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後日談
【後日談5】彼のいない日3
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「そんな大荷物置いてかれても困んだよ。俺はあの部屋を空にする義務があんだ。邪魔すんならテメエの首を捩じ切ってでも止めるぞ」
「ひー!いやいや、これらの一時置き場に東側の客室を使うことは、エドワーズさんに、あ。いや、ええと、オリヴィア・エドワーズさんから許可を頂いておりまして」
「人の嫁の名前を気安く呼ぶんじゃねえよ三下!」
玄関ホールには、荷物の配送人を理不尽に恫喝しているエドワーズさんがいた。オリヴィアさんは自身の額に手を当てて、長い長い溜め息をついた。
どうやらエドワーズさんは、自身の持ち場になった東の客室に大荷物を運び込もうとした配達人を脅して引き止めているらしい。配達人の横には俺の身長程の高さまで荷物が積み上がっている。
「…フランシス。その配送物はどこにも行き場がないものだ。後日処分するから、それには君は一切関知しなくて良い」
今にももう一つ溜め息をつきそうな呆れた様子で、オリヴィアさんは揉める二人の間に割って入り、「今日はここまでいい」と手際よく配達人を帰した。
「んだよ。どうせ捨てんなら今捨てようぜ。いらねえんだろ?」
エドワーズさんはオリヴィアさんの一声で幾分怒りを収めた。逞しく太い指で、荷物の宛名書きの゙紙を煩わしそうにつまんでぺらりとめくる。
「そう簡単にいかない。送り主がわかるものは手を付けずに送り返す必要がある。記名がなくてもよく調べればわかるものもあるからね」
そんなに受け取りたくないものってなんだろう?ほぼ部外者の俺が聞いても仕方ないだろうから、口にはしないけど。
「そんな面倒なことしねえで受け取ればいいんじゃねえか?今せっかく奥方がいるんだしよ。なあ、奥方。これ全部あんたの旦那宛てだぜ。奥方が持ち帰るなり処分するなりしたらいいじゃねえか」
「え?そうなんですか?」
てっきり騎士の誰か宛てのものかと思っていたが、まさかセブさんのものだったのか。それはオリヴィアさんたちの手を煩わせるくらいなら俺がやった方がいいのかもしれない。そう思って荷物に一歩近付く。
「いけません!」
玄関ホールにオリヴィアさんの騎士らしい勇ましい怒声が響いて、肝の小さな俺は例によって滑稽なほどびくりと体を跳ねさせた。いつでもにこやかなオリヴィアさんにこんなに怒らせるなんて、俺は相当出過ぎた真似をしてしまったらしい。一気に血の気が引いて、不格好に二、三歩退る。腹の前で固く指を組んで俯き、何度か口をもごつかせてからやっとの思いで「ごめんなさい」と情けない声を出した。
オリヴィアさんが細く嘆くように息を吐くのが聞こえて、俺は更に身をすくめた。
「ああ…ハバト様、驚かせてしまい本当に申し訳ございません。違うんです。貴方は何も悪くありません。そんな怯えないでください」
「いえ、ごめんなさい。俺、何も知らないのに、余計なことしようとして、本当にごめんなさい。あの、えっと、もう、邪魔しないようにします」
もしかして、今ここにいることも邪魔?雇用主の伴侶だから邪険に出来なかっただけで、家族でもないのに会いたいからって相手の仕事場に行くなんて、エドワーズさんよりもずっと、オリヴィアさんを怒らせることをしてるんじゃないのかな?
どうしよう。申し訳なくて恥ずかしくて居た堪れない。
オリヴィアさんの節のある長い指が、俯いた俺の視界をかすめる。それに驚いて体が無意識に逃げようとするが、あっけなく左手首を掴まれてしまった。
「こちらの物品の処理は、ハバト様の手を煩わせたくないと私達の方で行うよう主から仰せつかっています。セバスチャン様の本心としてはこれらをハバト様の目に触れさせたくもなかったようですが、見つかってしまったものは仕方ありません」
セブさんからの指示を守ろうとしただけ?怒ってない?
