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第三部第三章 国奪りイベント(後の祭り)

セッション95 隣国

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 朱無市国陥落後の翌日。僕達はイタチ邸に戻ってきていた。

 市国を落とした僕達だが、支庁を拠点にする気はなかった。政治をする際には市庁に出向くが、拠点はあくまでもこのイタチ邸。寝るのも食事をするのもここだ。そもそも市庁は住むには適していない。王城に相当するとは言ったものの、本質的には議事堂としての施設だ。支配者が常在する場所ではない。
 故に僕達が市国に帰還した際に真っ先に身を寄せたのはイタチ邸だった。今後ともこの邸が僕達の住所であり続けるだろう。

「――御免下さい」

 そんなイタチ邸にやってきたのは山岳連邦の議長――浅間栄あさまさかえだった。

「よう、栄」
「ええ、こんにちは。藍兎さん」

 栄が扉を抜けて邸内に入る。彼女の後ろには棺があった。棺は垂直に立てられており、下面には四つの車輪が付けられている。何らかの魔術が施されているのだろう、誰に引かれずとも棺は栄の後を忠実に追っていた。

桜嵐おうらんも一緒か」
「ええ。今までもこれからも彼は私の弟ですから。ずっと一緒です」

 棺の中に入っているのは栄の弟、『桜嵐』の浅間ぼんだ。生体式ゴーレムと不死者アンデッドの中間の存在である彼は、こうして車輪付き棺を使って姉から片時も離れずに行動を共にしているのだ。有事の際は棺から飛び出して姉を護衛する為に。

「それで、今日はどうした?」
「色々とイタチと打ち合わせがありまして。それに、今夜は戦勝祝いに宴をすると聞きました」

 国りの騒動の中で沢山の人間が死んだ。敵も味方も死傷者多数だ。
 だが、それでも戦勝祝いは行う。自分達は勝利したのだと意識する為に、勝利は良い事なのだと印象付ける為に祝う。イベントは楽しいから、嬉しいからという理由だけで開くものではない。今後の士気と明日への活力を維持する為に必要だから開くのだ。

「何の活躍もしていませんけど、実は私もあの戦いに来ていたんですよ。だから、宴に参加する資格があると思いまして」
「そうなのか?」
「はい。『狡知の神』ロキがいた洞窟の牢屋、あの中で待機していました。ロキを取り戻そうとする者が現れたら即座に迎撃出来るように」

 幸か不幸か牢屋にまで辿り着けた者は現れなかったのですが、と栄がはにかむ。
 聞けば、彼女もまたイタチの隠し玉の一つだったのだという。隠し玉はヘルとゴブリンの集団だけではなかったのだ。ロキの身柄を帝国に確保されれば計画は終わる。ステファが近くで警備していたが、それに慢心する事なく保険も掛けていたのだ。
 山岳連邦を滅茶苦茶にした張本人がロキだ。そのロキの監視役を連邦議長が務めるのは覿面てきめんだろう。恨みと義務で絶対に逃がしはしないだろうからな。

「しかし、久々に人を斬れると期待していたのですが、一人も来なかったとは。それだけは残念ですね」
「シロワニみたいな事言ってらぁな」
「む。違いますよ。シロワニ・マーシュは殺すのが好き。対して私は斬るのが好き。斬った相手が死ぬか死なないかに関心はありません」
「物騒だって事は変わらねーんだよなあ」

 何故それで自分と彼女は違うなどとうそぶけるのか。
 まあいい。狂人の理論などまともに取り合うべきではない。こういうのはスルーだスルー。

「そういえば、二荒ふたら王国との停戦交渉はどうなった? 順調か?」

 先日、栄はクーデターを起こして連邦議長になった。その理由は隣国である二荒王国との戦争状態を解消し、疲弊した自国力の回復に努める為だった。しかし、クーデターを契機に起きたロキとの戦いで回復どころか更に国力を消耗してしまった。
 あの状態で王国に会戦されると相当厳しかろう。連邦を去る際にそんな事を思っていたのだが。

「ああ、それでしたら困った事になったというか……逆に助かった所もあるというか……」
「どういう事だ?」
「これはまだ非公開情報なんですけどね」

 栄が僕に顔を近付けて、声を潜めて言う。

「――二荒王国はほぼ壊滅しました」
「…………は?」

 予想だにしていない単語に思考が停止する。
 王国が壊滅……? どういう事だ?

「二荒王国は名称通り、王族が統治している国です。勿論、彼らだけでなく大臣や軍人なんかもいるんですけど。……その王国幹部を務めていた彼ら全員が殺されてしまったんです。血統も年齢も関係なく、政治に関わっていた者は全員。今、王国は非常に混乱しています。無政府状態でまともに警察力が動いてなくて、国を纏められる人間がいないんです」
「は? ……いや、ちょっと待て。……えっ?」

 理解が追い付かない。
 聞けば、栄がクーデターを起こした同日、二荒王国幹部の一人が突如暴走したのだという。そいつは国王や大臣、軍部上層部を皆殺しにした後、王子王女達までも手に掛けた。今、王国に残っているのは王族でも若過ぎる故に政治に関わっていなかった者達と、中層部以下の軍人達だ。

「こちらとしては攻め込まれる心配がなくなり、国力回復に専念する事が出来たので助かったと言えば助かったのですが……何とも後味の悪い話です」
「……誰にられた?」
「それは……」
「――余だ」

 声に振り向く。いつの間にそこにいたのか、玄関に一人の少年が立っていた。
 褐色肌に黒髪。顔立ちは三護と瓜二つ。ファラオマスク――否、ファラオマスクが変形した肩当と胸当。ダーグアオン帝国『五渾将』が一角、『暗黒のファラオ』ネフレン=カだ。

「余が下手人だ」

 堂々とネフレンが言う。
 敵国幹部の登場に栄が身を強張らせる。彼女の手は自然に背後の棺――弟へと伸びていた。僕も彼女程ではないが、ネフレンを前にしては緊張せざるを得ない。唾を飲み込みそうになりながらネフレンに向き合う。

「……詳しく説明して貰えるか?」
「単純な話さ。王国も連邦と同じだったんだよ。国の上層部に『五渾将われわれ』が潜んでいて、国を陰から操っていた。連邦と王国の争いを煽っていたのは何も連邦側からだけではなかったという話さ。
 ある日、ロキから余に一報を入った。『浅間栄がクーデターを起こしたので、自分の正体をバラした。こっちは一暴れしてから帰るから、そっちも王国を傷物にしてから引き上げてくれ』ってね。だから王国の連中を皆殺しにした。連邦には其方らがいたが、王国には其方らはいなかった。それがこの結果の差さ」
「そんな事が……」

 栄が手で口元を押さえて驚く。
 そうか。クーデターを起こしたあの日。ロキが桜嵐と戦った後、僕達がロキの下に駆け付けるまで時間があった筈だ。その時にロキはネフレンに連絡していたのか。あの戦いの裏でそんな事が起きていたなんて。知る由もなかったとはいえショックだ。

 以前にも思ったが、改めて思う。この関東地方は今までどれだけ帝国の掌の上で転がされてきたのかと。

「……それで、お前までイタチ邸ウチに何の用だ? お前も戦勝祝いに参加するのか?」
「まさか。今回は協力したとはいえ、それは取引があってこそ。其方らと余達が敵国同士である事に変わりはない。余達がその場にいたら祝えるものも祝えなくなってしまうだろう」

 僕の半ば冗談で口にした事をネフレンは真っ直ぐに否定する。これがシロワニだったら何でもない事のように参加してくるのだろうが、この少年はシロワニに比べれば真面目な性格であるらしい。

「余がここに来たのはまさにその取引についてだ。余の兄弟の亡骸を引き渡して貰いに来た」
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