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1、ある日男は気がついた<上>
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夏の賞与が支給されてから半月を越えたその晩。
「ついに勤続十年ですなぁ」
シックな内装の焼肉店の少し広めの半個室で乾杯した後、感慨深げに言った芹の言葉でそれは始まった。
「さてタカヒロくんや、何か私に言いたいけど言い出せなくてずっと黙っているといった事はないね?」
芹はタンっと小気味よい音を立ててビールジョッキをテーブルを置き、煙の向こう側に見える男を見据える。
「今日はピッチが速いなとは思ってけど二杯目で何、いきなり。何かストレス溜まるような事でもあったのかよ」
なぜかいつも焼肉奉行的役割を自然と務めてしまう寒川 隆弘はいつものように網の上の肉を管理しながら呆れた風を装って芹の様子を窺う。
「いやぁ、なんというかさ」
自分から言い出しておいてなぜか彼女は言い淀み、誤魔化すように枝豆の鞘を口に当てて緑の粒を食べると指先に残ったさやを弄ぶ。
賞与の度に繰り返されるこの飲み会も当初は同期10人で行われていた。
三人いた女性社員は芹だけになり、男性の同期も五人と少なくなった。
残っている他のメンバーも結婚し夜の付き合いも融通が気かなくなり、気がつけば「独身二人組」と一まとめにされる芹と寒川だけが「他にすぐつかまる相手もいないし」「たまにはいいもの食べなきゃね」と惰性のように賞与が出るたびに贅沢を楽しむようになってしまっている。
「寒川兄さんもう37じゃないですか。確かにうちの会社は忙しいよ。男の人は年々も海外赴任行ったりするしさ」
入社式も同じだったため芹の同期はみな寒川を同期と認識していたが、彼だけはいわゆる中途入社で5歳年上だった。
「いい人いっぱいいるのに四十代、五十代で未婚って人も増えてきたし、多忙やら海外勤務やらで本当は結婚願望があったのに人生が変わっちゃったのかな、なんて思うとやりきれない部分があるんですよ。まあ余計なお世話でしかないんだろうけど」
どうしたんだコイツ。
ビール一杯で酔っぱらうとかよっぽど疲れてんの?
寒川は黙って力説する芹の取り皿にこのまま放置すると焦げてしまう野菜を置いてやりながら、芹のジョッキを確認する。
いつもなら半分以下になっているこのタイミングで「次何行くよ?」と店員を呼ぶところだが寒川は一旦様子を見る事にした。
「だからね、なんならもうカミングアウトしてくれないかな、と」
そう言って芹は残っていたビールを一気に煽り、思いのほか残りが少なかったことに少し不満気な顔を浮かべる。はじめのうちは飲み終わる前に次を頼んで間を開けたくない彼女はジョッキを置くや流れるような所作でスタッフ呼び出しボタンを押した。
「━━は?」
四年の海外赴任経験のある寒川はごく自然に西洋的な意味合いで解釈し、間抜な声を上げた。
「だってね、寒川兄さんここ数年彼女いないじゃない? それなら『忙しいから付き合ってる暇がない』とかじゃなくて『彼氏はいるから大丈夫』って言ってもらった方が精神衛生上ありがたいんですよ」
その場を肉の焼ける音だけが支配した。
「……お前、腐女子だっけ? 自分がカミングアウトしたかったワケ?」
なんとか紡ぎ出した言葉はそれだった。
システムエンジニアという職種は基本的に何かしらマニアックな部分を持つ人種が多く、一日の大半をコンピューターに向かって過ごすためニュースはインターネットから入手する場合が多い。オタクかどうかは別にして彼等は自然とサブカルチャーに強くなるという特性があった。
「女の子達の間でね、そういう話になる時がけっこうあるんだよ」
渋面で肉を返したのは焼け過ぎた惨状に対してではない。
けっこうあるのかよ、というそこだった。
「なんだかんだでうちの会社って高給取りじゃない? でも使う暇ないから独身組は割とため込んでたりするじゃないですか」
賞与が出たのは三週間も前だ。いつものように寒川の都合がつかず、この週末になってやっと開催されたほどである。
高級車に走るかマンションを買うか。
あとは独身を貫く覚悟を決めて老後の蓄えにするか。
下世話な話である事は分かっている。
それでもそれが如実に信憑性を帯びた状況になっている社員がいるのも事実だ。
生きるために働くのか、働くために生きているのか。
幸せのために生きて、働いているハズなのに。
今の会社は気に入っている。
そうでもなければ十年も続かない。だからこそ、自分より若い女性社員が男性社員の「貯蓄の行方」を話しているのを聞いて、芹は少しだけ気分が沈むのだ。
身長181だという寒川は容姿も整っている。
チームリーダーを務め、仕事は出来るし人望も厚い。
こうして女と二人飲むのも平気なタイプで、焼肉奉行も可能とソツもない。
ゆるめたネクタイからのぞく鎖骨と、肘まで捲り上げた袖から伸びた筋肉質な上腕。たまにプールに行って泳ぐというだけはある。そして手首まわりに浮く骨や血管の筋はなんとも芹のフェティシズムをくすぐって来る。
そんな男がここ何年も浮いた話ひとつない事を考えるとなんともやりきれない思いに囚われ━━「ゲイだったら万事解決で納得するのにな」などと思ってしまう事があるのだ。
「ついに勤続十年ですなぁ」
シックな内装の焼肉店の少し広めの半個室で乾杯した後、感慨深げに言った芹の言葉でそれは始まった。
「さてタカヒロくんや、何か私に言いたいけど言い出せなくてずっと黙っているといった事はないね?」
芹はタンっと小気味よい音を立ててビールジョッキをテーブルを置き、煙の向こう側に見える男を見据える。
「今日はピッチが速いなとは思ってけど二杯目で何、いきなり。何かストレス溜まるような事でもあったのかよ」
なぜかいつも焼肉奉行的役割を自然と務めてしまう寒川 隆弘はいつものように網の上の肉を管理しながら呆れた風を装って芹の様子を窺う。
「いやぁ、なんというかさ」
自分から言い出しておいてなぜか彼女は言い淀み、誤魔化すように枝豆の鞘を口に当てて緑の粒を食べると指先に残ったさやを弄ぶ。
賞与の度に繰り返されるこの飲み会も当初は同期10人で行われていた。
三人いた女性社員は芹だけになり、男性の同期も五人と少なくなった。
残っている他のメンバーも結婚し夜の付き合いも融通が気かなくなり、気がつけば「独身二人組」と一まとめにされる芹と寒川だけが「他にすぐつかまる相手もいないし」「たまにはいいもの食べなきゃね」と惰性のように賞与が出るたびに贅沢を楽しむようになってしまっている。
「寒川兄さんもう37じゃないですか。確かにうちの会社は忙しいよ。男の人は年々も海外赴任行ったりするしさ」
入社式も同じだったため芹の同期はみな寒川を同期と認識していたが、彼だけはいわゆる中途入社で5歳年上だった。
「いい人いっぱいいるのに四十代、五十代で未婚って人も増えてきたし、多忙やら海外勤務やらで本当は結婚願望があったのに人生が変わっちゃったのかな、なんて思うとやりきれない部分があるんですよ。まあ余計なお世話でしかないんだろうけど」
どうしたんだコイツ。
ビール一杯で酔っぱらうとかよっぽど疲れてんの?
寒川は黙って力説する芹の取り皿にこのまま放置すると焦げてしまう野菜を置いてやりながら、芹のジョッキを確認する。
いつもなら半分以下になっているこのタイミングで「次何行くよ?」と店員を呼ぶところだが寒川は一旦様子を見る事にした。
「だからね、なんならもうカミングアウトしてくれないかな、と」
そう言って芹は残っていたビールを一気に煽り、思いのほか残りが少なかったことに少し不満気な顔を浮かべる。はじめのうちは飲み終わる前に次を頼んで間を開けたくない彼女はジョッキを置くや流れるような所作でスタッフ呼び出しボタンを押した。
「━━は?」
四年の海外赴任経験のある寒川はごく自然に西洋的な意味合いで解釈し、間抜な声を上げた。
「だってね、寒川兄さんここ数年彼女いないじゃない? それなら『忙しいから付き合ってる暇がない』とかじゃなくて『彼氏はいるから大丈夫』って言ってもらった方が精神衛生上ありがたいんですよ」
その場を肉の焼ける音だけが支配した。
「……お前、腐女子だっけ? 自分がカミングアウトしたかったワケ?」
なんとか紡ぎ出した言葉はそれだった。
システムエンジニアという職種は基本的に何かしらマニアックな部分を持つ人種が多く、一日の大半をコンピューターに向かって過ごすためニュースはインターネットから入手する場合が多い。オタクかどうかは別にして彼等は自然とサブカルチャーに強くなるという特性があった。
「女の子達の間でね、そういう話になる時がけっこうあるんだよ」
渋面で肉を返したのは焼け過ぎた惨状に対してではない。
けっこうあるのかよ、というそこだった。
「なんだかんだでうちの会社って高給取りじゃない? でも使う暇ないから独身組は割とため込んでたりするじゃないですか」
賞与が出たのは三週間も前だ。いつものように寒川の都合がつかず、この週末になってやっと開催されたほどである。
高級車に走るかマンションを買うか。
あとは独身を貫く覚悟を決めて老後の蓄えにするか。
下世話な話である事は分かっている。
それでもそれが如実に信憑性を帯びた状況になっている社員がいるのも事実だ。
生きるために働くのか、働くために生きているのか。
幸せのために生きて、働いているハズなのに。
今の会社は気に入っている。
そうでもなければ十年も続かない。だからこそ、自分より若い女性社員が男性社員の「貯蓄の行方」を話しているのを聞いて、芹は少しだけ気分が沈むのだ。
身長181だという寒川は容姿も整っている。
チームリーダーを務め、仕事は出来るし人望も厚い。
こうして女と二人飲むのも平気なタイプで、焼肉奉行も可能とソツもない。
ゆるめたネクタイからのぞく鎖骨と、肘まで捲り上げた袖から伸びた筋肉質な上腕。たまにプールに行って泳ぐというだけはある。そして手首まわりに浮く骨や血管の筋はなんとも芹のフェティシズムをくすぐって来る。
そんな男がここ何年も浮いた話ひとつない事を考えるとなんともやりきれない思いに囚われ━━「ゲイだったら万事解決で納得するのにな」などと思ってしまう事があるのだ。
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