41 / 83
交歓会1
しおりを挟む
「セバス様、奥に眺めの良いお部屋を用意しておりますの。ご一緒にお茶をしませんか?」
「いえ、結構です。ああ、ハバト。君の好きな固焼きの菓子を持ってこさせようか」
麗しい赤毛の王女様のお誘いをたった一言で躱して、セブさんが俺の腰にまわした腕で引き寄せ、なぜか楽しそうに俺に菓子など勧めてくる。俺は「まだお腹いっぱいだから大丈夫です」と断り、身をよじって逃げを打とうとするが、セブさんは涼しい顔をしながらも本気で抑え込むもんだから全く歯が立たない。
「少しですが、東国の珍しいお酒も取り寄せましたわ。セバス様ここ最近は、ずっとお仕事ばかりでお疲れになったでしょう。せっかくですし、二人きりでゆっくりしましょうよ」
ベルさんが華奢な指を頬に当てて、愛らしくて小首を傾げた。でも、セブさんはそちらに視線のひとつも送らない。
「酒も結構です。私は何も不自由しておりません。殿下はご自身により有用なことに時間を使ってください」
そう言ってセブさんは俺をベルさんから隠すように抱き込んだ。彼はもう甲冑は脱いでいて、滑らかな生地の白い騎士服の肩口に頭を預ける形になった。ふわりと、愛おしくてたまらない彼の香りがした。
こうしていれば、周りからの好奇の目も俺には見えないが、今もきっとセブさんとベルさんは周囲の賓客たちの注目を集めているのだろう。
早くここから離れたくて仕方がない。俺はセブさんに気付かれないように小さな溜め息をついた。
参列した叙爵式がつつがなく閉式した後、一般席は解散とされたが、式に参列した貴賓たちには王城内での食事会と交歓会が用意されていると、オリヴィアさんから説明を受けた。周辺国からの賓客も多いようだし、それは当然のように思った。
セブさんを含めた叙爵された騎士たちも、それらは参加必須だろう。なら、セブさんの言っていた「私が戻るまで王城から出るな」を守る為、俺はどこかで時間を潰さなければいけない。
そう思ってオリヴィアさんに「絶対勝手にどこかに行ったりしないので、庭園のすみっこで待っていていいですか?」と聞いたら、とんでもなく渋い顔をされた。そしてその顔のまま言われたのが、
「駄目です。貴賓がそんな庭のすみっこになんていて良い訳がないでしょう」
だったのだ。
「わたし、貴賓なんですか?」
「どう考えても貴賓でしょう。鋼鉄の英雄は貴方の治療がなければこんな大きな功を立てる所か、騎士として復帰することも不可能だったんですから」
「だからって貴賓?そういうものですか…?」
「そういうものです」
オリヴィアさんの言葉の強さに圧されて、何もわかってないのにとりあえず「なるほど」とわかった風な返しをしてしまった。
食事マナーのひとつもわからないで食事会に参加するのは心底気が引けたが、誰かの気遣いがあったのか、俺の隣席は隣国貴族のとても穏やかな老婦人と、にこやかだが無口な初老の紳士だった。オリヴィアさんにマナーを逐一聞きながら食事をする俺に嫌な顔をするでもなく、時折一言二言他愛の無い世間話をしてくれて、俺はなんとか会場から逃げ出さずに済んだ。
問題があったのは交歓会の方だった。
食事会を何とか乗り切れたのだから、交歓会とやらもなんとかなるんじゃないか。そう前向きに考えて自分を励ましつつ交歓会の会場に向かったものの、結果的にそのやる気は、入場して十歩も歩かないうちに見る影もなくしぼんだ。
会場である王城の大広間に入るとすぐに、どこから聞いたのか「英雄の治療士」として次々声をかけられて、俺は早々に泣きを見た。人の目を正しく見ることも出来ない俺が、初対面の人間と正しく交流なんて出来るわけがない。最初こそオリヴィアさんが「守秘義務がございますので」「ハバト様はご気分が優れませんので」と、いくらか躱してくれていたが、オリヴィアさんの捌ける量を超えたところから、俺は貴賓たちからの質問責めに頭が真っ白になってしまった。「ええと」「うんと」「わかりません」「ごめんなさい」と要領を得ないことを返すだけの無能の体を晒した。
明らかに落胆する人。鼻で笑う人。苛立つ人。全てに申し訳なくて、俺は俯き身を縮こまらせた。誰も声こそ荒げはしないが、悪意の込められた声色がじわじわと集まっていく。
そんな情けない状況をたった一声で打破してくれたのは、他の誰でもなく鋼鉄の英雄様本人だった。ただ、その一声は
「私の許可なくハバトに近づくな」
という、貴賓に向けられたとは思えないかなり高圧的なものだったが。
俺を囲んでいた人垣をかき分け、「遅くなってすまない」とセブさんは躊躇いなく俺の腰に手をまわして抱き寄せると、俺に向けられていた周囲からの悪意が、途端霧散したのがわかった。でも代わりに周囲に拡がったのは困惑だった。
そりゃそうだ。セブさんの数歩後ろにはベルさんの姿もあって、彼はなぜか恋仲の王女様を放ったらかして無能な治療士を構いに来てしまったのだから。
