7 / 82
新宿駅2
しおりを挟む
急に呼び止められて、新宿駅の説明を受けて、少し混乱していたが、(このおじさん、落ち着いて品のある美声だなあ)と関係ないことを考えるくらいには余裕が出てきた。
JR新宿駅はとても広く、普段使わない方向にホームを歩いていくと、まるで知らない駅にいるみたいだった。
立ち止まって深呼吸してから、おじさんを見上げた。心配そうな表情だが、彼は黙ったままだったので、恐る恐る口を開いた。
「あのう、私が自殺しようとしている……と思いました?」
「思いました」
おじさんは力強くうなずき、一向に手を離そうとする様子はない。明らかに警戒されている。
「違います。考え事していただけです。現状で一番の問題が住む場所なので、そのことについて考えていました」
私がはっきりそう告げると、おじさんはきょとんとした顔で沈黙した。私のような小娘から見ると、この人はとても大人で、あまり表情を変えないと思っていたから、ちょっと可愛いと思ってしまった。
思い違いに気づいたのか、彼は謝りながら慌てて私の腕を離した。
「ああ……すみませんでした。早とちりしました。あなたが線路をじっと見つめているところに遭遇したので、てっきり」
さっき目の当たりにして事情を知っている人だから、暗い顔してホームに立っている私を見て、誤解したのも無理はない。それに、引き留めようとしてくれた事実は、正直ちょっと嬉しかった。さっきまで私はひとりぼっちだと思っていたから。
「心配してくださって、ありがとうございます。何度もご心配をおかけしてすみません。……私は戸樫和咲と申します。平和の『和』に花が『咲』く、で『かずさ』です。お名前を伺ってもいいですか?」
ずっとおじさん呼ばわりするも失礼だなと思って名前を尋ねたが、相手が少し戸惑っている。聞いちゃだめだったかな。
「私の名前は漢字の説明がしづらいので、これを」
そう言いながら差し出されたのは名刺だった。肩書は、某省統計局の某課長。
真面目でお堅そうだと思っていたら、お堅いオブお堅い、公僕だ。
「八木沢東梧といいます。東にアオギリで『とうご』です」
「なるほど、アオギリはカタカナで書くことが多いから、漢字はなかなかピンと来ないですよね。街路樹に多いから、みんな見ているはずなのに」
「そうです。……戸樫さんはアオギリをご存知なんですね」
八木沢さんはそう言って、私に向かって穏やかに優しく笑った。
アオギリは火に強く、火事が起きた場合に延焼を防いでくれるので、よく公園や街路に植えられている。広島で被爆して枯れ木同然になったが、翌春に再び新芽をつけたアオギリがあり、火に負けなかったその木は、平和記念公園に移植されたそうだ。
短期間で大きく育つ高木であり、葉も大きいから、背が高くて手が大きい八木沢さんの名前にアオギリがあるのはぴったりだなと思った。
ついでに聞くと、一緒にいた同僚の方は「槙木さん」だそうだ。
「少しは元気になりました?」
「はい。ありがとうございます。……すみません、お引きとめして。私は大丈夫なので、早く帰ってください。お子さん待ってるでしょう?」
つい立ち話をしてしまったが、誤解がとけたのにいつまでも引き留めてはいけないと思ってそう言った。一般事務職でほとんど社外に出ることのない私は名刺を持っていないから、勿論名刺入れも持っていない。頂いた名刺はお財布に仕舞った。時計を見ると、だいぶ時間も経っている。
槙木さんも家に帰ったし、彼もきっと早く帰りたいだろう。でも、八木沢さんは困ったように笑って予想外の返事をした。
「独身なので、残念ながら帰っても一人ですよ。結婚の予定もありません」
「え? でもさっき、お子さんの話をしてませんでした?」
運動会や習い事の話など、二人の会話を聞いて勝手に八木沢さんも既婚者だと思い込んでいたが、あれは全部槙木さんのご家庭の話だった。
「すみません、失礼なことを!」
「いいえ、よく言われます。お子さんは何人とか聞かれることもあります。気にしないでください。とりあえず、移動しましょうか。家の近くまで送りますよ」
家、と言われて現実に戻った。
下北沢が最寄り駅なので、私はいつも新宿駅で私鉄に乗り換える。彼氏は実家に帰るといっていたから、同棲しているマンションには誰もいないだろう。でも、やっぱり気持ちが追いつかない。
「あの……まだ家には帰りたくないので、どこかで休みます。ありがとうございました」
「そうですか。分かりました」
しかし、八木沢さんは口をつぐんだまま、その場から立ち去ろうとしなかった。
