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一章

十六話 罰2

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 エレンヒルは無感動だった。自身が聞いたことであるのに、聞かなかったような反応だった。
 そしてただ一言、

「下がれ」

 と告げた。アルマ達は、這い蹲るように礼をとり、そして去っていった。その足音が遠ざかるのだけ確認すると、エレンヒルはラルの方へと向き直った。

「――恐れながら、姫は、お召し替え、をご存じでしょうか」

 ラルは首を横に振った。

「お召し替えとは、衣の着替えです」
「それなら、知ってる。してる」
「この者達は、姫の着替えを手伝いにきたのです」

 エレンヒルの言葉に、ラルは首を傾げた。

「どうして? ラル、自分で全部出来る」
「高貴な身分の者は、自分で着替えをしないのですよ」
「こうきなみぶん?」

 ラルの疑問符を、エレンヒルは労苦などないという顔で、一つ一つ消していく。

「あなた様のことです。あなた様はこれからは、身の回りのことは、すべて召使いにさせるのです」
「どうして?」
「それがつとめだからです」

 そう言い切られて、ラルは黙り込んだ。よくわからない。意味はわかるのだが、それが自分の立場だと言われると、一気にわからなくなる。理解したくない、と言っていいに等しいのかもしれない。自分のことが自分でできない? それはとても不安なものに感じた。

「ラル、自分のことは自分でしたい」
「それはなりません」
「どうして?」
「つとめです。下の者に、なすべきことを与えてやらねばなりません。どうしてもあなた様が自分でなさるというなら、その者らに、罰をあたえねばなりません」
「ばつ? ばつって何?」

 また「罰」だ。とっさに、ラルは、罰という言葉に食いついた。

「仕置き、報い――自分のしたことへの責任を払わせることです。この場合は、あなた様への職務――なすべきこと、を放棄したことに対してです。主に、痛み――時には死で払わせます」

 そのあまりに強い言葉に、ラルはショックを受けた。死。今、あまりに聞きたくない言葉だった。

「どうして、何もしてない。ラルが、自分でするって言ったのに」
「それが、下の者のつとめだからです」
「そんな……」
「――いつまで、くだくだやってんだ」

 部屋の入り口の方から、声がした。アーグゥイッシュが、入り口にもたれてこちらを見ていた。ラルと視線がかち合うと、鼻で笑った。

「長ェんだよ。こいつが、ただ言うことを聞いてりゃあいいって話をよォ」
「慎め、アーグゥイッシュ」
「は! 今更、取り澄ますなよ。よォ、姫さん。お前のせいで、昨日から何人罰されてると思ってる?」
「――どういうこと?」

 ラルの動揺を、アーグゥイッシュはあざけり言葉を続けた。

「この邸の獣人ども、お前を見張っていた奴。みーんな、罰を受けたってんだよ。お前が、世話もされず、ぴいぴい騒いで、見張りもぬけたせいでな」
「うそ……」

 ラルの顔から、血の気が引いた、えるみーる、の意味はわからなかったが、アイゼやアルマ達のことなのだろうと思った。ラルは、アルマ達の顔の傷を思った。――それから、ジェイミの傷を。彼らの怪我は、もしかして、その罰のせいなのだろうか?

「わかったら、黙って言うことを聞いてろ」

 エレンヒルが、やれやれという風に首を振った。ラルは、呆然とした。
 どうして。
 やはり、何かとても大きなものが、自分にかかってきているのだ。それまではラルは、ただのラルだった。森の中では、ラルのしたことは、同じ力の分、反応が返ってきた。今はラルのしたことに、ラル以外の何か大きな力が働いている。
 ラルが動揺している間に、エレンヒルとアーグゥイッシュが去っていった。どことなくせわしげで、エレンヒルは「また使いをやります故」と言っていたが、ラルはそれを気にする余裕はなかった。
 ――ラルのせいで、たくさんの生き物が傷ついた。
 アルマ達の姿が、赤に染まったシルヴァスの姿に重なる。口元を手で覆った。身体が震え出す。森だと、許されないことだ。森の生き物を無意味に傷つけることは、森での共生を放棄するも同然だ。
 「怪我をしてる」とラルが言ったとき、アルマの目の奥に浮かんだもの。いろんなもので混ざっていたが、奥の奥に、潜んでいたのは、怒りだった。それは、昨日のジェイミの目に浮かんだものと同じ――
 その時、昨日、兵士に打ち倒されていたジェイミの姿が、ラルの脳裏に浮かんだ。
 そうだ。ジェイミはどうなる? アーグゥイッシュは、見張りの兵士は罰を受けたと言っていた。それも、ラルのせいだ。なら、見張りの兵士に「お前がラルを連れ出した」と、殴られたジェイミはどうなる? あれで「罰」はすんだのか?
 ひどくいやな予感がした。

「どうしよう」

――死をもって払わせる……エレンヒルの言葉が恐ろしくこだました。シルヴァス、不安から、無意識につむごうとした名を、首を振って止めた。
 シルヴァスは今、大変な時にいる。どうにか出来るのは、自分しかいないのだ。自分で、やっていく。ラルは一人の部屋で、心を固めた。

「あまり姫に余計なことを言うな」

 廊下を行きながら、エレンヒルはアーグゥイッシュに言った。罰を受けた者はそもそも皆、自業自得だ。獣人に胸を痛めるようになってもらっては困る。問題があるならば、見張りの兵士だが、そもそも見張りを抜けられるなど、間抜け以外の何者でもない。わざわざ言うことの方が恥だ。そのことは、アーグゥイッシュとてわかっているであろうに。

「手伝ってやったんじゃねェか。罰だなんだ脅すわりに、回りくどくやってるからよォ。そんなに言うならもっとやさしく、教えてやりゃあよかっただろ」

 やさしく、の所をあえて甘く柔らかく発音するアーグゥイッシュに、エレンヒルはため息をつく。

「早く作法を飲み込んでもらうため、やむを得ずだ。お前のはただの漏洩だ」
「ハッ、そんな大した情報かよ」
「そのような心持ちでいると、いずれ易く大事を話しかねんから言っている」
「へいへい」

 とにかく、姫には己の立場を理解してもらい、大人しくもらわねば困る。そこで二人の意見は一致している。だからここでこの話は終わりだった。

「ドルミール卿はまだか」
「さあなァ」

 何とかしなければならない。エレンヒルは、唇を引き結んだ。見張りの兵士は、小娘と思い油断したのかもしれぬが、それにしても、抜け出せたというのは意外だった。見張りがとっさに獣人のせいにしたのもわからないではない――もっとも、獣人が手引きしたとて、気づかない方が間抜けなのだが……思った以上に、行動力のある娘だ。

(獣人の方は、自ら謹慎を名乗り出たようだ)

 見せしめのためにいっそ殺した方がよかろうか。それとも……恩を売るべきか。
 エレンヒルは思案を続けるのだった。
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