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第三章 初めての課題

10.僕の行き先

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震える手で僕は引き寄せられた。

数ミリ。
それくらいしか僕たちの間に距離はない。ローズの熱がこちらに伝わってくるほど近い。

「「……。」」

お互いに何も話さない。

ポツポツと雨音だけが辺りに響く。辺りは嘘みたいに静かで、一瞬の時間がとても遅く流れているようだ。

チクリとした痛みが胸に感じた。


「…証明してあげる。」

ローズはそう言って、ゆっくりと僕から離れてから口を開いた。

「セレナ様、ごきげんよう。」


「え?」

お姉さま?
キョロキョロと周りを見回しても姿はない。


「……ごきげんよう。」


お姉さまの声だ。
声が聞こえるだけじゃない。確かにここにいる。
びちゃ…びちゃ…と音をたてながら、ローズの背後からユラリと影が覗いた。


(こっ怖ぁあーーー!!!!!)

「ユーーレイ!!?」


「なに勝手に幽霊にしてるのよ、失礼ねぇ。」

「おっ、お姉さま!!?」


影の正体はお姉さまだった。髪は濡れて水が滴り落ちている。
雨は少し弱まり始めていた。

「あなた何処の誰なのぉ?」

お姉さまは濡れた髪を手ではらいながらローズを見下ろしている。

「メガイラ様の妹のローズと申します。」

「あぁ?」

お姉さま怖い。校舎裏のヤンキーも真っ青だよ。

「セレナ様、じゃあ私はこれで。チカ、またね。」

(一ミリも動じてない…。)

「う、うん、またね。」

気がついたらもうほとんど雨はあがっていて、湿った空気だけが辺りに漂っていた。
ローズはそのなかを小走りで駆け抜けて行ってしまった。

(なんかほんわかしてるようで嵐のような不思議な子だったな…。)


お姉さまは僕を真っ直ぐ見つめた。

「話の途中にいなくなるとはどういうことぉ?」

「ごめんなさい…。」

僕はまた、お姉さまの元から逃げてしまった。

「まぁ、動揺させた私も悪いわ。この学園について詳しく説明してなかったし。」


(違うのに。僕が勝手に期待したから。)


「期待ってなんのことよぉ?」


あっ、と僕は自分の口を手で塞ぐ。声に出してなかったからそんなことしても意味がないのだけど、お姉さまが心が読めることをつい忘れていたのだ。

「…………。」

「何黙ってるのよぉ?言えないことなの?」

というより、言いずらいんだ。
でも言わなきゃ始まらない。


「僕は……、その、お姉さまに気に入られてると思ってたんです。だから、この学園に連れてきてくれたと。」

口に出すと恥ずかしすぎる。ましてや本人に言うなんて。

「思ってた?実際、そのとおりよ?」

「え"っ!?」

「なあにその不細工な声は。」


だって、だって、そのとおりなワケないじゃないか。僕を連れてきたのは、僕を妹にしたのは、気に入ったからじゃないでしょ?


「お姉さま、僕を妹にしたのはお姉さまにもメリットがあるからですよね?」

「はぁ?そんなわけないでしょ。」

「えええ???」

じゃあどういうことなんだ。

「私の話を聞いて、そう思ったの?」

「…はい。」

「チカ、あなたそれすっごく失礼よ。私のことそんなひとだと思ってたの?」

(ーーっ!)

お姉さまの言う通りだ。
自分の臆病さで予防線を張って期待しないようにしてることは、それは相手に真剣に向かい合おうとしてないってこと。

お姉さまにそう言われて当然だ。


「ごめんなさい…。」

「もう、聞き飽きたわぁ。」

涙がまた溢れてきてしまう。
泣きたくないのに。自分が情けなさすぎて本当に嫌だ。


「なら自分を変えなさい。」


お姉さまは僕の顔を両手で挟み、上を向かせた。手が雨で濡れていて、驚くほど冷たい。

僕は何もわかっていなかった。
お姉さまは追いかけてきてくれて、そしてちゃんと僕に向き合ってくれている。

変えなきゃいけないのは自分。


「…っ、話の続きを、聞かせてください。」

「いいわ。」

お姉さまは顔から手を離し、僕の隣に座った。


「どこまで話したかしらねぇ。妹を作るメリットがどうのとかだったかしらぁ?」

お姉さまは意地悪するような言い方で聞いてくる。すぐ、そうやってからかってくるのだ。
でも、その軽妙さに救われもする。

「そーです。そーです。」

「まぁ、何その態度はっ。」

ぎゅっとつねられそうになる頬を庇うと、お姉さまは諦めて手を引っ込めた。


「まあ私たちお姉さまにあなたが言う"メリット"があるのも事実だわ。でもね、ここへ連れてきたのは、チカの選択肢が広がると思ったからでもあるの。」

「選択肢?」

「チカは、私と窓口で出会った時に転生が難しいって話をしたの覚えてる?」

「はい。」

お姉さまは転生を選ぼうとした僕に、自殺者として天界に来た自分にはそれが難しいことであると教えてくれた。

「まったく転生ができないってわけじゃないのよ。ただ限りなく0に近いだけ。」

(あ…!)

何となくお姉さまの話が見えてきた。

「この学園と転生が関係あるんですね?」

「あら、察しがいいわねぇ。
この学園で学び、正式な女神として認められれば、世界に造られた様々なものをつかさどる女神として転生できる可能性があるの。」

「女神として、転生?」

「えぇ、美しい世界を守るために。天界での生活以外で自殺者にゆるされた唯一の道。」


それがお姉さまが言っていた選択肢…。


「世界によっては住人に紛れ、自分が女神ということも忘れて生活するかもしれない。あるいは、女神ということを自覚して生まれ落ちるかも。どちらにせよ魂は使命を忘れないわ。」

「……。」


スケールが大きい話だ。僕がどうこうしたいという軽い気持ちで終わることではない。
お姉さまは僕が話に圧倒されているのに気がついてか、僕の片手に手を重ねてきた。


「チカ、私は最初にも伝えたけど、あなたの行き先を自分自身で見つけるまではここにいてほしいだけ。女神として転生を目指そうと、学園生として生活しようと、他の道に行こうと、チカが決めればいいのよ。」

「セレナお姉さま…。」


お姉さまが与えてくれた転生の可能性。
迷い続けるなかで、僕自身が何かに頼らず行き先を決めることができるのか不安がある。

でも、自分から歩みだすのは思ったより怖くないのかもしれないと、不思議と思ってしまう。



「わかりました。
僕、僕自身の行き先をきっと見つけます。」

「ええ。待っているわ。」


僕はお姉さまが重ねた手の上に手を置いた。

「ありがとうございます、お姉さま。」

今は目を合わせてそう言える。
そういう力をこの女神ひとはくれたんだ。


雨は上がり、日が射し込む。

「あっ、虹が見えるわぁ。」


小さな虹が空にかかっていた。天界がこんな美しいところだと知らなかった。

お姉さまに出会えたことを、僕のなかですごく特別なことに感じた。


「さぁて、今日は他に授業もないし部屋に戻りましょ。」

「はいっ!」

手を繋いで東屋を出る。
頬笑むお姉さまの横顔が美しい。


「チカ、今度は私がチカの話を聞きたいわぁ。」

「話、ですか?」



「ええ。さっきのローズって小娘と何があったのか、部屋でたっぷりと聞きたいわねぇ。」


そう言うお姉さまは、まるで悪魔が微笑むように笑った。
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