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18 涙の舞踏会(後)

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 まずはジュリアスが一歩進み出る。
 各人、持ち時間は3分から5分。恭しく差し出された手を取り、お辞儀で応える。彼のリードは完璧で、私は滑るように広間を回った。


「おお……!」

「うっ、美しすぎる……!」

「夢を見ているようだ!」

「神よ!!」


 賞賛は私だけでなくジュリアスにも向けられる。
 それも当然。ジュリアスは完璧だ。

 踊りながら顔が近づいたとき、私は、胸に秘めた問いをついにぶつけた。


「あなたの目的は、なんなの?」

「……」


 まずは沈黙。
 私が咎めているわけではないという事は、私の顔を見ればわかるはず。こんなに上機嫌で、心から楽しんでいるのだから。踊る事も、完璧なジュリアスの秘密を暴く事も。


「マルグリット」

「なにが欲しいの?」


 踊りながら、ついにジュリアスは打ち明けた。


「あなたの信頼です。あなたに仕え、忠誠を尽くし、ある方に証明したいのです。私には価値があると」


 意外だった。
 誰の目から見てもジュリアスは完璧で、取り立てて証明するべきものはない。

 そんな彼が手に入れられないものといえば……


「お兄様から爵位を奪い取りたいの?」

「違います」


 彼は計り知れない。


「教えてちょうだい。あなたの役に立てるなら、いくらでも推薦状を書くわ」

「マルグリット、私は──」


 耳元で、ジュリアスが望みを囁いた。
 

「……!」


 驚いた。


「そうだったの?」

「あなたが宮廷を去ったあとです」

「わかったわ。やってみましょう」


 かつて私が宮廷での教育期間を終えたその後で、小さなロマンスが生まれていたらしい。

 国王陛下は私に甘い。
 その私の推薦があれば、たとえ爵位継承から洩れたとしても、国王陛下は首を縦に振り、姫君は彼が権力を欲しているのではなくただ恋をしているのだと信じるだろう──と。

 そう、考えたらしい。


「ずいぶんと回りくどい事をしたものね」

「警戒され、メルネス侯爵家も私を宮廷に近づけないよう手を尽くしています。実権を握ろうなどという企みがあるのではないかと疑われたら、我が身が危ういと」


 だからといって、姫君の親族である私のお婿さん候補として名乗りを上げるなんて、疑惑の上塗りになる危険もあったはず。
 けれど、まあ、そこで私が保証をすれば疑いを払拭できるという算段はあながち的外れではない。


「大博打だこと」

「もう猶予がない」

「たしかに。そろそろあちらも婿選びを始める頃よね」


 時間が迫っていた。
 あたふたするロレンソが視界に入る。彼は数を数えるように呼吸を整えながら、私を見つめていた。


「恋は盲目」


 ジュリアスにそう言い残し、私はロレンソの手を取った。


「あっ!!」


 ロレンソが一歩目に私のドレスの裾を踏む。想定内。


「大丈夫よ。落ち着いて」

「はっ、はっ、はい!!」

「息を吸って、吐いて。吸って……一歩ずつよ、焦らないで」

「はひっ!」

「私は岩。石材なの。どうぞ優雅に運んでちょうだい」

「はいぃぃっ!!」


 ロレンソと踊るのは大変だったいけれど、とても遣り甲斐があり、達成感に満たされた。なんて可愛らしいの、ロレンソ……誰が文句を言っても、あなたの事は、私が守るわ。


「あっ、ありがとうございました!  もうしわけああありませんでしたッ!!」

「こちらこそ、ありがとう。楽しかったわ。ロレンソ、寛いで」

「はいいいぃぃぃっ!」


 そんなロレンソを、ラーシュ=オロフは穏やかな微笑みで励ましてから私に手を差し伸べた。気遣いが嬉しくて、ますます彼が好きになる。亡くなった愛する人が生きていたらと、願わずにはいられない。それが叶わないとわかっていても。


「……」


 彼の手を取り、彼と踊る。
 ラーシュ=オロフが今も彼女を愛していると、強く、感じる事ができた。


「あなたの魂は、もう、結婚しているのだと思うけれど……」


 幸せは人それぞれ。
 けれど彼の愛に胸が切なくなった分、彼が如何に愛する人と生きていくべきかを思い知らされる。目頭が熱くなる。そんな私を注意深く見つめ、ラーシュ=オロフはわずかに表情を変えた。


「どうされました?」


 広間を回る大振りなステップも、緩やかに。
 踊り続ける私を休ませるための気遣いだと、誰もが好意的に解釈してくれるだろう。短い滞在中、彼が周囲の信頼を集めているのは肌で感じてきた。

 ラーシュ=オロフは素晴らしい人だ。
 幸せになってほしい。


「あなたには愛する人が必要だわ」

「……」
 
 
 ラーシュ=オロフはわずかに目を見開いてから、とりわけ優しい笑みを浮かべ目を細めた。目尻に皴ができる。その微笑みを受けるべきだったのは私ではなく、彼のこどもたちだったはず。愛し続ける事を、過去にしがみついているとは軽々しく形容できない。でも……
 

「あなたは愛に溢れた人だから、この先……愛する人ができても、それは、心変わりではないわ」

「優しいですね」


 彼とゆるやかに左右にゆれる。
 だからこそ、周囲の声もより詳細に届いてくる。


「熱く見つめあってるぞ……!」

「プリンセス・マルグリットが目を潤ませているッ!?」

「なんだんだ、あれは……!」

「くそ……やはり御父上と長く離ればなれだから、最初から年上が有利だったんだ……!!」

「でも彼ならいいだろう! 絶対に大切にする! そういう男だ!!」


 彼に票が集まりそうだけれど、私は、彼とは結婚しない。
 それは本人もわかっている。
 
 私たちの間には、友愛が育まれている。

 ラーシュ=オロフが徐々にステップを大振りなものへと戻し、私を次のお婿さん候補のもとへ導いていった。そこには、初めて見る畏まったエディの姿があった。

 一瞬、知らない人物に見えた。


「まずは」

「?」


 ラーシュ=オロフの声に、再び彼を見あげる。
 優しい微笑みが降り注ぐ。


「あなたの幸せを見守らせてください。として」

「……」


 彼の意外な発言は、私から感傷的な気持ちを拭い去った。
 ただエディを指したのではなく、これからは自分がその立場を担うという意志が伝わってきたからだ。ラーシュ=オロフはロレンソを推薦していたはずだった。彼は私のお婿さんについては、心変わりをしたようだ。

 私は、エディの手を取った。


「!」


 風のような、波のような。
 力強さと心地よさが同居する力で、疑似的な兄は私を導く。私の体はふわりと浮くように、ふしぎと彼の動きに従っていく。

 次の瞬間、驚くべき事が起きた。
 エディは私の背に回すべき手で、先に、私の眼鏡を外したのだ。落下防止の目的でビーズによって首にかける仕様の眼鏡なので、破損の心配はない。心配はそこではない。胸元にぶら下がる眼鏡をかけ直す前に、彼は背中に手を当てて悠然とステップを踏み始めた。

 どよめきがあがる。
 けれど視力のせいで私にはエディしか見えない。

 勝ち誇ったような、自信に溢れた笑みになぜか、私の胸は喜びを感じた。


「言ったろ? 眼鏡なしで踊れる相手じゃなきゃ、婿は務まらないって」

「……!」


 どういうわけか、不躾な彼の台詞に私の胸は不規則に跳ね、体中に熱が走り抜け、未知の感覚と歓喜に満たされた。
 
 私はいつものように「弁えて」とは言えずに、彼だけを見つめて踊り続けた。
 魔法にかかったようで、そして、ゆるぎない真実がそこにあった。


「ほふっ」


 ポチョムキンの泣き声が、どこかともなく耳に届いた。
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