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遠征の前に1

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 セブさんと手紙をやり取りするようになって、二月程経った。文通を始めた頃はまだ日中は暖かな秋口だったが、今ではめっきり風が冷たく、晴天の日でも、庭に水やりをするだけで底冷えするほどだ。寒がりな俺は常に暖炉に火を入れないと耐えられない。今朝も布団を体に巻いたまま起き出して、真っ先に暖炉に火を入れた。そろそろ薪も集めに行かないといけない。
 そんなことを考えながら身支度をしていると、真新しい玄関扉に備え付けられた郵便受けの中に、何か白いものが見えた。セブさんからの手紙だ。心がぐんと沸き立つ。

 彼からの手紙は、だいたい九日に一度程届く。そして、届いたらその日のうちに返事を書くようにしている。セブさんに伝えたいことがいっぱいあるからではなくて、彼からの返信が嬉しいから一日でもそれを遅らせたくなくて、代わり映えのしない平凡な毎日から小さなことを切り取って書き綴ってなるべく封筒を厚くして送る。手紙のやり取りが初めての俺の文章は、きっと読みやすいものではないと思う。それでも長い手紙にするのは、彼からなるべく多くの言葉を返してもらいたいからだ。

 彼からの手紙は、俺の暮らしの中で一番の楽しみになっていた。書かれている内容は、どんなことでも構わない。彼の字で、彼の言葉で綴られるものなら、どんな名著より俺には価値があり、手紙が届く度に胸が踊った。上質で品よい白い封筒は彼自身の誠実な性格が表れているようだった。汚したくなくて、文箱としてイアンの店で丈夫な木箱も買った。用途を話したらイアンには呆れた顔をされたが、俺はいい買い物をしたと思ってる。

 今日届いた手紙も見慣れた真っ白な封筒で、一見して彼からの手紙だと知れた。ただ、気になったのはその厚みだった。いつもより心なしか薄いのだ。使い慣れた小刀を持っていつもの木椅子に腰掛けた。
 もしかして、頻繁に俺への手紙を書くことに疲れてしまったのだろうか。もしかして、俺との手紙のやり取りはセブさんに負担になってしまっているのではないか。そう考えたら、いつもはわくわくする開封作業が、急に恐ろしく思えてしまった。もし、内容を読んで少しでも彼の疲労が見えたら、手紙のやり取りを減らすか、いっそ無くす提案をしよう。
 そう思って、小刀で開封した封筒から便箋を取り出した。

 手紙はいつも通り季節の挨拶で始まり、俺に不調や暮らしの不具合が無いか尋ねる文言を挟んで、前回俺が書いた新しく作った調味料のことを丁寧に褒め上げてから、王都では今南国の冒険譚活劇と温かな甘味が流行っていることなどがとても生真面目な文体で書かれていた。そして、いつもであればこの後に彼自身の近況が続き、俺はそれを一番楽しみにしていた。しかし、その楽しみは、たった二行におさまっていた。

『二週間後、しばらく国を離れることになった。いつ戻れるかわからない。その前にハバトにどうしても会いたい。今から君の下に向かう』

 それを読んだ俺は、嬉しさより驚きで内心飛び上がった。

 飽くまで感覚だが、王都からの手紙はたぶん七日から十日弱かけて届けられている。そして、たぶん王都からハービル村までもだいたい同じくらいの日数で来れる。いっそ、貴族であるセブさんなら乗合馬車ではなく所有の馬車なりを使って来ることも出来るだろうから、もう少し速いかもしれない。つまり、こうしている間もセブさんがいつ到着してもおかしくないのだ。

「え、あ、えと、どうしよ、とりあえず、買い物!」

 俺は寒さも忘れて、大急ぎで彼を迎える準備を始めた。





 結論から言ってしまえば、セブさんは手紙を受け取ったその日の夕方に訪ねて来た。その時俺は調味料や薬の類を作って台所をひっちゃかめっちゃかにしていた。かろうじて自分にいつもの変身魔法はかけたものの、若い女性としてはなかなかよろしくない小汚さだったと思う。でも、セブさんはそんなこと一欠片も気にした様子もなく、「会いたかった。可愛い可愛い、私の魔女」と、相変わらず一分の隙もない宝石の美しさで微笑んで、俺をまるで大切なものみたいに抱き締めてくれた。