私がすぐに帰らないと言ったからか、また心配そうな表情になっている。
「……僕がいなくなったら、やっぱり気がかわって、線路に……」
「しません、誤解です! 悲しいよりも、むしろ私は怒ってます! 彼氏のこと、殴ればよかったと思ってます!」
八木沢さんがびっくりした顔をしていたから、両手を握りしめてむきになって言い返したのを後悔した。恥ずかしくて、耳が熱い。
彼が面白そうに笑って、そのとき初めて、これまで見せなかった素を見た気がした。
「そうみたいですね。元気でよかった」
「なので、ごはんもちゃんと食べます。ひとりはちょっと寂しいですが……」
こんなとき、私にも実家があって、家族がいたら気が紛れただろう。何気ない私の言葉に八木沢さんが笑って答えた。
「じゃあ、こんなおじさんで良ければ、ご一緒させてもらえませんか? 僕もどこかで食べてから帰ろうかと思っていたんです」
新宿駅東南口から出たところにある割烹料理屋に行くことを提案されたので、二つ返事した。
行ってみたいと思っていたお店だったので、その提案は素直に嬉しかった。それに帰りたくないとは言ったけれど、一人でどう過ごそうか考えていなかったから。
JR新宿駅はとても広く、普段使わない方向にホームを歩いていくと、まるで知らない駅にいるみたいだった。
立ち止まって深呼吸してから、おじさんを見上げた。心配そうな表情だが、彼は黙ったままだったので、恐る恐る口を開いた。
「あのう、私が自殺しようとしている……と思いました?」
「思いました」
おじさんは力強くうなずき、一向に手を離そうとする様子はない。明らかに警戒されている。
「違います。考え事していただけです。現状で一番の問題が住む場所なので、そのことについて考えていました」
私がはっきりそう告げると、おじさんはきょとんとした顔で沈黙した。私のような小娘から見ると、この人はとても大人で、あまり表情を変えないと思っていたから、ちょっと可愛いと思ってしまった。
思い違いに気づいたのか、彼は謝りながら慌てて私の腕を離した。
「ああ……すみませんでした。早とちりしました。あなたが線路をじっと見つめているところに遭遇したので、てっきり」
さっき目の当たりにして事情を知っている人だから、暗い顔してホームに立っている私を見て、誤解したのも無理はない。それに、引き留めようとしてくれた事実は、正直ちょっと嬉しかった。さっきまで私はひとりぼっちだと思っていたから。
「心配してくださって、ありがとうございます。何度もご心配をおかけしてすみません。……私は戸樫和咲と申します。平和の『和』に花が『咲』く、で『かずさ』です。お名前を伺ってもいいですか?」
ずっとおじさん呼ばわりするも失礼だなと思って名前を尋ねたが、相手が少し戸惑っている。聞いちゃだめだったかな。
「私の名前は漢字の説明がしづらいので、これを」
そう言いながら差し出されたのは名刺だった。肩書は、某省統計局の某課長。
真面目でお堅そうだと思っていたら、お堅いオブお堅い、公僕だ。
「八木沢東梧といいます。東にアオギリで『とうご』です」
「なるほど、アオギリはカタカナで書くことが多いから、漢字はなかなかピンと来ないですよね。街路樹に多いから、みんな見ているはずなのに」
「そうです。……戸樫さんはアオギリをご存知なんですね」
八木沢さんはそう言って、私に向かって穏やかに優しく笑った。
アオギリは火に強く、火事が起きた場合に延焼を防いでくれるので、よく公園や街路に植えられている。広島で被爆して枯れ木同然になったが、翌春に再び新芽をつけたアオギリがあり、火に負けなかったその木は、平和記念公園に移植されたそうだ。
短期間で大きく育つ高木であり、葉も大きいから、背が高くて手が大きい八木沢さんの名前にアオギリがあるのはぴったりだなと思った。
ついでに聞くと、一緒にいた同僚の方は「槙木さん」だそうだ。
「少しは元気になりました?」
「はい。ありがとうございます。……すみません、お引きとめして。私は大丈夫なので、早く帰ってください。お子さん待ってるでしょう?」
つい立ち話をしてしまったが、誤解がとけたのにいつまでも引き留めてはいけないと思ってそう言った。一般事務職でほとんど社外に出ることのない私は名刺を持っていないから、勿論名刺入れも持っていない。頂いた名刺はお財布に仕舞った。時計を見ると、だいぶ時間も経っている。
槙木さんも家に帰ったし、彼もきっと早く帰りたいだろう。でも、八木沢さんは困ったように笑って予想外の返事をした。
「独身なので、残念ながら帰っても一人ですよ。結婚の予定もありません」
「え? でもさっき、お子さんの話をしてませんでした?」
運動会や習い事の話など、二人の会話を聞いて勝手に八木沢さんも既婚者だと思い込んでいたが、あれは全部槙木さんのご家庭の話だった。
「すみません、失礼なことを!」
「いいえ、よく言われます。お子さんは何人とか聞かれることもあります。気にしないでください。とりあえず、移動しましょうか。家の近くまで送りますよ」
家、と言われて現実に戻った。
下北沢が最寄り駅なので、私はいつも新宿駅で私鉄に乗り換える。彼氏は実家に帰るといっていたから、同棲しているマンションには誰もいないだろう。でも、やっぱり気持ちが追いつかない。
「あの……まだ家には帰りたくないので、どこかで休みます。ありがとうございました」
「そうですか。分かりました」
しかし、八木沢さんは口をつぐんだまま、その場から立ち去ろうとしなかった。
私がすぐに帰らないと言ったからか、また心配そうな表情になっている。
「……僕がいなくなったら、やっぱり気がかわって、線路に……」
「しません、誤解です! 悲しいよりも、むしろ私は怒ってます! 彼氏のこと、殴ればよかったと思ってます!」
八木沢さんがびっくりした顔をしていたから、両手を握りしめてむきになって言い返したのを後悔した。恥ずかしくて、耳が熱い。
彼が面白そうに笑って、そのとき初めて、これまで見せなかった素を見た気がした。
「そうみたいですね。元気でよかった」
「なので、ごはんもちゃんと食べます。ひとりはちょっと寂しいですが……」
こんなとき、私にも実家があって、家族がいたら気が紛れただろう。何気ない私の言葉に八木沢さんが笑って答えた。
「じゃあ、こんなおじさんで良ければ、ご一緒させてもらえませんか? 僕もどこかで食べてから帰ろうかと思っていたんです」
新宿駅東南口から出たところにある割烹料理屋に行くことを提案されたので、二つ返事した。
行ってみたいと思っていたお店だったので、その提案は素直に嬉しかった。それに帰りたくないとは言ったけれど、一人でどう過ごそうか考えていなかったから。
100
お気に入りに追加
679
あなたにおすすめの小説
【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。
三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。
それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。
頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。
短編恋愛になってます。
完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています
オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。
◇◇◇◇◇◇◇
「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。
14回恋愛大賞奨励賞受賞しました!
これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。
ありがとうございました!
ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。
この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【R18】英雄となった騎士は置き去りの令嬢に愛を乞う
季邑 えり
恋愛
とうとうヴィクターが帰って来る——シャーロットは橙色の髪をした初恋の騎士を待っていた。
『どうしても、手に入れたいものがある』そう言ってヴィクターはケンドリッチを離れたが、シャーロットは、別れ際に言った『手に入れたいもの』が何かを知らない。
ヴィクターは敵国の将を打ち取った英雄となり、戦勝パレードのために帰って来る。それも皇帝の娘である皇女を連れて。——危険を冒してまで手に入れた、英雄の婚約者を連れて。
幼馴染の騎士 × 辺境の令嬢
二人が待ちわびていたものは何なのか
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる