26 / 57
一章
十六話 罰2
しおりを挟む
エレンヒルは無感動だった。自身が聞いたことであるのに、聞かなかったような反応だった。
そしてただ一言、
「下がれ」
と告げた。アルマ達は、這い蹲るように礼をとり、そして去っていった。その足音が遠ざかるのだけ確認すると、エレンヒルはラルの方へと向き直った。
「――恐れながら、姫は、お召し替え、をご存じでしょうか」
ラルは首を横に振った。
「お召し替えとは、衣の着替えです」
「それなら、知ってる。してる」
「この者達は、姫の着替えを手伝いにきたのです」
エレンヒルの言葉に、ラルは首を傾げた。
「どうして? ラル、自分で全部出来る」
「高貴な身分の者は、自分で着替えをしないのですよ」
「こうきなみぶん?」
ラルの疑問符を、エレンヒルは労苦などないという顔で、一つ一つ消していく。
「あなた様のことです。あなた様はこれからは、身の回りのことは、すべて召使いにさせるのです」
「どうして?」
「それがつとめだからです」
そう言い切られて、ラルは黙り込んだ。よくわからない。意味はわかるのだが、それが自分の立場だと言われると、一気にわからなくなる。理解したくない、と言っていいに等しいのかもしれない。自分のことが自分でできない? それはとても不安なものに感じた。
「ラル、自分のことは自分でしたい」
「それはなりません」
「どうして?」
「つとめです。下の者に、なすべきことを与えてやらねばなりません。どうしてもあなた様が自分でなさるというなら、その者らに、罰をあたえねばなりません」
「ばつ? ばつって何?」
また「罰」だ。とっさに、ラルは、罰という言葉に食いついた。
「仕置き、報い――自分のしたことへの責任を払わせることです。この場合は、あなた様への職務――なすべきこと、を放棄したことに対してです。主に、痛み――時には死で払わせます」
そのあまりに強い言葉に、ラルはショックを受けた。死。今、あまりに聞きたくない言葉だった。
「どうして、何もしてない。ラルが、自分でするって言ったのに」
「それが、下の者のつとめだからです」
「そんな……」
「――いつまで、くだくだやってんだ」
部屋の入り口の方から、声がした。アーグゥイッシュが、入り口にもたれてこちらを見ていた。ラルと視線がかち合うと、鼻で笑った。
「長ェんだよ。こいつが、ただ言うことを聞いてりゃあいいって話をよォ」
「慎め、アーグゥイッシュ」
「は! 今更、取り澄ますなよ。よォ、姫さん。お前のせいで、昨日から何人罰されてると思ってる?」
「――どういうこと?」
ラルの動揺を、アーグゥイッシュはあざけり言葉を続けた。
「この邸の獣人ども、お前を見張っていた奴。みーんな、罰を受けたってんだよ。お前が、世話もされず、ぴいぴい騒いで、見張りもぬけたせいでな」
「うそ……」
ラルの顔から、血の気が引いた、えるみーる、の意味はわからなかったが、アイゼやアルマ達のことなのだろうと思った。ラルは、アルマ達の顔の傷を思った。――それから、ジェイミの傷を。彼らの怪我は、もしかして、その罰のせいなのだろうか?
「わかったら、黙って言うことを聞いてろ」
エレンヒルが、やれやれという風に首を振った。ラルは、呆然とした。
どうして。
やはり、何かとても大きなものが、自分にかかってきているのだ。それまではラルは、ただのラルだった。森の中では、ラルのしたことは、同じ力の分、反応が返ってきた。今はラルのしたことに、ラル以外の何か大きな力が働いている。
ラルが動揺している間に、エレンヒルとアーグゥイッシュが去っていった。どことなくせわしげで、エレンヒルは「また使いをやります故」と言っていたが、ラルはそれを気にする余裕はなかった。
――ラルのせいで、たくさんの生き物が傷ついた。
アルマ達の姿が、赤に染まったシルヴァスの姿に重なる。口元を手で覆った。身体が震え出す。森だと、許されないことだ。森の生き物を無意味に傷つけることは、森での共生を放棄するも同然だ。
「怪我をしてる」とラルが言ったとき、アルマの目の奥に浮かんだもの。いろんなもので混ざっていたが、奥の奥に、潜んでいたのは、怒りだった。それは、昨日のジェイミの目に浮かんだものと同じ――
その時、昨日、兵士に打ち倒されていたジェイミの姿が、ラルの脳裏に浮かんだ。
そうだ。ジェイミはどうなる? アーグゥイッシュは、見張りの兵士は罰を受けたと言っていた。それも、ラルのせいだ。なら、見張りの兵士に「お前がラルを連れ出した」と、殴られたジェイミはどうなる? あれで「罰」はすんだのか?
