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公爵子息救出編

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プリシラたちがサヴァランの大森林から屋敷へ戻った3日後、怪我を負った男がようやく目覚めたと朝一番にリリーの口から告げられた。

「あの傷で生還されるとは、あの男(ひと)の生命力の賜物ですね」
と、リリーがプリシラの髪を梳かしながら、感心したように口を開く。

「違うわ。私が瀕死の重傷を負った彼を探しに大森林へ向かい、彼を治療したから助かったのよ──」
そんな風に言葉を発したかったのだが口を紡ぐ。
何しろ、プリシラの止血が完璧過ぎて、騎士たちに気持ち悪がられたばかりだった。
火刑の経験があるプリシラにとって、どのくらいの火加減で気を失うか、止血ができるのか、その程度の炎の判別具合なら造作もないことだったのだが……騎士たちの態度には少し傷付いた。

──黙っておこう。
プリシラはそう心に決めたばかりだった。


朝食を終えると、彼が休息しているという部屋に案内された。ちなみにだが、家族には怪我を負った彼を森で見捨てることが出来なかったと言えば、家族全員から反対の声も無く称賛された。おおよそ、自分の娘 
 (妹)の美談を社交界の話のタネにしようと画策しているのだろう。役に立てるようで何よりである。

さて、彼の容態だが、医者が言うには意識はあるが朦朧としており、かつ喉が何らかが原因で炎症しており、会話は困難らしい。腹部の酷い傷は火傷で塞がれてはいるが、動けば傷が開くかもしれないので絶対安静でいるようにと言われた。 

「分かりました」と返事をして、医者が部屋を出ることを確認すると、リリーにも退出するように命じた。何をしようというつもりもないため、リリーも手持ち無沙汰だろうと考えたからだ。……ちなみに、喉の炎症は私が止血で使った炎の煙のせいだとは思ってない。


「でも良かったわ、

男の上下する胸部を見て、プリシラがぽつりと呟く。
逆行前の時間軸では、男はサヴァランの大森林で死んでいた。と言っても、彼が死んだと聞かされたのはプリシラが火刑にされる前、地下牢に閉じ込められていたとき囚人から聞かされたので眉唾物だったのだが……プリシラは男が負った傷を見て、ようやくそれが事実だったと分かった。あの傷では、プリシラたちが発見するのがもう少し遅かったら死んでいただろう。
「ああ、本当に良かったわ」ともう一度呟き、自室に戻ろうと退出しようとすると、突如、弱い力で腕をガシッと掴まれた。掴んだ人物はもちろん、この部屋にいる自分以外の、もう一人の人物しかいない。名前はたしか……

「ユーリ様?」

信じられない思いで、包帯で全身包まれた男を振り返る。

「……ああ」

喉が炎症しているせいか、声はしゃがれている。
プリシラは急いで水差しを持つと、ベッドに寝ころぶ彼の口元に、優しく水を注ぎ込んだ。
だが、途中で腕を再びガシッと掴まれ「もういい」と言われたため、プリシラは水差しを元の位置に戻す。
そして、男の方に目を戻すと、彼から目を離した瞬間に、彼が上体を起こそうとしていたため、肩を優しく押さえて諌める。
腹部の傷が開いたら、彼を助けた意味がなくなる!
けれど、プリシラのそれが彼には気に入らないようで、陸に打ち上げられた魚のように、はくはくと口を動かした。多分、抗議の言葉を発しているのだろう。

「ユーリ様、私に何か尋ねたいこと、仰(おっしゃ)りたいこともあるかもしれませんが、まずは体を治してください。時間は十分ありますから。ユーリ様の体調が良くなったら、いつでもお話を伺いますわ」

プリシラが微笑むと、ユーリは不満そうだが、了解したというようにコクリと頷いた。

(聞き分けの良い方で良かったわ)
プリシラはほっと、安堵の息をついた。

それから約一月の間、プリシラはユーリの元に足繁く通った。何もプリシラが好んでしている訳じゃない。彼がプリシラの目を離した隙に、屋敷を抜け出そうと試みるので、致し方なくプリシラは彼の元を訪れるしかなかったのだ。最初の2週間で、彼はどうやら屋敷を脱走することを諦めたようだが、プリシラは端からそんな事信じなかった。数々の裏切りに合い続けた彼女は、もう自分以外の人間のことなど信じていない。
そして、医者の口から彼の傷が完治したと聞いて、ようやくプリシラは彼に対話をする許可を与えた。プリシラは今まで喋ることさえ禁止していたのだ。


