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断章 ファビウス邸の日常
01 アルベリクとレオンと芋虫
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今日は朝食を一人で食べている。
アルベリクが帰ってきてから初めての朝、セシルは寝坊した。メアリに怒られてしまったが、「昨日は大変な日だったし……」と大目に見てくれた。
なので自室でフレンチトーストを食べている。
一緒に寝坊したレクトは朝食抜きで働かされているが、「セシルはゆっくり食べてね」と言いとメアリが朝食を部屋に用意してくれた。
「蜂蜜いっぱいかけちゃおう」
アルベリクもいないし、遠慮無く蜂蜜を注いでいると、ノックもなく扉が開いた。
「なっ……」
絶句するセシルを睨んでいるのはアルベリクだった。
「寝坊とは、いいご身分だな」
「も、ももも申し訳ございません」
アルベリクは蜂蜜を見据え、セシルの部屋へヅカヅカと踏み込んでくる。
「あ、アルベリク様。男の人と密室で二人きりになってはいけないのですよ!」
「……ほぅ。減らず口を叩くのはこの口か?」
セシルの顎をくいっと持ち上げアルベリクは呆れたようにセシルを見下ろす。
「今のお前はどんな姿でどこにいるんだ?」
「え……。メイド服で、自分の部屋にいます」
「そうだ。俺はお前の何だ?」
「ご、ご主人様です」
「そう。俺は男の人ではなくご主人様だ。ちゃんと理解しろと言っただろ?」
確かに、メイドが主人と二人でいても何もおかしくはない。昨日はメイド服じゃなかったから怒られたようだ。言葉とは難しい。
「ぅう。……申し訳ございません」
◇◇
アルベリクはレオンと二人で温室のサナギを観察していた。
あの日からどれくらい経ったのか、レオンがセシルへ投げつけた芋虫は、無事にサナギへと変化していた。
「アルベリク兄様、知っていますか? 芋虫って、サナギになって殻の中でドロドロに溶けてから、蝶になるそうですよ?」
「ほぅ。レオンは賢いな」
「はい。セシルが教えてくれたんです。でも、ドロドロに溶けちゃったら、記憶も全部溶けちゃって、僕のこと忘れちゃうのかなって思って……」
サナギの絵を紙に描きながら、レオンは不思議なことを言う。それほどまでに虫に関心があるレオンを、アルベリクは羨ましく思った。
自分にはそんな発想力も執着心もない。
いや、一つだけ譲りたくないものはあるけれど……。
レオンは絵を描き終えると、サナギを見つめながらクスッと笑みを溢した。
「でもね、セシルが言ってくれたんだよ。──全部覚えてるって!」
レオンはエメラルドの瞳をキラキラと輝かせながらアルベリクに振り向いて言った。嬉しそうなレオンとは対称的に、アルベリクの顔は冴えなかった。
「セシルがそんな事を?」
「うん。セシル大好き! でもさ、ちょっと心配なんだ、芋虫が僕のこと本当に覚えていてくれるのかさ……兄様はどう思う?」
「俺……か?」
アルベリクは考え込んだ。
レオンの目をみたら分かる。
「覚えていてくれる」と言って欲しがっている事を。
しかし自分はそうは思えなかった。
まず、虫ごときに記憶があることすら怪しい。
それに、身体が溶けて再構築されて姿も変わる。
前の自分の事など忘れて、きっと新しい自分を生きていくのだろう。そう、あいつみたいに──。
「覚えているはずないんだ……」
「えっ……。そ、そうだよね~」
レオンはしゃがみこんでサナギを見つめた。背中に漂う哀愁に、アルベリクは自責の念にかれる。
「違うんだ。レオン……今のはその芋虫の事ではなくて……」
「兄様も芋虫飼ったことあるんだ! そうでしょ。そうなんでしょ?」
「そ、そうだな……」
「ねぇ。教えて、兄様の芋虫はどうだった?」
「……」
ただ一言。「覚えていた」と言えばいいのに、嘘はつけない性格だ。
仕方なく、芋虫について話すことにした。
「俺の芋虫はな。……一匹目は、遠くから見ているだけだった。自分からは何もしなかったんだ。そうしているうちに、他に飼い主が現れて……その芋虫は蝶になる前に死んでしまった」
「えっ!? そっか、そういうこともあるよね。他には? 他にも飼ったことあるの!?」
好奇心旺盛なレオンは次の話をアルベリクにせがむ。
「ああ。次の芋虫は、俺が育てた。レオンのように散歩をさせたりせず、箱に入れて鍵をかけて大切に育てた。しかしそれは窮屈だったのかもしれない。他の奴を飼い主に選んで、居なくなってしまった」
「そっか……。やっぱり散歩は大事だったんだ。兄様、それでおしまい?」
「うーん。今、また芋虫を飼っているんだ。今度はもっと大切に自由に……でも、まだ蝶になるには程遠い奴だからな。俺にも芋虫のことは分からないんだ」
「そうなんだ。じゃあ楽しみだね。飼い主の事を覚えていてくれるかさ?──あ~兄様の芋虫、見たいみたいなぁ。兄様、お願い。見せて見せてっ!」
懇願するレオンにアルベリクは困り果てた。
アルベリクのいう芋虫は、本当に芋虫という訳ではないからだ。
しかし、嘘という訳でもない。
例え話の様なものだ。
「……庭にくれば会えると思うぞ。よく花壇にもいるからな」
「えー。見たことないなぁ。何色の芋虫?」
「うーん。水色……だな」
「今度いたら教えてね。──クロエにも教えてあげよーっと!」
「あ、レオンっ」
レオンは観察日誌を抱きしめて元気よく飛び出していった。
温室に一人残されたアルベリクは、レオンのサナギに目を向けた。白い鉢に生えた一本の枯れ草を、芋虫はサナギになる場所に選んでいた。
この白い鉢で母が青い薔薇を育てようとしていた。
そしてそれは父に引き継がれ、父は死の間際にそれを完成させた。
この枯れ草は、父が完成させた青い薔薇が枯れたものなのだ。
「青い薔薇か……」
アルベリクはポツリと言葉を口にすると、水色の芋虫のところへと足を向けるのだった。
アルベリクが帰ってきてから初めての朝、セシルは寝坊した。メアリに怒られてしまったが、「昨日は大変な日だったし……」と大目に見てくれた。
なので自室でフレンチトーストを食べている。
一緒に寝坊したレクトは朝食抜きで働かされているが、「セシルはゆっくり食べてね」と言いとメアリが朝食を部屋に用意してくれた。
「蜂蜜いっぱいかけちゃおう」
アルベリクもいないし、遠慮無く蜂蜜を注いでいると、ノックもなく扉が開いた。
「なっ……」
絶句するセシルを睨んでいるのはアルベリクだった。
「寝坊とは、いいご身分だな」
「も、ももも申し訳ございません」
アルベリクは蜂蜜を見据え、セシルの部屋へヅカヅカと踏み込んでくる。
「あ、アルベリク様。男の人と密室で二人きりになってはいけないのですよ!」
「……ほぅ。減らず口を叩くのはこの口か?」
セシルの顎をくいっと持ち上げアルベリクは呆れたようにセシルを見下ろす。
「今のお前はどんな姿でどこにいるんだ?」
「え……。メイド服で、自分の部屋にいます」
「そうだ。俺はお前の何だ?」
「ご、ご主人様です」
「そう。俺は男の人ではなくご主人様だ。ちゃんと理解しろと言っただろ?」
確かに、メイドが主人と二人でいても何もおかしくはない。昨日はメイド服じゃなかったから怒られたようだ。言葉とは難しい。
「ぅう。……申し訳ございません」
◇◇
アルベリクはレオンと二人で温室のサナギを観察していた。
あの日からどれくらい経ったのか、レオンがセシルへ投げつけた芋虫は、無事にサナギへと変化していた。
「アルベリク兄様、知っていますか? 芋虫って、サナギになって殻の中でドロドロに溶けてから、蝶になるそうですよ?」
「ほぅ。レオンは賢いな」
「はい。セシルが教えてくれたんです。でも、ドロドロに溶けちゃったら、記憶も全部溶けちゃって、僕のこと忘れちゃうのかなって思って……」