それから、俺たちは賓客たちから遠巻きにされつつもずっと視線を集め続けている。セブさんと二人きりになりたいベルさんと、そのベルさんの誘いを一刀両断し続けるセブさんというよくわからない状況がずっと繰り返されているのだ。セブさんに抱き込まれたまま逃げ出せない俺にも視線は集まってくるから、居心地が悪くて仕方ない。
セブさんが何を考えているのかがよくわからない。なんでベルさんじゃなくて俺を構うんだろう。もしかして、ベルさんと親密な様子を周囲に見せられない理由でもあるんだろうか、と足りない頭の中身をぐるぐる回す。
オリヴィアさんなら今この状況の理由がわかっているかもしれないと、セブさんの肩口から顔を上げて目で探すが、彼女を見つける前に「私だけ見ていろ」と甘ったるい声で叱られた。
俺が彼の目をじっと見つめ返してからもう一度肩口に額を付けると、セブさんが楽しそうに喉で笑って、自身の首を俺の頭に傾けてわずかに頬ずりをしてくれた。とても嬉しいけれど、罪悪感は相変わらずぐずぐずにくすぶっている。
「疲れていないか?慣れない服で窮屈だろう。屋敷に戻ろう。私も共に行く」
「ここを離れていいんですか?セブさんは主役でしょ?」
「この場に顔を出したことさえ周知されていればもう構わないだろう」
「…なら、帰って少し休みたいです」
服より靴が慣れなくて、立っていると少し小指が痛い。でも、それより今はたくさんの人の気配から離れたい気持ちが強い。
セブさんに促されるままに大広間を出ようとすると、目の前に今にも零れそうな大粒の涙を湛えた薄氷色の瞳の姫君が立ち塞がった。
「いえ、結構です。ああ、ハバト。君の好きな固焼きの菓子を持ってこさせようか」
麗しい赤毛の王女様のお誘いをたった一言で躱して、セブさんが俺の腰にまわした腕で引き寄せ、なぜか楽しそうに俺に菓子など勧めてくる。俺は「まだお腹いっぱいだから大丈夫です」と断り、身をよじって逃げを打とうとするが、セブさんは涼しい顔をしながらも本気で抑え込むもんだから全く歯が立たない。
「少しですが、東国の珍しいお酒も取り寄せましたわ。セバス様ここ最近は、ずっとお仕事ばかりでお疲れになったでしょう。せっかくですし、二人きりでゆっくりしましょうよ」
ベルさんが華奢な指を頬に当てて、愛らしくて小首を傾げた。でも、セブさんはそちらに視線のひとつも送らない。
「酒も結構です。私は何も不自由しておりません。殿下はご自身により有用なことに時間を使ってください」
そう言ってセブさんは俺をベルさんから隠すように抱き込んだ。彼はもう甲冑は脱いでいて、滑らかな生地の白い騎士服の肩口に頭を預ける形になった。ふわりと、愛おしくてたまらない彼の香りがした。
こうしていれば、周りからの好奇の目も俺には見えないが、今もきっとセブさんとベルさんは周囲の賓客たちの注目を集めているのだろう。
早くここから離れたくて仕方がない。俺はセブさんに気付かれないように小さな溜め息をついた。
参列した叙爵式がつつがなく閉式した後、一般席は解散とされたが、式に参列した貴賓たちには王城内での食事会と交歓会が用意されていると、オリヴィアさんから説明を受けた。周辺国からの賓客も多いようだし、それは当然のように思った。
セブさんを含めた叙爵された騎士たちも、それらは参加必須だろう。なら、セブさんの言っていた「私が戻るまで王城から出るな」を守る為、俺はどこかで時間を潰さなければいけない。
そう思ってオリヴィアさんに「絶対勝手にどこかに行ったりしないので、庭園のすみっこで待っていていいですか?」と聞いたら、とんでもなく渋い顔をされた。そしてその顔のまま言われたのが、
「駄目です。貴賓がそんな庭のすみっこになんていて良い訳がないでしょう」
だったのだ。
「わたし、貴賓なんですか?」
「どう考えても貴賓でしょう。鋼鉄の英雄は貴方の治療がなければこんな大きな功を立てる所か、騎士として復帰することも不可能だったんですから」
「だからって貴賓?そういうものですか…?」
「そういうものです」
オリヴィアさんの言葉の強さに圧されて、何もわかってないのにとりあえず「なるほど」とわかった風な返しをしてしまった。
食事マナーのひとつもわからないで食事会に参加するのは心底気が引けたが、誰かの気遣いがあったのか、俺の隣席は隣国貴族のとても穏やかな老婦人と、にこやかだが無口な初老の紳士だった。オリヴィアさんにマナーを逐一聞きながら食事をする俺に嫌な顔をするでもなく、時折一言二言他愛の無い世間話をしてくれて、俺はなんとか会場から逃げ出さずに済んだ。
問題があったのは交歓会の方だった。
食事会を何とか乗り切れたのだから、交歓会とやらもなんとかなるんじゃないか。そう前向きに考えて自分を励ましつつ交歓会の会場に向かったものの、結果的にそのやる気は、入場して十歩も歩かないうちに見る影もなくしぼんだ。
