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第一部第一章 チュートリアル

セッション5 実戦

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 ステファに連れられて着いた先は市国の郊外にある草原だった。
 一〇〇〇年前、ここには疎らながらも民家があった筈だ。だが今、目の前にあるこの場所には何もない。だだっ広い草が生い茂っているだけだ。住人どころか人っ子一人いない。……これも時間の流れか。

「どうしたんですか?」
「……いや、何でもねーよ。それより、ニャルラトホテプってのは何だ?」

 先刻、訊きたくとも言えなかった事を訊く。ステファが受付嬢と話していた時は周囲の目を気にして口には出せなかったが、ここならステファ以外は誰もいない。訝しがられる心配はない。
 ニャルラトホテプ。響きは可愛らしいのだが。猫の鳴き声みたいで。

「ニャルラトホテプというのは、モンスターの一種です」
魔物モンスター
「中には違うのもいますが、モンスターの大半はニャルラトホテプです。大半な一方で正体は一切不明。分かっているのは、ニャルラトホテプそのものは幽霊の様なものであり、実体がない事。その為、常に何かに憑依している事だけです。
 ……幾つかの異名は彼らを知る手掛かりになると言われています。『千の貌』、『強壮なる使者』、『月に吼えるもの』――『這い寄る混沌』」
「ふーん、『混沌』ねえ」

 良く分からない。
 まあ魔物モンスターだと言うのなら、今はその認識で充分だろう、多分。

「例えば、今回の依頼で討伐を頼まれたニャルラトホテプは……ほら、あれ」

 ステファの指差す方を見れば、何やら緑色の触手の固まりがいた。しかも複数。その場で触手を伸ばしたり縮めたりしている。

「あれはグリーン・ローパー。蔓にニャルラトホテプが宿ったモンスターです」
「はあ、触手ローパーか。成程ねー、こういう感じか」

 ニャルラトホテプが牛に宿れば人身牛頭の怪物ミノタウロスに、白骨死体に宿れば動く骸骨スケルトンになったりする訳か。それがこの世界のモンスターの仕組みか。
 しかし、最初に遭遇したモンスターがスライム等ではなくて触手とは意外だ。うねうねうごめく様子が実にいやらしい。

「先も言った通り、ニャルラトホテプは単体では実体がないので、こうやって――」

 ステファが剣を抜き、ローパーの一体を斬り払う。上下に真っ二つにされたローパーは淡く光ったかと思うと、ただの蔓に戻った。

「――憑依している器を壊せば霧散します。霧散したニャルラトホテプがどうなるかは完全には解明されていませんが、しばらくは悪さしないとされています」

 蔓は地面に落ちた切り、もう動かない。ステファの言う通り、無力化したようだ。

「QQQQQ――ッ!」

 同胞を殺された他のローパー達が怒り、ステファに攻撃を仕掛ける。鞭のように振るわれたローパーの触手がステファを四方八方から襲う。

「――『剣閃裂陣ケンセンレツジン』」

 その悉くをステファが斬り伏せた。
 一瞬だった。何本もの光の線が走ったかと思ったら、ローパー達が触腕ごと切り裂かれていた。ダメージを負ったローパー達はただの植物として大地に還る。

「……ステファってもしかして結構強い?」
「いやあ、全然。Eランクも納得の弱さですよ。ローパーが私より更に弱いだけです」
「ふーん」

 などと話している間に、同胞がやられた気配を察知したのか、違う所にいたローパーがわらわらと集まって来る。

「依頼された討伐数ノルマにはまだまだ届かないですね……そうだ、藍兎さんもやってみますか?」
「え? 僕にも戦えって? いやいや、僕はいいよ」
「でも、私がいつも傍にいる訳でもないですし。一人で戦えるようになった方が良いですよ。ほら、剣を貸しますので」
「えっ、うーん。そうか……うーん、でもなあ……」

 新しい事とかチャレンジとか苦手なんだけどなあ、僕。億劫というか臆病というか。ああでも、確かに戦闘には慣れていた方がいいかなあ。この先、いつまでもステファを頼りにしている訳には行かないし……。
 でも、モンスターとはいえ生き物を殺すのはかなり抵抗があるな。刃物も怖いし、反撃も痛かろう。うーむ……



「――――すみません。あまり我が同胞をいじめないで頂けますか?」



「!? 誰ですか!?」

 突如、第三者の声が割って入った。
 声のした方を振り向く。そこに立っていたのは、一人の青年だ。白髪に浅黒い肌。顔つきは美丈夫と言って差し支えない。カソックを纏っている事から聖職者である事が伺える。が、首から下がっているのは十字架ではなく、三つ目を意匠としたアクセサリーだ。

「『ナイ神父』……!?」
「おや、名乗りは必要ないようですね」

 青年――ナイが柔和な笑みを浮かべる。対して、ステファはこれ以上ない程蒼褪めていた。

「誰だ?」
「私と同じ、他国の人間ですよ」

 僕の質問に答えながらステファはナイから視線を外さない。
 否、外せないのだ。警戒するあまり視線が固まってしまっている。

「西日本全域を支配する大国・ダーグアオン帝国。帝国の軍部には通称『帝国四天王』と呼ばれる五人の幹部がいまして、彼はその内の一人です」
「四天王なのに五人いんのかい!」

