三つの月と、蜜色の。

桐月砂夜

文字の大きさ
上 下
5 / 18
第2話 レインコートに雨宿り

1

しおりを挟む
 大きい狼はそれから、小さな焚き火を用意した。お互いの顔が、娘が此処に飛び込んだ時よりも、ぽわり、と浮かんだ。低い声とは反して、狼が想像よりふさふさの毛を纏っていたのに娘は少し和んだ。
「あやつらもしばらくは戻らないはずだ」
「夜明けまで此処にいれば良い」
 ありがとうございます、と軽く頭を下げ、娘は大人しく狼の言うことを聞いた。

 狼は慣れた手付きで手元に置かれていた道具らしきものをまとめ、それらを全て詰め込んだ鞄を、ひょいと持ち上げた。そして最後に立てかけてあった先ほどのおおきな剣を背負うと、じゃあなとだけ言って娘に背を向けた。
「あっ、あの」
 狼は立ち止まったまま、ちら、と目だけで娘を見た。娘は焦ってしまった。また鋭い瞳で睨まれたからだ。
「何だ」
 応えてくれたことに安心しながら娘はぺこりと頭を下げた。
「出発(たた)れるのですね」
「時間をいただき、大変失礼致しました」
「改めましてこの度は、心より感謝いたします」
 少し早口になった。

 狼はそれには何も答えずに、廃墟の煉瓦を跨いだ。
 狼の背中が闇に消えてゆくのを何となく見届けたあと、娘はゆらり目の前にある、小さな火を見つめながら身体を丸めた。先ほど見上げたときに見えた、グリーンの光を湛えた彼の瞳をとても綺麗だと思った。屋敷のどんな宝石よりも。

 先ほどは触れることすら出来なかった、キャメルの革に包まれた小さなダガーを、鞄から出して眺めた。
あの草むらに上手く隠れたと思っていたのに。動悸のなかでは周りの音など、一切聞こえないのだな、と改めて思った。
 ああそれとも、娘は夜空を見上げた。
「月が明るすぎたからなのかも知れません」
 雲は少なく、月の傍だけ淡く流れているのがようやく分かるほどで、何よりあの月が眩しい。
 この世界には三つの月が存在する。きっと今夜は、一番明るい三つ目の満月なのだ、と娘は思った。

 目が慣れてくると、焚き火がなくとも辺りは良く見えた。だからきっと、あのおそろしい男たちに見つかったのかも知れない。
 娘は追われた理由を付けたかった。これからはひとりでも歩ける。進める。だいじょうぶ。

 焚き火は暖を取るために用意してくれたのだな、と気付いた。静かになった身体にはぬくもりが心地よかった。夜明けはいつ来るのだろう。早く来てほしい。でも、と娘は思う。このまま闇の中に溶けてしまえたら、楽になれるだろうか?
 先ほどのダガーをキャメルのケースから抜いた。ぴかぴかだったそれに、焚き火の炎が映りこんだ。次こそ使うときが来るのだろうか。そのときこれは一体何からわたしを護ってくれるのだろう。

 娘は手首を何度かひねって、握っている刃先の表と裏を確認するような真似をした。月はあれだけ明るいくせにうまく映らない。つまらなくなって、娘がダガーをキャメルに戻そうとしたとき、低い声が降ってきた。
「何をしている」

 娘は驚いて持っていたダガーを焚き火に落としそうになった。その瞬間、何者かは焚き火を蹴り上げると、それらは散らばって灯りを失ってしまう。
 その衝撃で先ほどまで娘が隠れていた幾つかの樽と木箱の山が崩れたらしい。あるいは壊れてしまったのか。からんからん、という音だけがして、娘はその姿勢のまま固まってしまった。目の端に木箱の枠が転がっている。
「また追われたいのか」

 声を失って焚き火があった場所から視線を動かせないでいると、ため息が聞こえた。恐る恐る顔を上げると、先ほどの狼が立っていた。そして、何をしている、と改めて言った。娘が答えられずにいると、より低い声で諭すように続けた。
「刃物のような光はより遠くまで届く」
「あれより敵を寄せつけるのだぞ」
 あれとは先ほどの足蹴りにより散らばって、今はほんのり燻っている焚き火だったものを指すようだ。
娘のダガーだけはそのまま傍に落ちている。それが火の中に落ちてしまわないように、そして灯し火が消えてしまうように、狼は上手いこと焚き火を蹴り上げたのだった。彼女は慌ててそれを拾い上げ、両手で胸に抱えると、ごめんなさい、と謝った。
「俺に謝っても仕方がなかろう」
 狼は無機質な声で言い、娘はまた溢れそうになる涙を堪えて、はい、とだけ答えた。

