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母の思い出

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「おはようございます。セリア、母を紹介させてくださいませ」

 今日は具合が良いということで、母とセリアと私で食事をとることになった。護衛騎士である二人は、すでに食べ終えてお仕事モードに入っている。

「ミリアムの母ナタリアです。セリア様、お久しぶりでございます」
「ナタリア様、覚えておいででしたか?」
「もちろんですわ。ミリー、セリア様は私が少女時代、とても有名なお姉様だったのよ。女官長のお名前がセリア様と聞いて、まさかと思っておりました」
「まぁ、ナタリア様ったら、大昔のことですわ。でも私も覚えておりますよ。ナタリア様はとても刺繍がお上手で。誕生日に頂いたハンカチーフをまだ大事に持っていますわ」

 二人は結婚前に知り合いだったようだ。

「昔から身体はあまり強くありませんでしたから、寝台でもできる刺繍が唯一の趣味でした。セリア様に差し上げた時は、緊張で指が震えましたわ。笑顔で受け取っていただいて、私本当に天にも昇る気持ちでしたのよ」

 昔を思いだしたのか、母の頬はバラ色に輝いた。こんな母を見るのは初めてだ。

「お母様、昨日のお茶はセリア様に淹れ方を教えていただいたのよ」
「まぁ、とても美味しかったわ。お恥ずかしいことに私がこんな有様で、貴婦人として必要なことがほとんど躾けられておりませんの」
「いいえ、ミリアム様は人として大事なことを芯に持った素晴らしいお嬢様ですわ。ナタリア様を大事にしていらっしゃるのも、ナタリア様がミリアム様を愛してらっしゃるのもわかりますわ」

 母は私が伯爵令嬢らしくないことを心配していたようだ。全く気付かなかったけれど。

「セリア様、今日は」
「ミリアム様、セリアと。こういうことは癖になりますからね」
「はいっ、わかりました。セリア、今日は温室に行くのですけれど」
「窺っております。私も同行するように仰せつかっております」

 フェリクスの指示のようだ。今日は事務官のメイヤーとセリアが着いてくる。そうなるとやはり土いじりはできないだろう。

「セリア様、ミリアムのことよろしくお願いします」

 先程までの少女のような顔から母の顔になり、セリアに頭を下げた。

「できうる限りミリアム様の力になれるように頑張りますわ」

 頼もしいセリアの笑顔に母も私も見とれてしまった。セリアの所作は本当に美しい。


「温室はいくつありますの?」

 馬車は朝早くにやってきたメイヤーが用意してくれて、セリアとハインツも同乗した。視察地に行くときは専用の馬車があるという。メイヤーの護衛や部下も馬に乗ってきているが、装備を見ても彼の仕事は危険が多いのだろうと推測した。

「ミリアム様、私がお答えしてもよろしいですか?」
「ええ、ハインツのほうが詳しいのですもの。家のことはハインツに任せっきりでお恥ずかしいです」
「では失礼して私がお答えさせていただきます。温室は三つございます。一つは屋敷にあり、あと二つは川の側と湖の側にございます。川の側の温室はゼイン医師が管理しており、医師として役立てて欲しいと旦那様は無償でお貸ししております。この二つは奥様の薬草を育てるのに環境が合わなかったのです。温室は一度建てると移動させることができないので、薬を作って国のためになればと旦那様はお考えでした。湖の温室は大きなもので奥様の薬草を育てております」
「なるほど。貴族として与えるものの義務と考えていらっしゃったのですね」
 
 メイヤーもセリアも納得し深く頷いた。

「ミリアム様のハーブはどんなものがあるのですか?」
「セリアも知っているように料理に使うものが殆どですわ。後は紅茶に混ぜたり、化粧水にしたり。お母様のために取り寄せたけれど使えなかったものはゼイン医師の温室で育てているのではないかしら」
「では王室に売るのでしたら、ゼイン医師のものでしょうか?」

 メイヤーの眼鏡が光る。

「それはゼイン医師とお話いただけたらと思っております。治療に使われているものもございますし。私の温室は、屋敷内にあるので……お売りできませんし。湖のものは母に要りますから……」

 それもあって金策を考えたときに手元のカードが切れなかったのだ。ゼイン医師も困っているのを見かねて使用料を払ってもいい、なんなら買い取ってもいいと言っていた。

「そうですか。私は医療について詳しくはないのですが、伯爵夫人はどのような薬草をお使いなのですか?」
「……母は昔から呼吸系が弱くて、発作が起こると息ができなくなるのです。薬草は気道を広げると聞いております。呼吸できなくなることも危ないのですが、不安感が余計に発作を起こしやすくなるんです。この薬があるから大丈夫という安心感が発作を少なくさせるのです。発作が酷くなると、息を吸っても苦しくて、やがて呼吸が止まることもあるそうです」
「前に流行った病と症状が似ていますね」
「ええ、でもあれは体力さえ落とさなければ次第に回復して元に戻るのですけれど……」

 母の病気は治らないのだ。元々の身体の弱さのせいかもしれないけれど。

「伯爵様が必死でナタリア様を護っていらっしゃったのですね」

 酷い暴風雨の中、湖の側にある温室へ行こうとした父を愚かだという人は沢山いた。でもそう言ってくれる人もいるのだと思うと、目元が熱くなった。泣きたくないから少しだけ上を向いて、息を吐いた。

「セリア……、ありがとうございます」

 声の震えは抑えることができなかった。



「メイヤー事務官! 目的地の川の側まできましたが、橋が壊れていて渡れません」

 馬車の外からメイヤーの部下から声がかかった。

「他に迂回路はありませんか?」
「橋が壊れているのですか?」

 ここは伯爵家の私有地になるので橋を架け直すとなるとお金がかかる。目眩がしそうになるのを堪えて私は馬車の外へ出た。

「落雷かしら?」

 橋は焦げているように見えた。長さは馬車三台分、こちら側から崩れていた。元々馬車がギリギリ通れるかどうかという幅のせまい橋だ。使うのは温室に通う人と川で魚を釣ったりする人くらいで使っている人もいないけれど、それはそれで不便だ。

「ミリアム様、危ないので馬車へ戻ってください」
「いえ、馬車は無理でも馬なら川の向こうへ行けると思います。もう少し上の方にいけば川幅もそんなにありませんし、渡れると思います。水量もそれほどないからここに作ったんです」

 ほとんどが馬に乗っているので、共乗りさせてもらえれば、メイヤーとハインツを私くらいはいけるだろう。セリアにはここに残ってもらったほうが安全だ。

「セリアはここに残ってください。メイヤー様、ハインツ、馬に共乗りして渡りましょう」

 メイヤーが慌てて手を振る。

「いえ、ミリアム様もここに残ってください」
「ミリアム様、私がメイヤー様をお連れしますので安心してください」

 皆に止められて、それ以上行きたいと言うことはできなかった。

「気をつけて……」

 セリアと護衛の半分は一緒にここに残ることになった。

「ミリアム様は案外お転婆なのですね」
「えっ」
「城にいるときはとても大人しく見えたのですけど、屋敷に戻ったら生き生きされています」
「私はあまり社交に慣れていないので、失敗しないかと不安なんです。ただでさえ陛下の私設秘書なんていう高位の役職でしょう? 執務室の文官達は皆いい人ばかりで私の指摘も受け入れてくださいますけど……こんな小娘に頭を下げるなんて……」
「ミリアム様はとても優秀だと窺っておりますよ。書類の整理と数字の間違いにすぐ気付くところが素晴らしいと息子も申しておりました。陛下は直ぐに書類を山にしてしまうので、探すのにいつも苦労していたそうです。陛下の執務室であったことがあると思います」
「ラファエロ様でしょうか? 目元が涼しげで似ていらっしゃいます」
「わかるのですか? ラファエロは父親に似ていると言われているので……」

 目元と後立ち居振る舞いが洗練されているところが似ている。

「ミリアム様がフェリクス様の元を去ることがあれば、ラファエロはどうですか? 三男ですけど、性格は兄弟で一番いいんですよ」
「ええっ! きっとラファエロ様は私のような……いえ、あの……」
「ミリアム様はとてもお母様想いで優しい女性です。困らせるつもりはなかったんですけど、私はいつでも娘と呼びたいと思っています」

 自分が何の仕事をしているか知っているセリアが、そんな風に言ってくれるとは思っていなかった。 

「もしそうなったら、私よりお母様が喜びそうですね」

 セリアと親戚になると言ったら病気も治るんじゃないかと思うくらいだ。

「私も嬉しいですわ。それなら私は女官長をやめてしまおうかしら……」
「ええっ駄目です。フェリクス様に怒られてしまいます」
「でもきっと許されないでしょうね。……本当に残念だわ」

 国王の愛人になっていた娘を息子の嫁にしようとはセリアの旦那様も思わないだろう。たしか伯爵だったはずだ。
 二人でたわいもないおしゃべりをしていると、外の護衛騎士から「ハインツさんが呼んでいます」と声を掛けられた。
 橋の向こうからハインツが手を振るのが馬車の中から見えた。慌てて外に出ると、ハインツは声の限り伝えてきた。

「ミリアム様、強盗でした! 橋を壊したのは……。温室の中もほとんどが荒らされていて……」
「温室も壊されているの?」

 貴婦人としては失格の烙印を押されそうな声で叫ぶと、護衛騎士のセドリックが「私が代わりに……」と止められた。慌ててセリアを見ると、見ていない振りをしてくれていた。

「温室は壊されておりませんが、ミリアム様に確認してほしいそうです。私では植物の違いがわかりません!」

 ハインツは薪がどれくらい使われるかとかは知っていても植物は触っていないからわからないだろう。ゼイン医師は珍しい薬草を育てていたはずだ。どれくらいわかるか不安だ。

「ハインツ、ゼイン医師にお報せして連れてきてちょうだい」
「もう報せているそうです。そろそろ来るでしょう」

 私の言葉はセドリックが代わりに叫んでくれた。ゼイン医師がきたら上流に迂回して馬で超えるしかないだろう。

 私は急く気持ちを呼吸で宥めながら到着を待った。
 
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