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第七話「練習室での邂逅」
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「ダメだ、君の演奏は! もっとここに演奏者がいることを考えなさい。独創的な演奏は良くない!」
時は過ぎ、六月中旬。
七月の定期演奏会に向けて、俺は講師にレッスンしてもらっていた。
定期演奏会で弾く曲目は、『ショパン ピアノ協奏曲第一番 ホ短調 作品11』。
ドラマや漫画でも使われるような、有名な曲だ。
俺は予想外なことに、定期演奏会のピアノに選ばれていた。
そう、一年のピアノ専攻の中からたった一人選ばれてしまったのだ。
それは普段の授業態度、出席日数、受験で課題曲を演奏した際の評価で決まったらしい。
正直俺が選ばれると思っていなくて、本番ではちゃんと演奏できるか不安だった。
……中学の合唱コンクールで失敗したからだ。
でも、高校のころ習っていたピアノ教室で幾度か発表会に出ている。
そのころは一人で弾いていたけど、今回は他の演奏者と共に弾くピアノ協奏曲だ。
失敗してしまったらどうしようと、定期演奏会での不安は拭いきれなかった。
だけど、その演奏会には臼庭もコンマスとして弾くことになっている。
臼庭と一緒に演奏ができるなんてすごく嬉しい。
この大学に入学してよかった。
不安だけど、演奏会なんだから楽しまなければ。
初めての定期演奏会は笑って終わらせたい。
「……はぁ」
今日も講師に怒られるだけで終わってしまった。
大学一年最初の定期演奏会なだけあって、その練習は厳しい。
悔しくなって空き時間に練習室の予約をし、全ての授業が終わった後そこへ向かった。
「えっと、俺の練習室は……」
予約で取れたのは、確か奥から二番目の部屋だ。
練習室は全部で八十室あり、予約制。
穴あきの特殊壁で、音の反射などを考慮して作られている。
真っ直ぐ歩いて進むと……一番奥の練習室から、微かに聞き覚えのある曲が聞こえてきた。
中学のあのころ聞いた、澄んでいて美しいキラキラとした音色。
それでいてその音に触れたら壊れてしまいそうな、僅かな切なさを抱えた音。
ああ、この音色は間違いない……。
自分の練習室より数歩歩いて奥のガラス張りのドアを覗くと、臼庭が演奏していた。
真剣な眼差しでヴァイオリンの弦に指を走らせる臼庭は、天井の電球に反射して煌めていている。
演奏する姿に見入って、俺は目が離せなかった。
「……あ」
いつの間にか演奏が終わるまで見ていたらしく、ちらりと視線がぶつかる。
臼庭はヴァイオリンをケースにしまい、こちらに歩いてドアを開けた。
「見てる暇あったら練習すれば?」
「ごめんっ! 臼庭の演奏してる姿が、あまりに綺麗だったから……」
ああ、こんなに正直に伝えてしまって引かれたりしないだろうか。
俺は嘘が吐けない。
嘘を吐くのが嫌いだからだ。
吐いたらずっと罪悪感も抱えてしまうし。
そっと臼庭を見ると、廊下の窓から射しこむ西日のせいか、彼の目尻が赤く染まっているような気がした。
そういえば、と練習室の予約表を思い出す。
予約表では一週間分の予約ができる。
そこには臼庭の名前も書かれていて、臼庭は……この一週間毎日、練習室を予約していた。
「臼庭は、努力家だね」
「なんだよ、急に」
「練習室の予約、臼庭の名前が一週間分全部あった。……すごいね」
「別に、当たり前だろ。そのくらい」
当たり前なんかじゃない。
ピアノ専攻の人でも練習室を毎日借りる人なんて、僅かしかいない。
「授業であれだけ弾くのに、さらに毎日練習室で練習するのは大変だよ」
「……そうでもしないと、俺は上手くなれないんだよ。発情期が来るから」
「……!」
そこで、失言をしてしまったと口に手をあてる。
そうだ、臼庭はオメガだ。
臼庭の発情期の周期がどのくらいかわからないけれど、それが来たらオメガの人は一週間くらい何もできないと聞く。
臼庭も練習ができないのだろう。
「……ごめん。俺、ひどいこと言った」
「そこまで気にしてない。オメガのことなんて、オメガにしかわからないし」
そう言った臼庭はひどく諦めたような顔をしていて、俺は思わず臼庭のヴァイオリンケースを持っていないほうの手を両手で包んだ。
体温が低いのか少し冷えていて、指先も俺より細い。
「俺、臼庭のこと絶対守るから。俺はアルファだから、オメガの人より理解には薄いかもしれないけど、臼庭の気持ちに寄り添えるように努力する。……だから、そんな諦めたような顔しないで」
必死に伝えたら、臼庭は目を丸くしていた。
握っていた俺の両手を離され、視線を逸らされる。
「別に、オメガに寄り添う必要なんかないだろ」
「ううん、少しでもいいから気持ちをわかりたいんだ。臼庭は、俺にとって大事な人だから」
「……」
臼庭は黙って練習室の奥に行ってしまう。
ケースからヴァイオリンを取り出して、俺のほうを振り向いた。
「早く練習室戻れよ、練習時間なくなるぞ」
「……うん、わかった。演奏会、楽しもうね」
「演奏会は楽しむものじゃないだろ」
「え?」
「楽しむとかじゃなくて、完璧に弾かないとだめなんじゃないの。他の大学の有名講師とかも見に来るんだぞ」
「でも……演奏会なんだから、楽しんで弾かないと」
「……お前のそういうところ、ほんとムカつく」
そう言われて、ぴしゃりとドアを閉められた。
臼庭は俺に背中を向けて練習し始めてしまう。
……臼庭を怒らせてしまった。
何か、不快なことでも言ってしまっただろうか。
どうやったら臼庭は振り向いてくれるんだろう。
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