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第2部 最終章

カヨム会戦前夜(上)

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 ナーロッパ歴1057年2月24日
 この日の午前中にアリエ砦より8キロ北にあるカヨムにアストゥリウ王国本軍とザマー教諸国軍が布陣した。
 カヨムは小川に沿って丘陵地が東西に幾つも連なる場所であり、アストゥリウ王国軍はそこに防御陣地の構築を開始。そして、ラーンベルク夜襲戦でフラリン軍本営攻撃先陣を務めたリカルド・アノーを司令官とする黒い鎧をつけた軍勢1万6千がさらに南下し、カヨムより4キロ南にあるミットル平原に布陣した。
 このアストゥリウ王国軍の動きをアリエ砦救援の一環と判断した教皇軍は二手に分かれた。
 ノバ軍、パルマ軍、マントア王国軍計5千の軍勢をアリエ砦の包囲に残し、残る全軍を以て北上を開始。そして、教皇軍主力とリカルドアノー率いるアストゥリウ王国軍前衛が接触したのは、ナーロッパ歴1057年2月24日の午後2時ぐらいであった。
 ここで、教皇軍にとって想定外の事が起きた。このミットル平原で起きた会戦は1時間もかからず、決着がついたのだ。教皇軍の完全勝利と言う形で。
 総崩れを起こしているアストゥリウ王国軍を教皇軍は追撃を開始するが、ここでちょっとした事件が起きる。
 アストゥリウ王国軍の中には投降する兵もいたのであるが、彼らを武装解除した直後にアプリア軍や教皇庁の直属軍の一部がいたぶって殺し始め、それが全軍に伝播して捕虜に対する虐殺が行われたのだ。
 当時のテンプレ教諸国間で捕虜や投降した将兵を虐殺する事はほぼあり得なかった。無論、人道的観点から捕虜の虐殺が行われなかったのではなく、利益と言う観点から行われなかったのである。
 捕虜からは身代金を取れる事もあるし、取れなければ奴隷商人に売り払っても良い。それだけでそれなりの金になる。そういう利益があるからこそ、捕虜がむやみやたらに殺される事はほぼないし、負傷していても手当をしてもらえる。
 しかし、アプリア王が叫んだ「異端者どもは死ぬ事こそが唯一の救いである。敬虔たるテンプレ教徒として、かつての同胞にささやかながら慈悲を見せるべきだろう」と言う言葉で状況が変わった。
 このアプリア王国軍の蛮行に教皇庁直属軍が同調した。そのため、他国の軍も自ら金のなる木を処分せざるを得なくなったのである。捕虜を殺して金を得られる機会を捨てるのは痛いが、他国の軍がテンプレ教徒として義務を果たし、異端者に慈悲を示していると言うのに自分達が金儲けをする訳にはいかず、捕虜の虐殺が教皇陣営諸国軍全てで行われる事となったのである。

 そして、教皇陣営諸国軍の蛮行を聞いてほくそ笑む男がいた。その男は簒奪王フェリオルであった。
 フェリオルが立てた計画は理想の形で進んでいたからだ。

「アノー軍団はほぼ無傷で戦場を離脱している事でしょう。そればかりではなく我らの理想通りに敵軍が動いてくれています。これもテンプレ神の加護でしょうかね。」
 傍に控えるギニアスの軽口の混じった言葉にフェリオルは頷き
「神ごときが我らの戦に介入する事は許さんがな。まあ、しかしアプリアの狂信者どもには若干期待していたとは言え、まさか本当にやってくれるとは……これには奴らにアストゥリウ王国国王として感謝せねばなるまい。感謝状でも後日贈るべきかな?」
 と冗談で返す。
 リカルドに率いさせた軍勢はアノー軍団5千と一個独立大隊からなる黒旗軍6千と黒旗軍の武装を装備させた徴兵軍1万であり、これは即時壊滅させる予定であった。
 その理由はいくつかあるが、最大の理由はリカルド・アノー率いる黒旗軍部隊を教皇軍の目から逃れさせて行動の自由を得させるためであった。本軍に合流せず、別の方向に潰走した軍勢を大事な決戦が控えている状況では気にする余裕はないだろう。一応監視のための斥候を放つ可能性もなくはないが、リカルドなら難なく処理するだろうし、万が一のためアノー軍団には黒色猟騎兵大隊をつけていた。
 この黒色猟騎兵大隊はフェリオルが偵察や敵斥候狩り等裏方の仕事のために編成させた騎兵大隊であり、黒旗軍の中から選抜された精鋭部隊であった。規模は定数160騎であるが、グラナダ戦役でナサラ王国軍の各個撃破戦の時は敵軍の位置を掴みながら、敵にはフェリオル本軍の位置は掴ませないと言う離れ業を成功させた部隊である。
 裏方の仕事のために武勲を上げておらず、また任務の関係上隠していた方が都合が良いと言う事もあって公にされず知名度はないが、黒旗軍内からはエリート部隊と認識されている。
 黒色猟騎兵大隊がいる限り、アノー軍団に接近する教皇軍の斥候は狩り出してくれるだろう。斥候が戻らない事で教皇軍本営が不審に思う可能性もあるが、明日の午後までアノー軍団を教皇軍から隠し通せれば十分である。作戦通り進めば強烈な圧力となり、教皇軍崩壊につながる要因となると言うのがフェリオルの計算であった。ミットル会戦で早期に壊滅した事で黒旗軍は士気が低い弱兵であると教皇軍が認識し油断してくれればなお良く、そのために黒旗軍の武装をかき集めた徴兵軍にさせたのである。

 これだけでも十分な成果であるのだが、教皇軍はさらに投降した兵を殺してくれている。これによりミットル平原に展開していた部隊の大半は徴兵軍であると言う事が捕虜からもれて教皇軍に知られるリスクはほぼなくなった。ばれても徴兵軍を黒旗軍に変装させねばならない程戦力が不足していると考えてくれるであろうとフェリオルは予想していたが、ばれた場合それが何らかの小細工だと思われるリスクがあり、そこからフェリオルの狙いがばれる可能性も僅かにあった。しかし、情報漏洩の危険がなくなった事から、そのリスクもなくなったと言って良い。
 さらに投降兵を虐殺してくれたメリットは他にもある。これにより、降伏しても殺されるとアストゥリウ王国全軍に伝わり、さらに一生懸命に戦うだろう。敗れて投降しても殺されるのだから。
 黒旗軍の将兵は宝石のように貴重であるが、徴兵された兵士や傭兵は路傍の石程度の価値しかなく、それらの犠牲でこれだけの成果が上げられれば十分と言うのが簒奪王と黒旗軍上級将校が出した冷たい計算であった。


 フェリオルは突然話題を変える。
「教皇軍と雌雄を決するのは明日となろう。全将兵に一杯の飲酒を許可すると布告を出して、夕飯時に酒をふるまってやれ。夜は冷える事だし、決戦前に体を温めるぐらいは良かろう」

「御意」
 ギニアスは頷いた後、フェリオルの命を伝騎に伝えるために主君の傍を離れようとした時
「そうだ。夜一緒に飲まないか?ヴェルサルユス宮殿(旧フラリン王国王宮)から良いワインを持ってきたのだが……」
 とフェリオルから飲みに誘われる。

「有難くご相伴させていただきます」
 とギニアスは微笑を浮かべて答えた後にフェリオルの傍を今度こそ離れた。
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