「この場所に死体が転がるのは嫌なのでな」
「つい背中を確認してしまった」
 狼は廃墟の壁に身体を傾け、娘をまたも軽く睨みながら続けた。
「そうしたらどうだ」
「光を弄んでいる様子が見てとれた」
 娘は何も言えなかった。
「知らなくて」
 やっと蚊の鳴くような声で答えた。
「そのようだな」

 娘が答えなかったので、辺りがしん、となった。やはり火がなくとも明るい。ぱた、と音がするのに気付 いて、娘はつい首を傾け、そちらを見た。そこは狼の膝裏あたりで立派に揺れる、尾であった。
 娘の表情が緩んだ。すると、狼が視線に気付いた。
「何を見ている」
「も、申し訳ございません」
 娘は慌てて視線を逸らした。失礼に思われてしまっただろうか。動悸が激しい。
 そして、先ほどから時間が経っていたと言うのに、もう此処まで戻って来られるなんて。すごい、と娘は単純に感激した。
「何をするか分かったものではないな」
 狼は言った。
「此処は俺にとって少ない」
「丁度良い場所なのだ」

 だから此処に着くまえに遠吠えをしていたのかも知れない。娘は納得した。誰も寄せ付けないように。或いは誰かを呼ぶように。

「少し歩いた先に小さな村がある」
「ついて来い」
 承知致しました、と娘は急に元気になって、ケースに戻したダガーを小さな鞄に突っ込むと、立ち上がった。
 夜明けが少しずつ近付いているのか、辺りが柔らかく光り出す。
 気が付けば、満月は淡く遠くなっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

ブラフマン~疑似転生~

臂りき
ファンタジー
プロメザラ城下、衛兵団小隊長カイムは圧政により腐敗の兆候を見せる街で秘密裏に悪徳組織の摘発のため日夜奮闘していた。 しかし、城内の内通者によってカイムの暗躍は腐敗の根源たる王子の知るところとなる。 あらぬ罪を着せられ、度重なる拷問を受けた末に瀕死状態のまま荒野に捨てられたカイムはただ骸となり朽ち果てる運命を強いられた。 死を目前にして、カイムに呼びかけたのは意思疎通のできる死肉喰(グールー)と、多層世界の危機に際して現出するという生命体<ネクロシグネチャー>だった。  二人の助力により見事「完全なる『死』」を迎えたカイムは、ネクロシグネチャーの技術によって抽出された、<エーテル体>となり、最適な適合者(ドナー)の用意を約束される。  一方、後にカイムの適合者となる男、厨和希(くりやかずき)は、半年前の「事故」により幼馴染を失った精神的ショックから立ち直れずにいた。  漫然と日々を過ごしていた和希の前に突如<ネクロシグネチャー>だと自称する不審な女が現れる。  彼女は和希に有無を言わせることなく、手に持つ謎の液体を彼に注入し、朦朧とする彼に対し意味深な情報を残して去っていく。  ――幼馴染の死は「事故」ではない。何者かの手により確実に殺害された。 意識を取り戻したカイムは新たな肉体に尋常ならざる違和感を抱きつつ、記憶とは異なる世界に馴染もうと再び奮闘する。 「厨」の身体をカイムと共有しながらも意識の奥底に眠る和希は、かつて各国の猛者と渡り合ってきた一兵士カイムの力を借り、「復讐」の鬼と化すのだった。 ~魔王の近況~ 〈魔海域に位置する絶海の孤島レアマナフ。  幽閉された森の奥深く、朽ち果てた世界樹の残骸を前にして魔王サティスは跪き、神々に祈った。  ——どうかすべての弱き者たちに等しく罰(ちから)をお与えください——〉

【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた

杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。 なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。 婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。 勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。 「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」 その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺! ◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。 婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。 ◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。 ◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます! 10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!

チート幼女とSSSランク冒険者

紅 蓮也
ファンタジー
【更新休止中】 三十歳の誕生日に通り魔に刺され人生を終えた小鳥遊葵が 過去にも失敗しまくりの神様から異世界転生を頼まれる。 神様は自分が長々と語っていたからなのに、ある程度は魔法が使える体にしとく、無限収納もあげるといい、時間があまり無いからさっさと転生しちゃおっかと言いだし、転生のため光に包まれ意識が無くなる直前、神様から不安を感じさせる言葉が聞こえたが、どうする事もできない私はそのまま転生された。 目を開けると日本人の男女の顔があった。 転生から四年がたったある日、神様が現れ、異世界じゃなくて地球に転生させちゃったと・・・ 他の人を新たに異世界に転生させるのは無理だからと本来行くはずだった異世界に転移することに・・・ 転移するとそこは森の中でした。見たこともない魔獣に襲われているところを冒険者に助けられる。 そして転移により家族がいない葵は、冒険者になり助けてくれた冒険者たちと冒険したり、しなかったりする物語 ※この作品は小説家になろう様、カクヨム様、ノベルバ様、エブリスタ様でも掲載しています。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

処理中です...