婚約破棄したのはそっちよね? 今更泣いて縋っても無駄よ! あとお兄様がクソ。

百谷シカ

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13 ふたつの破談

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「よく言った」


 ドミニク卿が張りのある声で言った。
 とても誇らしい気持ちになって、感動した。


「そんなぁっ!」

「では、そういう事だから。この話は今後、御父上と進めるよ」


 ドミニク卿は穏やかに、そしてほがらかに告げる。
 まったく意地悪な雰囲気にならないのがふしぎで、思わずその横顔を見あげてしまった。ドミニク卿は微笑んでいる。父の言う〝事を荒立てない〟というのは、こういう対応なのだと学ばされた。

 口を開けて大粒の涙を零しながら、ブランドンが崩れ落ちる。
 父が手を離した。

 またそっと背中に手を添えられて、私は歩き出した。
 私はまだ感動していた。あんな事を口にするなんて初めてだったし、とても解放された。私は、無意識に我慢していたのだ。本当はブランドンを責めたかった。今なら、もっと酷い言葉も思い浮かぶ。だけどそれは口にしたくはなかったし、すっきりして満ち足りたからもういい。


「勘当させたいですか?」


 ドミニク卿が父に問いかけた。
 父は呻って、額を掻いた。


「ルシアのされた事を思えば相応の罰が必要なのはわかります。でも、彼と結婚した場合よりずっと幸せな結婚をしさえすれば、それがいちばんの仕返しになると僕は思うのですが、どうでしょう」

「いっ、いえ……!」


 父が狼狽えたように仰け反って首を振った。


「今はまだ次の結婚の事なんて考えられません。それを、させてやれるかどうか……」


 父は自信喪失している。
 気持ちはわかる。私も同じ気持ちだった。

 ドミニク卿の提案はとても理想的ではあるけれど、実現できるかという意味では、とても期待できない。よりにもよって、広間でブランドンが大声で私をしたのだ。笑い者としてしか注目されない。それか白い目を向けられるだけ。

 
「……」


 高揚した気持ちが萎えて、また悲しくなってきた。
 それでも、破談交渉にドミニク卿が立ち合ってくれるというだけで本当に心強い。気を確かに持たなければ。

 私はむりやり奮起して、前を見据えた。
 
 でも、ドミニク卿が足を止めた。


「?」


 立ち止まり振り返ると、ドミニク卿が父に耳打ちをしているところで、父は目を瞠って眉をつりあげていた。それから腰を抜かしそうな感じになって、ドミニク卿を縋るように見つめた。


「ほ、本気ですか……!?」

「ええ。ルシアが決める事です」

「はあ」


 父はなにを言われたのだろう。随分、緊張している。その証拠に、俯いて胸を抑えている。でもドミニク卿が父を脅かすとは思えないし、きっと悪い秘密ではないのだろう。私に聞こえないように伝えた事なのだから、私もそれ以上気にしない事にした。

 ドミニク卿が私に微笑む。


「!」

「立派だったよ、ルシア。マーニー伯爵には少し大きな額を言うけど、驚いても毅然としていてね。なにも言わなくていい。黙って、堂々としていればいいから」


 なにを言われても、嬉しく感じてしまう。
 ドミニク卿は優しくて、静かだけれどゆるがなくて、やっぱり強いのだ。立場も、意思も。そんな高潔なドミニク卿について歩くのは恥ずかしくて烏滸がましいような気がする。でも、実は少し、心が躍っているのも事実だ。

 破談交渉はすんなり終わった。
 ドミニク卿が間に入ってくれた事がもちろん大きい。けれど、義父になるはずだったマーニー伯爵が、目に涙を浮かべて誠心誠意謝罪してくれた。ブランドンを勘当させない分として上乗せした額も、何度も頷いて了承してくれた。
 優しい父がひとり増える。それも嬉しい事のひとつだったブランドンとの婚約が、本当になくなってしまった。その事が悲しくて、私はまた、少し泣いた。

 意外だったのは、父がどこか上の空だった事だ。
 私はバルバーニー伯爵家との破談交渉を思って、気が逸れているのだろうと思って声をかけるのは控えた。私の場合は私のせいではないと言ってくれる人がいたけれど、兄の場合はたぶん、私が責められるはずだから。ドミニク卿がどんな方法で説得するのか、まるで見当がつかなかった。

 ところが、思わぬ展開が待っていたのだ。

 別室で待機していたバルバーニー伯爵と夫人、そしてイヴェットと顔を合わせた。てっきり罵られるものだと思っていたし、ドミニク卿が私を伴ったのは謝らせるためだと思っていた。だって私が婚約破棄された事が原因だから。
 けれど、バルバーニー伯爵は威厳たっぷりに父に謝罪を述べると、慰謝料を進んで申し出た。充分すぎるほどの額だった。私を含め、誰の事も責めなかった。


「……?」


 イヴェットの顔を、まじまじと見つめる。
 少し不機嫌そうではあるものの、やっぱり美しかった。


「?」


 唐突に気づいた。
 イヴェットは、ドミニク卿を前にしている。でも、衣装室を勝手に使った事に関して、なにも言わない。バルバーニー伯爵もなにも言わない。私のせいだとしても、バルバーニー伯爵ほどの人なら一言あって然るべきだ。


「……」


 バルバーニー伯爵は衣装室の一件を知らない。
 イヴェットはもしかすると、ドミニク卿を前にして焦っているかもしれない。

 ふとドミニク卿の横顔を見あげると、そこには変わらない穏やかな微笑みがあった。ドミニク卿は当然知っているけれど、ロイエンタール侯爵令息としてそこは追及しないつもりのように思えた。そして事実、衣装室の件には触れないまま、破談交渉は終わった。

 多額の慰謝料を約束され、ウィッカム伯爵家は振り出しに戻ったのだ。
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