12 / 82
不夜城新宿1
しおりを挟む
二人で住んでいる下北沢のマンションは、真臣の名義で借りている。三月末に入居してまだ三か月だから、解約するなら違約金の支払いが必要だ。話し合う前に引っ越し先を決めたのは自分だから、そこは全額支払おうと思っていた。このマンションは新築で、家賃もそれなりに高い。違約金は家賃ひと月分だから貯蓄の少ない私にとっては痛い出費になる。もともと贅沢はしていないが、多少切り詰めないといけない。
仕方なく彼の出張の荷作りをしたあと、冷蔵庫には食材があったので、消費するためにも夕飯を作った。
キッチンに立っていると、金曜日の出来事は空想か夢だったんじゃないかと思えてきた。彼女は妊娠なんかしてなくて、全部嘘……嘘だったらいいのに。そう思って、真臣も彼女からの連絡を無視したのだろうか。
定刻で帰る私のほうが、帰宅が早いので、いつも真臣が帰ってくるまでの時間で、掃除や洗濯、料理も全部すませている。もう何年も家事をしているから慣れているだけだが、真臣はいつも「僕はいいお嫁さんをもらうな~」と喜んでいた。
それは決して苦じゃなかった。短かったけど、二人の生活は楽しかった。
「ただいま。この段ボール……なに?」
「おかえり。引っ越しの準備だよ、もちろん私の」
帰宅した彼が、驚いた顔をしている。
直接会話するのは苦痛だ。でも、彼は本気で別れるつもりがない様子だから、話し合いをしなければならない。私が先に食事したことを伝えると、彼が言った。
「まだ怒ってる? この前は邪魔が入ってちゃんと話せなかったけど、和咲は誤解してるんだよ」
八木沢さんと槙木さんを「邪魔」と言ったことに若干いらだちを覚えた。あれは一人で困っていた私を助けてくれたのに。倒れそうになっても手を差し伸べもしなかったくせに。
「浮気するつもりなんか全然なかったんだよ。和咲が一番好きだ。ただ、七瀬さんは福岡支店にいるとき、ずっと良くしてもらってて……『最後に思い出をください。それで諦めます』って言われて……」
「結局、妊娠は事実なの?」
「病院に行ってから東京に来たみたいで、エコー写真? みたいなやつも見た」
きっと、武内さんは真臣のことをずっと好きだったんだろう。もうどうしようもない。仮に真臣が私を一番好きだと言ってくれても、私に応える気持ちはない。また頭痛がする。早く違約金の話をしてしまおうと思っていたのに、彼が信じられないことを言い出した。
「でも、生まれるかどうかわからないだろ?」
「最低! どうしてそんな酷いこというの!?」
「え、だって、実家に連れて帰って事情を話したら、母さんが『妊娠初期は流産しやすいから、大事にしないと』ってすげえ過保護にちやほやしてたから。つまりダメになる可能性もあるんだろ?」
命をなんだと思ってるんだろう。こんな人だったんだ。
ただ、武内さんが義母から大事にされていたようで、そこは少しほっとした。そして同時に、もう私は完全に邪魔者なのだなと悟った。それなのに真臣だけが現実を受け入れようとしていない。
「急に子供って言われても、ホント困るし……」
「だったらどうして避妊すらしなかったの!」
「……もう部屋になにもなかったんだよ。ゴムもどこにあるかわからなくて。安全日? とかそういうので、大丈夫って言われたから」
「それを信じたんだ……」
浮気しました、ナマでヤりました、なんて聞きたくなかった。嫌悪感しかない。こんな会話したくない。また吐きそう。
「もう無理……。これ以上話したくない……私と別れて、彼女を大事にして」
「和咲と別れたくない。……和咲は、僕が嫌いになった?」
「…………ごめんね、大嫌いになった」
怒ったのか悲しんだのか、それから彼は一言も口をきかなくなった。きっと私を冷たいと思っただろうが、もうどうでもよかった。
結婚式場のキャンセル料は真臣が全額負担すること。マンションの違約金は私が負担すること。準備していた婚約指輪や結婚指輪、二人で買った家具家電もいらないこと。それぞれの上司には、個別に報告することなど、私が細々したことを話し終えると、彼は「わかった」とだけ返事をして、食事もせず寝室に引きこもってしまった。
二人の寝室なのに、あなたがいたら私が寝られないじゃない! と怒鳴ろうかと思ったが、もう元気が出なかった。
仕方なく彼の出張の荷作りをしたあと、冷蔵庫には食材があったので、消費するためにも夕飯を作った。
キッチンに立っていると、金曜日の出来事は空想か夢だったんじゃないかと思えてきた。彼女は妊娠なんかしてなくて、全部嘘……嘘だったらいいのに。そう思って、真臣も彼女からの連絡を無視したのだろうか。
定刻で帰る私のほうが、帰宅が早いので、いつも真臣が帰ってくるまでの時間で、掃除や洗濯、料理も全部すませている。もう何年も家事をしているから慣れているだけだが、真臣はいつも「僕はいいお嫁さんをもらうな~」と喜んでいた。
それは決して苦じゃなかった。短かったけど、二人の生活は楽しかった。
「ただいま。この段ボール……なに?」
「おかえり。引っ越しの準備だよ、もちろん私の」
帰宅した彼が、驚いた顔をしている。
