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得体の知れないものを、見つけてしまいました

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身体を柔らかく包んでいたもふもふの感触が、突然感じられなくなった。

(あれ?)

ボンヤリ開いた目に映ったのは、漆黒の髪と紺碧の瞳だ。
昼時なのに未だ暗い森の中でも、その氷の美貌が目に、はっきりと映りだされる。

ぅわあ、近いっと、目がいっぺんに、パッチリ覚めた。
するとすぐにかすかな鼓動が、トクン、トクンと聞こえてきた。
ふぁ、と安心できる匂いと温もりに、自分は今、シンの胸で目が覚めたのだ、と変に意識してしまう。
逞しい腕に抱えられる現実をありありと自覚して、頬が熱くなってきた。

(私ったら、なんだかこの頃、シンの傍らで目覚めるのが当たり前になってきちゃってる?)

ちょっと前までは考えられなかった事実に、顔を赤らめた。途端、遠くで潅木の茂みが、がさこそとわずかに揺れて、忍び寄る人の足音がいくつも聞こえ始める。

「…気がついたか? どうだ、ちょっとは休めたか?」
「あ、ごめんなさい、私ってば…」
「丁度良かった、今、起こそうと思っていたところだ」

そう言えば先程、額に当たったシンの指から一瞬感じたのは、魔力の流れだった。

(もしかして、ワザと寝かしてくれた?)

「私ってば、ずっと寄りかかって…?」
「気にするな、それより皆、合流するぞ」
「あ…」

(きゃあ、大変!)

うたた寝したのは不可抗力かもしれないが、今の今まで寝てました、という乱れた格好を晒すのは、あまりにもちょっと恥ずかしい。
慌てて口の周りのヨダレらしきものを、手の甲でぬぐい目をこすって、ついでにそのまま手を髪に持っていき、乱れを急いで直し始める。

(うわあ、顔も洗ったほうが、いいかしら?)

ペトペト、と手をやってポニーテールをチェックしていると、シンはニヤリと口端をあげて笑いかけてきた。

「大丈夫だ、ほら、よだれはもう残ってないぞ」
「うっ…」

長い指で口の周りを辿なぞられると、熱い頬を意識してしまう。思わず声を張り上げかけた、が、己の置かれた状況を、ハッと思い出し慌てて言葉を飲み込む。

『うるさいわね、涎なんか、垂らしていないんだからっ!』

代わりに口パクと振り上げた手で抗議するリナに、シンは含み笑いで対抗する。

「なんだ、喧嘩か? 仲良くしろよ」
「結界を張りましたから、声を出しても大丈夫ですよ」

アルゼとテンが同時に茂みから現れると、真っ赤になってシンに手を振り上げた格好のリナに、それぞれのコメントをしてきた。

「喧嘩などしていない。俺たちはとても仲良しだ」
「なっ? 何を…」

言い出すのよ!と言葉を続けようとしたが、次々と茂みから現れた男達に、うっ、ここは冷静に……と、スウと深呼吸した。
意味あり気に見つめてくる瞳を軽く睨んで、振り上げた手を急いで下ろした。

「あちらに見える黒い小山のような塊が、どうやら魔獣の巣らしい。少しづつだが、移動している」
「なっ! あの、でっかい山みたいな塊かっ? 嘘だろ、あの数……」

揃った仲間に「早速だが」と、どこまでも冷静なシンが魔獣の巣を指し示す。
示した方向に見えるのは、どんよりとした暗い森を背景にうごめく、真っ黒で不吉な山だ。
遠目にも今朝見たような幼獣ではない、見上げるような大きさの成獣と思われる、黒々としたタコグモがギッシリ動き回り、ゴソゴソと蠢めいている。
結構距離があるはずなのに、見ていて気持ちのいいものでは決してない……