ひどくいやな予感がした。
「どうしよう」
――死をもって払わせる……エレンヒルの言葉が恐ろしくこだました。シルヴァス、不安から、無意識につむごうとした名を、首を振って止めた。
シルヴァスは今、大変な時にいる。どうにか出来るのは、自分しかいないのだ。自分で、やっていく。ラルは一人の部屋で、心を固めた。
「あまり姫に余計なことを言うな」
廊下を行きながら、エレンヒルはアーグゥイッシュに言った。罰を受けた者はそもそも皆、自業自得だ。獣人に胸を痛めるようになってもらっては困る。問題があるならば、見張りの兵士だが、そもそも見張りを抜けられるなど、間抜け以外の何者でもない。わざわざ言うことの方が恥だ。そのことは、アーグゥイッシュとてわかっているであろうに。
「手伝ってやったんじゃねェか。罰だなんだ脅すわりに、回りくどくやってるからよォ。そんなに言うならもっとやさしく、教えてやりゃあよかっただろ」
やさしく、の所をあえて甘く柔らかく発音するアーグゥイッシュに、エレンヒルはため息をつく。
「早く作法を飲み込んでもらうため、やむを得ずだ。お前のはただの漏洩だ」
「ハッ、そんな大した情報かよ」
「そのような心持ちでいると、いずれ易く大事を話しかねんから言っている」
「へいへい」
とにかく、姫には己の立場を理解してもらい、大人しくもらわねば困る。そこで二人の意見は一致している。だからここでこの話は終わりだった。
「ドルミール卿はまだか」
「さあなァ」
何とかしなければならない。エレンヒルは、唇を引き結んだ。見張りの兵士は、小娘と思い油断したのかもしれぬが、それにしても、抜け出せたというのは意外だった。見張りがとっさに獣人のせいにしたのもわからないではない――もっとも、獣人が手引きしたとて、気づかない方が間抜けなのだが……思った以上に、行動力のある娘だ。
(獣人の方は、自ら謹慎を名乗り出たようだ)
見せしめのためにいっそ殺した方がよかろうか。それとも……恩を売るべきか。
エレンヒルは思案を続けるのだった。
そしてただ一言、
「下がれ」
と告げた。アルマ達は、這い蹲るように礼をとり、そして去っていった。その足音が遠ざかるのだけ確認すると、エレンヒルはラルの方へと向き直った。
「――恐れながら、姫は、お召し替え、をご存じでしょうか」
ラルは首を横に振った。
「お召し替えとは、衣の着替えです」
「それなら、知ってる。してる」
「この者達は、姫の着替えを手伝いにきたのです」
エレンヒルの言葉に、ラルは首を傾げた。
「どうして? ラル、自分で全部出来る」
「高貴な身分の者は、自分で着替えをしないのですよ」
「こうきなみぶん?」
ラルの疑問符を、エレンヒルは労苦などないという顔で、一つ一つ消していく。
「あなた様のことです。あなた様はこれからは、身の回りのことは、すべて召使いにさせるのです」
「どうして?」
「それがつとめだからです」
そう言い切られて、ラルは黙り込んだ。よくわからない。意味はわかるのだが、それが自分の立場だと言われると、一気にわからなくなる。理解したくない、と言っていいに等しいのかもしれない。自分のことが自分でできない? それはとても不安なものに感じた。
「ラル、自分のことは自分でしたい」
「それはなりません」
「どうして?」
「つとめです。下の者に、なすべきことを与えてやらねばなりません。どうしてもあなた様が自分でなさるというなら、その者らに、罰をあたえねばなりません」
「ばつ? ばつって何?」
また「罰」だ。とっさに、ラルは、罰という言葉に食いついた。
「仕置き、報い――自分のしたことへの責任を払わせることです。この場合は、あなた様への職務――なすべきこと、を放棄したことに対してです。主に、痛み――時には死で払わせます」
そのあまりに強い言葉に、ラルはショックを受けた。死。今、あまりに聞きたくない言葉だった。
「どうして、何もしてない。ラルが、自分でするって言ったのに」
「それが、下の者のつとめだからです」
「そんな……」
「――いつまで、くだくだやってんだ」
部屋の入り口の方から、声がした。アーグゥイッシュが、入り口にもたれてこちらを見ていた。ラルと視線がかち合うと、鼻で笑った。
「長ェんだよ。こいつが、ただ言うことを聞いてりゃあいいって話をよォ」
「慎め、アーグゥイッシュ」
「は! 今更、取り澄ますなよ。よォ、姫さん。お前のせいで、昨日から何人罰されてると思ってる?」
「――どういうこと?」
ラルの動揺を、アーグゥイッシュはあざけり言葉を続けた。
「この邸の獣人ども、お前を見張っていた奴。みーんな、罰を受けたってんだよ。お前が、世話もされず、ぴいぴい騒いで、見張りもぬけたせいでな」
「うそ……」
ラルの顔から、血の気が引いた、えるみーる、の意味はわからなかったが、アイゼやアルマ達のことなのだろうと思った。ラルは、アルマ達の顔の傷を思った。――それから、ジェイミの傷を。彼らの怪我は、もしかして、その罰のせいなのだろうか?
