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同時に二人が振り向くと、そこには可愛らしい女の子が立っていた。
ちょっぴり着崩された三條高校のブレザー服。ほどよい長さの黒髪サイドテールはしゅるんと巻かれ、お椀型のやわらかそうな胸にその毛先は寄り添っている。
シックな革のサッチェルバッグを背中に担ぐその女の子は、スカートの手前で両手の指をもじもじとさせていた。プラス頬まで赤々としているからまぁわかりやすい。
(ああ、またか)
悲しいかな夏弥がベテランの風格を出せるのは、唯一こんな時かもしれない。
(やれやれ……。こういう場面にすっかり慣れてしまってる俺もどうかと思うけど、こんなシチュエーションに男が二人いちゃダメだ。ほとんど反射的にわかってしまう。どうすればいいか。もはや犬や猫でも察せるんじゃないか……?)
「洋平、先行くわー」
「おー。またあとでなー」
洋平は「悪いな!」と意訳できそうなイケメンスマイルで夏弥に応える。
(もうこんな定番の流れに説明はいらないな。俺はさりげにガリ役でもツマ役でも請け負ってメインディッシュを引き立てるしかない。選択肢なんてない。一択しかないものを選択肢とは呼ばないからな)
それまでだらだらと持っていたカバンを肩に担ぎなおし、さすらいの旅人っぽく夏弥は風と共に去っていった。
その背中からわびさびを感じられる空気が出ていないこともないけれど、それについては触れるべきじゃない。
夏弥も好きでそんな空気を出してるわけじゃない。
さて、モテるイケメン君の友人という立場は、実はそれなりに貴重な体験ができる。
女子に連絡先を訊かれたと思ったら、それは当然のように洋平の連絡先のことだったり、下駄箱にラブレターが入ってたと思ったら、「洋平くんとどういう関係なんですか?」という、ちょっといただけないBとLの香りを醸し出す質問が書かれていたり。
そうしたあらゆる貴重的体験のなか、通学路の途中で突然洋平とおわかれすることもしょっちゅうだった。
だからこれは、夏弥からすれば慣れっこのことで。
(音楽聴きながらいこ。昨日の、昨日のー……と)
夏弥は、スマホと自分の耳にイヤホンを渡し、とある音楽バンドの新着動画をスマホで開く。
昨日の夜、動画サイトで見つけたまま、未視聴だったものだ。
その音楽バンドは「ずとまよ」の愛称で知られていた。
正式には「ずっと迷ってればいいのに。」というバンド名なのだけれど、一体何を迷うことがあるのか聴いた人は大体好きになってしまう魅力あふれるバンドである。
自由で軽快。骨折した人も松葉杖を投げ出して踊りだしそうなリズム。
ふんだんな暗喩とエッジのきいた言語センスの歌詞。
見たことがあるような、ないような、そんなアニメーションPV。
その音楽バンドの特徴をあげるとこんな感じで、夏弥をはじめ、最近のオーディオ・ビジュアルにうるさい高校生や二、三十代辺りには広くウケているバンドだった。
夏弥が今聴いてる新曲「抹茶ラテを噛む」は、投稿してまだ数日の、出来たてほやほやの一曲だ。
曲名のセンスについては、古今東西どこを探しても見つからないほどの個性がほとばしっている。
(……やっぱりずとまよは良い。良いんだけど、歌詞のせいか聴いてるだけでやたらと抹茶ラテが飲みたくなってくる。洗面台で手を洗ってると無性にトイレに行きたくなってくる的な、アレかな……?)