 四という数字を何だと思ってんだ。

「あはは……ええ、こちらでも誰が四天王から除名すべきか口論の毎日でして。ですので、最近では『五渾将ごこんしょう』と名乗っています」
「ああ、うん……その方がいいよ」

 余計な見得張って仲間割れとか笑い話にしかならないし。

「藍兎さん。彼と会話しない方がいいですよ。彼もまたニャルラトホテプですので」
「えっ、ニャルラトホテプってモンスターだけじゃないのか?」
「あれもモンスターですよ、人の形をしているだけで。ニャルラトホテプは憑依する器を選びません。それこそ生きた人間さえ器にしようとします。通常なら器側にも意思がありますので、滅多に成功しませんが……」
「私のように波長の合う人間はニャルラトホテプと一体化する。そういう事です」

 成程なあ。ニャルラトホテプ、奥深い。

「『帝国四天王』……いえ、『五渾将』でしたか。『五渾将』は全員がニャルラトホテプです。一人残らず交渉の余地のない、化け物ですよ」
「酷いですね。化け物である事は否定しませんが、交渉の余地がないというのは言い過ぎですよ」
「問答無用! 大帝教会の使徒として、貴方をここで討ちます!」

 ステファが剣を構える。突きの構えだが、ナイは間合いの外だ。あれでは届かない。どうする気だ?

「『剣閃一突ケンセンヒトツキ』――!」

 ステファの剣が輝き、突きがビームとなる。ビームはナイまで届き、その頭部を狙う。だが、当たらない。ナイはビームを掻い潜ると、一息でステファの懐にまで接近した。

「――『旋鼠掌センソショウ』」

 ナイの掌打がステファの腹部に吸い込まれる。到底拳が当たった程度とは思えない轟音が響き、ステファの身体が旋回しながら遠くに弾き飛ばされる。地面に落下したステファはビクンビクンと痙攣しながら伏したままとなった。

「……おや、死にませんでしたか。思っていたより丈夫ですね」
「ステファ!」
「次は君ですね。君は私の話を聞いてくれますか?」

 ナイが髪型を直しながら僕に振り向く。
 やばい……こいつ、実力が段違いだ。
 戦うどころか、逃げる事すら出来ない。仮に僕一人で逃げても瞬く間に追い付かれる。僕やステファでは何をやっても敵わないというのが今の一撃ではっきり分かってしまった。
 気付けばローパー達の姿もない。ナイの強さに怯えて、とうに逃げたのだ。
 どうする……? いや、どうしようもねーぞコレ。

「……応えられるかは、内容によるけどな」
「そう緊張しなくてもいいですよ。私の用事は人探しですから」

 ナイはそう言うと、

「シロワニ・マーシュという少女を見ませんでしたか? 金髪が目立つ女の子なのですが」
「シロワニ?」

 それって昨日会ったダーグアオン帝国の皇女の事だよな?

「そいつなら昨日、あっちの山道にいたぞ。人狩りだっつって盗掘屋を皆殺しにした。その後、父親に勝手に城を抜け出したのがバレるって言って、どこかに行っちまったけど」
「何と、そうでしたか。その口ぶりだと今頃は城に戻っていますね。入れ違いになったか……」
「父親にバレたんだ?」
「ええ。そこで皇女を探してくるよう私が派遣されたのですが」

 そりゃ御愁傷様だったな、シロワニ。

「情報提供、有難う御座います。では、これで」
「あ、ああ……本当に何もしないで帰してくれるんだ?」
「勿論。言ったでしょう。交渉の余地がない訳ではないと」

 ナイはさらりとそう言った。……これはステファは殴られ損だったか?

「それに、貴女からはどうも妙な気配しますので」
「妙な気配だと?」
「ええ。無闇に手を出してはならない……事前情報なしに戦ってはならないという本能からの警鐘が聞こえます。つまりは勘です」
「…………?」

 ナイが何を言っているのか分からない。僕からどんな気配がするっていうんだ?


「しかし、貴方は賢明ですね」
「え、何が?」
「私に挑まない事ですよ。実力差を認め、自棄にならない。なかなか出来ない事です」

 そうだろうか。プライドがないだけだと思うが。
 …………。

「な、なあ……シロワニって話が通じる方か?」
「? まあ、そこそこは。興味のない相手には冷酷ですが」
「じゃあさ、駄目元でいいから伝言を伝えてくれねーか? 『僕はどっかの村の出身って事にしているから、ミイラの事は内緒にしてくれ』って」
「分かりました。伝えておきましょう」

 では、と言い残してナイが立ち去る。
 その背中を見送り続け、完全に見えなくなった所で肩の力を抜いた。

「ふう……」

 ……あいつ、僕が話を聞かなかったら躊躇なく僕達を殺していたな。笑顔は柔和だったが、殺気は本物だった。敵意も害意もなく、笑顔で人を殺せる人種。あれが人間のニャルラトホテプか。

「さて、荷物持ちとして付いて来た訳だが……」

 背後に目をやる。そこには、ステファが気絶して横たわっていた。
 息はある。だが、まだしばらく目を覚ましそうになかった。

「……最初に持って帰る荷物が、ステファになるとはな」

 辺りに人家はなく、通り掛かる者もいない。
 どうやらステファは僕一人で運ばなくてはならないようだ。
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