「急に訪ねてしまってすまない。何を差し置いても、どうしても君に会いたかった」

 暖かそうな黒色の毛皮を襟元に用いた厚手のマントを彼から預かって上着掛けにかけ、いつも通り木椅子を勧めて腰を休めてもらう。セブさんが来てくれた時のために木椅子は新調していたので、長身のセブさんが座ってももう軋んだりしない。
 以前は体の左側に佩いていた大振りの直剣が、今は右側にあり、それをベルトから下ろすとガチリ、と重い音を鳴らした。直剣はすぐ近くの壁に立てかけられた。

「事前に手紙に来訪を知らせてくださったのに、こんな状態でこちらこそすみません」

「ああ。手紙は先に届いていたか。それでも急な話だったことに変わりない。都合が悪ければ早々に辞するつもりで来た」

 申し訳なさそうに、今にも腰を上げてしまいそうなセブさんの肩に手を当てて「まだ帰っちゃダメです!」と押し留める。俺がそのまま力を入れると、彼はふっ、と笑ってやっと背をもたせかけた。

「左腕の具合はどうですか?見せてもらうことは出来ますか?」

 セブさんが頷いたのを確認してから、古い方の木椅子を持ってきて対面に座る。こちらの椅子は案の定キイと小さく悲鳴を上げた。
 手紙では、最初こそ強張りがあったが、ひと月もする頃にはそれも残っていないと言っていた。
 差し出された腕は、二月前見た時の赤みも残っておらず、とてもキレイな皮膚の下に、鍛錬を怠っていないことの証明のような立派な筋肉の硬さを感じる。肘、手首、指、と順番に関節の可動を確認し、最後に俺の手を握ってもらって握力に違和感がないかも尋ねると、大きく首肯された。ひとまずは、安心だろうか。

「君のおかげで空白期間もほとんど無く職に戻れた。武具の扱いも然程変わりなく、上役には腕を一度なくしたとは思えないと気味悪がられる程だ」

「んふふ。それは本当によかったです。セブさんのキレイな手が戻ってわたしも嬉しいです」

 彼の左手を両手で包み握り締めると、右手が俺の頬を捉えて引き寄せた。

「ハバトに両手で触れられることが何より喜ばしい」

 翠玉にじっと見つめられて、堪らず俺の方からかすめるような軽いキスを仕掛けると、「相変わらず可愛らしくて困ったな」と全く困って無さそうな非の打ち所のない笑みを浮かべた。

「いつまでここにいられますか?」

「夜半前には村を出る」

「……忙しいですね。国外に、遠くに、行くんですもんね。準備も大変でしょう」

 寂しい、と口を衝いて出てしまいそうになって、ぐっと堪えた。顔を見て早々にそんな言葉を言いたくない。でも、セブさんには俺の子供じみた気持ちなど筒抜けていそうだ。煌めく濃緑が心配気に俺を覗き込んでいる。

「詳しくは話せないが、今回の遠征は私が要を担う。私がうまく立ち回ることが出来れば早く国に戻れる。もちろん、その逆も有り得るが」

「それは、セブさんが一番危険な役目だってことですか…?」

「一番かどうかはわかりかねるが、矢面に立つことにはなるな。ただ、成果を上げれば騎士としての階級も上がるだろう。そうすれば以後は雑兵の扱いは無くなる」

 だから快く送り出して欲しい、と言外に請われているのだと思う。為さねばならないことを目の前に、醜く縋られては後味も悪いだろう。彼の大きな手をきゅっと握り締めた。

「セブさんならきっとすぐ仕事を終えられます。今日は体に良いものでも作りますから、夕飯食べて行かれませんか?」

 俺の反応は正解だったのだろう。セブさんがほっとしたように表情を和らげた。
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