登校中、そんな謎の副作用に襲われていたせいかもしれない。
夏弥は結局その日の授業中、ずっと抹茶ラテが飲みたくて仕方がなかった。
しかし残念なことに、通学路にも学校内にも、抹茶ラテを扱っている自販機は見つけられなかった。
コンビニやスーパーでなら売ってなくもないけれど、通学路の途中にコンビニはないし、スーパーはそもそも登校時点でまだ開店していなかった。
「――え? 抹茶ラテ? 急にどうした夏弥?」
「いや、だからさ。ちょっと好きなバンドのせいで飲みたくなってきて……」
その日の昼休み、夏弥はこの話がくだらないとわかっていながら洋平にボヤいていた。
言葉にして吐き出せば、少しくらい欲求不満が消えると思ったのかもしれない。
「ふっ、どういうことだよそれ? その二つの単語が結びつく式がわからないんだけど?」
「それは、うーん……まぁそのとおりですね」
「そのとおりだろ? まぁでも、飲めないこともないんじゃね?」
「え?」
「ほら、最近出来ただろ、スタバ。というか、帰りにコンビニ寄ればいいじゃん? 抹茶ラテ飲むだけならサクッと買えるっしょ?」
「コンビニのやつなぁ~……飲むならちゃんとスタバのがいいんだけど。ただ、スタバはあのアパートの逆方向なんだよなぁ。帰りが遠回りになるし、その上一人で行くには敷居高いし」
「はぁ~。残念だな、夏弥」
「え? その口ぶりはお前……」
「ああ。もうとっくに行ってる。ていうか、今時スタバ行ったとか行かないとか、敷居が高いとか低いとか。そんな価値観もう無いだろ? 好きに行けばいいと思うんだけど」
「いや、価値観がどうのこうのじゃないんだよ。俺個人の性格的なアレでさ……」
「性格。……あ~、ちょっとオシャレなお店には一人でいけない病か」
洋平はニヤニヤと悪い笑みを浮かべている。
「はぁ。そうそれ。病気じゃないけど。まぁ、帰りにコンビニで買うよ」
「ふふっ。残念だなぁ~、夏弥君っ。スタバなら、ミルクもシロップもホイップも、色々幅広くカスタマイズできんのになぁ! 彼女でもいたらまた違うんだろうけど」
「言ってくれるわ……。ていうか待って? そういえば、朝のあの子さ」
夏弥は「彼女」という単語から、今朝、洋平に話しかけてきたサイドテールの女の子のことを思い出したのだった。
「ああ。あの一年生なー」
夏弥の言葉でテンションが少し落ちたのか、洋平は声のトーンを微妙に下げた。
「そっか。確か先輩って呼んでたし、一年生か」
「そうそう。ラインの交換してくださいって言われて」
と、そんな会話の途中で、午後の始業ベルが教室に鳴り響いたのだった。
「あ。昼休み終わりか。まぁ、またそのうち話すわ」
「ああ。またな」
そう言って別れたものの、その日、夏弥が洋平とその子について話すことはなかった。
放課後になっても、洋平は誰か他の女の子と一緒に帰るということで、結局夏弥が話の続きを聞くことはなかったのだった。
◇ ◇ ◇
日も暮れだした午後五時過ぎ。
学校を終えた夏弥は、昨日と同じ201号室に帰ってきていた。
玄関のドアを開ける。
薄暗い部屋の中、冷蔵庫の稼働する音だけが小さくうなり続けていた。
それは去年、夏弥が自分の住んでいたアパートでもよく見た光景だった。
まだここに美咲は帰ってきていない。
昨日と違う点は、しっかりと玄関のドアが閉まったことだ。
後ろから突然、ドアを抑える手なんて現れない。
「人の家に一人で入るって、ちょっと不思議な感じするな……」
中に入り、部屋の電気をつけてから、誰に言うわけでもなく改めてそんな事を口にした。
制服を脱いでいる最中、そういえば今日洋平に衣類を渡していない事に夏弥は気が付いた。
頼まれたわけじゃない。
けれど、衣類の替えがなければ、当然洋平だって制服のYシャツやその下に着るTシャツは限られてくる。
夏弥のものを借りていたのか、もしくは洗濯のあとで乾燥機にかけたことになる。
洗わずにそのまま同じシャツを……という憶測は、おそらく身なりへの気配りを忘れないあのイケメン君に限っていえばないはずだ。
(あれ? そういえば、俺は俺で昨日わざわざ乾燥機なんて使わなくてもよかったんじゃ……? いや、でもこの部屋で干してる所を美咲に見られるのもなぁ……特にパンツは。それに、初日ということもあって結構あたふたしてたし)
それから夏弥は念のため、衣類について洋平に確認のラインを送った。
『そういえば洋平の服、どうする? もしなら明日持っていくぞ?』
それだけ送ると、夏弥は美咲が帰ってこないうちに部屋着に着替えたのだった。
今日は昨日と違い、夕飯まで時間がある。冷蔵庫に食材もある。
昨日すでにキッチン周りを触っている分、勝手もある程度わかる。
夏弥が料理をする上で障壁になりそうなものは、一日過ごしただけでかなり無くなったように感じられる。
シャツの袖をまくり、夏弥は今晩の夕飯の支度に取りかかった。
「それなり」なんて言われて夏弥はほっこりしていたが、「おいしいね」と言われた方が十倍も百倍も良いことは自明の理だ。
美咲と正しい距離感を保つことは確かに大切だけれど、胃袋をつかんでじわじわと心と胃袋を引き寄せるのも、悪くないかもしれない。
だから夏弥は、自然とやる気になっていた。
ただそれはほとんど、彼自身気付けていない自分の心の動きだった。
ちょっぴり着崩された三條高校のブレザー服。ほどよい長さの黒髪サイドテールはしゅるんと巻かれ、お椀型のやわらかそうな胸にその毛先は寄り添っている。
シックな革のサッチェルバッグを背中に担ぐその女の子は、スカートの手前で両手の指をもじもじとさせていた。プラス頬まで赤々としているからまぁわかりやすい。
(ああ、またか)
悲しいかな夏弥がベテランの風格を出せるのは、唯一こんな時かもしれない。
(やれやれ……。こういう場面にすっかり慣れてしまってる俺もどうかと思うけど、こんなシチュエーションに男が二人いちゃダメだ。ほとんど反射的にわかってしまう。どうすればいいか。もはや犬や猫でも察せるんじゃないか……?)
