上 下
61 / 102
第六章 王子と指輪と誕生日

005 再会

しおりを挟む
 アルベリクとレクトがシュナイト領へ出て二日が過ぎた。メアリと二人の生活は、とてもゆったりとした幸せ全開の日々だった。

 ここに来てもう十ヶ月。
 セシルはパンケーキを焼くことだって出きるようになっていた。でも味付けはやっぱりメアリ頼みである。

 昼食の準備を一緒にしていると、メアリが調味料の入れ物を見て困っていた。

「あらあら。ローズマリーが無いわ」
「私、庭から採ってきます。他にも必要なものはありますか?」
「そうね。それは昼食の後に一緒にやりましょう」
「じゃあ、ローズマリーだけ採ってきますね」
「お願いね」

 セシルとメアリは、アルベリクの言いつけ通り、いつも一緒に過ごしていた。この時までは。

 ◇◇

 セシルは籠を手にスキップしながら庭へ急いだ。

 天気も良いし、お昼のジャーマンポテトの香りが庭にも漂っていた。目的のローズマリーは虫除けにもなるので、色々なところに植えてある。

 最近、手入れをサボっていた西門の近くのローズマリーを採取しようと足を向けると、見覚えのある青年の後ろ姿が見え、セシルは足を止めた。

 セシルはその後ろ姿を見て、持っていた籠を地面に落とした。
 心臓がキリキリ締め付けられるのを感じた。

 ああ。逃げなきゃって思ったのに、身体が言うことを聞かなかった。

 籠が落ちる音で、その青年はセシルの方へと優雅に振り向いた。緩くウェーブした上品な短い金髪はフワリと舞い、その大きな青い瞳と目が合った。

「あ。良かったぁ。この屋敷のメイドさん?」
「あ……」

 声がでなかった。あんなに愛おしかった彼を前に、今のセシルには恐怖しかなかった。

「ごめんね。びっくりさせちゃったね。これ、君の籠?」
「は、はい」

 セシルの目の前に落ちた籠を拾い、土を払ってくれた。

「あれ? 君、僕とどこかで会ったことない?」

 セシルの顔をじーっと覗き込むクリスの瞳は、初めて会った時と同じ、無邪気で澄んだ色をしていた。

 この瞳だ。これにセシルは弱いのだ。
 ずっと見ていたくなる、優しくて全てを受け入れてくれる瞳。

 でも、もうセシルには必要ない。
 この瞳を求めたりなんかしない。
 大丈夫。セシルはあの時のように一人ではないのだから。

「どうかした? 君、名前は?」
「え、えっと……」
「僕はクリス。クリスって呼んでね。籠を持っているってことは……何か採りに来たんでしょ? あっ。このジャーマンポテトの香り……何かが足りない。──そうか。分かった。君は、庭のローズマリーを採りに来たんだね!」

 ビシッと人差し指をセシルに向けるクリスは、自信たっぷりの顔でこちらをじっと見ている。

 クリスはクリスのままだ。
 観察力があって、ちょっとした変化にもすぐに気づく。

「ね。正解でしょ? 君の名前教えてよ。僕の名推理のご褒美にさ?」
「……私はファビウス家次男アルベリク=ファビウス様の使用人です。クリス様がおっしゃる通り、ローズマリーを採りに参りました。クリス様はどうされたのですか?」
「僕? 僕は迷子だよ。ファビウス邸に遊びに行く予定だったんだけど、素敵な教会が見えたから寄り道しちゃって、一緒に来た人ともはぐれちゃってさ」

 クリスはテヘッと舌を出して苦笑いをした。
 可愛い。いや、騙されてはいけない。
 セシルはなるべくクリスを直視しないように心がけた。

「でも、ここがファビウス邸みたいで良かったよ。それから――君に会えて良かったよ」

 クリスはセシルの頬に軽くキスをした。
 油断も隙もあったものではない。
 セシルは一歩後退して頬を抑えた。

「ああ。ごめんね。君が凄く可愛くて……」

 そう言ってはにかんだ笑顔を向けるクリスは可愛い。
 って駄目だセシル。
 クリスに洗脳されちゃ駄目だ。

 昔、クリスと話したことがある。
 私達はお互い一目惚れだったって。

 だから今、セシルという人間をクリスに認識させてはいけない。

 絶対に名前は教えない。そう心に決めた時――。

「セシル! こんなところにいたのね!?」

 後ろからメアリに呼びかけられた。
 戻らないセシルを心配して探しに来てくれたのだ。

「あらあら? お客様の前で失礼いたしました」
「いいんですよ。僕が迷子になってしまっただけですから。ね、セシル?」
「……はい」

 名前は覚えられてしまった。
 もう、後戻りできない。そんな気がした。

「ね。セシル。本館まで案内してくれないかな?」
「わ、私は――」
「本館でしたら私がご案内いたします」
「僕はセシルと行きたいんだけどな……」
「申し訳ございません。この者はまだ見習いですので」
「そっか……また会いに来るからね。セシル」

 クリスは何度も名残惜しそうにセシルに振り返りながら、メアリに本館へと案内されていった。

 セシルは二人が見えなくなるとその場にへたり込んだ。

 ああ。ついにクリスと出会ってしまった。
 アルベリクに何て言おう。
 
 フラフラするな、問題を起こすな、メアリと一緒にいろ。
 一度に全部破ってしまった気がする。
 アルベリクに早く帰ってきて欲しい。
 待っているのが怖い。

 クリスとの出会いの先には、死、しか見えないのだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】どうやら転生先は、いずれ離縁される“予定”のお飾り妻のようです

