上 下
30 / 65
第三章 ブランジェさん家

007 爽やかな香り

しおりを挟む
「ミールさん!」

 ショックで動けなくなったルーシャの代わりに、ヒスイは倒れたミールを抱き上げた。
 割れた陶器で切ったのか、腕から血が流れているので、ヒスイはミールの腕をハンカチで包み止血する。幸い傷は深くなさそうだが、意識がないことが心配だった。

「ロイさん。この近くに怪我を診てくれる所はありますか?」
「そ、それは……」

 ロイが青い顔でしどろもどろしていると、アリスが戻ってきた。

「教会に行きましょう。診療所があるわ。頭を打っているかもしれないし、そのままゆっくりミールさんを運ぶことは出きる?」
「はい」
「私に付いてきて。えっと……」
「ヒスイと申します」
「ヒスイ君ね。貴女はロイさんについていてあげて。大丈夫、すぐ戻ってこれるわ。教会には優秀な教官が沢山いらっしゃるから」
「は、はい。よろしくお願いいたします」

 ルーシャは震える声を絞り出し、アリスへ深々とお辞儀した。ミールが外へと運ばれていく。
 恐くて顔を上げることが出来ずにいると、床にこぼれた茶色い液体が見えた。ポットの破片に付いたミールの血がそれに溶け、赤黒く濁っていく。

 どうしてだろう。土砂降りの雨音が耳に響く。

 壊れた馬車。泥の混じった水溜まり。
 雨に流される赤い──。

「ルーシャさん!?」

 遠くの方でロイさんの声がした。
 そう思った瞬間、あの滝壺に落とされた時のように、意識が遠退いていった。

 ◇◇◇◇

 爽やかなミントの香りが鼻を掠め、目覚めを誘う。重い目蓋を開こうとしたら、爽快な香りとは相反するほど騒々しい声が聞こえた。

「ルーシャさん! 良かった目が覚めて~」
「ろ、ロイさんっ」

 号泣するロイの後ろには、アリスとヒスイ、それからミールも見えた。

「ミールさん。怪我は!?」

 身体を起こそうとしたルーシャの肩に、アリアはそっと手を添えソファーへ押し戻した。

「それより自分の心配をしたら?」
「そうですよ。店に戻ったら、ロイさんがずっとルーシャの回りをグルグル歩き回りながら泣いてたんですからね!」

 ルーシャは喫茶スペースのソファーに寝かされていた。床もきれいに掃除され、窓の外には夕焼け空が見える。

「ごめんなさい。あの、ミールさんの怪我は……」
「私は大丈夫。教会で治療していただいて。今朝よりも元気になってしまったわ!」

 ミールの腕の怪我は綺麗に無くなっていた。
 顔色もいいし、いつものミールだ。

「良かった……」
「私は失礼するわ。陽が落ちる前に王都へ戻りたいから。お大事にね」

 アリスはテーブルに置かれたロウソクを吹き消し、店を出ていった。火が消される瞬間、ミントの香りが広がった。どうやらこのロウソクから香りがしていたようだ。

「これは?」
「アリスさんがくれたんだ。アロマなんとかと言ってな。ルーシャさん。夕食は部屋に運ぶから、ベッドで横になりなさい。歩けるかい?」
「そうよ。私はピンピンしてるから、安心して」
「ありがとうございます」

 ロイにもミールにも心配をかけてしまった。
 それに、アリスにも二重に迷惑をかけてさしまった。
 ルーシャは元気な姿を見せようとソファーから立ち上がろうとしたが、急な目眩に襲われソファーへ倒れかけた。

「ルーシャ。無理しないでください」

 ヒスイが肩を支えてくれたかと思うと、ルーシャの身体が軽々と持ち上げられる。

「あら。お姫様抱っこ。いいわね~」
「ミールもさっきヒスイ君にやってもらってたんだぞ」
「あら、そうなの。恥ずかしいわ」
「ヒスイ。下ろして。私も恥ずかしい!」
「はいはい。このまま部屋まで行きますからね」
「そうしてくれ。その方が安心だ。今日の仕込みはワシ一人で出きるから、ヒスイ君はルーシャさんを頼むよ」
「はい」
「でも──」

 反論しようとしたら、これ以上喋るなとヒスイに睨まれ、ルーシャはヒスイの胸に顔を埋め身を任すことを選んだ。


 ロイとミールは二人の後ろ姿を見てほっこりしていた。

「あの二人、お似合いよね」
「ワシもそう思う。……がしかし、ルーシャさんにはカルロの嫁に来てもらうのだ」
「そうね。そんな話だったわね。──あ。アリスさんから聞いたのだけれど、王都の常連さんが待ってるみたいよ」
「そうか。ヒスイ君もよく働いてくれるし、そろそろ王都へも売りに出すか」
「ええ。そうしましょう」

 二人は微笑み合うと、それぞれの仕事に戻っていった。


 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結済】 転生したのは悪役令嬢だけではないようです

せんぽー
恋愛
公爵令嬢ルーシー・ラザフォード。 彼女は8歳の頃、自分が転生者であることに気づいた。 自身がプレイしていた乙女ゲームの悪役令嬢に転生したルーシーはゲームのシナリオを崩すため、動き始める。 しかし、何も変わらなかった。 学園入学する前に王子との婚約を破棄しようと嫌われようとする計画もダメ。 逆に王子に好きになってもらおうとする計画もダメ。 何しても、王子の気持ちも世界も変わらなかった。 そして、遂にルーシーは何もやる気がなくなり、婚約破棄の運命の日まで流れるままに生きていくことにした。 ――――――――――――しかし、転生したのは悪役令嬢だけではない。 公爵家の子息、悪役令嬢の弟、ヒロインの友人、第3王子。 彼らもまた転生者であり、前世では悪役令嬢ルーシーを推しとしていた特殊な人たちであった。 そんなルーシーを愛してやまない人たちはこう決意する。 ――――――――――――自分がルーシーを幸せにすると。 転生した乙ゲーのキャラたちが、悪役令嬢を幸せルートに持って行くために試行錯誤する物語。

ヤンデレ系暗黒乙女ゲームのヒロインは今日も攻略なんかしない!

As-me.com
恋愛
孤児だった私が、ある日突然侯爵令嬢に?!これはまさかの逆転シンデレラストーリーかと思いきや……。 冷酷暗黒長男に、ドSな変態次男。さらには危ないヤンデレ三男の血の繋がらないイケメン3人と一緒に暮らすことに!そして、優しい執事にも秘密があって……。 えーっ?!しかもここって、乙女ゲームの世界じゃないか! 私は誰を攻略しても不幸になる暗黒ゲームのヒロインに転生してしまったのだ……! だから、この世界で生き延びる為にも絶対に誰も攻略しません! ※過激な表現がある時がありますので、苦手な方は御注意してください。

勘違いストーカー野郎のせいで人生めちゃくちゃにされたけれど、おかげで玉の輿にのれました!

麻宮デコ@ざまぁSS短編
恋愛
子爵令嬢のタニアには仲のいい幼馴染のルーシュがいた。 このままなら二人は婚約でもするだろうと思われた矢先、ルーシュは何も言わずに姿を消した。 その後、タニアは他の男性と婚約して幸せに暮らしていたが、戻ってきたルーシュはタニアの婚約を知り怒り狂った。 「なぜ俺以外の男と婚約しているんだ!」 え、元々、貴方と私は恋人ではなかったですよね? 困惑するタニアにルーシュは彼女を取り返そうとストーカーのように執着していく。

だから公爵令嬢はニセ婚することにした

kkkkk
恋愛
私はイザベル王国のマルカン公爵家の令嬢アンナ・ド・マルカン。 あれは5歳のとき。私が両親と一緒にクラーク王国の感謝祭に行ったら迷子になった。両親とはぐれて広場で泣いていた私を男の子が助けてくれた。 結婚適齢期になった私には、毎日のように縁談がくる。お見合いは10回しているけど、結婚する気はない。だって、あの男の子は私の運命の人だから…… この物語は、運命の人を探すために偽装婚約(ニセ婚)した私の話。 ※この物語は『恋をした公爵令嬢は貧乏男爵を出世させることにした』『恋をした公爵令嬢は貧乏男爵を子爵に出世させることにした』とは全く別物です。タイトルが紛らわしくてすいません。 約15話で完結する予定です。

転生したら避けてきた攻略対象にすでにロックオンされていました

みなみ抄花
恋愛
睦見 香桜(むつみ かお)は今年で19歳。 日本で普通に生まれ日本で育った少し田舎の町の娘であったが、都内の大学に無事合格し春からは学生寮で新生活がスタートするはず、だった。 引越しの前日、生まれ育った町を離れることに、少し名残惜しさを感じた香桜は、子どもの頃によく遊んだ川まで一人で歩いていた。 そこで子犬が溺れているのが目に入り、助けるためいきなり川に飛び込んでしまう。 香桜は必死の力で子犬を岸にあげるも、そこで力尽きてしまい……

婚約者に冤罪をかけられ島流しされたのでスローライフを楽しみます!

ユウ
恋愛
侯爵令嬢であるアーデルハイドは妹を苛めた罪により婚約者に捨てられ流罪にされた。 全ては仕組まれたことだったが、幼少期からお姫様のように愛された妹のことしか耳を貸さない母に、母に言いなりだった父に弁解することもなかった。 言われるがまま島流しの刑を受けるも、その先は隣国の南の島だった。 食料が豊作で誰の目を気にすることなく自由に過ごせる島はまさにパラダイス。 アーデルハイドは家族の事も国も忘れて悠々自適な生活を送る中、一人の少年に出会う。 その一方でアーデルハイドを追い出し本当のお姫様になったつもりでいたアイシャは、真面な淑女教育を受けてこなかったので、社交界で四面楚歌になってしまう。 幸せのはずが不幸のドン底に落ちたアイシャは姉の不幸を願いながら南国に向かうが…

派手好きで高慢な悪役令嬢に転生しましたが、バッドエンドは嫌なので地味に謙虚に生きていきたい。

木山楽斗
恋愛
私は、恋愛シミュレーションゲーム『Magical stories』の悪役令嬢アルフィアに生まれ変わった。 彼女は、派手好きで高慢な公爵令嬢である。その性格故に、ゲームの主人公を虐めて、最終的には罪を暴かれ罰を受けるのが、彼女という人間だ。 当然のことながら、私はそんな悲惨な末路を迎えたくはない。 私は、ゲームの中でアルフィアが取った行動を取らなければ、そういう末路を迎えないのではないかと考えた。 だが、それを実行するには一つ問題がある。それは、私が『Magical stories』の一つのルートしかプレイしていないということだ。 そのため、アルフィアがどういう行動を取って、罰を受けることになるのか、完全に理解している訳ではなかった。プレイしていたルートはわかるが、それ以外はよくわからない。それが、私の今の状態だったのだ。 だが、ただ一つわかっていることはあった。それは、アルフィアの性格だ。 彼女は、派手好きで高慢な公爵令嬢である。それならば、彼女のような性格にならなければいいのではないだろうか。 そう考えた私は、地味に謙虚に生きていくことにした。そうすることで、悲惨な末路が避けられると思ったからだ。

前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!

ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。 前世では犬の獣人だった私。 私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。 そんな時、とある出来事で命を落とした私。 彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。

処理中です...