるさいな!仕方ないだろ!?市民を守るために、あちこち駆けずり回っていたんだから!」
 彼の体は怪我こそなかったものの、砂と埃に塗れ、ムーンよりも酷い有様となっていた。混乱に包まれた街の中で、警察や救急隊を動かし、少しでも多くの人々を逃がそうと足掻いた結果である。彼の誘導がなければ、歌の効果に巻き込まれて、もっと大勢の市民が犠牲になっていたはずだ。
「ふぅん……ところで、その石は何だい?」
「いたたたた!話を聞け!!」
 しかしながら、ムーンは恩義を感じるでもなく、いかにも退屈そうに聞き流すだけであった。ガイアモンドの腕を取って、おかしな方向に捻じ曲げる。関節が外れそうになって、彼は慌ててムーンの手を振り払わねばならなかった。
 彼が片手に持っていたのは、紫水晶のような石だった。テニスボールくらいのサイズで、綺麗な球体の形をしている。特に何の変哲もない外見だが、不釣り合いにその威力は凄まじい。
 水晶の内部は曇天のように濁り、そして絶えず蠢いていた。球体の表面から放たれた細い光の糸が、彼らのすぐ近くに転がった、ピアノの方に伸びている。楽器は上下を逆さまにして転がっており、天板が破損してひしゃげ、内部に張られたピアノ線が露出していた。銀色に輝く糸はその内部にまで入り込み、器に宿った魔力を着実に吸い出している。演奏が中断されたことで、暴走を始めた歌の力を回収し、制御しているのだ。メレフの命を救うため、ガイアモンドが苦渋の思いで、権力者インペラトルたちに頭を下げ、借り受けた物である。
「ムーン!無事で良かった!」
 彼のことを押し退けて、瓦礫の影からマティーニが現れた。よろめくムーンに肩を貸し、彼は早口に捲し立て始める。
「君が言ってくれなければ、危ないところだったよ。あの後すぐ、どうにか社長に電話を入れたんだけど、そこで意識が途切れてな……でも、間一髪で助かった!」
「助けたのは僕だ!!全く、指の骨が折れそうだったよ!」
 ガイアモンドが堪らず口を挟み、赤く腫れた拳を指して、大声で喚いた。
 彼に電話がかかってきたのは、ちょうどインペラトルの一人と交渉を開始した直後だった。聞こえてきたのは、とてもマティーニとは思えない、獣の唸りのような音声のみ。彼はムーンの言葉で正気に戻ったはいいものの、通話が繋がった瞬間に、最後に残った理性まで失ってしまったのだ。
 たちまち危機を察したガイアモンドは、インペラトルの協力を得て、彼の救出に向かった。といっても、やり方は至極シンプルで、強制的に気絶させたというだけだったが。ガイアモンドの下手な拳一発でも、思考力を奪われたマティーニには十分効いた。そして失神した彼を、転移魔法で安全な場所まで移動させ、冷水を浴びせて覚醒させたというわけだ。
「大体、あんなホラー映画じみた音声を聞かされるなんて……思い出しても鳥肌が立つ」
 まだ痛む手を押さえながら、ガイアモンドは恐怖する。豹変した彼の異常さを回想し、ムーンも苦笑いした。
「顔見知りでもかい?」
「だからだろう!?よく見知った人物が、ある日を境に変わってしまう。そんなの、一番の恐怖じゃないか!」
「そうかなぁ……」
「どうせ君には分からないさ。このホラーゲームオタク!」
「オタクは悪口じゃないよ」
 小競り合いを続ける彼らの間に、重々しい咳払いが割って入る。ふと目を向けると、両手を後ろで拘束されたメレフが、地べたに座り込み憮然とした表情を晒していた。
「御託はいい。それよりも教えてくれないか。お前たち、私を、どうするつもりだ?」
 睨まれた二人はしばし沈黙し、数秒後、面食らった調子で呟く。
「どうって……それは、考えていたかい?ガイア」
「いや、正直もう彼のことはどうでも良かった」
 屈辱的な扱いに、メレフは頬を大袈裟に引き攣らせた。
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