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第三部第三章 国奪りイベント(後の祭り)

幕間12 ダーグアオン帝国皇帝

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『五渾将』がカプリチオ覇王国と発ったのとほぼ同時刻。
 旧岐阜県不破郡関ケ原町。西暦一六〇〇年、日本を二分した合戦――関ヶ原の戦いの主戦場となった地。そこでは一つの戦争が開かれていた。

 片や魔法なれど機械という活路を見出した大国。大量生産により安定的な戦力の確保に成功した関東地方の雄――北条共和国の軍隊だ。兵士は皆、和鎧をモチーフにした外骨格装置パワードスーツを身に包み、魔法銃を得物に戦っていた。傍らには戦車に似た兵器も進撃している。
 もう片方の勢力は魚人の群れだ。剣や弓、槍といった共和国に比べれば前時代的な武器ばかりを使っている。しかし、その戦闘力は勝るとも劣らない。魔術で強化された身体能力と武器は魔法銃に匹敵する威力を誇っている。西国全域の支配者――ダーグアオン帝国の軍だ。

 そして今、戦車すら足元に及ばない攻撃が共和国軍を襲っていた。

「うははははは! ――『最上級流水魔術コール・オブ・ダゴン』!」

 刹那、空中に巨大な影が現れた。身の丈一〇〇メートルには達するであろう魚人だ。巨魚人は一瞬だけその姿を見せると、煙のように消えた。入れ替わりに出現したのは津波だ。ここは内陸であり、海どころか湖も池もない。しかし、数十メートルもの高さになる津波がそこにそびえ立っていたのだ。
 津波は共和国軍へと崩れて押し寄せた。迫る圧倒的水量に共和国軍に阿鼻叫喚が広がる。

「馬鹿な、これはダーグアオン帝国の皇帝の魔術……!」
「こんな前線に皇帝が来ているのか!?」
「いや、あいつはそういう奴だ! 知ってんだろ!」
「全員、首を引っ込めて丸くなれ! スーツを潜水モードにしろ! アレを来たら錐揉みにされて死ぬぞ!」

 歴戦の兵士が仲間に喚起するが、全員がすぐさま指示通りに動ける訳もない。体を丸くするのが間に合わなかった兵士達は津波に呑まれ、為すすべなく全身の骨が折れて絶命した。辛うじて即死しなかった者でも潜水モードにするのが遅かった者は大量の水を飲んでしまい、溺死した。
 ただの一撃。されど、大津波の一撃。結果として共和国の兵士は文字通りの死屍累々となった。





「何、死んだ? あの『膨れ女』がか?」

 ダーグアオン帝国の陣幕、その内側にて。
 一人の男が訝しげな声を出した。

 身の丈三メートル前後の巨漢だ。全身の皮膚は鱗で覆われているが、目は魚眼ではない。むしろ獣のような力強い目だ。黄金の頭髪と髭を蓄え、唇の隙間から覗く歯は太くも鋭い。種族は深きものディープワンでありながら魚よりも獅子を思わせる風貌だ。服装は豪奢であり、一目で貴族階級の人間だと分かる。
 彼こそがダーグアオン帝国の頂点――皇帝ホホジロ・マーシュだ。

『はい。しかし厳密には死んだとも言いがたくて』
「どういう事だ? 我輩にも理解かるように説明しろ」

 巨体をはばかる事なく威風堂々と座る皇帝。彼の前に立っているのは人ではなかった。一冊の本だ。譜面台に載せられた本から声が発せられていた。帝国では比較的ポピュラーな魔導書、『ルルイエ異本』だ。今は通信機能トルネンブラのページが開かれている。
 通話先の相手はあの『ナイ神父』だった。

『安宿部明日音を覚えておられますか?』
「いいや、分からん。誰だ、そやつは?」
『報告書はきちんと渡したしょうに……さては読み流しましたね? あの「膨れ女」が胎内で育てていたミイラ経験者ですよ。彼が彼女の身体を乗っ取ったのです』
「乗っ取った! ほほう。そいつぁ興味深いな」

 口元に笑みを浮かべながら皇帝はナイの説明を聞く。国りの最中、信長と曳毬茶々が戦った事、ナイが『星の戦士団』団長と戦った事、則天が『貪る手の盗賊団』と風魔忍軍と戦って死んだ事。則天の胎内にいた安宿部明日音が則天の亡骸を乗っ取った事など。
 全てを聞き終えた皇帝は顎髭をさすり、こう問うた。

「どいつもこいつも激戦を経てきた訳だな。するってぇと、貴様ら『五渾将』はこっちの戦争には出れんという事か?」
「いえ、『悪心影』、『暗黒のファラオ』、そして私こと『ナイ神父』はほぼ無傷です。今そちらに向かっている所ですので、間もなく合流出来るかと。そうすればすぐにでも参戦出来ます」
「がははははは! それでこそ我が精鋭達よ! 全く頼もしいわい!」

 膝を何度も叩き、喜びを示す皇帝。ここにナイがいたら直接その肩をバンバンと叩いていた。
 実際問題、帝国の現軍事力で共和国に勝つのは不可能ではないにしろ、難易度は高いと考えていた。だからこそ先刻、国家の最高権力者である皇帝が前線に赴き、大技を放ったのだ。――とはいえ、それは戦術的意味だけでなく、彼の性格故の行動でもあったのだが。
 この戦場に『五渾将』が三人も加われば完全なる優位が取れる。この戦争が幾日掛かるかまでは分からないが、それでも勝利は揺るがない。そう皇帝は踏んでいた。

「して、その……明日音だったか? 結局そやつは帝国の敵なのか? 味方なのか?」
『ひとまずは味方です。身寄りのない彼は帝国に頼らざるを得ませんから。それに、彼の発狂内容は回帰願望、一〇〇〇年前の時代に戻る事への執着です。その欲を満たす提供をしている間は飼い慣らせるかと』
「ふむ。しかし、実際に過去に帰ろうとしたらどうする? 今の時代は変えられてしまうかもしれんぞ」
『まず間違いなく不可能な願いですので放っておいて問題ないと思いますが……恐らくは平気でしょう。彼一人では大まかな時代の流れまでは変えられますまい。それでも、御心配でしたらいつでも殺しますが』
「……いや、良い。それは事態が進んだ時に考えれば良かろう。今は適当に機嫌を取っておけ」
『御意に』

 魔導書の向こうで一瞬沈黙が挟まる。ナイが会釈したのだろうと皇帝は想定した。

『それと……阿漣イタチの国りの後に面白い事がありまして』
「ほう? 貴様が面白いと言うとは相当面白いな?」
『はい。実はあの伝説の女――『這い寄る混沌』と遭遇しまして……』

 ナイが今屯灰夜とした会話の内容を皇帝に伝える。最初は何でもないように聞いていた皇帝だが、話が進むにつれてあからさまに歓喜の色が増し、話が終わった頃にはとうとう決壊して大声で笑った。

「ぶっは、がははははははははははっ! そうかそうか、戦力の確保と増強か。それも戦争の為の! あの『這い寄る混沌』がそんな思惑を持っていたとはな!」

 自らの膝を叩き、呵々大笑となる皇帝。

 戦争狂ウォーモンガー。戦争を愛し、軍略を遊戯とする狂人。敵方の死に興奮を覚え、味方の死に喝采を送る破綻者。権力と軍事力を手中に際限なく死者を増やしていく厄災。それがホホジロ・マーシュだ。

 最悪の大量殺人者である彼が未だに皇帝に君臨し続けていられる理由は二つ。一つは彼が常勝の皇帝である事。勝利と利潤、戦争特需をもたらしてくれる彼は、勝っている間は国民に支持される。
 もう一つは単純に強い事。さすがに『五渾将』には及ばないが、それでも比肩し得る戦闘力を彼は持っている。彼を暗殺出来る者が国内には殆どいないのだ。
 そんな兇人はナイの予想通り、灰夜の宣戦布告を気に召した。

「良いぞ良いぞ、今しばらくは待ってやろうではないか。カプリチオ覇王国が我輩と戦争出来る程に育つまでな。……しかし、それはウェイトめが反対してくるか」
『ああ、ウェイト導師ですか』

 ダーグアオン帝国にも宗教はある。
 東北地方の雄・ゼヒレーテ公国が宗教国家であるのと対照的に、ダーグアオン帝国は基本的に政教分離を採用している。しかし、それでも宗教家達を完全に無視する事は出来ない。何しろ単純に人数が多いのだ。信者は人口の半分以上を占めている。独裁国家であろうとも多数決という暴力を軽んじられる程、国政というものは甘くはない。

『クトゥルフ秘密教』。
 彼方の地に封印された邪神クトゥルフを崇拝し、復活させる事を第一とする宗教。クトゥルフが海底に眠っている為、深海を故郷とし、海産物を好み、水葬を是とするなど海に関する教義が多い。教徒としての地位は神官、神官長、大神官、導師の順に上がっていく。導師は大神官長も兼ねている。
 その導師――クトゥルフ秘密教の最高指導者が今の話に出たオーベッド・ウェイトその人である。

「我輩としては『這い寄る混沌』の望み通り、彼奴きゃつらが喰いでのある獲物になるのを楽しみにしたい所だが……無論、奴はそうなる前に潰そうとしてくるだろうなあ」
『そうでしょうね。「戦う前に勝つ」、「毒草は芽が出る前に枯らせる」が導師のやり方ですから』
「ふん、あの打算主義者め。信仰さえも損益で判断する男に戦の楽しみは分からんか」

 遠慮なく舌打ちをする皇帝。しかし、それ以上の文句は言わなかった。関東地方の各国に『五渾将』をスパイとして送らせたのは導師の提案なのだ。いわば、帝国の勝利の為の布石を幾つも仕掛けているのである。皇帝が常勝を誇っていられるのも何割かは導師の尽力の結果だ。それを理解しているからこそ皇帝も導師には強く言えないのだ。

「……のう、ナイよ。あいつには内緒に出来んか? 今の話」
『それは無理です。私の直属の上司ですので、きちんと報告をしなくては』
「あー……大神官だものなあ、貴様。ちっとは我輩に忖度せんか。我、皇帝ぞ? 全く忠実過ぎる程に忠実よな」

 皇帝が頬杖を突いて溜息を吐く。ナイの発狂内容は平等主義。それはある種、自分自身の価値観を持たないという側面もある。全てが平等だから、大切なものなどない。優先すべき事柄がないから、何でも出来る。
 故に彼の行動基準は常に外部にある。上に命令されたから。国家に所属しているから。そういった理由で使命を機械的にこなす。それがナイ・R・T・ホテップという人間の根幹だった。皇帝の意向を知っているからとて導師に逆らう選択はしない。
 ――もっとも、皇帝が権限を使って命令すれば話は別だが、現段階でそこまで強行する気は皇帝にはなかった。

「あいつが何かしら策を練るのは止められんか。となると、あいつが何かする前にちょっとをしておくべきだな」
『……陛下? 何をなさるつもりで?』
「ふふん、まあちょいとな。何も戦争でなくても良い訳だしなあ」

 そう宣う皇帝の顔は獰猛な笑みに歪んでいた。

 皇帝ホホジロ・マーシュには二つの狂気がある。戦争狂ウォーモンガーともう一つ、戦闘狂バトルマニアだ。血沸き肉躍る戦闘を愛好する者。愛好の度が過ぎて依存症ジャンキーの域に達してしまった者。それが戦闘狂だ。今の皇帝の笑みにはその狂気の色が濃く表れていた。

「さあて、まずは目の前の戦争に勝たなくてはな!」

 膝をパンと叩き、皇帝が立つ。ぎらついた笑みには戦狂いの凶暴さが前面に出ていた。周囲に控えていた部下達が皇帝に呼応して跪いていた足を伸ばす。

「ナイよ、貴様らはく帰還せよ。此度の戦、貴様らなくしては厳しい。ましてや、次なる戦が我輩達を待っているとなってはな。く帰還し、戦線に参列せよ」
御心みこころのままに、皇帝陛下』

 魔導書越しに『ナイ神父』は恭しくこうべを垂れた。
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