「わかったら、黙って言うことを聞いてろ」
エレンヒルが、やれやれという風に首を振った。ラルは、呆然とした。
どうして。
やはり、何かとても大きなものが、自分にかかってきているのだ。それまではラルは、ただのラルだった。森の中では、ラルのしたことは、同じ力の分、反応が返ってきた。今はラルのしたことに、ラル以外の何か大きな力が働いている。
ラルが動揺している間に、エレンヒルとアーグゥイッシュが去っていった。どことなくせわしげで、エレンヒルは「また使いをやります故」と言っていたが、ラルはそれを気にする余裕はなかった。
――ラルのせいで、たくさんの生き物が傷ついた。
アルマ達の姿が、赤に染まったシルヴァスの姿に重なる。口元を手で覆った。身体が震え出す。森だと、許されないことだ。森の生き物を無意味に傷つけることは、森での共生を放棄するも同然だ。
「怪我をしてる」とラルが言ったとき、アルマの目の奥に浮かんだもの。いろんなもので混ざっていたが、奥の奥に、潜んでいたのは、怒りだった。それは、昨日のジェイミの目に浮かんだものと同じ――
その時、昨日、兵士に打ち倒されていたジェイミの姿が、ラルの脳裏に浮かんだ。
そうだ。ジェイミはどうなる? アーグゥイッシュは、見張りの兵士は罰を受けたと言っていた。それも、ラルのせいだ。なら、見張りの兵士に「お前がラルを連れ出した」と、殴られたジェイミはどうなる? あれで「罰」はすんだのか?
ひどくいやな予感がした。
「どうしよう」
――死をもって払わせる……エレンヒルの言葉が恐ろしくこだました。シルヴァス、不安から、無意識につむごうとした名を、首を振って止めた。
シルヴァスは今、大変な時にいる。どうにか出来るのは、自分しかいないのだ。自分で、やっていく。ラルは一人の部屋で、心を固めた。
「あまり姫に余計なことを言うな」
廊下を行きながら、エレンヒルはアーグゥイッシュに言った。罰を受けた者はそもそも皆、自業自得だ。獣人に胸を痛めるようになってもらっては困る。問題があるならば、見張りの兵士だが、そもそも見張りを抜けられるなど、間抜け以外の何者でもない。わざわざ言うことの方が恥だ。そのことは、アーグゥイッシュとてわかっているであろうに。
「手伝ってやったんじゃねェか。罰だなんだ脅すわりに、回りくどくやってるからよォ。そんなに言うならもっとやさしく、教えてやりゃあよかっただろ」
やさしく、の所をあえて甘く柔らかく発音するアーグゥイッシュに、エレンヒルはため息をつく。
「早く作法を飲み込んでもらうため、やむを得ずだ。お前のはただの漏洩だ」
「ハッ、そんな大した情報かよ」
「そのような心持ちでいると、いずれ易く大事を話しかねんから言っている」
「へいへい」
とにかく、姫には己の立場を理解してもらい、大人しくもらわねば困る。そこで二人の意見は一致している。だからここでこの話は終わりだった。
「ドルミール卿はまだか」
「さあなァ」
何とかしなければならない。エレンヒルは、唇を引き結んだ。見張りの兵士は、小娘と思い油断したのかもしれぬが、それにしても、抜け出せたというのは意外だった。見張りがとっさに獣人のせいにしたのもわからないではない――もっとも、獣人が手引きしたとて、気づかない方が間抜けなのだが……思った以上に、行動力のある娘だ。
(獣人の方は、自ら謹慎を名乗り出たようだ)
見せしめのためにいっそ殺した方がよかろうか。それとも……恩を売るべきか。
エレンヒルは思案を続けるのだった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる