上 下
6 / 16

6 マウント

しおりを挟む
「困ったな。これはまずい。絶対に彼女だ」


 夫とは気が合う。
 そして彼は私にいつもほしいものをくれる。

 パールがそっと私を抱き寄せ、それからじっくりと腕に力を込めた。もちろん痛くない。ぎゅっと抱きしめられて、それだけで私は安心できる。


「恐い思いをさせてごめん」

「あなたのせいではないわ」

「だが、どこで目をつけられたんだ……本当にわからない」

「それは誰にもわからない。彼女以外」

「なんとかしよう」

「私にだけならいいけど、もしメランデルの領民まで被害にあったら……警備を強化して」

「君は、こんな時にも人の心配か。ありがとう」

「みくびらないで。手汗と不整脈で酷い事になってるんだから。頼りない伯爵夫人でごめんなさいね」

「そんな事ない」


 彼と話しているだけで、少しだけでも笑顔になれる。
 元気になれる。

 それは私たちが人生のほとんどをかけて既に絆を築いてきたからだし、これは私たちの絆で誰かに譲るつもりもない。


「彼女、どうしたのかしら。なぜ、こんな事を……」

「小動物の臓物を届けられて僕が喜ぶと思っているのだとしたら、きっと……いや、なにを言いたかったか忘れた。僕も混乱しているのかも」

「当たり前よ。あなた、前世で結婚していたからって理由で求婚されて、妻を脅されて、領民の安全も脅かされているのだもの」

「頭にくるよ。前世ってなんだ。世迷言で僕の妻を……大切なヴェロニカを苦しめて。だからって投獄するわけにもいかない。身元引受人がレディ・オリガなら、彼女と話をつけなくては」

「彼女、いいひとよ。気の毒だわ」

「君より? 今いちばん辛いのは君だろ」

「私にはあなたがいる」


 アルメアン侯爵を祖父に持つに留まらないかもしれないパルムクランツ伯爵令嬢のオリガだから、愛してくれる婚約者や守ってくれる騎士などがいなくても別にわりと平気なのかもしれないけれど……。
 身元引受人である事が、そもそも気の毒だわ。


「彼女、結婚できるのかしら」

「どっち? レディ・オリガのほう?」

「今フレイヤの結婚を心配するほど能天気じゃないわよ。彼、あなたを狙ってるんだもの。もうちょっと正気だったら、ひっかいてやってもいいかなって思うけど……されている事以上に彼女自身が凄く恐い」

「君は表に立たなくていいんだ。全部、僕が対応する。夫であり、領主である僕が、君も民も必ず守るよ」

「気をつけて。命を取られそうになったら、私の前でも愛するふりくらいしてね。私たちは、あとからどうにでもなるんだから」

「嘘だろ。僕は前世の自分の名前だって知らないんだぞ」

「前世なんてないわ」


 そんな感じで夫婦の絆はさらに強くなった。
 
 けれど……


「キャアアアァァァァッ!」

「!?」


 翌朝、轟いた悲鳴。
 夫婦で駆けつけると、若いミルクメイドが泣き喚き、マリサに叱られて更に泣きじゃくっている場面に出くわした。


「どうしたの?」

「ああ、ヴェロニカ様。夜明け前にすみません」


 マリサが動じない性格で本当によかった。
 

「この子が血文字を見つけて──」


 え?


「ちっ、ちもっ……!?」

「はい。まったく、とんでもない悪戯ですよ。なんですか『彼を返して』って。ここにパール様以外の男前がいますか? どんな色恋沙汰か知りませんが、使用人同士で気色悪いマウントの取り合いして、嘆かわしい限りです。ああっ! もう! 泣くんじゃないって何度言ったらわかるの!! あんた関係ないなら泣く必要ないでしょう!?」


 マリサは、若いミルクメイドに対しては理性を失いつつあった。
 というか、かなり苛立っている様子。


「お、怒らないであげて……」


 私が震えながらマリサに手を伸ばすと、背後でパールが深い溜息をついた。


「いいえ! 癖になりますから! よく反省しなさい! の安眠まで妨げて、何様のつもりなの! お詫びしなさい!!」

「いえ、あの、マリサ、マリサ……」


 私、泣きたい。
 前世の記憶があるって言い張る女が血文字で訴えてきたなんて、そろそろ本当に泣き喚きたい。


「血文字はどこに?」


 パールが冷静に尋ねた。
 でも苛立ちと困惑で、少し声が掠れている。


「気色悪いので洗い流させています。夜明けにはスッキリさせたいですからね」

「……広範囲なのかな?」


 パールの声に、若干の動揺が混じる。


「塀に。ちょうど、こちらから見える感じです。大胆に、バッと」

「──」


 私はパールのガウンのどこかをぎゅっと握った。

 フレイヤは、門まで来た。
 その翌日に、こちら側に入って来た。

 彼が私を抱きしめて、マリサに執事と従僕と腕っぷしの強い使用人を集めるように命じた。そしてこの奇怪な事件について、簡潔に説明した。

 執事とマリサ、そして料理長のマットソンが激怒。


「不届き者め! ヴェロニカ様と坊ちゃんがどんだけ仲睦まじくいらっしゃると思ってるんだ!!」

「旦那様とお呼びしろ!」


 執事はマットソンにも激怒。
 

「お、怒らないであげ……」

「ヴェロニカに手出しはさせない!」


 私の声はパールにかき消され、


「うおおおおおおお!」


 パールの声は、マットソンにかき消された。

 そして私は、大人たちの本気を見る事になる。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

婚約解消と婚約破棄から始まって~義兄候補が婚約者に?!~

琴葉悠
恋愛
 ディラック伯爵家の令嬢アイリーンは、ある日父から婚約が相手の不義理で解消になったと告げられる。  婚約者の行動からなんとなく理解していたアイリーンはそれに納得する。  アイリーンは、婚約解消を聞きつけた友人から夜会に誘われ参加すると、義兄となるはずだったウィルコックス侯爵家の嫡男レックスが、婚約者に対し不倫が原因の婚約破棄を言い渡している場面に出くわす。  そして夜会から数日後、アイリーンは父からレックスが新しい婚約者になったと告げられる──

あなたの1番になりたかった

トモ
恋愛
姉の幼馴染のサムが大好きな、ルナは、小さい頃から、いつも後を着いて行った。 姉とサムは、ルナの5歳年上。 姉のメイジェーンは相手にはしてくれなかったけど、サムはいつも優しく頭を撫でてくれた。 その手がとても心地よくて、大好きだった。 15歳になったルナは、まだサムが好き。 気持ちを伝えると気合いを入れ、いざ告白しにいくとそこには…

【完結】その人が好きなんですね?なるほど。愚かな人、あなたには本当に何も見えていないんですね。

新川ねこ
恋愛
ざまぁありの令嬢もの短編集です。 1作品数話(5000文字程度)の予定です。

【完結】姉の婚約者を奪った私は悪女と呼ばれています

春野オカリナ
恋愛
 エミリー・ブラウンは、姉の婚約者だった。アルフレッド・スタンレー伯爵子息と結婚した。  社交界では、彼女は「姉の婚約者を奪った悪女」と呼ばれていた。

私と彼の恋愛攻防戦

真麻一花
恋愛
大好きな彼に告白し続けて一ヶ月。 「好きです」「だが断る」相変わらず彼は素っ気ない。 でもめげない。嫌われてはいないと思っていたから。 だから鬱陶しいと邪険にされても気にせずアタックし続けた。 彼がほんとに私の事が嫌いだったと知るまでは……。嫌われていないなんて言うのは私の思い込みでしかなかった。

【完結】婚約破棄!! 

❄️冬は つとめて
恋愛
国王主催の卒業生の祝賀会で、この国の王太子が婚約破棄の暴挙に出た。会場内で繰り広げられる婚約破棄の場に、王と王妃が現れようとしていた。

姉の厄介さは叔母譲りでしたが、嘘のようにあっさりと私の人生からいなくなりました

珠宮さくら
恋愛
イヴォンヌ・ロカンクールは、自分宛てに届いたものを勝手に開けてしまう姉に悩まされていた。 それも、イヴォンヌの婚約者からの贈り物で、それを阻止しようとする使用人たちが悪戦苦闘しているのを心配して、諦めるしかなくなっていた。 それが日常となってしまい、イヴォンヌの心が疲弊していく一方となっていたところで、そこから目まぐるしく変化していくとは思いもしなかった。

処理中です...