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序章

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ぴちゅん、ぴちゅんと、天井の隙間から漏れた雨水が地面に滴り落ちる音がする。



(罪人になっても貴族の扱いを受けられないのね。私が住んでる屋根裏部屋にそっくりだわ)



プリシラは、牢獄の外と変わらない自分の扱いを思い出して冷ややかに笑った。

プリシラが今いるのは、長い間洗っていないと思われる汚いベッドと、トイレの代りに壺が一つだけ置かれた、鉄格子が嵌められた牢獄だった。

本来貴族なら、罪人といってもそれ相応の牢獄──いや、部屋といった方が正しいかもしれない──が与えられるのだが、プリシラが与えられたのは平民と同じ牢屋が与えられていた。

……いや、もっと酷いかもしれない。

なぜならプリシラは、多分、王族を殺した大罪人を捕らえる王宮の地下牢に閉じ込められているのだから。



「……」



プリシラが、自分が王宮の地下牢に閉じ込められていると予想するのは、幼い頃、ヨハネスと一緒にこの牢屋を興味本意で見に来たことがあったからだ。

──そう。ヨハネスとプリシラは、数年前のあの事件が起こる前までは、将来の王と王妃と周囲に揶揄されるほど仲睦まじかったのだ。

お互い恋愛感情というより家族に近い親愛の想いを抱いてはいたが、プリシラは、彼ヨハネスとなら恋愛感情はなくとも穏やかな家庭を築いていけると思っていたし、彼も自分と同じようなことを考えていると思っていた。今はもう、幼い頃の関係なんて見る影もないが……。



久しぶりに過去に想いを馳せていると、キーっと地下牢の入口が開く音がした。音の鳴る方を振り向くと



「お姉さま!」

「ロザリー!」



地下牢に足を踏み入れるなり、ロザリーは兵士たちの制止を振り切って、一目散にプリシラのいる牢屋へと駆け出した。

だがロザリーは、最後に見たときとすっかり変わったプリシラを見て、牢屋の前で嘆きに近い声を漏らした。



「ああ、お姉さま。なんてやつれてしまったの」



プリシラは、ロザリーの瞳に写った自分の姿を見て恥じた。

ただでさえ満足な食事が与えられずに痩けているのに、自分の灰色の髪も相まって、老婆のような姿に見えるのだ。

それからロザリーは兵士に鉄格子の扉を開けるようにねだると、躊躇いながらもその扉は開かれた。

扉が開かれると途端にロザリーはプリシラを抱擁しようと近づいた。

だが、プリシラはロザリーの抱擁を拒んだ。



「ロザリー、気持ちは嬉しいのだけれど、貴女が汚れてしまうわ」



プリシラが自分の汚れた服を見ていう。



「そんなこと言わないでお姉さま。だってこれが最後なのだから」



(──最後?)



おかしなことを言う、とプリシラは思った。

だってロザリーが地下牢に来てくれたということは、もうすぐ私はこの牢屋から解放されるのだろう。

ロザリーは私と抱擁するのが好きだ。

もしかして、私と離れて少し大人になった彼女は、私との抱擁を恥じるようになったのだろうか。

ロザリーは兵士たちに何か話して人払いをすると、今度こそプリシラを抱きしめた。



「ああお姉さま、お姉さま」



ロザリーがぶるぶると震えてプリシラを何度も呼びかける。



「急にどうしたの?」



いつもの天真爛漫な彼女とは様子の違う、ロザリーの姿を見て、プリシラが心配そうに尋ねる。



「だから言ったでしょう。お姉さまに会うのがこれで最後になると」

「何を言っているの? 貴女が助けてくれるのでしょう?」



プリシラの言葉にロザリーの身体の震えが更に激しくなる。

彼女の異常な身体の震えに「ロザリー?」と、プリシラが心配そうな声をかける。



「お姉さまって……」



ロザリーがプリシラの耳元で何か呟く。

だが牢獄の水滴が地面を弾く音と重なって、上手く聞き取れなかった。

「ごめんなさい。もう一度言って」

プリシラが呟く。



すると今度は、ロザリーがプリシラの両肩を手でガシッと掴み、震えながら俯うつむかせた顔を、弾けるようにして上げて言い放つ。



























「お姉さまって、本当に頭がお花畑なのね!」





ロザリーが「あはははは!」と心底愉快そうな声を上げながら、プリシラを地面に勢いよく突き放す。

冷たい地面に叩きつけられたプリシラは、優しいロザリーが自分を突き放したという事実に酷く混乱した。



(いったい何が起きているというの? これは悪い夢?)



プリシラは、嫌な夢でも見ているような顔でロザリーを見つめる。



「ど……どうして……」



呆然としたプレシラの口から漏れたのは、純粋な疑問だった。プリシラには、異母妹であるロザリーに嫌われるようなことをした記憶がない。むしろ、メディチ家に急に迎え入れられたロザリーが、我が家に馴染むようにと気にかけていた節さえある。

だが、プリシラの言葉に、ロザリーは笑い声をピタリと止め、恐ろしい形相で彼女を睨んだ。



「……私はあんたに初めて会ったときから、あんたのことがだいっ嫌いだったわ」



ロザリーの口から漏れたのは、彼女の可憐な容姿からは想像できない、地獄の底から這い出るような低い呻き声だった。

プリシラは、義妹ロザリーから向けられた、憎悪の言葉に絶句する。

そしてロザリーは、義姉プリシラの蒼白な顔を見ると、心底楽しそうに笑う。



「だから、あんたから全部奪ってやったのよ! あんたの家族も友人も、そして婚約者……ヨハネスも! なのにお姉さまったら、私が優しくするをしたら、味方だって勝手に勘違いして……」



ロザリーはプリシラが自分を慕う姿を思い出して「最高に面白かったわ!」とゲラゲラと笑う。



「ぜーんぶ私が仕組んだことなのに!」



たった一人の味方だと思っていた義妹ロザリーが、自分をどん底に落とした元凶だった。その事実にプリシラは呆然として

(……だから婚約破棄のとき、ヨハネスはロザリーを呼び捨てにしていたのね)

僅かに残っていたなけなしの理性で、そんなことを考えていた。だから──



「あ、そうそうお姉さま。お姉さまが雇った悪党が異母妹の私を襲った罪で、お姉さまの処刑が決まったわ。……証拠を作るの本当に大変だったんだから」



自分の死刑が決定したという、重要な話を聞き逃してしまったのだ──。

そして、ロザリーから死刑宣言を受けたちょうど一週間後、異母妹を悪党に襲わせたという無実の罪で、プリシラは民衆の目に晒されながら、生きたまま炎で焼かれ、苦しみながら死んだのだった。

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