「正直初めは鬱陶しいと思っていたが、今では助けていただいたことを感謝している。本当に助かった、ありがとう」

男の第一声がこれだった。 

(最初の一言は余計ね)
「治療してくださったのは医者(せんせい)ですわ。お礼を言いたいのならそちらに」

プリシラは淡々と告げる。彼女はユーリが生きているという事実が欲しかっただけで、ユーリ自体に毛ほども興味がない。この男にその価値がなかったら、魔の森で野垂れ死のうが生きようが、どちらでも良い。

「だが俺を発見したのはお前の騎士で、最初に治療してくれたのはお前だ」
「!」

プリシラは驚きに目を見張る。あの傷で意識があったのか! ということは……プリシラが彼を火で炙ったのがバレている!? 治療とは言えど、ただの知識もない令嬢に火で炙られるなんて、普通なら死んでもごめんだと思う。なにしろ自分でもそう思うのだから。

「申し訳ございません……」
プリシラが声を震わせて謝る。これでは激昂されても、罰せられても仕方がない。理不尽だとは思うが。

「……なんで
なんでお前が謝るんだ?」

心底不思議そうな顔で、目の前の男がプリシラの顔を覗き込む。濡れ羽色の髪と黒曜石の瞳をした酷く整った顔の男が間近に迫り、プリシラは呼吸を忘れた。

「ユーリ様も、知識も資格もないただの女(又は子女、娘とか?「令嬢」は他人に対して使う言葉で自称には使わないそうです)に手当てをされるなど……不快ではなかったのですか?」
「だがお前が手当てをしてくれなかったら俺は死んでいただろう」

(それはそうだけれど)
「ですが……」
何と言葉を続ければ良いのか分からず、プリシラは言葉を濁す。
二人の間に、僅かな間沈黙が支配した。


「まあ、いい」
ユーリが沈黙を破った。

「なぜお前は俺の名前を知っていて、俺があの場所で倒れているのが分かった?」 
あまりに鋭い眼光に、プリシラは怯んだ。ユーリの怜悧な美貌も相まって、その言葉が温度のない物のように感じる。

「……ユーリ様が倒れていると発見したのは偶然です。今の時期はベリーの収穫が盛んですから、ワルプルギスの夜の後に採りに行こうと思ってたんです。それから、名前を知っていているのは……」

プリシラはユーリの美しい容姿を見て目を細める。

「まず貴方が身に着けていた鎧。あれには王都で一等の防具屋でしか買えない印が彫ってありますし、初めは大商人か貴族の子息だと予想を立てました。私も公爵令嬢として、貴族や利用価値……いえ、有名な商家の子息の名前は頭に叩き込んであります。しかし、貴方はどちらにも当てはまらなかった……。ですから、貴方の黒い髪と瞳から……その……社交界でお噂されているユーリ様ではないかと思ったんです」
「へぇ……それで俺が社交界で有名な放蕩息子だって察しがついたのか」

ユーリに笑いかけられて、プリシラはにっこりと微笑むだけに留めた。

「それにしても、俺を助けたことも、公的な場に出たことのない俺の名前を知っていることも偶然とは思えないんだが」
「……ただの偶然ですわ」
「そうか?」
「……」

プリシラは口の形を弧に描いたまま押し黙る。馬鹿正直に未来の記憶があるなんて言っても、頭がおかしく思われるだけだ。

「はっ、埒が明かないな」
ユーリが鼻で笑う。
「そうですか」
興味無さげにプリシラが呟く。
「お前のせいだが」
「はぁ……」

プリシラがユーリを見つめると、彼は面白そうにクックッと笑う。

「もうお話は済みましたか?」
「ああ、もう行っていいぞ」
メディチ家なのに、ユーリは我が物顔でプリシラに対して振る舞う。だが、まあそれも仕方ない。ヨハネスに並ぶ高貴な生まれである彼には、へりくだる振る舞い方など教えられてこなかったのだろう。 
プリシラは椅子から立ち上がり、ドアノブに手を掛け、それから振り返る。

「ユーリ様、貴方のお母様が随分と貴方の事を心配していましたが、体調も回復されたようですし、報告しても良いですか?」
「母と知り合いなのか!?」
ユーリが驚いたように瞳を丸くした。

「ええ、まあ……話せば長くなりますが」
「話さなくて良い。」
プリシラが面倒臭そうに頷くと、ユーリが言葉をピシャリと遮る。

「母に報告したいとのことだが……ああ、いいぞ。だが、他の人間には口を慎め。俺が表に出たくないのはお前も察しているだろう?」
「……分かりました」

何となく察していたことだ。プリシラはコクリと首を縦に振る。

「ではまた……様」

去り際に挨拶を交わし、プリシラは自室へと戻った。そして彼の生存を彼の母に報告するべく、筆を握った。
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