Rohdea
恋愛
伯爵夫人になったばかりのコレットは、結婚式の夜に頭を打って倒れてしまう。 目が覚めた後に思い出したのは、この世界が前世で少しだけ読んだことのある小説の世界で、 今の自分、コレットはいずれ夫に離縁される予定の伯爵夫人という事実だった。 (詰んだ!) そう。この小説は、 若き伯爵、カイザルにはずっと妻にしたいと願うほどの好きな女性がいて、 伯爵夫人となったコレットはその事実を初夜になって初めて聞かされ、 自分が爵位継承の為だけのお飾り妻として娶られたこと、カイザルがいずれ離縁するつもりでいることを知る───…… というストーリー…… ───だったはず、よね? (どうしよう……私、この話の結末を知らないわ!) 離縁っていつなの? その後の自分はどうなるの!? ……もう、結婚しちゃったじゃないの! (どうせ、捨てられるなら好きに生きてもいい?) そうして始まった転生者のはずなのに全く未来が分からない、 離縁される予定のコレットの伯爵夫人生活は───……

死を願われた薄幸ハリボテ令嬢は逆行して溺愛される

葵 遥菜
恋愛
「死んでくれればいいのに」  十七歳になる年。リリアーヌ・ジェセニアは大好きだった婚約者クラウス・ベリサリオ公爵令息にそう言われて見捨てられた。そうしてたぶん一度目の人生を終えた。  だから、二度目のチャンスを与えられたと気づいた時、リリアーヌが真っ先に考えたのはクラウスのことだった。  今度こそ必ず、彼のことは好きにならない。  そして必ず病気に打ち勝つ方法を見つけ、愛し愛される存在を見つけて幸せに寿命をまっとうするのだ。二度と『死んでくれればいいのに』なんて言われない人生を歩むために。  突如として始まったやり直しの人生は、何もかもが順調だった。しかし、予定よりも早く死に向かう兆候が現れ始めてーー。  リリアーヌは死の運命から逃れることができるのか? そして愛し愛される人と結ばれることはできるのか?  そもそも、一体なぜ彼女は時を遡り、人生をやり直すことができたのだろうかーー?  わけあって薄幸のハリボテ令嬢となったリリアーヌが、逆行して幸せになるまでの物語です。

貴方を愛した私は死にました。貴方が殺したのですから ~毒花令嬢は闇に嫁ぐ~

胡蝶乃夢
恋愛
周囲から平民の捨て子と虐げられる聖女は、愛する婚約者からも酷使され、奴隷のように扱われていた。 まともに食事も与えられず、死を待つばかりだった聖女を救ったのは、過去に命を助けた魔物だった――。 これは、健気で可哀想な聖女が心優しい魔物に愛され癒されて、幸せな花嫁になる物語です。 ※ダークメルヘン。残酷な描写があるので苦手な方はご注意ください。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

【完結】愛されなかった妻の逆行復讐物語

仲村 嘉高
恋愛
なぜ、白い結婚にする優しさが無かったのでしょう なぜ、私があなた達の子供を産まなければいけなかったのでしょう なぜ、屋敷の薄暗い部屋に、閉じ込められなければいけなかったのでしょう やり直せるなら、やり直したい 愛されていると思い、結婚し、幸せな初夜を過ごしたあの時よりも前に ※タグの確認をお願いします ※30話までが、当初から考えていたお話で、短編部分になります。 その後は蛇足的なお話になります。

【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない

かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、 それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。 しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、 結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。 3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか? 聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか? そもそも、なぜ死に戻ることになったのか? そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか… 色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、 そんなエレナの逆転勝利物語。

縁談を妹に奪われ続けていたら、プチギレした弟が辺境伯令息と何やら画策し始めた模様です

春乃紅葉@コミカライズ2作品配信中
恋愛
幼少期 病弱だった妹は、両親の愛を全て独り占めしています。 学生時代、私に婚約の話が来ても、両親は 「まだ早い」と首を縦に振りませんでした。 しかし、私が学園を卒業すると、両親は 「そろそろ婚約の話を受けようじゃないか」 と急にやる気を見せましたが、それは十六歳を迎えた妹の為でした。 両親は私に来る縁談を全て妹に回し、 婚約を結ぼうとしていたのです。 それが上手くいく筈もなく 縁談はさっぱりまとまらず、 もう二年が過ぎようとしたある日。 弟はその事に気付き、隣の領地の辺境伯令息と何やら画策を始めて――。 ゆるふわっと設定の短編~中編くらいになりそうです。 ご感想*誤字報告*お気に入り登録ありがとうございます。 感想欄はほぼネタバレですのでご注意下さい。 また、R指定に触れそうな過激なご感想は、承認できかねますのでご了承下さい。

ドン引きするくらいエッチなわたしに年下の彼ができました

中七七三
恋愛
わたしっておかしいの? 小さいころからエッチなことが大好きだった。 そして、小学校のときに起こしてしまった事件。 「アナタ! 女の子なのになにしてるの!」 その母親の言葉が大人になっても頭から離れない。 エッチじゃいけないの? でも、エッチは大好きなのに。 それでも…… わたしは、男の人と付き合えない―― だって、男の人がドン引きするぐらい エッチだったから。 嫌われるのが怖いから。

処理中です...