「洋平、先行くわー」
「おー。またあとでなー」
洋平は「悪いな!」と意訳できそうなイケメンスマイルで夏弥に応える。
(もうこんな定番の流れに説明はいらないな。俺はさりげにガリ役でもツマ役でも請け負ってメインディッシュを引き立てるしかない。選択肢なんてない。一択しかないものを選択肢とは呼ばないからな)
それまでだらだらと持っていたカバンを肩に担ぎなおし、さすらいの旅人っぽく夏弥は風と共に去っていった。
その背中からわびさびを感じられる空気が出ていないこともないけれど、それについては触れるべきじゃない。
夏弥も好きでそんな空気を出してるわけじゃない。
さて、モテるイケメン君の友人という立場は、実はそれなりに貴重な体験ができる。
女子に連絡先を訊かれたと思ったら、それは当然のように洋平の連絡先のことだったり、下駄箱にラブレターが入ってたと思ったら、「洋平くんとどういう関係なんですか?」という、ちょっといただけないBとLの香りを醸し出す質問が書かれていたり。
そうしたあらゆる貴重的体験のなか、通学路の途中で突然洋平とおわかれすることもしょっちゅうだった。
だからこれは、夏弥からすれば慣れっこのことで。
(音楽聴きながらいこ。昨日の、昨日のー……と)
夏弥は、スマホと自分の耳にイヤホンを渡し、とある音楽バンドの新着動画をスマホで開く。
昨日の夜、動画サイトで見つけたまま、未視聴だったものだ。
その音楽バンドは「ずとまよ」の愛称で知られていた。
正式には「ずっと迷ってればいいのに。」というバンド名なのだけれど、一体何を迷うことがあるのか聴いた人は大体好きになってしまう魅力あふれるバンドである。
自由で軽快。骨折した人も松葉杖を投げ出して踊りだしそうなリズム。
ふんだんな暗喩とエッジのきいた言語センスの歌詞。
見たことがあるような、ないような、そんなアニメーションPV。
その音楽バンドの特徴をあげるとこんな感じで、夏弥をはじめ、最近のオーディオ・ビジュアルにうるさい高校生や二、三十代辺りには広くウケているバンドだった。
夏弥が今聴いてる新曲「抹茶ラテを噛む」は、投稿してまだ数日の、出来たてほやほやの一曲だ。
曲名のセンスについては、古今東西どこを探しても見つからないほどの個性がほとばしっている。
(……やっぱりずとまよは良い。良いんだけど、歌詞のせいか聴いてるだけでやたらと抹茶ラテが飲みたくなってくる。洗面台で手を洗ってると無性にトイレに行きたくなってくる的な、アレかな……?)