手首を掴んでいる手と反対の手で、大丈夫だと言うように俺の手の甲を丁寧に撫でてくれる。じんわりと、オリヴィアさんの体温が伝わって温かい。恐る恐る顔を上げると、いつも通りの優しげなオリヴィアさんと目が合いひっそりと安堵する。
「…この荷物の中身はなんなんですか?」
思い切って単刀直入に尋ねると、オリヴィアさんは少しばかり眉尻を下げて困ったような顔をした。あまり答えたくないらしい。悲しくて俺が目をそらして俯くと、オリヴィアさんは気遣わし気に俺の両手を握り込んだ。子供に約束事を取り付ける時みたいにぎゅっと力を込められる。身長はほとんど一緒だけど、指が長い分オリヴィアさんの方が手が大きい。
「この中身はセバスチャン様への祝いの品です。セバスチャン様は祝賀会等も執り行いませんし、祝品は主の主義からお断りしていますが、例年通り、ここ数日は毎日この有り様です」
「お祝い、ですか?」
何のお祝いだろう。叙爵は三月近く前だし、婚姻のお祝いなのだろうか?でも「例年通り」って?
俺が祝いの内容に合点がいっていないことを察したオリヴィアさんが、戸惑っているらしく一度開いた口をゆっくりと閉じた。口をきっちり引き結んだわけじゃなく、口元に気遣いの笑みを残しているから、言葉を選んでいるのかもしれない。怯えさせないためか、繋がれた手は優しいままだ。
「奥方は察しが悪いな。どう考えたって、毎年この時期に祝品って言ったら鋼鉄野郎の誕生祝いだろうが。確か鋼鉄の誕生祝、三日前だったろ。毎年春の半ばくらいから鋼鉄狙いの女共と鋼鉄に媚びてえ貴族連中がソワソワしだすんだよ」
言い淀んでいるオリヴィアさんの代わりに、積み上がった荷物に片肘を付いたエドワーズさんが答えてくれた。手近な化粧箱の中を覗き込みながら、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「誕生祝…」
「貴族共はわかるが、結婚したってぇのに鋼鉄を諦めねえ女も多いんだなあ。愛人でも良いってか?本妻に男を選ぶヤツが女の妾を優遇するわけもねえのにアホくせえ」
「愛人…」
「んだよ。別に鋼鉄本人が愛人欲しいって言ってるわけでもねえんだから目くじら立てんなよ。奥方は今んとこ鋼鉄の唯一なんだから十分だろ」
「今のところ…」
段々と沈んでいく俺の表情に、目の前のオリヴィアさんが目に見えて慌て出す。
「セバスチャン様はハバト様一筋ですよ。愛人など決して作られませんし、いつまでもハバト様がセバスチャン様の唯一の最愛です。信じて差し上げてください」
必死に言い募られるけど、今の俺にはその慰めにすら心臓をすり潰される。喉奥がきつく締まり、目頭が急激に熱くなる。
ダメだ、と思った時にはもう遅くて、俺の両目からぼたぼたと涙がこぼれた。「ハバト様!」と焦ったオリヴィアさんの声と、「は?」と間の抜けたエドワーズさんの声が聞こえた。
「俺、知らないです…」
「ハバト様?」
喉がひくついて、意図せず甲高い音を立てて大きく息を吸い込んでしまう。
「俺、セブさんの誕生日、知りません…」
堪えきれず子供みたいにうええ、と情けない声が出た。一度決壊した涙は全く止まる気配がなくて、俺は大いに泣いた。もう駄々っ子のように泣いた。誕生日を教えてもらえなかった、たったそれだけのことが悲しくて情けなくて泣いた。
オリヴィアさんにしがみついたらエドワーズさんに文句を言われたので、しぶしぶエドワーズさんにしがみついて泣いた。そしたら意外と引き剥がされなかったので、更にぎゅっと抱きついたら分厚い手で頭を撫でてくれて、少しだけ胸がほわっとした。
エドワーズさんに頭を撫でられ、オリヴィアさんに涙を拭われる俺は、その後お茶を持って厨房から出てきたセドリックさんの大笑いの種にされたが、そんなことはどうでもよかった。泣き疲れるまで思う存分、大きくて固くて温かい体に抱きついて、優しい手と声に慰めてもらった。
