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式の主役は1

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 叙爵式の会場は、見事な薔薇が咲き乱れる王城の大庭園だった。子供の頃からよくばあばと一緒に育てていたから花は好きだ。庭園を見て回りたい気持ちを押し留めて、俺は賓客席がある直ぐ側の、半個室の一人席で尻の座りの悪い思いをしていた。俺がこんな場違いな特等席にいるのは、たぶん先日の公爵家屋敷脱走を受けてのことだろう。目に着きやすい場所に置いて、管理しやすくしたのだと思う。


 あの日、俺が裏庭から抜け出した後、温室前で書き置きを見つけたオリヴィアさんは、すぐさまベルさんの介入を察したのだという。
 公表はしていなかったが、今回の叙爵式に合わせてセブさんが贔屓の治療士を呼び立て、それが若い女であることを一部の耳聡い人たちにはもう知れてしまっていたらしい。鋼鉄様のそばに女の影があると、多方面からちょっかいがかかるのはいつものことらしい。
 だからセブさんは俺をあの屋敷から出さずに守ろうとしてくれていたのに、当の俺が勝手をして台無しにしてしまった。子供じみた自分の行動が本当に恥ずかしい。


 今、俺の横にはオリヴィアさんが警戒体勢で勇ましく立っている。騎士の正装をしたオリヴィアさんはかっこよくて、何度見ても溜め息が漏れそうになる。

「そんなうっとりした目で見ないでください。私が主の悋気で殺されかねません」

「だって、本当にかっこいいんですもん。オリヴィアさんは美人だから何を着ても似合いますね」

「フフフ。ありがとうございます。ハバト様こそお美しいですよ。若い子が着るには少し落ち着いた色味のドレスだと思いましたが、ハバト様がお召しになると御髪の色と相まって美しいです。セバスチャン様の見立ては素晴らしいですね」

 ドレスなんて初めて着たし、特別女性の衣服に関心があるわけではなかったけど、そんなに褒められると悪い気はしない。セブさんが用意してくれたドレスは、全体は暗緑色のお堅い色味だが、高い襟元と袖口には白い繊細なレースが、胸元全体には小さな白い薔薇を模したフリルがあしらわれていて品よく華やかだ。ちょうど、この間俺が公爵家所有のお屋敷の裏庭で頂戴した、白い八重花弁の木香薔薇のようで俺はひと目で気に入った。何より、貴族女性のドレスはコルセットだかなんだか、着るだけで人手がいるものだと聞いたが、セブさんが用意してくれたドレスは不慣れな俺ひとりでも着られるもので感動した。おかげで、貧相な男の体を人目に晒さずに済んだ。ドレスまで準備してもらっておいて、今更男だなんて女中さんたちに知れたら混乱させてしまうだろう。オリヴィアさんなら笑ってくれそうな気もするが。



 今回の叙爵式では、過去最多の六名の叙爵がされるそうだ。
 庭園はなかなかの広さがあったが、それを狭く見せてしまうほどに国民が集っていた。皆笑顔に溢れていて、幸せそうな雰囲気がとても心地良い。漏れ聞こえた賓客たちの会話では、近年の叙爵式でこれほど大規模のものはないだろうと言われていた。俺自身は田舎者なのでこういった式典の類を見るのは初めてだが、とてもとてもめでたくて立派なことだけはよくわかる。
 そんな素晴らしい式の主役がセブさんなのだと思うと、自分のことのように嬉しい。

「ハバト様。こちらに主がお見えになりました。お通しして宜しいでしょうか」

「えっと、はい」

 セブさんの一途な純愛を知ってから、俺は良心の呵責に苦しんで、二日経った今も気まずさを残している。間違っているとわかっても、そんなすぐさま彼への好意を消すことなんて出来やしない。天涯孤独になったあの時のように、強い感情は時間で薄めてくしかないんだと思う。