登校中、そんな謎の副作用に襲われていたせいかもしれない。
夏弥は結局その日の授業中、ずっと抹茶ラテが飲みたくて仕方がなかった。
しかし残念なことに、通学路にも学校内にも、抹茶ラテを扱っている自販機は見つけられなかった。
コンビニやスーパーでなら売ってなくもないけれど、通学路の途中にコンビニはないし、スーパーはそもそも登校時点でまだ開店していなかった。
「――え? 抹茶ラテ? 急にどうした夏弥?」
「いや、だからさ。ちょっと好きなバンドのせいで飲みたくなってきて……」
その日の昼休み、夏弥はこの話がくだらないとわかっていながら洋平にボヤいていた。
言葉にして吐き出せば、少しくらい欲求不満が消えると思ったのかもしれない。
「ふっ、どういうことだよそれ? その二つの単語が結びつく式がわからないんだけど?」
「それは、うーん……まぁそのとおりですね」
「そのとおりだろ? まぁでも、飲めないこともないんじゃね?」
「え?」
「ほら、最近出来ただろ、スタバ。というか、帰りにコンビニ寄ればいいじゃん? 抹茶ラテ飲むだけならサクッと買えるっしょ?」
「コンビニのやつなぁ~……飲むならちゃんとスタバのがいいんだけど。ただ、スタバはあのアパートの逆方向なんだよなぁ。帰りが遠回りになるし、その上一人で行くには敷居高いし」
「はぁ~。残念だな、夏弥」
「え? その口ぶりはお前……」
「ああ。もうとっくに行ってる。ていうか、今時スタバ行ったとか行かないとか、敷居が高いとか低いとか。そんな価値観もう無いだろ? 好きに行けばいいと思うんだけど」
「いや、価値観がどうのこうのじゃないんだよ。俺個人の性格的なアレでさ……」
「性格。……あ~、ちょっとオシャレなお店には一人でいけない病か」
洋平はニヤニヤと悪い笑みを浮かべている。
「はぁ。そうそれ。病気じゃないけど。まぁ、帰りにコンビニで買うよ」
「ふふっ。残念だなぁ~、夏弥君っ。スタバなら、ミルクもシロップもホイップも、色々幅広くカスタマイズできんのになぁ! 彼女でもいたらまた違うんだろうけど」
「言ってくれるわ……。ていうか待って? そういえば、朝のあの子さ」
夏弥は「彼女」という単語から、今朝、洋平に話しかけてきたサイドテールの女の子のことを思い出したのだった。
「ああ。あの一年生なー」
夏弥の言葉でテンションが少し落ちたのか、洋平は声のトーンを微妙に下げた。
「そっか。確か先輩って呼んでたし、一年生か」
「そうそう。ラインの交換してくださいって言われて」
と、そんな会話の途中で、午後の始業ベルが教室に鳴り響いたのだった。
「あ。昼休み終わりか。まぁ、またそのうち話すわ」
「ああ。またな」
そう言って別れたものの、その日、夏弥が洋平とその子について話すことはなかった。
放課後になっても、洋平は誰か他の女の子と一緒に帰るということで、結局夏弥が話の続きを聞くことはなかったのだった。
◇ ◇ ◇
日も暮れだした午後五時過ぎ。
学校を終えた夏弥は、昨日と同じ201号室に帰ってきていた。
玄関のドアを開ける。
薄暗い部屋の中、冷蔵庫の稼働する音だけが小さくうなり続けていた。
それは去年、夏弥が自分の住んでいたアパートでもよく見た光景だった。
まだここに美咲は帰ってきていない。
昨日と違う点は、しっかりと玄関のドアが閉まったことだ。
後ろから突然、ドアを抑える手なんて現れない。
「人の家に一人で入るって、ちょっと不思議な感じするな……」
中に入り、部屋の電気をつけてから、誰に言うわけでもなく改めてそんな事を口にした。
制服を脱いでいる最中、そういえば今日洋平に衣類を渡していない事に夏弥は気が付いた。
頼まれたわけじゃない。
けれど、衣類の替えがなければ、当然洋平だって制服のYシャツやその下に着るTシャツは限られてくる。
夏弥のものを借りていたのか、もしくは洗濯のあとで乾燥機にかけたことになる。
洗わずにそのまま同じシャツを……という憶測は、おそらく身なりへの気配りを忘れないあのイケメン君に限っていえばないはずだ。
(あれ? そういえば、俺は俺で昨日わざわざ乾燥機なんて使わなくてもよかったんじゃ……? いや、でもこの部屋で干してる所を美咲に見られるのもなぁ……特にパンツは。それに、初日ということもあって結構あたふたしてたし)
それから夏弥は念のため、衣類について洋平に確認のラインを送った。
『そういえば洋平の服、どうする? もしなら明日持っていくぞ?』
それだけ送ると、夏弥は美咲が帰ってこないうちに部屋着に着替えたのだった。
今日は昨日と違い、夕飯まで時間がある。冷蔵庫に食材もある。
昨日すでにキッチン周りを触っている分、勝手もある程度わかる。
夏弥が料理をする上で障壁になりそうなものは、一日過ごしただけでかなり無くなったように感じられる。
シャツの袖をまくり、夏弥は今晩の夕飯の支度に取りかかった。
「それなり」なんて言われて夏弥はほっこりしていたが、「おいしいね」と言われた方が十倍も百倍も良いことは自明の理だ。
美咲と正しい距離感を保つことは確かに大切だけれど、胃袋をつかんでじわじわと心と胃袋を引き寄せるのも、悪くないかもしれない。
だから夏弥は、自然とやる気になっていた。
ただそれはほとんど、彼自身気付けていない自分の心の動きだった。
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