「やたら奥方を猫可愛がりするリヴィの気持ちがわかっちまった」
「ひー!いやいや、これらの一時置き場に東側の客室を使うことは、エドワーズさんに、あ。いや、ええと、オリヴィア・エドワーズさんから許可を頂いておりまして」
「人の嫁の名前を気安く呼ぶんじゃねえよ三下!」
玄関ホールには、荷物の配送人を理不尽に恫喝しているエドワーズさんがいた。オリヴィアさんは自身の額に手を当てて、長い長い溜め息をついた。
どうやらエドワーズさんは、自身の持ち場になった東の客室に大荷物を運び込もうとした配達人を脅して引き止めているらしい。配達人の横には俺の身長程の高さまで荷物が積み上がっている。
「…フランシス。その配送物はどこにも行き場がないものだ。後日処分するから、それには君は一切関知しなくて良い」
今にももう一つ溜め息をつきそうな呆れた様子で、オリヴィアさんは揉める二人の間に割って入り、「今日はここまでいい」と手際よく配達人を帰した。
「んだよ。どうせ捨てんなら今捨てようぜ。いらねえんだろ?」
エドワーズさんはオリヴィアさんの一声で幾分怒りを収めた。逞しく太い指で、荷物の宛名書きの゙紙を煩わしそうにつまんでぺらりとめくる。
「そう簡単にいかない。送り主がわかるものは手を付けずに送り返す必要がある。記名がなくてもよく調べればわかるものもあるからね」
そんなに受け取りたくないものってなんだろう?ほぼ部外者の俺が聞いても仕方ないだろうから、口にはしないけど。
「そんな面倒なことしねえで受け取ればいいんじゃねえか?今せっかく奥方がいるんだしよ。なあ、奥方。これ全部あんたの旦那宛てだぜ。奥方が持ち帰るなり処分するなりしたらいいじゃねえか」
「え?そうなんですか?」
てっきり騎士の誰か宛てのものかと思っていたが、まさかセブさんのものだったのか。それはオリヴィアさんたちの手を煩わせるくらいなら俺がやった方がいいのかもしれない。そう思って荷物に一歩近付く。
「いけません!」
玄関ホールにオリヴィアさんの騎士らしい勇ましい怒声が響いて、肝の小さな俺は例によって滑稽なほどびくりと体を跳ねさせた。いつでもにこやかなオリヴィアさんにこんなに怒らせるなんて、俺は相当出過ぎた真似をしてしまったらしい。一気に血の気が引いて、不格好に二、三歩退る。腹の前で固く指を組んで俯き、何度か口をもごつかせてからやっとの思いで「ごめんなさい」と情けない声を出した。
オリヴィアさんが細く嘆くように息を吐くのが聞こえて、俺は更に身をすくめた。
「ああ…ハバト様、驚かせてしまい本当に申し訳ございません。違うんです。貴方は何も悪くありません。そんな怯えないでください」
「いえ、ごめんなさい。俺、何も知らないのに、余計なことしようとして、本当にごめんなさい。あの、えっと、もう、邪魔しないようにします」
もしかして、今ここにいることも邪魔?雇用主の伴侶だから邪険に出来なかっただけで、家族でもないのに会いたいからって相手の仕事場に行くなんて、エドワーズさんよりもずっと、オリヴィアさんを怒らせることをしてるんじゃないのかな?
どうしよう。申し訳なくて恥ずかしくて居た堪れない。
オリヴィアさんの節のある長い指が、俯いた俺の視界をかすめる。それに驚いて体が無意識に逃げようとするが、あっけなく左手首を掴まれてしまった。
「こちらの物品の処理は、ハバト様の手を煩わせたくないと私達の方で行うよう主から仰せつかっています。セバスチャン様の本心としてはこれらをハバト様の目に触れさせたくもなかったようですが、見つかってしまったものは仕方ありません」
セブさんからの指示を守ろうとしただけ?怒ってない?
