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第三部第三章 国奪りイベント(後の祭り)

セッション98 安堵

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『五渾将』がイタチ邸を出たのと入れ違いにステファが戻ってきた。

「シロワニ達が帰りましたね」
「おう。すれ違ったのか?」
「ええ。これでようやく肩の力を抜けます」

 ステファの眉尻が下がる。ダーグアオン帝国は彼女の故国・ゼヒレーテ公国の敵国である。そして、ニャルラトホテプは大帝教会の怨敵だ。敵国幹部にしてニャルラトホテプである『五渾将』が傍にいる状況は落ち着かなかっただろう。平然としているイタチや三護の方がおかしいのだ。

「理伏とローランの加減はどうだ?」

 そんなイタチがステファに訊く。ステファは先程まで理伏とローランの見舞いに病院に行っていたのだ。二人共、先の戦闘で随分と深い傷を負ってしまった。五体満足に終わった僕達と違い、二人は即入院が必要だった。

「二人共一命は取り留めましたが、良くないですね……。理伏さんはまだ安静にしていればいずれ治ります。けれど、伯父様の方の傷が深くて。『中級治癒聖術キュア』でさえも完治とはなりませんでした」

 ローランの左胸はステファが斬った後、ナイの掌底に追い打ちを掛けられた。それが良くなかった。ステファの斬撃だけならまだしも、『五渾将』の一撃はあまりにも重かった。結果、傷は中級キュアでは完治せず、左肩から先が自由に動かせなくなってしまった。日常生活レベルはどうにかなるが、剣を振るう事はもう二度と叶わないそうだ。

傭兵ギルドの団長ギルドマスターを辞する気はないとの事ですが、もう前線に立つ事は出来ないとの事です。今後は事務や後方での活動に専念すると言っていました」
「そうか……」

 イタチがやや残念そうな顔をする。彼は密かに、ステファのコネでローランという一級の戦力を手中に収められないかと考えていたのだ。その当てが外れたのだから残念なのも当然だ。
 とはいえ、まだ『星の戦士団』自体は健在。ローランも職を辞さないと言っているし、うまくすれば一万人規模の戦力は手に入れられる可能性は残っている。

「……まあ、それは今、考えるべき事ではないな」

 イタチが思考を『星の戦士団』から外す。確かに彼らの事はすぐに思案すべき議題ではない。今は国り直後、考えるべきは如何にして支配を安定させるかについてだ。

「理伏も灰夜の奴もこの場にいないが、改めて言わせて貰おう。貴様ら、今回は良くやってくれた。否、今回と言うべきか」

 イタチが僕達を見回して言う。

「覇王たる俺様に協力するのは王国民として当然の義務。とはいえ、今回はさすがに感謝を覚えん訳にはいかん。まさかこんなにも早く俺様の国が出来るとは思っていなかった」
「そうなのか?」
「うむ。祖父さんの下から出奔した時には最低でも五年十年は必要だと思っていた。冒険者として下積みをし、力と財を蓄え、名声を得てからの話だと。その中でコネを多く作ってからようやく俺様の覇道は本格的に始まるのだと」

 そうだったのか。思いの外堅実な事を考えていたんだな。狂人の癖に。
 確かにこうして成功してしまった後だが、国家一つ建てるなんて大事中の大事だ。イタチくらい自尊心の強い人間であっても数年は掛かると思っていてもおかしくはない。しかし、それが、

「それが半年足らずで建国だからな。多幸なる予定外だ。これは貴様らの協力のお陰である。礼を言うぞ」

 軽く頭を下げるイタチに僕の目が丸くなる。
 イタチ自身も言った通り、こいつは他人が自分に協力するのは当たり前だと思っている。民は王に従うものと思い込んでいるからだ。そんなこいつが態度は偉そうなままとはいえ、礼を口にするなんて。明日は槍でも降るんじゃなかろうかという程の意外さだ。

「まあ、俺様が王になる事を天も望んでいたという事なのだろう。まさしく天命よな」
「またそうやってすぐ調子に乗る……」

 それも然程長続きしなかったが。とはいえ、こっちの方がこいつらしいか。しおらしいイタチなどイタチではない。

「しっかし、早かったってのは同意だな。こんなにも早く目標達成するとは僕も思わなかった」

 ステファとイタチの二人を王にするのが僕の目標だった。
 ステファを法王に、イタチを覇王に。それが当面の僕の生きる目的だった。以前の性別に戻る以外に踏ん張る理由が二人の事だった。それが達成された。されてしまった。もう自分の事以外には強い動機がない。そう思うと少し寂しいものだ。

「何を言う。目標の達成はまだだぞ」

 などと考えていたらイタチに否定された。

「俺様はまだ建国を果たしたに過ぎん。真なる覇王になるにはこの列島の全土を支配下に置かねばならんのだ。まずは関東、次に東日本、最後に西日本全域を統べるダーグアオン帝国。ここまで手中にして初めて覇王を正式に名乗れるのだぞ。目標達成とはそこでようやく言えるのだ」
「そうですね。支配云々は別にして、まだまだというのは賛同します」

 とステファがイタチに追従する。

「この世には救わなくてはならない人々、救いを待っている人々が数多くいます。今回の国りで教会施設とある程度の資金は獲得しましたが、その人達全員に手を差し伸べるにはまだまだ不足です。もっともっと勢力を拡大しなくては」

 その為には、

「藍兎さんのお力添えは必要不可欠です。頼りにしていますよ」
「貴様にはカプリチオ覇王国の兵権を与える。貴様が頭領だ。内なる敵も外なる敵も貴様が討ち滅ぼせ。俺様の為にますますの活躍を期待しているぞ」

 二人の笑顔が僕に向けられる。期待している顔だ。信頼の表情だ。

 ……そうか、僕にはまだやる事があるのか。しかも、覇王国軍の頭領を任命されるとは。如何にして支配を安定させるかを考えていた所に、武力をもって安定する役を任せられるとは、なんという大役か。
 僕はまだ二人に必要とされている。それを理解した瞬間、心の中で温かいものが弾けた。

「あ……ははっ、ははははは!」

 内より歓喜が溢れ出る。自制が出来ず、声を上げて笑ってしまう。いきなり笑い出した僕を皆はギョッとした目で見た。

「どうしたんですか、藍兎さん?」
「あははは……いや、何でもねーよ。勝手に不安がって勝手に安心しただけさ」

 目尻に浮かんだ涙を拭いて、ようやく笑いを収める。

 そうだ。まだまだだ。まだ平気だ。ステファを法王と呼称するのもイタチが覇王を布告するのもまだ早い。まだ僕の目標は失われていない。
 この先、僕の狂気がどれ程進行したとしても、この目標がある限り二人を殺す事はないだろう。二人を死んでしまえば目標は達成不可能になり、僕が無慈悲を努める意味がなくなってしまう。それでは本末転倒だ。少なくともこの二人だけは僕が排する事はありえない。
 理伏や三護、ハクに対しても平気だろう。三人とも今の覇王国は欠かせない人材だ。無慈悲だろうが冷酷だろうが、そんなのは関係なく傷付ける対象にはならない。

「良いぜ。頭領とは大仰だけど、任されたからには担おう。どんな敵も僕が潰してやるさ」

 僕は仲間を手に掛けず済む。どれだけ狂おうともそれだけは揺るがない。こんなに安堵する話はない。
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