なんだ?、と後から到着した男達も改めてその様子を見て、言葉が出ないようだった。

「……無理だ、あんな数……」
「……ここまで来て、こんな…」

打ちのめされたような絶望感が、冒険者の間に広がる。
そんな様子を見ていたシンは顎に手を当てて何かを考えていたが、おもむろに顔を上げてアルゼに質問した。

「アルゼ、あの魔獣、何匹ぐらいなら何とかなる?」
「…そりゃあ、多分だが五、六匹ぐらいまでなら何とかならあ、こう見えても、俺らA級とB級だ」
「ふむ、いっぺんにいけるか?」
「一斉にかかってこられたら勝算が一気に落ちる。贅沢を言えば二匹ずつぐらいが理想だなぁ。二手に分かれて一匹ずつならもうちょっと数がいけるかも…」
「…注文が多いな、まあならちょっと待ってろ。フェン、行くぞ」
「えっ? おいちょっと、どこへ…」

「行くんだっ?」 と問いかけるアルゼに、馬サイズになったフェンの背中に跨がったシンは振り向いた。

「十匹ぐらい捕獲してくる、多少の誤差は飲み込んでくれ」
「はあっ!?」

途方も無い台詞を吐いた後、シンは真っ直ぐ目にも止まらぬ早さで、巣の周りをウロウロしている一番手前のタコグモに向かっていった。

(えっ、もうあんな所に?)

その移動速度のあまりの速さに、一同は驚く。
あっという間に、シンがいきなりタコグモの前に出現した。
突然現れた敵に向かって前脚を上げようとしたタコグモの脚が、ヒュンと瞬く間に切り捨てられた。
ガクン、と前のめりに崩れた巨大な脚をシンは掴んで、ヒョイとその胴体を放り投げる。
ええっ!と目をまん丸にしたアルゼ達の目の前に、前脚が切り取られたタコグモが一匹、ヒューン、ドスンッと、天から降って来た。

しばし、シーンと静まり返った静寂が一同の間に流れる……

(はっ、呆けている場合じゃないわっ!)

いきなり空中に放り投げられ、尻もちをついて眼を回していたタコ口が、ブチュウととんがり始めている!

「危ないっ!」

即座に光の矢を、シュン、と素早く打ち、タコ口を潰して炭毒を排除する。
放った矢は見事に命中した。心の中で、やったわ、とガッツポーズを取っていると、さすがに魔獣だ、めげずに後脚で起き上がってくる気配だ。
一同は夢から覚めたように、一斉に武器を構える。
テンも、手を魔獣に向けて聖光を放ち、早速一撃お見舞いした。
もともと魔獣だからなのか多少は縮んだが、それでもやはり体積が大きいタコグモだ。

「来るわよっ!」
「おうっ」

まずは先手でアルゼが、勇んで向かっていく。尻餅をついたタコグモの、胴体後方にある糸が発射される器官を、「ふんっ!」と掛け声を出して剣で半分に叩き切り、機能不全に仕立てあげた。

(よし、毒と糸の心配はこれでなくなったわね)

後は、と他の冒険者の顔にも希望の色が戻り、それぞれが剣を掲げて切り掛かっていく。
するとすぐに狙ったように、ドスン、と二匹目のタコグモが目の前に落ちて来た。

(きゃあっ、また来た!)

次々に放り投げられて来るタコグモに向かって、リナは光の矢を立て続けに放った。そのタコ口をすべて潰してゆく。
アルゼとカウルもタコグモの糸器官を次々と潰し、残りの冒険者と共に動かなくなるまで剣を叩きつけた。
飛んで来るタコグモが十匹を超え、これでラストーっと、光の矢を放った後、リナはシンの方にようやく目を向けた。

フェンが大口を開けて小山の裾から、魔獣をパクパクと食い散らかしている。
シンは?と、逞しい姿を探すが、方向が悪くて、こちら側からは彼の動向が見えない。

(けど、どうやっているの? あれ…)

小山の裏から風がシュン、と唸るたび、タコグモ山の一部が綺麗に消滅していく。
まるで、フェンより大きな獣に飲み込まれているようだ。

「フェン、巣の中心に囚われた冒険者達がいるかも知れない。間違えて食べるなよ、気を付けろ!」
「分かった、オイラ、気を付ける」

食い散らかすように黒い塊を勢いよく飲み込んでいた、フェンのスピードがちょっと緩まった。…のだが、それでも全く山の消滅度は落ちず、やはり瞬く間に黒い魔獣山は跡形もなく消滅していった。