サナギの絵を紙に描きながら、レオンは不思議なことを言う。それほどまでに虫に関心があるレオンを、アルベリクは羨ましく思った。
自分にはそんな発想力も執着心もない。
いや、一つだけ譲りたくないものはあるけれど……。
レオンは絵を描き終えると、サナギを見つめながらクスッと笑みを溢した。
「でもね、セシルが言ってくれたんだよ。──全部覚えてるって!」
レオンはエメラルドの瞳をキラキラと輝かせながらアルベリクに振り向いて言った。嬉しそうなレオンとは対称的に、アルベリクの顔は冴えなかった。
「セシルがそんな事を?」
「うん。セシル大好き! でもさ、ちょっと心配なんだ、芋虫が僕のこと本当に覚えていてくれるのかさ……兄様はどう思う?」
「俺……か?」
アルベリクは考え込んだ。
レオンの目をみたら分かる。
「覚えていてくれる」と言って欲しがっている事を。
しかし自分はそうは思えなかった。
まず、虫ごときに記憶があることすら怪しい。
それに、身体が溶けて再構築されて姿も変わる。
前の自分の事など忘れて、きっと新しい自分を生きていくのだろう。そう、あいつみたいに──。
「覚えているはずないんだ……」
「えっ……。そ、そうだよね~」
レオンはしゃがみこんでサナギを見つめた。背中に漂う哀愁に、アルベリクは自責の念にかれる。
「違うんだ。レオン……今のはその芋虫の事ではなくて……」
「兄様も芋虫飼ったことあるんだ! そうでしょ。そうなんでしょ?」
「そ、そうだな……」
「ねぇ。教えて、兄様の芋虫はどうだった?」
「……」
ただ一言。「覚えていた」と言えばいいのに、嘘はつけない性格だ。
仕方なく、芋虫について話すことにした。
「俺の芋虫はな。……一匹目は、遠くから見ているだけだった。自分からは何もしなかったんだ。そうしているうちに、他に飼い主が現れて……その芋虫は蝶になる前に死んでしまった」
「えっ!? そっか、そういうこともあるよね。他には? 他にも飼ったことあるの!?」
好奇心旺盛なレオンは次の話をアルベリクにせがむ。
「ああ。次の芋虫は、俺が育てた。レオンのように散歩をさせたりせず、箱に入れて鍵をかけて大切に育てた。しかしそれは窮屈だったのかもしれない。他の奴を飼い主に選んで、居なくなってしまった」
「そっか……。やっぱり散歩は大事だったんだ。兄様、それでおしまい?」
「うーん。今、また芋虫を飼っているんだ。今度はもっと大切に自由に……でも、まだ蝶になるには程遠い奴だからな。俺にも芋虫のことは分からないんだ」
「そうなんだ。じゃあ楽しみだね。飼い主の事を覚えていてくれるかさ?──あ~兄様の芋虫、見たいみたいなぁ。兄様、お願い。見せて見せてっ!」
懇願するレオンにアルベリクは困り果てた。
アルベリクのいう芋虫は、本当に芋虫という訳ではないからだ。
しかし、嘘という訳でもない。
例え話の様なものだ。
「……庭にくれば会えると思うぞ。よく花壇にもいるからな」
「えー。見たことないなぁ。何色の芋虫?」
「うーん。水色……だな」
「今度いたら教えてね。──クロエにも教えてあげよーっと!」
「あ、レオンっ」
レオンは観察日誌を抱きしめて元気よく飛び出していった。
温室に一人残されたアルベリクは、レオンのサナギに目を向けた。白い鉢に生えた一本の枯れ草を、芋虫はサナギになる場所に選んでいた。
この白い鉢で母が青い薔薇を育てようとしていた。
そしてそれは父に引き継がれ、父は死の間際にそれを完成させた。
この枯れ草は、父が完成させた青い薔薇が枯れたものなのだ。
「青い薔薇か……」
アルベリクはポツリと言葉を口にすると、水色の芋虫のところへと足を向けるのだった。
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