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第三章 ブランジェさん家

007 爽やかな香り

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「ミールさん!」

 ショックで動けなくなったルーシャの代わりに、ヒスイは倒れたミールを抱き上げた。
 割れた陶器で切ったのか、腕から血が流れているので、ヒスイはミールの腕をハンカチで包み止血する。幸い傷は深くなさそうだが、意識がないことが心配だった。

「ロイさん。この近くに怪我を診てくれる所はありますか?」
「そ、それは……」

 ロイが青い顔でしどろもどろしていると、アリスが戻ってきた。

「教会に行きましょう。診療所があるわ。頭を打っているかもしれないし、そのままゆっくりミールさんを運ぶことは出きる?」
「はい」
「私に付いてきて。えっと……」
「ヒスイと申します」
「ヒスイ君ね。貴女はロイさんについていてあげて。大丈夫、すぐ戻ってこれるわ。教会には優秀な教官が沢山いらっしゃるから」
「は、はい。よろしくお願いいたします」

 ルーシャは震える声を絞り出し、アリスへ深々とお辞儀した。ミールが外へと運ばれていく。
 恐くて顔を上げることが出来ずにいると、床にこぼれた茶色い液体が見えた。ポットの破片に付いたミールの血がそれに溶け、赤黒く濁っていく。

 どうしてだろう。土砂降りの雨音が耳に響く。

 壊れた馬車。泥の混じった水溜まり。
 雨に流される赤い──。

「ルーシャさん!?」

 遠くの方でロイさんの声がした。
 そう思った瞬間、あの滝壺に落とされた時のように、意識が遠退いていった。

 ◇◇◇◇

 爽やかなミントの香りが鼻を掠め、目覚めを誘う。重い目蓋を開こうとしたら、爽快な香りとは相反するほど騒々しい声が聞こえた。

「ルーシャさん! 良かった目が覚めて~」
「ろ、ロイさんっ」

 号泣するロイの後ろには、アリスとヒスイ、それからミールも見えた。

「ミールさん。怪我は!?」

 身体を起こそうとしたルーシャの肩に、アリアはそっと手を添えソファーへ押し戻した。

「それより自分の心配をしたら?」
「そうですよ。店に戻ったら、ロイさんがずっとルーシャの回りをグルグル歩き回りながら泣いてたんですからね!」

 ルーシャは喫茶スペースのソファーに寝かされていた。床もきれいに掃除され、窓の外には夕焼け空が見える。

「ごめんなさい。あの、ミールさんの怪我は……」
「私は大丈夫。教会で治療していただいて。今朝よりも元気になってしまったわ!」

 ミールの腕の怪我は綺麗に無くなっていた。
 顔色もいいし、いつものミールだ。

「良かった……」
「私は失礼するわ。陽が落ちる前に王都へ戻りたいから。お大事にね」

 アリスはテーブルに置かれたロウソクを吹き消し、店を出ていった。火が消される瞬間、ミントの香りが広がった。どうやらこのロウソクから香りがしていたようだ。

「これは?」
「アリスさんがくれたんだ。アロマなんとかと言ってな。ルーシャさん。夕食は部屋に運ぶから、ベッドで横になりなさい。歩けるかい?」
「そうよ。私はピンピンしてるから、安心して」
「ありがとうございます」

 ロイにもミールにも心配をかけてしまった。
 それに、アリスにも二重に迷惑をかけてさしまった。
 ルーシャは元気な姿を見せようとソファーから立ち上がろうとしたが、急な目眩に襲われソファーへ倒れかけた。

「ルーシャ。無理しないでください」

 ヒスイが肩を支えてくれたかと思うと、ルーシャの身体が軽々と持ち上げられる。

「あら。お姫様抱っこ。いいわね~」
「ミールもさっきヒスイ君にやってもらってたんだぞ」
「あら、そうなの。恥ずかしいわ」
「ヒスイ。下ろして。私も恥ずかしい!」
「はいはい。このまま部屋まで行きますからね」
「そうしてくれ。その方が安心だ。今日の仕込みはワシ一人で出きるから、ヒスイ君はルーシャさんを頼むよ」
「はい」
「でも──」

 反論しようとしたら、これ以上喋るなとヒスイに睨まれ、ルーシャはヒスイの胸に顔を埋め身を任すことを選んだ。


 ロイとミールは二人の後ろ姿を見てほっこりしていた。

「あの二人、お似合いよね」
「ワシもそう思う。……がしかし、ルーシャさんにはカルロの嫁に来てもらうのだ」
「そうね。そんな話だったわね。──あ。アリスさんから聞いたのだけれど、王都の常連さんが待ってるみたいよ」
「そうか。ヒスイ君もよく働いてくれるし、そろそろ王都へも売りに出すか」
「ええ。そうしましょう」

 二人は微笑み合うと、それぞれの仕事に戻っていった。


 
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