(凄い…あ、何かしら? あれ…)

思わず驚きで息を飲んだ。
山が消滅した跡に、白いキラキラした糸で出来た大きなうまやぐらいの大きさの繭が、徐々に姿を現したのだ。

あっという間にそれは、全ての全貌を現した。
タコグモを全て掃滅を終えたシンが、繭の周りをゆっくり巡って、こちら側に戻って来るのが見えた。

(……ウッソーっっ! あんなにたくさんいたタコグモが……)

ヒュルルー、と木枯らしのような風が吹いて、それは跡形もなく消えていた……

後に残ったのは、輝くような白い繭である。

ゾクゾクッ……

そのあまりにも凄過ぎる技量に、背筋にわずか寒気のようなものを覚えたリナは、シンが繭の周りでゆっくり何かをしていることに気づいた。

(何をしているんだろう?)

屈んでいるシンをよく見ると、繭の周りに落ちている魔石を、彼は拾い集めている様だった。

(……小山の上部が消滅する度に聞こえてきた、ガラガラという音は、もしかして魔石が滑り落ちていく音だったの?)

これは、もう、A級どころの話ではない。
シンはレベルが違いすぎる……

あまりの衝撃にその場でボンヤリ立っていたリナの後ろで、冒険者達の歓声が上がった。

「やったゾッ! こいつで最後だっっ!」
「すっごいぞ、俺たちっ、ええと何匹倒した?」
「ひい、ふう、みい…十二匹だっ! さあっ魔石を拾おうぜっ」
「「おうーっ!」」

冒険者達が歓声をあげながら、魔石をタコグモの死体から勇んで探し出している頃、時を同じくして地面に落ちた何十個という魔石を寄せ集め、開いた異空間収納にそれらを、次々にシャベルでほいほいと放り込んでいくシンの姿があった。

アルゼ達がようやくリナの方に意気揚々で近づいて来る頃には、シンはフェンと一緒に繭に直接手で触れて、その硬い殻を確かめるように、コンコンと白い殻を叩いていた。

「…なあ、もしかして、アイツ、あの残り全てのタコグモ……」
「…ええ、始末して今、巣の中心にあった、繭の吟味をしている所よ」
「うえっ!!! 信じらねえェーっ!? あの数、一気に殲滅かよっっ……」

魔獣の死体のかけらも見えない空間に、平然と傷一つ負わず立っているシンである。
開いた口が塞がらず、呆然とした目でひたすら彼を注視する一同に、シンは気軽に、「おおい、ちょっと来てくれ」と、声を掛けてくる。

「今、行くわー」
「お、おう」

先程はその技量の凄さに、寒気を覚える程だった。が、シンの優しい人柄を知っているリナの中では、その畏怖のような感情はすぐに消え去った。
衝撃が大きかった分の反動なのか、今心の中では、凄いこの人!、と憧れや尊敬の混じり合った感情がどんどん湧き上がってくる。
キラキラ光る繭の側に、堂々と立つ姿にどこか誇らしい気持ちを感じながら、トテトテと、シンの待っている場所に小走りで駆けつけた。 
そしてなぜかリナの後を、冒険者達は恐る恐るついてくる。

「この繭、割と固そうなんだが、誰か挑戦してみたい者はいるか? 中には多分行方不明の冒険者達だと思われる者達が捕らわれている様なんだが?」

成し遂げた偉業を自慢もせず、ごく平常運転のシンの言葉である。ちょっと戸惑い気味だったアルゼ達も、「それなら…」と、挑戦してみる。

だがすぐに、ガッツン、という硬いものがぶつかる金属音と、挑戦者の、「固ってえー」という悲鳴があたりに響き渡った。
次々と降参していき、カウルまで順番が回ってくる。だが皆、刃毀はこぼれを起こした剣を見て、カウルは手をあげて辞退した。

「よし、じゃあ、俺が、自慢の魔剣でっ」
「魔剣?」

すらっとアルゼの背から引き抜かれた剣は、確かにあれだけの魔獣を叩き切ったのに、刃毀れ一つしていない。

「ああ、これはなあ、サビトリ国のダンジョンに潜った時に、戦った魔獣の身体から出て来たんだ。今までどんな物を切っても、刃毀れした事、無いんだぜっ」
「へえ~」

鈍く光るその剣は、確かに切れ味は良さそうだった。
そうれ、と剣を振り上げて、アルゼは勢いよく繭に剣を振り下ろす。
ガキッ、と今までとは明らかに違う音がして、剣は繭の殻に食い込んだっ!

「おお~っ!」
「さすがだっ!」

皆が感心する中アルゼは、繭に突き刺さった剣を引き抜こうとするのだが、ビクとも動かない。
「え~? 嘘だろうぉ」と叫んで大汗をかいて引っ張ってみるものの、冒険者の誰が引いても、剣は抜けなかった。
「どうしよう?」と困惑と焦りが広がる。しょうがないなぁ、と小さく溜息をついてシンは造作なく剣を、スッと引き抜くと、リナに言った。

「リナ、その剣はどうだ?」
「う~ん? どうかなあ?」

タラタラと冷や汗をかきながら剣をシンから黙って返してもらっていたアルゼは、開き直ったのかリナに「頑張れっ!」と応援の声を掛けてくる。

「えいっ!」

スパーッ…
一気に切っ先を入れた所から振り切った下まで、綺麗な切れ目が繭にはいった。
勢いをつけすぎて、スーと地面に向かっていく剣を、おぉっとっとー…と、リナは剣が地面に当たる直前にフン、と踏ん張って引き戻す。

「「……」」
「大丈夫よ、これ。ええと、こうすればっ、と…」

人が通れるくらいの大きな穴を、スパン、スパンと繭に切りつけると、最後に仕上げ、とばかりに見事な前蹴りで切りつけた切り口の中心を、バコン、と繭の中に蹴り入れた。

人が通れるドアぐらいの大きさに切り取られた繭が、内側に向かってゆっくりと倒れてゆく。だが重みのあるバタン、と倒れ込んだ音を聞いて、顔色が一気に、サアーと真っ青になった。

(あ、シマッタ、中に人が…)

慌てて、「きゃあー、大丈夫ですか? 私ったらウッカリ蹴り込んじゃって…」と言いながら繭の中に飛び込んだ。

「おい、こらっ、危ないって」

慌てて冒険者達も後に続いて、飛び込んでいった。

(うっわー、何これ?)

幸いリナがドジって壁に大穴を開けた付近には誰もいなかったが、繭の中心には沢山の冒険者が身動きもせずに横たわっている。

(どうしようっ? 生きてる??)

恐る恐る勇気を出して、側の女性の肌に触って見た。ほんのりと温かいっ!

「生きてるっ!」
「多分毒で仮死状態なんだろう」
「そうなの? だったら…」

シンの言葉に大急ぎで、異空間収納に手を突っ込んで、あれでも無い、これでも無い、と探ってポーションを取り出した。

(よし、上手くいってちょうだいね)

祈る様に、女性の口に液体を注いで様子を見守る。
しばらくすると、女性は、ぱちっと大きく目を見開いた。

「あ、え?……」
「生き返ったっ! 次っ」

女性が蘇生したことを確認したリナは、次々と倒れている冒険者にポーションを飲ませていく。
身体を起こそうと身じろぎをした女性に、「大丈夫ですかっ?」とアルゼが急いで駆けつけた。ふらりと倒れそうな女性に慌てて手を貸して抱き起こしている。他の冒険者達もそれぞれ起き出した人達に手を貸しだし始めた。

(ふう、皆、無事で良かったわー)

どうやら食いしん坊のタコグモ達は、やはりアルゼの言った通り捕まえた獲物をその場で食べずに、保存食として取っておいたらしい。
皆で無事を喜び合う人々をテンとシン、それにフェンと一緒に見守りながら、良かった~、とニッコリ笑ったリナだった。

ーーーーーーー


(ちっとも、全然、良くなーいーっ!)

ちょっぴり不機嫌なリナをなだめるように、テンは背中に乗ったリナに優しく語りかけた。

「まあまあ、皆、無事だったんですし、美味しい昼食もヨクシア村でご馳走になって、めでたしめでたし、で良かったじゃないですか」
「そうだな、出された昼食は美味しかったぞ」
「村民の皆さんにお渡ししたポーションも喜ばれて、魔獣退治も村総出で大変感謝してもらったし、オマケにおやつまで頂いたんですよ」
「それは、朗報だな。鉱石を採集し終わったら、早速食べてみよう」
「ほら、リナも。みんな幸せそうで、寄り道した甲斐があったじゃないですか?」

テンの言葉を聞くなり、思わず大声で叫んでいた。

「なんでーーっっ? みんな! あんなに簡単にひっついちゃって、何で私は、一人なのよっっーー!」

そうなのだ。
助けた冒険者のパーティーには女性が何人かいた。
アルゼ達の冒険者パーティーに助けられて、ひたすら御礼の言葉を述べる彼女達の目には、アルゼ達はヒーローのように映ったに違いない。
リナ達が、この先に金剛鉱石を取りに行くから、と先に村を出る事を伝えると、村総出でリナ達のお見送りに出てきた中には、ちゃっかり幸せそうに助けた女性達の手を握った、アルゼとカウルの姿もあった。

「村の人達とも相談したんだがな、俺たちは残ってあの繭の残りを回収する事にした。あれは貴重な魔獣の繭だしな。きっと高く売れると思う」

そう言ったアルゼ達にもにこやかに手を振られて「ほんと世話になった、またなー」と感謝をされた。
助けた女性達と顔を見合わせて、幸せそうな笑顔で手を振る男達を見ていると、何とも言えない気持ちになってしまった。

(みんなしてあんな簡単に、恋人ができるなんて~)

はあ~と深い溜息をついては、チラリと我が物顔でキスを奪ってゆく傍の長身の男に目をやってしまう。アッサリとパートナーを見つけることができたアルゼ達を、「いいなぁ…」と羨むリナだった。

同じ頃、リナ達を見送ったアルゼ達がコッソリしていた内緒話の概要を、もちろん本人は知る由もなかった。

「アルゼ、あの人達は一体、何者なんだろうなぁ」
「わからん、それに多分知らない方がいい。全員、あの信じられない力といい、人間とは思えない程の美しさ…アレはきっと、俺たちとは次元の違う、神のようなものだと俺は思う…」
「…だよな~、リナさんもテンさんも信じられないほど綺麗だし、魔法は見たこともないほど強力だし、あのシンと名乗った男に至っては、もう人間業じゃ、なかったよなぁ」
「俺達はとても運が良かったんだ。有り難いこった。太陽と月の女神に感謝だな。あの人達はきっと、俺たちには手の届かない女神様の化身のような人達で、シンと名乗ったあの男はきっと御付きの騎士に違いない……」

一方、アルゼ達に女神扱いされていることも知らないリナは、ちょっと落ち込んでいた。

(世間の人達は、あんなに簡単に恋人を作れるというのに……)

「ほら、リナ、これをあげるから元気を出せ」

そんなリナにシンは、優しく語りかけてくる。

「何これ? あ、なんか果物の匂いだする」
「これは…この色と形と言い、もしかして、『ポナナ』 ですか?」
「さすがだな、テン」

目を輝かせて、「リナ、ちょっといいですか?」と蹄にとってマジマジと見ているテンにつられて、リナも好奇心に駆られてその黄色い細長い果物を手にする。

「あ、オイラにもくれよ、シン」
「ああ、もちろんだ、ほら」

シンが黄色い皮を剥いて中から白い、いい匂いのする果物を、ポイ、とフェンの方に投げてやる。
パクッと食いついて、もぐもぐペロリと飲み込んだフェンを見て、テンも器用に同じように皮を剥いて
パク、と口に含んだ。

「美味しい! 甘みが豊富でボリュームがありますね」
「ああ、フェンの好物でな、いつも沢山持ち歩いているんだ」
「なるほど~」

リナも皮を剥いたはいいが、手に持ったそれは案外大きくて、フェンやテンのように一口では、とても食べれそうにない。
先っぽを試しに齧ってみたリナは、案外柔らかい歯ざわりに、思い切ってパクッと口を開いて食べてみた。

(うわ! 甘くてっ)

「美味しいっ」
「もっといるか?」

さっきまでの落ち込みはどこへやら、たちまちパクパクと一本を食べきってしまった。
フェンにもう一つポイ、と剥いたポナナを放ってやりながらシンが聞いてくる。

「うん、もう一つ食べたい」
「もちろんだ、ほら」
「ん…」

シンがフェンをテンに寄せて、剥いたポナナを優しく差し出してきた。
美味しそうな白いポナナが、リナの目の前に……
思わずそのままシンの差し出した手を片手で支えて、パク、とシンの持つポナナに直接齧りついた。

(美味しーい!)

お行儀の悪いリナの素行を、シンは笑って見ていたが、そこはすかさずテンに見咎められて早速お小言を食らってしまった。

「リナ、王女ともあろうものが、何てお行儀の悪い」
「うっ、ごめんなさい」

首をすくめて、ごくんと急いでポナナを飲み込む。
差し出された食べ残しを慌てて両手で受け取ろうとしたのだけど、シンはポナナを握ったまま放さない。
なぜかリナの両手を握りしめて、そのまま口元に、そっとポナナを差し出した。

(え? このまま、食べろってこと?)

そうっと、口を開いて、イイのかな? とシンの目を伺いながら、大きな手からパクッとポナナに直接齧りつく。
そんなリナを、満足した笑顔の紺碧の瞳がいやに熱心に、そして悪戯っぽく見つめていた。

「どうしたんです?」
「何でもないっ」

不思議そうに伺うテンの声になぜか赤面してしまい、慌ててシンの手からポナナを強引に受け取って急いで残りを食べてしまった。
ゴックン、と大きな塊を飲み込んだリナの背中を、シンは「大丈夫か?」と優しく撫ぜてくれる。

「う、うん、大丈夫…」と答えながらも、なぜかシンの紺碧の瞳をまともに見る事が出来ない……

(な、何でこんなに恥ずかしいのーー?)

「さ、さあ、お腹も膨れたし、出発しましょう!」

訳の分からない気恥ずかしさを、誤魔化すように慌てて声を出すと、上擦った声が森中にエコーのように響いてしまった。
リナは気合いを入れ過ぎて声を上げた事を、ちょっぴり後悔しながら、モジっと身じろぎをしたのだった。
 



そしてそれは険しい渓谷の谷間で、皆でせっせと依頼の金剛鉱石を採取中に見つかった。
先程からよどんだ腐臭が、谷の奥の方から微かに流れてくるのを、リナは敏感に感じ取っていた。

(あ! 濃い瘴気の気配? さっきまで感じられなかったのにっ、いきなりどうして?)

「テン、感じる?」
「はい、ハッキリと。何でしょう? この谷に降りた時はこんな気配は微塵も感じられなかったのですが?」
「…谷の奥からだな。ちょっと見てくる」

「もう、あらかた袋一杯採取できたしな」と言いながら、シンはちょっと気を引き締めた顔で歩きだした。

「待ってっ! 皆で行きましょう」

シンは多分、平気だ。
いつもと同じ悠々とした落ち着いた態度で、このどす黒い瘴気は感じているのだろうが少しも動じる様子はない。
だがしかし肌にヒシヒシと感じる嫌な気配に、一人で行かせる気にはとてもなれなかった。
シンには手助けなんて、全く必要ないのであろう、けれども……

(私は、シンには目の届かないところに、今は行って欲しくないのよね…)