 柔らか過ぎてよく沈み込む椅子から立ち上がり、ドレスの裾を軽く二三度持ち上げて整える。後頭部をぐるりと飾る白い薔薇の髪飾りに軽く触れてズレていないか確かめる。髪飾りには本物のエメラルドがいくつも散りばめられていて、あまりの高価な代物に頭が重く感じる。念入りに身繕いをする俺を、オリヴィアさんはくすくすと笑った。

「そんなに確認せずとも、ハバト様は主にとっては今日一番の美しい花ですよ。ねえ、セバスチャン様」

 オリヴィアさんが自身の背後に声を掛けると、日除けの薄幕を分けてセブさんが現れた。分けられた前髪に手ぐしをかけていた俺と目が合って、彼はとても上機嫌に微笑んだ。

「ああ。美しいよ、ハバト。今日だけと言わず、私の魔女はいつでも愛らしいが」

 そんな甘ったるい褒め言葉を吐くセブさんこそ、この会場一番のかっこよさでくらくらする。白い騎士服の上に、雄々しい漆黒の甲冑と暗赤色のマントを身に着けてたセブさんは、芸術品そのままの美しさだ。普段無造作に分けていることの多い長い前髪を後ろに撫でつけ、秀でた額が露わになっているのが妙に色っぽい。

「バルダッローダ様、此度の偉烈、言祝ぎ白し上げます」

 昨日教えてもらったばかりの付け焼き刃の貴族令嬢の膝折礼を披露する。俺としてはなかなかよく出来たと思ったのだが、セブさんは途端不満そうに口をへの字に結んだ。その子供のような珍しい表情に、俺の頬が緩む。ああ、この人が好きだなあ。愛おしくて苦しい。

「下手くそでごめんなさい。こういった場は初めてなんです。お許しください」

「いや。うまく出来ている。うまく出来ていて面白くない。そのように私に畏まるな。いつもの、ありのままの愛くるしい君が見たい」

 なんて人誑しなのだろう。そんなことばかり言われたら、どんな女性もきっとすぐセブさんのことを好きになってしまう。そのくせ、自分はちゃっかり心に決めた人がいるのだから始末が悪い。
 俺は柔く唇を噛む。慣れない紅の味がする。

「…そろそろ、式が始まってしまうのではないですか?」

「ああ。でも、どうしても君の顔を見たかった」

 何ヶ月も会いに来てくれなかったくせに。
 恋人でもない俺は、そんなこと言えやしないけど。

「…ハバト、本日の式事が全て終わってから話したいことがある。最後まで、帰らずに待っていてくれるか?」

 どんな話をされるか、想像するだけで心の真ん中が抉れてしまいそうだ。想い人と心が通じ合ったと、彼の口から報告でもされるのだろうか。
 聞かずに逃げてしまいたい。今首を横に振れば、その話は生涯聞かなくて済むだろうか。

「……それは、どうしてもわたしが聞かなくてはいけないお話ですか?」

 俺が喉奥の焼け付きを堪えながらぽそりと呟くと、セブさんがわずかに目を見開いた。俺に断られるなんて考えてもいないようなその様子が、どうにも憎たらしく思えてしまう。
 思わず目をそらすと、それが気に入らなかったのかセブさんが俺の右肩を掴んで視線を戻させた。
 俺はもう、心すり減らしたくないのに。
 セブさんの手をもう一方の手でやんわり引き剥がすと、彼の目が剣呑に眇められた。

「ハバト、私から逃げないでくれ。でなければ─────手荒な真似をせざるを得なくなる」

 仄暗く翳った目でそんなことを言われ、意味が理解できずに俺は言葉を失った。冗談?何かの比喩?
 聞き返す勇気もなくて、俺は無様に何度か口を開いては閉じるのを繰り返した。それに痺れを切らしたのか、セブさんは俺から目をそらさないまま「エドワーズ士長」と鋭く硬い指揮官の声でオリヴィアさんを呼んだ。

「私が戻るまで絶対にハバトを王城から出すな。泣こうが喚こうが、絶対にだ。もう、“これ”は私のものだ」

 鋼鉄の冷たさで言い放つと、何も言えずに戸惑う俺を置き去りにして、彼は薄幕を引いてその場を後にした。
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