M00N!!

望月来夢

文字の大きさ
上 下
64 / 66

絶望の終わり

しおりを挟む
 ムーンの放った銃弾は、魔法の力でもって、現実へと干渉する。火薬の燃焼で発生するエネルギーより、もっと強く、もっと速く。明るく晴れた空の中、荒れ狂う風を切り、ターゲット目掛けて一直線に飛ぶ。そしてそれは、ピアノを守ろうと覆い被さり、窮地に陥っても尚演奏を継続しているメレフの、真横すれすれに着弾した。楽器の黒い表面が抉れ、小さく尖った破片を散らす。ピアノの上に上体を丸めていた彼は、頬の間近を過ぎる猛威に、顔を強張らせ瞠目した。だがしかし、彼の身体には傷一つついていない。自身の無事に気が付いた彼は、口が耳まで裂けたような、狂気的な笑みを浮かべた。
「っははははは!!馬鹿め!!結局私を殺すことなど出来ないじゃないか!!これだから口先ばかりの凡人は」
「いいえ、ちがうわ」
 彼の耳に、カルマの落ち着いた訂正が飛び込んでくる。急いで顔を上げると、ムーンの肩にしがみついたカルマが、眼下を冷静に見下ろしているところだった。実の父親に向けるには相応しくない、冷たい眼差しにメレフは苛立つ。彼女の隣では、ムーンもライフルを携えたまま、こちらをじっと凝視していた。彼は空いた手で眼鏡を外し、鋭い赤い瞳を露わにしている。ヒビの入ったレンズは、フレームから剥がれてパラパラと散っていた。
「何だ……!?」
 彼らが一体何を見ているのか。固唾を飲んで、何を期待しているなのか。メレフは最初訝しんだ。だが、唐突に、気が付く。気が付いて、しまった。
 再生の歌を綴った、何枚もの楽譜の束。譜面台にぎっしりと並べられ、奏でられるのを待っていたそれに、ぽっかりと黒い穴が空いている。ムーンの弾丸に貫かれ、熱に焦がされたせいで、五線譜に書かれた旋律は一部読めなくなってしまっていた。今弾いているフレーズも、もうじきに穴のある箇所へ到達してしまう。再生の歌は、至難の楽曲だ。何年も試行錯誤をして辿り着いた、複雑かつ繊細な音楽である。到底、暗譜など出来るはずがない。レパートリーならば手が勝手に覚えているかも知れないが、今回は違っていた。ほとんど初見に近い状態で、適当に鳴らした鍵盤が、偶然正解を引き当てる確率は万に一つもないだろう。どうするべきかと悩んでいる間に、歌は件のところにまで行き着いてしまった。焦燥にメレフの指は狂い、予定にない一音を軽はずみに弾く。
 それが、全てだった。
 たった一つの不調和が、旋律の持つ全ての力を無効化する。
 たった一つの失敗で、彼が積み上げに積み上げてきた、途方もない努力は全て台無しになった。
 終わった。
 彼は即座に敗北を悟り、ガックリと項垂れる。
 後に残るのは、後悔。頭の中を埋め尽くすのは、その一心のみだ。
 この世界を変えるため、より良いものに作り直すため。何もかもを投げ打って、強引に進めてきた計画が、とうとう終わってしまった。
 多分、二度目のチャンスは来ない。一曲のみの時と違って、二曲を同時に演奏し、滅亡と再生を世にもたらそうとしたのだから。途中で止めれば、相応の代償が発生する。呪いに返しがあるように、莫大な力を使用すれば己もいずれ巻き込まれるのだ。誤った旋律が崩壊を始め、そこに込められた力も、暴走する。それが、死という形を取るのか、また別の方法で襲ってくるのか。実際に体験するまでは、誰にも分からない。仕方のないことだ。この腐った魔界を変えると決めた時から、覚悟はしていた。どれほど酷い結末を迎えるのだとしても、彼は己の行動に、一切後悔は抱いていなかった。
 目を覆いたくなるような閃光が、辺りを満たす。ムーンもカルマも眩さに耐えかねて、咄嗟に顔を背けた。
  *  *  *
 何かが大量に落下する轟音と共に、ムーンはその場に転倒する。掌に、ざらついたアスファルトの感触が伝わった。足も、しっかりと硬い地面についている。瞼の裏に残る強烈な光を、数回瞬いて追い払った。
 そこは、紛れもなく地上だった。魔法の効果は完全に潰え、空間や重力を歪める力も働いていない。やはり時間も書き換えられていたのか、上空から降り注ぐ光は、早朝の爽やかな日差しに戻っていた。
 だが、破壊された建物までは、その限りではないらしい。彼らの周りには無数の瓦礫が積み上がり、爆撃にでも遭ったかのような、無惨な様相を呈していた。原型を残しているものは何一つなく、そこだけぽっかりと更地に変えられてしまっている。まるで最初から何もなかったと言いたげな様子で、ただ残骸の山を撫でるだけの風が、塵芥を巻き上げていた。
「ムーン!カルマ!!無事かー!?」
 やや離れたところから、聞き慣れた友人の声が響いてくる。一足早く立ち上がったカルマが、一方を指差し、彼の名を呼んだ。
「ガイアモンド!」
 ムーンは近くに転がっていた木の枝を掴み取り、それを支えにして身を起こす。腹の刺し傷と肩の銃創が、ずきりと鈍く痛んだ。