護衛である限り、シンが自分達から離れる事はない、と分かっていても……
なぜかシンに置いて行かれるような気がして、リナは、タタッと側に駆け寄った。

「何だ、心配してくれているのか? はは、可愛いな」
「…んっ !」

スリ、と甘えるように身体を寄せてくるリナを、シンは抱き寄せて、チュッとまなじりに、触れるか触れないかの軽いキスをしてくる。そしてリナの身体を軽々と抱き上げると、側に寄ってきたフェンの背中に、ヒョイっと乗せた。

「そんなに心配なら、俺と一緒に来るがいい。テンはどうする?」
「そうですね、気になりますので、御一緒させて下さいな」

そう言ってテンも、金剛鉱石の詰まった袋を携えた人型から馬に姿に変え、一行は峡谷がますます迫って狭くなる谷奥へと進んで行った。

「これでは、川の水が汚染されてしまったのは無理ないですね…」
「ホント、何なの、この瘴気?」

霧が立ち込める谷奥へ入っていくと、太陽が全く当たらない陰に、濃い濃度の瘴気が固まって蠢いている。
それは小さく流れる小川の上にも影を落として、少しづつ移動しているようだった。

テンと二人で、えいっと聖なる光を当てて道すがら全ての瘴気を浄化をしていくのだが、谷の奥へ行けば行くほど、生物や植物など生きている者の気配が感じられなくなってきた。

やがて峡谷に囲まれた行き止まり、地面から水がこんこんと湧き出す、陽も当たらぬ場所に辿り着く。
しかしこの場所に着いた途端、背筋にゾクッと寒気が走った。
生き物がいる気配はまったくないのにも関わらず、とてつもない禍々しい、何か、がそこには確かに、ある。

「アレか…元凶は」
「シン?」
「大丈夫だ。ただのうろこだ」
「鱗?」

シンが指す先には、人の背丈ほどもある、大きなドアが峡谷の土壁に凭れ掛かるように、ポツンと落ちていた。
時々、それは息づくように、ただれた赤黒い中心から奇妙に薄気味悪い次元の歪みを渦巻かせている。

(何これ? 凄い力を感じるけど…)

折も折、運良くといっていいのか悪いのか、先ほどからする醜悪な匂いが一段と濃くなり始めた。
いきなり魔獣の気配がその中心から強く感じられる。と、ツノのようなものが渦巻く中心から、ニョキニョキと生えてくるではないか!

「きゃああぁ、何アレっ、気っ持ち悪いーっっ!」
「ちょっと待ってろ、具現する前に始末する」

シンが背中の大剣に手を伸ばした、と認識した時には、剣はシンの手に握られている。
電光石火で振り下ろされた剣で、そこから突き出ていた虫唾が走る不気味なツノが、パキン、と折られた。…らしい。
ハッキリしないのは、一連の動作が早すぎて見えなかったからだ。
はぇ? と気が付いた時には、パチンと剣が元の鞘に収まっていた。

禍々しいドア、いや鱗、とシンは言ったか、から得体の知れない底辺から響いてくる重低音が聞こえる。
魔獣が怒りに燃えて唸る声が、辺りに響き渡った。
思わず耳を塞いでしまいたくなる唸りにもまったく動じず、シンはさっさと鱗から距離を取って、おもむろに手を挙げた。

「リナ、下がってろ」

薄暗い谷底中が、シンが手をかざすと何故かもっと暗くなったように感じられた。思わずフェンの背中にしがみついてしまう。
鱗の周りに突如真っ黒な円が現れた。
さらに深く黒い点が見る間に深淵の中心から広がっていき、大きく開いた。鱗が渦巻きに巻かれるように迅速に深い暗闇に飲み込まれていく……

後に残ったのは、陽が差さない元の谷間の空間である。
だが、先程まで感じられた禍々しい気配は、サッパリと消えていた。

「ほう、さすがですね、一発で撤去、ですか」
「あれはまあ、消滅させるのが一番だろう」
「黒魔法最上級、アビス、初めて拝見させて頂きました。いや~、今回は大変充実した旅ですね~」

