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一章

四十話 予感3

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 右隣のキーズに、ジェイミは嘆息した。キーズはというと、敵のようにビヌを食べていた。顔中傷だらけで、原型もないほど腫れ上がっている。

「キーズ、気をつけてな」
「おう、ありがとな」

 仲間たちの言葉にキーズは笑顔で返す。実際には顔が腫れすぎて、笑顔にはなっていなかったが、雰囲気でつかめる。口を開いた拍子に見えた、前歯がほとんどなかった。今食べても、血の味しかしないだろうに、せっせとビヌを食べている。
 キーズもまた、一行について行くことになっていた。
 今日の午後、顔をこれ以上なく腫らしてきたかと思うと、飛び上がらん勢いで、報告してきたのであった。
 いったい何をどうしたのやら――相当の無茶をしたはずだ。

「あーあ。アイゼが行くって決まったときに、黙り込んでるから変だと思ってたんだよ」

 いつもなら、一番にはやすか、心配してみせるのに、キーズは「そうか」と言ったきり、黙り込んでいた。キーズに限って、アイゼを排除しないだろうと思っていたが……

「ああ、あんときゃ悪かった。うらやましーなって思っちまってさ」

 耳ごと頭をわしわしとかいて、キーズが照れ笑いをした。

「お前らも大変だったのにさ。シットなんかしてんの、だせーじゃん。なら、俺もちゃんとぶつかろうと思ってさあ。お前らみたいに」
「別に俺ら好きでぶつかったわけじゃないけどね」

 ジェイミの皮肉をよそに、キーズはにししと笑う。
 キーズ曰く、アイゼの沙汰があってから、キーズはなんとなんと、エルガ卿に直談判に行ったらしい。
 当然、門前払いを食らった。しかし地面にはいつくばり、しがみついて叫んだそうだ。

「『お願いします! 俺も連れて行ってください! 毒味から、身の回りのお世話まで何でもします! 俺は耳もききますし、よく走れます! 何でもしますから、どうか連れて行ってください!』ってな」
「お前……」
「で、当然、ボコボコよ。『図に乗るな、獣人!』って、もう兵士に囲まれて殴られるわ蹴られるわむちゃくちゃだったぜ」
「まあ、そうだろうね」

 むしろ、即処断されなくて幸運だった。まあ、出立前であるから、ゼムナの顔を立てたのかもしれないが……キーズもそれをわかっているらしく、苦笑した。

「そしたらさ、エルガ卿とジアン様と、エレンヒル様がやってきて」
「部屋にいなかったのかよ」
「だは、俺も思った。で、さっきの言葉を繰り返したのよ。まあ、やっぱ断られたんだよな。けど、エレンヒル様がさ」

 ジェイミは眉をひそめる。先から妙に言い方が引っかかる。そんなに有り難がるものでもないだろうに。

「『世話はもう一人くらい増えても問題ないでしょう』って言ってくれたわけ。そんで『いいよ』ってなったの」

 キーズはビヌをまた二、三粒口に放り込んだ。むぐむぐと口を動かしている。腫れた唇とあいた歯の隙間から、ビヌの汁がとんだ。

「全く、命知らずだな……」

 ジェイミはがくりとうなだれた。一気に疲れた気がする。

「これくらいしねえとな」

 キーズはふいに声を落とした。

「俺、絶対ここで終わりたくねえもん」

 キーズは横目で、ジェイミを見た。腫れたまぶたが邪魔をして、視線はまっすぐに届かなかったが……。

「王都に行きてえ。そんで、いい暮らしをすんだ」

 ――馬鹿な夢を見るな、そう言うことは出来なかった。キーズの目は、どこまでも真剣で、燃えていた。これを否定するには、相応のものが必要だと思わせるくらいに――。

「獣人でもよ」
「そうか」

 ジェイミは何も言わなかった。ただ、正面に向き直った。乾いたパヌを手に取り、一口食べる。

「まあ、安心しろよ。俺はけっこうわりきってるから」

 キーズは正面を向いたまましれっと言った。

「俺たちは俺たち、人間は人間。だろ?」
「ああ」

 ジェイミは頷く。

「アイゼとはちげえ」

 キーズが付け足した。

「そうだな」

 ジェイミが返した。重い声であった。

「アイゼ、姫様が、目をさましてよかったね」
「そばにいられて、よかったね」

 年少の獣人達が、アイゼに言葉をかけていた。アイゼははにかんだ。心底うれしそうな笑みだった。皆、察している、アイゼの気持ちを――。
 アイゼは、心からあの女――姫のことが好きなのだ。人間とか、獣人とか関係なく――人間に襲いかかるくらいに。
 あの女の世話を命じられてから、自分たちの運命は――大きく変わった。
 突き詰めると、あの女のせいだ。けれど、ジェイミは、以前より、あの女を――姫を、憎むことが難しくなってきていた。

(何かが、俺を阻むんだ)

 それをするといけないと――あの女のためではない、ジェイミのために。そっちに行ってはいけないと、心の何かが、ジェイミに警鐘を鳴らしている。

(わからない)

 どうして、憎んではいけない? あの女といると、自分の中の何かが揺らされる。

(これ以上、俺の心を乱さないでくれ)

 なのに、これからもあの女との日々は続くのだ。自分が自分でいられなくなるような恐れを――抱かなければならない。それさえ憎らしいのに……

「――ジェイミ? どしたん」

 キーズがジェイミの顔を覗き込んでいた。その顔を見ると、ジェイミは気を取り直した。そうだ。少なくとも、こいつはわかっている。自分側なのだと思わせてくれた。
 それに、自分のことにかかずらわっている場合じゃない、アイゼの事もある。

「さみしくなっちまった?」
「ばーか」

 キーズの言葉を笑い飛ばして、ジェイミは立ち上がった。
 最後の夜だ。どう過ごそうと、一夜きりならば楽しく過ごせばいい。皆に挨拶をすませに行こう。これからのことは、なるようになる。
 キーズは背を見送ると、ジェイミの置いていったパヌを取り、ほおばった。そうして、まだ見ぬ王都に思いを馳せていた。
 アイゼは、そっと輪から抜け出すと、空を見上げた。そうして、たった一人の人を思い浮かべた。
 そうして、三人の夜は更けていった。
 確かに変わる何かを、それぞれに感じながら。
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