「おーい!ムーン!!」
 彼の姿を見つけるなり、ガイアモンドは大きく腕を振って、こちらの位置をアピールする。ムーンはカルマにも力を借りて、緩慢な歩みで彼の方へと近付いた。血を流し、憔悴した彼の姿を目の当たりにし、ガイアモンドはわずかに身震いする。だが、すぐに何事もなかったかのような顔をして、澄ました態度で口を開いた。
「何だ?随分やられているじゃないか。この程度の敵で、君が手間取るとは予想外だったな」
「ムーンがたすけてくれたのよ」
 カルマはつぶらな瞳で彼を見上げ、ムーンにも視線を向ける。彼女に負担をかけぬよう、ムーンはどうにか自分の足で地を踏み締めた。
「君こそ、酷い姿だよ。洒落者の称号は捨てたのかな?」
 ガイアモンドの高飛車な発言に、ムーンはいつもの通りの軽口で返す。想像よりも余裕のある口調に、彼は内心で安堵を抱いた。しかし、やはり表には出さないで、盛んに反論する。
「うるさいな!仕方ないだろ!?市民を守るために、あちこち駆けずり回っていたんだから!」
 彼の体は怪我こそなかったものの、砂と埃に塗れ、ムーンよりも酷い有様となっていた。混乱に包まれた街の中で、警察や救急隊を動かし、少しでも多くの人々を逃がそうと足掻いた結果である。彼の誘導がなければ、歌の効果に巻き込まれて、もっと大勢の市民が犠牲になっていたはずだ。
「ふぅん……ところで、その石は何だい?」
「いたたたた!話を聞け!!」
 しかしながら、ムーンは恩義を感じるでもなく、いかにも退屈そうに聞き流すだけであった。ガイアモンドの腕を取って、おかしな方向に捻じ曲げる。関節が外れそうになって、彼は慌ててムーンの手を振り払わねばならなかった。
 彼が片手に持っていたのは、紫水晶のような石だった。テニスボールくらいのサイズで、綺麗な球体の形をしている。特に何の変哲もない外見だが、不釣り合いにその威力は凄まじい。
 水晶の内部は曇天のように濁り、そして絶えず蠢いていた。球体の表面から放たれた細い光の糸が、彼らのすぐ近くに転がった、ピアノの方に伸びている。楽器は上下を逆さまにして転がっており、天板が破損してひしゃげ、内部に張られたピアノ線が露出していた。銀色に輝く糸はその内部にまで入り込み、器に宿った魔力を着実に吸い出している。演奏が中断されたことで、暴走を始めた歌の力を回収し、制御しているのだ。メレフの命を救うため、ガイアモンドが苦渋の思いで、権力者インペラトルたちに頭を下げ、借り受けた物である。
「ムーン!無事で良かった!」
 彼のことを押し退けて、瓦礫の影からマティーニが現れた。よろめくムーンに肩を貸し、彼は早口に捲し立て始める。
「君が言ってくれなければ、危ないところだったよ。あの後すぐ、どうにか社長に電話を入れたんだけど、そこで意識が途切れてな……でも、間一髪で助かった!」
「助けたのは僕だ!!全く、指の骨が折れそうだったよ!」
 ガイアモンドが堪らず口を挟み、赤く腫れた拳を指して、大声で喚いた。
 彼に電話がかかってきたのは、ちょうどインペラトルの一人と交渉を開始した直後だった。聞こえてきたのは、とてもマティーニとは思えない、獣の唸りのような音声のみ。彼はムーンの言葉で正気に戻ったはいいものの、通話が繋がった瞬間に、最後に残った理性まで失ってしまったのだ。
 たちまち危機を察したガイアモンドは、インペラトルの協力を得て、彼の救出に向かった。といっても、やり方は至極シンプルで、強制的に気絶させたというだけだったが。ガイアモンドの下手な拳一発でも、思考力を奪われたマティーニには十分効いた。そして失神した彼を、転移魔法で安全な場所まで移動させ、冷水を浴びせて覚醒させたというわけだ。
「大体、あんなホラー映画じみた音声を聞かされるなんて……思い出しても鳥肌が立つ」
 まだ痛む手を押さえながら、ガイアモンドは恐怖する。豹変した彼の異常さを回想し、ムーンも苦笑いした。
「顔見知りでもかい?」
「だからだろう!?よく見知った人物が、ある日を境に変わってしまう。そんなの、一番の恐怖じゃないか!」
「そうかなぁ……」
「どうせ君には分からないさ。このホラーゲームオタク!」
「オタクは悪口じゃないよ」
 小競り合いを続ける彼らの間に、重々しい咳払いが割って入る。ふと目を向けると、両手を後ろで拘束されたメレフが、地べたに座り込み憮然とした表情を晒していた。
「御託はいい。それよりも教えてくれないか。お前たち、私を、どうするつもりだ?」
 睨まれた二人はしばし沈黙し、数秒後、面食らった調子で呟く。
「どうって……それは、考えていたかい?ガイア」
「いや、正直もう彼のことはどうでも良かった」
 屈辱的な扱いに、メレフは頬を大袈裟に引き攣らせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【NL】花姫様を司る。※R-15

コウサカチヅル
キャラ文芸
 神社の跡取りとして生まれた美しい青年と、その地を護る愛らしい女神の、許されざる物語。 ✿✿✿✿✿  シリアスときどきギャグの現代ファンタジー短編作品です。基本的に愛が重すぎる男性主人公の視点でお話は展開してゆきます。少しでもお楽しみいただけましたら幸いです(*´ω`)💖 ✿✿✿✿✿ ※こちらの作品は『カクヨム』様にも投稿させていただいております。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

孤独な少年の心を癒した神社のあやかし達

フェア
キャラ文芸
小学校でいじめに遭って不登校になったショウが、中学入学後に両親が交通事故に遭ったことをきっかけに山奥の神社に預けられる。心優しい神主のタカヒロと奇妙奇天烈な妖怪達との交流で少しずつ心の傷を癒やしていく、ハートフルな物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

心に白い曼珠沙華

夜鳥すぱり
キャラ文芸
柔和な顔つきにひょろりとした体躯で、良くも悪くもあまり目立たない子供、藤原鷹雪(ふじわらのたかゆき)は十二になったばかり。 平安の都、長月半ばの早朝、都では大きな祭りが取り行われようとしていた。 鷹雪は遠くから聞こえる笛の音に誘われるように、六条の屋敷を抜けだし、お供も付けずに、徒歩で都の大通りへと向かった。あっちこっちと、もの珍しいものに足を止めては、キョロキョロ物色しながらゆっくりと大通りを歩いていると、路地裏でなにやら揉め事が。鷹雪と同い年くらいの、美しい可憐な少女が争いに巻き込まれている。助け逃げたは良いが、鷹雪は倒れてしまって……。 ◆完結しました、思いの外BL色が濃くなってしまって、あれれという感じでしたが、ジャンル弾かれてない?ので、見過ごしていただいてるかな。かなり昔に他で書いてた話で手直ししつつ5万文字でした。自分でも何を書いたかすっかり忘れていた話で、読み返すのが楽しかったです。

恋する座敷わらし、あなたへの電話

kio
キャラ文芸
家では座敷わらしとの同居生活、学校では学生からのお悩み相談。 和音壱多《わおんいちた》の日常は、座敷わらしの宇座敷千代子《うざしきちよこ》に取り憑かれたことで激変していた。 これは──想いを"繋ぐ"少年と、恋する座敷わらしの、少し不思議で、ちょっとだけ切ない物語。

処理中です...