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第5話 ヒロイン

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「創造神様。話は変わりますが、その左手に持たれている書物は……?」

 ギュスターヴは俺が持っている『ミシェル戦記』と表紙に記された同人誌をじっと見つめた。

「ああ、これは俺が書いた小説です。勇者になったミシェルとパーティーのメンバーが共に歩んだ五年間、魔王エンリルを倒すまでの軌跡を中心に描いたものです」
「……少し、拝見してもよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」

 俺は異世界転移の起因になったようにも思える同人誌をギュスターヴに手渡した。

「では、失礼いたします」

 同人誌の表紙を捲り、何ページかに目を通したギュスターヴの表情が一瞬だけ真剣なものになる。

「この書物は聖典というより禁書に近いものやもしれません」

 ギュスターブはぼそりとつぶやいてから本を閉じた。顔を上げたギュスターブの表情は微笑に戻っていた。

「禁書? ですか……?」
「この世界に於いて、初めて魔王を名乗ったエンリルの出生から討伐されるまでの期間を特異点とするのが、歴史を研究する者の中では既に通説となっております。魔法とその根源たる魔力の爆発的な発達。短命と生殖能力の低さから少数種族であった魔族の突然ともいえる興隆。民族や国を越える世界共通言語の定着、長さや重さなど多岐にわたる単位の統一など……現在の世界を形成している多くの要素が特異点の前と後で大きく変化し、目覚ましい発展を遂げております」
「……それらは俺が書いた小説によってもたらされたということですか?」
「左様です。まさに創造と言えましょう。世界共通言語となった現代根本語で記されたこの書物は証左となるものです」
「……この世界は俺が書いた小説、その設定と展開によって大きく変化した……俺が世界の全てを形作った、というわけではないんですね?」
「この書物の文量がもたらす情報量で世界の全てを定義し構築するのは、不可能かと存じます」

 ギュスターヴが同人誌を両手で持ち、俺に向けて差し出した。

「この書物は創造神様がお持ちください。肌身離さずお持ちくださいますようお願いいたします」
「……分かりました」

 俺は同人誌を受け取った。何か本の重みが増したようにも感じる。

「さて、これからのことですが」
「はい」
「私は聖皇庁と国への報告に併せて、諸々の手配を済ませます。創造神様のおそばにはクロエが付きます」

 俺がクロエに視線を移すと、クロエは微笑を浮かべ静かに首肯した。

「仕事は、大丈夫なんですか?」
「心配には及びません。休職します」

 さも当然といった口調で、クロエは端的に答えた。

「それは、申し訳ないような……」
「創造神様が気になさる必要はありません。わたしが望んだことです。他のメンバーも集結するにせよ時間がかかります。まず、わたしがおそばに」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「創造神様。ひとつよろしいでしょうか」
「なんでしょう」
「わたしに対しての敬称や敬語は不要です」
「うーん……俺にとっては、この方が自然といいますか……年下、ですし」
「そうなのですか?」
「二十五歳です」
「……ヴァンサンカンですか。どうかわたしには平たく話しかけていただけませんか」
「クロエさんも平たく話してくれるのであれば」
「それは無理です」
「ならせめて創造神様って呼び方は、無しにできませんか」
「それでしたら……ユーゴ様と」
「様も無しにできませんか?」
「それは無理です」
「では、それで」

 クロエが笑顔で断定したので、俺はユーゴ様という呼ばれ方で納得することにした。

「ユーゴ様。もうひとつお伺いしても、よろしいでしょうか」
「なんでしょう」
「元の世界に早く戻りたいという気持ちはございませんか?」

 クロエの問いかけを聞いた俺は息を止めた。
 ここで本音を漏らしていいのか? 創造神としての器ではないと失望されないか……でも、演技をし続ける自信もない。
 止めていた息を吐き出した俺は、この異世界での寄る辺となる二人には本音で答えることにした。

「正直に言ってしまいますが……すぐに戻りたいと思っていない自分に少し戸惑っています。どうも俺は、元の世界にあまり未練がないようです。仕事を楽しいと思ったことはないし、家族を愛しているわけでもなく、今は恋人もいません。常に不安と焦燥から逃げ回るような生活でした。唯一の救いが小説を書くことだった。その小説の世界へ転移したことで、何かを期待している自分がいるんです」

 俺はここまで打ち明けてしまっていいのか不安になったが、クロエは俺の答えを聞いて微笑んでくれた。

「ありがとうございます。包み隠さずお答えいただいたおかげで、わたしの決心も固まりました。ユーゴ様がこの世界で創造神として何を成されるのかを見届けるためにも、わたしはユーゴ様をお護りします」

 心強いと素直に思った。我ながら単純だと呆れながらも、この世界で生きていけるような気がしてしまった。

「よろしくお願いします」

 俺が頭を下げると、クロエも頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 顔を上げたクロエの朗らかな表情に思わず見惚れてしまった。
 クロエ・カミナード。
 俺が創り出したはずのクロエという女性が放つ魅力は、執筆しているときに俺がキャラクターとして思い浮かべていたヒロイン像の魅力を優に超えていた。
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