会場である王城の大広間に入るとすぐに、どこから聞いたのか「英雄の治療士」として次々声をかけられて、俺は早々に泣きを見た。人の目を正しく見ることも出来ない俺が、初対面の人間と正しく交流なんて出来るわけがない。最初こそオリヴィアさんが「守秘義務がございますので」「ハバト様はご気分が優れませんので」と、いくらか躱してくれていたが、オリヴィアさんの捌ける量を超えたところから、俺は貴賓たちからの質問責めに頭が真っ白になってしまった。「ええと」「うんと」「わかりません」「ごめんなさい」と要領を得ないことを返すだけの無能の体を晒した。
明らかに落胆する人。鼻で笑う人。苛立つ人。全てに申し訳なくて、俺は俯き身を縮こまらせた。誰も声こそ荒げはしないが、悪意の込められた声色がじわじわと集まっていく。
そんな情けない状況をたった一声で打破してくれたのは、他の誰でもなく鋼鉄の英雄様本人だった。ただ、その一声は
「私の許可なくハバトに近づくな」
という、貴賓に向けられたとは思えないかなり高圧的なものだったが。
俺を囲んでいた人垣をかき分け、「遅くなってすまない」とセブさんは躊躇いなく俺の腰に手をまわして抱き寄せると、俺に向けられていた周囲からの悪意が、途端霧散したのがわかった。でも代わりに周囲に拡がったのは困惑だった。
そりゃそうだ。セブさんの数歩後ろにはベルさんの姿もあって、彼はなぜか恋仲の王女様を放ったらかして無能な治療士を構いに来てしまったのだから。
それから、俺たちは賓客たちから遠巻きにされつつもずっと視線を集め続けている。セブさんと二人きりになりたいベルさんと、そのベルさんの誘いを一刀両断し続けるセブさんというよくわからない状況がずっと繰り返されているのだ。セブさんに抱き込まれたまま逃げ出せない俺にも視線は集まってくるから、居心地が悪くて仕方ない。
セブさんが何を考えているのかがよくわからない。なんでベルさんじゃなくて俺を構うんだろう。もしかして、ベルさんと親密な様子を周囲に見せられない理由でもあるんだろうか、と足りない頭の中身をぐるぐる回す。
オリヴィアさんなら今この状況の理由がわかっているかもしれないと、セブさんの肩口から顔を上げて目で探すが、彼女を見つける前に「私だけ見ていろ」と甘ったるい声で叱られた。
俺が彼の目をじっと見つめ返してからもう一度肩口に額を付けると、セブさんが楽しそうに喉で笑って、自身の首を俺の頭に傾けてわずかに頬ずりをしてくれた。とても嬉しいけれど、罪悪感は相変わらずぐずぐずにくすぶっている。
「疲れていないか?慣れない服で窮屈だろう。屋敷に戻ろう。私も共に行く」
「ここを離れていいんですか?セブさんは主役でしょ?」
「この場に顔を出したことさえ周知されていればもう構わないだろう」
「…なら、帰って少し休みたいです」
服より靴が慣れなくて、立っていると少し小指が痛い。でも、それより今はたくさんの人の気配から離れたい気持ちが強い。
セブさんに促されるままに大広間を出ようとすると、目の前に今にも零れそうな大粒の涙を湛えた薄氷色の瞳の姫君が立ち塞がった。
94
お気に入りに追加
2,592
あなたにおすすめの小説
配信ボタン切り忘れて…苦手だった歌い手に囲われました!?お、俺は彼女が欲しいかな!!
ふわりんしず。
BL
晒し系配信者が配信ボタンを切り忘れて
素の性格がリスナー全員にバレてしまう
しかも苦手な歌い手に外堀を埋められて…
■
□
■
歌い手配信者(中身は腹黒)
×
晒し系配信者(中身は不憫系男子)
保険でR15付けてます
弱すぎると勇者パーティーを追放されたハズなんですが……なんで追いかけてきてんだよ勇者ァ!
灯璃
BL
「あなたは弱すぎる! お荷物なのよ! よって、一刻も早くこのパーティーを抜けてちょうだい!」
そう言われ、勇者パーティーから追放された冒険者のメルク。
リーダーの勇者アレスが戻る前に、元仲間たちに追い立てられるようにパーティーを抜けた。
だが数日後、何故か勇者がメルクを探しているという噂を酒場で聞く、が、既に故郷に帰ってスローライフを送ろうとしていたメルクは、絶対に見つからないと決意した。
みたいな追放ものの皮を被った、頭おかしい執着攻めもの。
追いかけてくるまで説明ハイリマァス
※完結致しました!お読みいただきありがとうございました!
愛などもう求めない
白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。
「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」
「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」
目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。
本当に自分を愛してくれる人と生きたい。
ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。
ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる