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◇ ◇ ◇

 帰り道、来る時に一度は通り過ぎたスーパーへと立ち寄った。

 ごく一般的なそのスーパーで、まとめて数日分の食材を色々と買い込む。
 明日以降食べる物も考えれば、結構な量になると思われた。

(そういえば美咲に何かアレルギーがあるとか、先に聞いておけばよかったな)と、その場になって夏弥はようやく気がついた。

 だが美咲の連絡先を知らないため、夏弥は洋平にラインを送ってみる事にした。

『美咲ちゃん、食べ物のアレルギーって何かあるっけ?』

『いや特にない。強いていえば男アレルギーww』と返ってきたので、『アレルゲンて洋平じゃね?』と夏弥はさらに返しておく事にした。

 適当な食材と、歯ブラシや箸などの細かい日用品を買い、鈴川家のアパートへ戻る。

 玄関を開けて中に入ると、そこで夏弥は言い表しにくい気持ちになったのだった。

 帰宅したのだから「ただいま」という言葉が正しいのかもしれないけれど、胸のもやもやがそれを上手く発音させてくれないみたいだった。

 ここは夏弥の帰るべき場所。
 表札は鈴川になっていても、今に限っていえばその通りのはずなのに。

「おかえり」

「!」

 だから、例え美咲のその帰宅を出迎える時のセリフが氷のように冷たくても、夏弥の背中をそっと押してくれたのは事実だった。

「た、だいま」

 美咲は、玄関までやってくると、食材の入っているビニール袋を夏弥から受け取った。

 近くで見てしまうと、顔はもちろんその指先ひとつすら可愛らしい。しかし、

「大荷物だね。両手いっぱいだし」

 そう口にする美咲は、素っ気なくて可愛らしくない。

「飲み物も少し買って来たわ」

「うん。後でお金渡すね」

「いや、それはいいって。迷惑料」

「迷惑で言うなら、夏弥さんは洋平よりもずっと迷惑掛けなさそうだけど」

 褒めているのだとしても、彼女は口角を一ミリもあげない。
 それと美咲の発言は、女子を連れ込まないという意味でいえば当たっている。
 けれど、夏弥が一人の男子としてそれを認めるのは、ほんの少しだけもどかしいような気持ちもあって。

「じゃあ宿泊料という名目。いや、もういいか」
「うん。それに、料理は作ってくれるんでしょ?」
「そうだね。作るつもり。先にお風呂だけ入りたいけど」
「どうぞ。シャンプーとか色々置いてあるけど、好きなの使っていいから」
「わかった」

 カッコン、カッコン、と卓球の球を打ち返しあうような会話だった。

 相手の投げてきた言葉を返すだけ。
 頭のなかでじっくりかみ砕いて考えたりはせず、来たままに、思うままに、ただ返事をするだけだ。

 夏弥も、美咲も、無意識にそんな口ぶりだった。

 着替えを入れた紙袋を手に、夏弥は脱衣室へと向かった。

 そこで、入浴のために服を脱いでいく。

 脱衣室の中はやっぱり美咲のまとっていた甘い香りがまだ漂い続けている。
 そんな中で服を脱ぐ自分の姿が、夏弥にとっては恥ずかしかったり、気がもやついたりするのだった。

(変な意識は捨てとけ。入浴だけに気持ちを向けるべきだ。今日あった学校の授業とか、取るに足らないことでもいいから、思い出して思考を埋めてしまおう)

 浴室に入ると、シャンプーボトルなどのアメニティ類が整然と置いてあった。
 単純に多い。藤堂家のアパートではお目にかかれないにぎやかな量だ。

 秋乃には悪いが、同じ女子高生として影の努力量が違うな。と失礼にも夏弥は思ってしまう。

 シャンプーだけで三本も置いてある。
 そんな中、一際目立つピンクや黒で装飾されたボトルがあった。

 そのボトルを手に取ってみる。ぬちゃっとしたので元の位置に戻す。
 手の匂いを嗅いでみると、くどいくらい甘い桃の香りがした。

「貴様か」

 この香りの犯人がようやく判明した。
 夏弥はぽつりとつぶやいた後、せめて美咲と違うシャンプーを使おうと思った。

 いくら同居しているからといって、友達の妹と同じ香りを頭から放つのは、いささかマズいように感じられたからだった。ところが、

「あれ?」

 残りの二本のシャンプーは、首を押せども押せども中身が出てこなかった。

 かっしゅ、かっしゅ、というポンプの空回りする音だけがつまらなさそうに浴室に響く。

(三本。そのうち二本は詰め替え用待ちって事? え。もう強制的にこの桃のやつしかないじゃん)

 やむを得ず、夏弥は観念した。
 友達の妹と同じ香りを頭から放つ覚悟。
 そんな覚悟を持つ機会は、人生でそうあるものじゃない。が、仕方がない。

 それから温かいシャワーを出し、小悪魔を想起させるようなボトルデザインのそれに手を伸ばす。
 覚悟していた通り、胸焼けしそうなくらい甘ったるい香りのシャンプーだった。

 髪の毛に絡め、もこもこと泡立てる。
 いざその泡をシャワーで洗い流してみると、頭から全身が桃の香りに支配されていくようだった。

 悪魔ならぬ、小悪魔に魂を売ってしまったような気分になる。
 夏弥は、ヤケクソにならないだけ自分は偉いと思った。

◇ ◇ ◇


 入浴を終えると、夏弥は寝巻き用に持ってきていたスウェットに着替えた。
 洋平の服を借りることもできたけれど、紙袋に入りそうだったので詰めて持ってきたのである。

 その後、さすがに美咲の意見を確認しておきたい事柄があったので、夏弥は脱衣室からひょっこりと顔を出した。

「あのさ」

 間仕切りの開けられたキッチンスペースを貫いて、リビングのソファに寝転んでいる美咲に声をかける。

 美咲は、寝転がったままスマホを宙に持ち上げていじっていた。
 脱衣室から顔を出していた夏弥からも、そのリラックスした姿勢は見えていて。

「洗濯、どうする?」

「先に回してもらえる? あたしは明日の朝、洗濯するから」

「わかった」

(同じ浴室を使うことに不満は見せなかったわけだし、さすがに洗濯機使わないでとは言わないか)

 一緒に洗濯することは無理だろうけど、洗濯機をシェアすることは許されているらしかった。

 夏弥には、その微妙な乙女心がわからなかった。

 ほとんどの女子高生が、男子の服とと思っているのは確かだ。

 洋平にも聞いた事があるし、妹の秋乃でさえ「本当はね」と言って教えてくれた。

 けれど、どれくらいの割合の女子が、男子と使とまで思うのだろう。

 それが過半数を超えるのかどうかも、夏弥には想像できない。

 また、そう感じていても主張するほどではないとする乙女心の線引きが、夏弥にはよくわからなかった。

「洗濯洗剤、使わせてもらうよ?」

「うん」

 外のコインランドリーで洗ってきて、と一言言われれば、夏弥は文句なく従うつもりだった。

 でも言われなかった。
 美咲の性格からして言わないのか、自分がほとんど幼馴染のようなものだから言わないのか。
 それも夏弥にはまだ不明のままだ。

 美咲のなかで、何が距離感に影響を与えているのか。
 そのデータのソースを知りたいと、そう夏弥は思っていた。
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