テンは興味津々、と言った様子で満足そうに見物している。
そんなテンに呆れた様子のシンだ。

「貴女も、光魔法最上級の、ヘブンズゲイト、で対応可能だろう?」
「そんなつれないこと言わないで下さいよ、滅多にないこんなチャンス、ぜひとも見物しなくてわっ!」
「…物好きだな」
「好奇心旺盛、と言って欲しいですね」

先程シンが鱗を始末する際に行使した魔法は、テンの興奮気味のテンションからして、滅多にお目にかかれない珍しい魔法なのだろう。

(最上級って、魔法を極めた魔法よね、そんな物をあっさり…)

今朝体験した幻の魔法、今見た背筋が凍る魔法…テンと対等に会話をしているこの紺碧の瞳の持ち主は、絶対、只者ではあり得ない。
そんなことをじっくりと考えているリナを置いて、テンとシンの会話はまだ続いていた。

「腐龍、でしょうね」
「だな。問題は、俺が鱗を始末したのは今回で、三つ目、だと言うことだ」
「成る程、貴方はそれを追って来たのですか?」
「いや、ただの偶然の可能性もあると思っていたのだが、さすがに三つ続くと、これは…」
「ちなみに前の二つはどこで?」
「最初にシリンジ国、次がサビトリ国、だ」
「で、今回が大陸を渡って、このバルドラン、ですか」
「どうやら西に移動しているらしいな」
「では次は、カルドラン、でしょうか?」
「可能性は大いにあるな」

二人の会話を聞きながらも、リナは真剣に、シンってどこかの国の魔法騎士? いやでもそんな人が冒険者になる? と、冒険者に扮する自分は一国の王女なのだ、という己の立場もすっかり忘れて、しきりに首を傾げていた。

(でも、シンに何者か?と聞いても、上手くはぐらかされそうだわ)

それに、リナの第六感は聞かない方がいい、となぜか告げてくるのだ……

「リナ、今回の依頼も終えましたし、そろそろ帰りましょう」
「あ、ああ、そうね」

思考を遮るように、会話を終えたテンがこちらに向き直って声を掛けてきた。

「で、提案があるのですが、どうせついでですから、いっその事、今回は国外に出て見ませんか?」
「国外って、船で海を渡るって事!?」
「そうです、手始めに隣のカルドラン、などお勧めです」

カルドラン…バルドラン唯一の隣国であり西大陸最大の王国である。

(ふうむ……)

アルゼはあれでもA級冒険者だと言っていた。
国内の上級レベルがあの程度なのであれば、もっと広い世界に目を向けて見るのも、いいかも知れない?

(…そうねえ、どうせならこの際、国外を視察するのも将来の為になる、きっと……)

でも、正直に言って、両親を海での遭難で亡くして以来、船には物凄く苦手意識を持っていた。

(ううん、でも、女王に即位すれば、そんな苦手だから、なんて言ってられないし、今の内に克服してしまう良い機会なのかも?)

いつまでも苦手なものを避けている訳にもいかない。
一緒にいてくれる頼もしい仲間、テンやシンがいるのだし、と心強い存在が勇気を出させてくれる。
シンも頼もしく頷いてくれたのを見ると、決心した。

「分かったわ、じゃあ、セトの街へ出発しましょう。あ、でも途中で依頼完了の報告と、この鉱石をギルドに届けないと…」
「問題ない、テン、移動魔法は良いか?」
「…条約違反なんですがねえ…」
「硬いこと言うなよ。もしこれが腐龍の仕業なら、非常事態だ」
「…確かに…」

テンは渋々、と気乗りしない様子で「仕方ありません、今回は特別ですよ」と言いながらも「どこにします?」とシンに聞き返した。

「テン、移動魔法って?」
「あ~、説明するより、体験した方が早いでしょう、では行きましょう」
「オーケーだ」

その場でテンとシンに手を繋がれた。
フェンも、尻尾をシンに腕に巻きつけている。
そして、何をするんだろう? と疑問に思った瞬間、足元に複雑な魔法陣が浮かび上がり、シュン、と一瞬で周りの景色が溶けるように消えた。


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