手首を掴んでいる手と反対の手で、大丈夫だと言うように俺の手の甲を丁寧に撫でてくれる。じんわりと、オリヴィアさんの体温が伝わって温かい。恐る恐る顔を上げると、いつも通りの優しげなオリヴィアさんと目が合いひっそりと安堵する。
「…この荷物の中身はなんなんですか?」
思い切って単刀直入に尋ねると、オリヴィアさんは少しばかり眉尻を下げて困ったような顔をした。あまり答えたくないらしい。悲しくて俺が目をそらして俯くと、オリヴィアさんは気遣わし気に俺の両手を握り込んだ。子供に約束事を取り付ける時みたいにぎゅっと力を込められる。身長はほとんど一緒だけど、指が長い分オリヴィアさんの方が手が大きい。
「この中身はセバスチャン様への祝いの品です。セバスチャン様は祝賀会等も執り行いませんし、祝品は主の主義からお断りしていますが、例年通り、ここ数日は毎日この有り様です」
「お祝い、ですか?」
何のお祝いだろう。叙爵は三月近く前だし、婚姻のお祝いなのだろうか?でも「例年通り」って?
俺が祝いの内容に合点がいっていないことを察したオリヴィアさんが、戸惑っているらしく一度開いた口をゆっくりと閉じた。口をきっちり引き結んだわけじゃなく、口元に気遣いの笑みを残しているから、言葉を選んでいるのかもしれない。怯えさせないためか、繋がれた手は優しいままだ。
「奥方は察しが悪いな。どう考えたって、毎年この時期に祝品って言ったら鋼鉄野郎の誕生祝いだろうが。確か鋼鉄の誕生祝、三日前だったろ。毎年春の半ばくらいから鋼鉄狙いの女共と鋼鉄に媚びてえ貴族連中がソワソワしだすんだよ」
言い淀んでいるオリヴィアさんの代わりに、積み上がった荷物に片肘を付いたエドワーズさんが答えてくれた。手近な化粧箱の中を覗き込みながら、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「誕生祝…」
「貴族共はわかるが、結婚したってぇのに鋼鉄を諦めねえ女も多いんだなあ。愛人でも良いってか?本妻に男を選ぶヤツが女の妾を優遇するわけもねえのにアホくせえ」
「愛人…」
「んだよ。別に鋼鉄本人が愛人欲しいって言ってるわけでもねえんだから目くじら立てんなよ。奥方は今んとこ鋼鉄の唯一なんだから十分だろ」
「今のところ…」
段々と沈んでいく俺の表情に、目の前のオリヴィアさんが目に見えて慌て出す。
「セバスチャン様はハバト様一筋ですよ。愛人など決して作られませんし、いつまでもハバト様がセバスチャン様の唯一の最愛です。信じて差し上げてください」
必死に言い募られるけど、今の俺にはその慰めにすら心臓をすり潰される。喉奥がきつく締まり、目頭が急激に熱くなる。
ダメだ、と思った時にはもう遅くて、俺の両目からぼたぼたと涙がこぼれた。「ハバト様!」と焦ったオリヴィアさんの声と、「は?」と間の抜けたエドワーズさんの声が聞こえた。
「俺、知らないです…」
「ハバト様?」
喉がひくついて、意図せず甲高い音を立てて大きく息を吸い込んでしまう。
「俺、セブさんの誕生日、知りません…」
堪えきれず子供みたいにうええ、と情けない声が出た。一度決壊した涙は全く止まる気配がなくて、俺は大いに泣いた。もう駄々っ子のように泣いた。誕生日を教えてもらえなかった、たったそれだけのことが悲しくて情けなくて泣いた。
オリヴィアさんにしがみついたらエドワーズさんに文句を言われたので、しぶしぶエドワーズさんにしがみついて泣いた。そしたら意外と引き剥がされなかったので、更にぎゅっと抱きついたら分厚い手で頭を撫でてくれて、少しだけ胸がほわっとした。
エドワーズさんに頭を撫でられ、オリヴィアさんに涙を拭われる俺は、その後お茶を持って厨房から出てきたセドリックさんの大笑いの種にされたが、そんなことはどうでもよかった。泣き疲れるまで思う存分、大きくて固くて温かい体に抱きついて、優しい手と声に慰めてもらった。
「やたら奥方を猫可愛がりするリヴィの気持ちがわかっちまった」
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