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新宿駅2

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 急に呼び止められて、新宿駅の説明を受けて、少し混乱していたが、(このおじさん、落ち着いて品のある美声だなあ)と関係ないことを考えるくらいには余裕が出てきた。
 JR新宿駅はとても広く、普段使わない方向にホームを歩いていくと、まるで知らない駅にいるみたいだった。
 立ち止まって深呼吸してから、おじさんを見上げた。心配そうな表情だが、彼は黙ったままだったので、恐る恐る口を開いた。

「あのう、私が自殺しようとしている……と思いました?」
「思いました」

 おじさんは力強くうなずき、一向に手を離そうとする様子はない。明らかに警戒されている。

「違います。考え事していただけです。現状で一番の問題が住む場所なので、そのことについて考えていました」

 私がはっきりそう告げると、おじさんはきょとんとした顔で沈黙した。私のような小娘から見ると、この人はとても大人で、あまり表情を変えないと思っていたから、ちょっと可愛いと思ってしまった。
 思い違いに気づいたのか、彼は謝りながら慌てて私の腕を離した。

「ああ……すみませんでした。早とちりしました。あなたが線路をじっと見つめているところに遭遇したので、てっきり」

 さっき目の当たりにして事情を知っている人だから、暗い顔してホームに立っている私を見て、誤解したのも無理はない。それに、引き留めようとしてくれた事実は、正直ちょっと嬉しかった。さっきまで私はひとりぼっちだと思っていたから。

「心配してくださって、ありがとうございます。何度もご心配をおかけしてすみません。……私は戸樫和咲と申します。平和の『和』に花が『咲』く、で『かずさ』です。お名前を伺ってもいいですか?」

 ずっとおじさん呼ばわりするも失礼だなと思って名前を尋ねたが、相手が少し戸惑っている。聞いちゃだめだったかな。

「私の名前は漢字の説明がしづらいので、これを」

 そう言いながら差し出されたのは名刺だった。肩書は、某省統計局の某課長。
 真面目でお堅そうだと思っていたら、お堅いオブお堅い、公僕だ。

八木沢やぎさわ東梧とうごといいます。東にアオギリで『とうご』です」
「なるほど、アオギリはカタカナで書くことが多いから、漢字はなかなかピンと来ないですよね。街路樹に多いから、みんな見ているはずなのに」
「そうです。……戸樫さんはアオギリをご存知なんですね」

 八木沢さんはそう言って、私に向かって穏やかに優しく笑った。
 アオギリは火に強く、火事が起きた場合に延焼を防いでくれるので、よく公園や街路に植えられている。広島で被爆して枯れ木同然になったが、翌春に再び新芽をつけたアオギリがあり、火に負けなかったその木は、平和記念公園に移植されたそうだ。
 短期間で大きく育つ高木であり、葉も大きいから、背が高くて手が大きい八木沢さんの名前にアオギリがあるのはぴったりだなと思った。
 ついでに聞くと、一緒にいた同僚の方は「槙木まきさん」だそうだ。

「少しは元気になりました?」
「はい。ありがとうございます。……すみません、お引きとめして。私は大丈夫なので、早く帰ってください。お子さん待ってるでしょう?」

 つい立ち話をしてしまったが、誤解がとけたのにいつまでも引き留めてはいけないと思ってそう言った。一般事務職でほとんど社外に出ることのない私は名刺を持っていないから、勿論名刺入れも持っていない。頂いた名刺はお財布に仕舞った。時計を見ると、だいぶ時間も経っている。
 槙木さんも家に帰ったし、彼もきっと早く帰りたいだろう。でも、八木沢さんは困ったように笑って予想外の返事をした。

「独身なので、残念ながら帰っても一人ですよ。結婚の予定もありません」
「え? でもさっき、お子さんの話をしてませんでした?」

 運動会や習い事の話など、二人の会話を聞いて勝手に八木沢さんも既婚者だと思い込んでいたが、あれは全部槙木さんのご家庭の話だった。

「すみません、失礼なことを!」
「いいえ、よく言われます。お子さんは何人とか聞かれることもあります。気にしないでください。とりあえず、移動しましょうか。家の近くまで送りますよ」

 家、と言われて現実に戻った。
 下北沢が最寄り駅なので、私はいつも新宿駅で私鉄に乗り換える。彼氏は実家に帰るといっていたから、同棲しているマンションには誰もいないだろう。でも、やっぱり気持ちが追いつかない。

「あの……まだ家には帰りたくないので、どこかで休みます。ありがとうございました」
「そうですか。分かりました」

 しかし、八木沢さんは口をつぐんだまま、その場から立ち去ろうとしなかった。
 私がすぐに帰らないと言ったからか、また心配そうな表情になっている。

「……僕がいなくなったら、やっぱり気がかわって、線路に……」
「しません、誤解です! 悲しいよりも、むしろ私は怒ってます! 彼氏のこと、殴ればよかったと思ってます!」

 八木沢さんがびっくりした顔をしていたから、両手を握りしめてむきになって言い返したのを後悔した。恥ずかしくて、耳が熱い。
 彼が面白そうに笑って、そのとき初めて、これまで見せなかった素を見た気がした。

「そうみたいですね。元気でよかった」
「なので、ごはんもちゃんと食べます。ひとりはちょっと寂しいですが……」

 こんなとき、私にも実家があって、家族がいたら気が紛れただろう。何気ない私の言葉に八木沢さんが笑って答えた。

「じゃあ、こんなおじさんで良ければ、ご一緒させてもらえませんか? 僕もどこかで食べてから帰ろうかと思っていたんです」

 新宿駅東南口から出たところにある割烹料理屋に行くことを提案されたので、二つ返事した。
 行ってみたいと思っていたお店だったので、その提案は素直に嬉しかった。それに帰りたくないとは言ったけれど、一人でどう過ごそうか考えていなかったから。

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