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後日談

【後日談9】皇国にて2(セブ視点)

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 ブリジット殿下の体調が良好だとジャスティン皇子が判断したこともあり、当初の予定通り拝謁式の翌日にはラバを発てるだろうと、夜会中、側近護衛を務めながら酷く私的な想念から目算を立てていた。目では殿下とその周囲の警戒をしてはいるが、私の頭の中ではすでに愛おしい赤毛の少年が浮かんでいた。
 ふわふわとあちらこちらに跳ねる猫毛を撫で梳き、色素の薄いトパーズのような大きな瞳を覗き込んで、至極甘い小作りな唇に口付けたい。透けるような白い頬に散る、幼さを強調するような雀斑が愛らしくて堪らない。おどおどと腹の前で指先をいじる癖も、控えめで鼻にかかった笑い声も、荒れた自身の手を密かに気にする素振りも、何もかもが私の心を揺らす。その吐息ひとつすら愛おしい。愛らしさを煮詰めたような私の魔女。
 早く会って、抱き締め、味わいたい。
 そう私が望む相手は、例え何度生き直そうとも彼たった一人だ。


「稀代の英雄セバスチャン・バルダッローダ伯爵にご挨拶します」

 ジャスティン皇子、ブリジット殿下の順に慣例的な挨拶をした壮齢の淑女が、流れるような所作で護衛である私にも礼を交わすことを求めた。
 愛おしい伴侶に思いを馳せていた私は、それを邪魔されたことに内心不快感を覚えるが、そんなことは当然噫にも出さない。
 淑女には伯爵として名を呼ばれたが、職務中の身である為騎士としての最敬礼で応える。相手は侯爵夫人を名乗ったが侯爵を伴ってはおらず、侍従らしき若い男を二人引き連れていた。

「大変な功を上げた英雄がこんな美しい方だなんて、天は才能の分配をお間違えになられたのね。さぞ女性からも引く手数多でしょう?」

 さも当然のように夫人の手が私の腕に撫で掛けられたことで、ただの好奇心での発言でないと察する。面倒な手合いだ、とすぐに理解した。
 本来であれば無視を決め込み、乗ることのない部類の話題だ。ただ、場に不慣れな殿下をその口上に担ぎ出されるよりは良いだろうと、私は実直に任務を遂行することにした。
 夫人の問い掛けの内容を否定も肯定もせず、「光栄なことです」と曖昧に微笑むと、夫人と周囲の貴女達が色めき立った。



 その後は、酷く面倒なものだった。煩わしいことに、貴女らは大衆紙に書かれているような私の来歴を逐一把握しており、先日が私の生日だったなどというくだらないことまで周知されていた。この国の貴人は余程暇らしい。寿ぎを口実に様々な貴人から声がかかり気分が悪い。
 更に、一度身体に触れることを黙認したのがいけなかったのだろう。入れ代わり立ち代わり声を掛けてくる者が、尽く無遠慮に距離を詰め、馴れてくるのだ。騎士の儀礼服が首から手先まで硬い皮で覆うものでまだ良かった。あまりの厭わしさに怖気立っていることに感づかれずに済んだ。


 長い時を無為な茶番に費やした私は、ブリジット殿下が私の部下等と共に会場を後にし、ジャスティン皇子から目配せを受けたことでこの場での任務の履行完了を確認した。もう、この場に留まる理由がない。撒いていた愛想を完全に消し切り、今まさに私の肘に指を掛けようとしていた女の手を僅かに身を引いて躱す。
 今一度ジャスティン皇子に研いだ視線をやると、皇子は幾分眉間に皺を作り煩わしいそうにしたが、更に睨むと不承不承頷いた。この状況のツケは皇子に払って貰わねば、あまりに割に合わない。

「本日の職務を完遂した故、私は失礼させて頂く」

 声色を低く落とし、声量を上げる。戸惑いさざめく周囲に目礼のみで退室を告げると、横からひとつ意思の強い腕が伸びて来て無遠慮に袖を掴まれた。例の侯爵夫人だ。離すまいとしなだれかかってくる。

「お仕事を終えられたのなら、これからは好きにできますわね。私の部屋にいらっしゃい。悪いようにはしないわ」

 装いこそ淑女だが、本質がそうでないことは誰の目にも明らかだ。本人は胸部に自信があるらしく、押し付けられるそれがただただ穢らわしく、不快で、滑稽だ。

「バルダッローダ様、今宵はセブ様とお呼びしても宜しい?」

 その名を口にしていいのは貴様ではない。
 そう怒鳴り付けてしまいたい衝動を堪えた喉からは、酷く重く長い息が漏れた。

「今宵だけと言わず、もう二度と私の名を口にしないで頂きたい」

 苛立ち任せに夫人の侍従に「これを今直ぐ連れ帰れ」と投げ付けるように振り払った。一瞬の静寂の後に、侍従にしがみついた夫人が私に向かって見苦しくがなり立てるが、どこからともなく忍び笑いが聞こえ始めると、夫人は嘲笑の犯人を探し、無差別に周囲を威嚇する手負いの獣のようになった。誰も夫人を宥めないことから、夫人は身分こそ高くとも他の貴人らから好かれてはいないのだろうと容易く知れた。

 私は明日にはここを発つ身だ。どう悪評が立とうが一向に構わない。場の始末は全て皇子のやるべきことだ。私がこの場で為すことはもう何もない。

 私は数日後に会えるだろう伴侶の少年に思いを馳せながら、囂しい会場を後にした。
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