直接会話するのは苦痛だ。でも、彼は本気で別れるつもりがない様子だから、話し合いをしなければならない。私が先に食事したことを伝えると、彼が言った。
「まだ怒ってる? この前は邪魔が入ってちゃんと話せなかったけど、和咲は誤解してるんだよ」
八木沢さんと槙木さんを「邪魔」と言ったことに若干いらだちを覚えた。あれは一人で困っていた私を助けてくれたのに。倒れそうになっても手を差し伸べもしなかったくせに。
「浮気するつもりなんか全然なかったんだよ。和咲が一番好きだ。ただ、七瀬さんは福岡支店にいるとき、ずっと良くしてもらってて……『最後に思い出をください。それで諦めます』って言われて……」
「結局、妊娠は事実なの?」
「病院に行ってから東京に来たみたいで、エコー写真? みたいなやつも見た」
きっと、武内さんは真臣のことをずっと好きだったんだろう。もうどうしようもない。仮に真臣が私を一番好きだと言ってくれても、私に応える気持ちはない。また頭痛がする。早く違約金の話をしてしまおうと思っていたのに、彼が信じられないことを言い出した。
「でも、生まれるかどうかわからないだろ?」
「最低! どうしてそんな酷いこというの!?」
「え、だって、実家に連れて帰って事情を話したら、母さんが『妊娠初期は流産しやすいから、大事にしないと』ってすげえ過保護にちやほやしてたから。つまりダメになる可能性もあるんだろ?」
命をなんだと思ってるんだろう。こんな人だったんだ。
ただ、武内さんが義母から大事にされていたようで、そこは少しほっとした。そして同時に、もう私は完全に邪魔者なのだなと悟った。それなのに真臣だけが現実を受け入れようとしていない。
「急に子供って言われても、ホント困るし……」
「だったらどうして避妊すらしなかったの!」
「……もう部屋になにもなかったんだよ。ゴムもどこにあるかわからなくて。安全日? とかそういうので、大丈夫って言われたから」
「それを信じたんだ……」
浮気しました、ナマでヤりました、なんて聞きたくなかった。嫌悪感しかない。こんな会話したくない。また吐きそう。
「もう無理……。これ以上話したくない……私と別れて、彼女を大事にして」
「和咲と別れたくない。……和咲は、僕が嫌いになった?」
「…………ごめんね、大嫌いになった」
怒ったのか悲しんだのか、それから彼は一言も口をきかなくなった。きっと私を冷たいと思っただろうが、もうどうでもよかった。
結婚式場のキャンセル料は真臣が全額負担すること。マンションの違約金は私が負担すること。準備していた婚約指輪や結婚指輪、二人で買った家具家電もいらないこと。それぞれの上司には、個別に報告することなど、私が細々したことを話し終えると、彼は「わかった」とだけ返事をして、食事もせず寝室に引きこもってしまった。
二人の寝室なのに、あなたがいたら私が寝られないじゃない! と怒鳴ろうかと思ったが、もう元気が出なかった。
88
お気に入りに追加
679
あなたにおすすめの小説
【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。
三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。
それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。
頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。
短編恋愛になってます。
完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています
オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。
◇◇◇◇◇◇◇
「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。
14回恋愛大賞奨励賞受賞しました!
これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。
ありがとうございました!
ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。
この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【R18】英雄となった騎士は置き去りの令嬢に愛を乞う
季邑 えり
恋愛
とうとうヴィクターが帰って来る——シャーロットは橙色の髪をした初恋の騎士を待っていた。
『どうしても、手に入れたいものがある』そう言ってヴィクターはケンドリッチを離れたが、シャーロットは、別れ際に言った『手に入れたいもの』が何かを知らない。
ヴィクターは敵国の将を打ち取った英雄となり、戦勝パレードのために帰って来る。それも皇帝の娘である皇女を連れて。——危険を冒してまで手に入れた、英雄の婚約者を連れて。
幼馴染の騎士 × 辺境の令嬢
二人が待ちわびていたものは何なのか
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる