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受付広間で

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 宿屋の受付広間にはソファーが複数台置かれていて、まばらだが歓談している客が数組いた。

 夜も更けて来た時間帯の為受付勘定台には従業員はおらず、どうしたものかとぐるりと広間内を見回すと、運のいいことに近くの対面ソファーで男二人と親しげに話し込んでいる店主を見つけた。金髪をかなり短く刈り込んでいて、遠目からだとスキンヘッドのようにも見える印象的な髪型だ。人と目を合わせるのが苦手な俺でも覚えやすい。
 でも、ここまで来てからはたと気付く。何て言って聞けばいいんだ。「連れがどこに行ったか知りませんか?」ってなんだか変かな?
 逡巡してると、ありがたいことに店主の方からこちらに気付いて立ち上がった。

「ハバト様、いかがしましたか?女性一人で出歩くには夜も遅いです。御用があればこちらで承りますよ」

 店主は傭兵みたいながっちりした体格に反して、声は穏やかだし言葉遣いもとても丁寧で、仕事ができる人だとよくわかる。

「えっと、セブさんがいつ戻るかと思って。あの、セブさんの行き先をご存知だったりしますか?」

 俯き勝ちに早口で問うと、先程のハキハキした様子から打って変わって「お戻りは日は跨がないと仰っていたので、二、三時間のうちには戻られるでしょうが、行き先についてはちょっと…」と言葉尻を濁した。知らないのか、知っていてあえて言わないのか微妙な物言いだ。更に尋ねていいものか悩ましい。

「あっれ。この子がさっきのやたら愛想のねえ男前の連れか?」

 店主と話してた男のうちの一人だと思われる、やや若い声がこちらに近づいて来ながら口を挟んだ。さっきの男前、とはたぶんセブさんのことだろう。若い男はやたらと声が大きいので、もしかしたら酒が入っているのかもしれない。酔っぱらいなのは俺も人のこと言えないけど。
 この人は宿泊客じゃなくて店主の友人なのかもしれない。「おい、やめろ。お客に絡むな」と、怖い顔をした店主が荒い言葉遣いで止めている。
 それを振り切った店主の友人らしき酔っぱらいがすぐそばに立った気配がして、反射的に体が強張る。俺の顎をさらうように伸びてきた無骨な手に気付いて、「ひっ!」と間抜けな悲鳴を上げて尻餅をついてしまった。
 酔っぱらいと一瞬目が合うが、怖くなって腕で顔を隠す。

「なんだよ。女連れがわざわざ娼館に行くなんて言うから、てっきり相当抱けないやべえ女なのかと思ったけど普通にすんげえ可愛いじゃん」

 後ろに転げた俺に店主が駆け寄るが、それより早く酔っぱらいに腕を捕まれ引き寄せられる。無理やり立たされた為、体重のかかった腕が少し痛む。

「お前いい加減にしろ!」

「お嬢ちゃん、あんたの連れは女漁りに行ったぞ?今夜は俺とどうだ?」

 店主程ではないが筋肉質な腕に捕まってしまっては、まともな抵抗も出来ないままに抱き締められ、顔を覗き込まれる。黒い前髪の隙間から覗く、紫の眼光に射抜かれて体が竦む。

「や、嫌ですっ。離してくださいっ。こわい…」

「なにその反応。やっべえ可愛いな。正直燃える」

 首筋に息がかかり、ひええと更に情けない悲鳴が上がる。

「こんの、馬鹿クズッ!」

「いってえなあっ!!クソが!殺すぞ!!」

 店主が立派な腕を物理的に振るったらしい。酔っぱらいの腕の力が緩んだので、必死に暴れて振り払い、涙で歪んだ視界の中でもはっきりわかる刈り上げられた金髪の後ろに回り込む。

「横取りすんじゃねえよ!」

「横取りじゃない。この子に手出したらてめえの首が飛ぶぞ。ついでに俺の首も飛ぶからやめろ」

「……どっかの令嬢か?」

「さあ?俺は知らん。ただ、さっきの美丈夫様は貴族出身の騎士だ。怒らせたら俺らなんて何の躊躇もなく斬られるぞ」

 やっぱりセブさんは貴族の人なんだ。世界の違う人だなあ。安全圏に逃げたことで目を擦りながら暢気にそんなことを考える。

「なあ、お前はその騎士様の何なんだ?」

 安全だと思ってたのに、酔っぱらいがずいっと店主の後ろを覗き込むように顔を出したもんだから、ひんっとまた情けない悲鳴を上げてしまった。

「…わたしはセブさんに一時的に雇われている臨時の薬屋です。依頼主の個人情報にも関わるのでこれ以上の詳細は言えません」

「薬屋?こんな街で雇いあげてまで作らせる薬なんて興奮剤か避妊薬くらいしかねえだろ。お高く止まってる割にはゲスいやつだな」

 酔っぱらいが鼻で笑った。
 ああもう!風評被害だ!
 勝手なことをいう酔っぱらいに腹が立って、店主の陰から飛び出した。

「違います!断じて!セブさんはそんな、えっと…えっちな、もの頼んでないです!」

「どうだか。実際あの野郎は娼館に行くって言って出てったぞ」

「しょ、うかん……」

 森にこもってばっかりの俺でも、娼館がどんなところかは知ってる。でも、話し相手が欲しくて行く人もいるかもしれないじゃないか。もしかして、いない?みんな娼館に行ったらえっちなことするのか?

「顔真っ赤にして可愛いなクソ。どんだけ初心なんだよ…なあ、俺にしとけよ。結構稼いでるんだぜ俺」

 また俺の顎先に触れようと腕を伸ばして来て、それを店主に叩き落された。ざまあみろ。怖くて不整脈出そうだなんて恥ずかしくて言えない。

「嫌だ!お前なんか嫌いだ!あっちいけ!馬鹿!うんこ!へにゃちん!」

「語彙がおもっくそアホじゃねえか」

「イアン、やめなさい」

「いいだろ。こいつは貴族の愛人ってわけでもねえんだろ?口説くだけならいいんじゃねえの。なんかすげえ構いたくなるんだけどこいつ。なあ、お前。今日は触んねえから名前教えてくれるか?」

 急に優しくなった声に少しだけほっとする。店主の指示を仰ごうと、恐る恐る顔を上げる。短い金髪の店主は案の定とても穏やかな表情でこちらを見つめて、「ご無理なさらず」と俺のと似た薄茶色の目を細めた。


「ハバト、です」

「そうか。俺はイアンだ。なあ、ハバト。奢ってやるから酒飲みに行かないか?」

「…イアンは怖いから嫌だ」

「フフ。名前は呼んでくれんだな」

 名前教えてくれたから呼んだんだけど、何がおかしいんだろうか。目を伏せたまま考えるが、呼んで良いのか悪いのか、意味がよくわからない。

「店主さん、セブさんは本当に娼館に行ったんですか?」

「……ハバト様はセブ様の行き先を聞いて、いかがなさるおつもりですか?」

「ええと、どうしましょう…引き止めたら、迷惑ですよね…」

「宜しいと思いますよ。セブ様はきっとあなたを優先するでしょう。行かれるのでしたらすぐ向いましょう」

 店主はソファーにいたもう一人の男に留守を任せる、と指示を出してから、受付台裏から薄手の外套を取り出し戻ってきた。もう一人は従業員だったらしい。「夜は冷えますので」と、店主は持って来た外套を俺の肩にかけてくれる。手慣れていてかっこよ過ぎる。

「俺も行くぞ。いいだろ?」

 イアンが俺のすぐ横に立つ。少しびくついてしまったが、約束通り俺に触れたりはしない。

「来るな。お前が来たら面倒が増える」

「お前に聞いてねえよ。ハバト、お前の邪魔はしないから俺も連れてけよ。こいつはうるせえ嫁がいるから、普段は娼館どころが花街通りに近付きもしねえんだよ。俺の方が断然あの辺には顔が利くぞ。お前のご主人様手っ取り早く見つけてやる」

 店主の方をちらりと見上げると、酷く苦い顔をしていた。花街通りに詳しくないというのは本当なのだろう。

「じゃあ、イアンもお願いします」

 頼む手前、顔も見ないのは人としてどうなんだと思い、そろりそろりと目線を上げる。先程目が合った時よりずいぶんと優しい紫色を見つめる。黒い前髪が長くて顔貌を見づらくしているが、たぶん端正な顔をしている。そうやって優しい表情してたらモテそうなのに。もったいないやつだ。
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