悪いことをしよう

下菊みこと

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弟も大概シスコン

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「ああ、そうだわ!」

「なんです、姉上」

「私、悪いことをしようと思うの!」

美しい瞳を爛々と輝かせる美女に、その弟は心底呆れ返る。

「姉上…悪いことならもうしたでしょう」

「え?なんのこと?」

「王太子殿下の可愛い愛人殿にイジメなんて、どうなるかわかっていたでしょうに」

そう弟に言われ、監獄塔に閉じ込められた美女はため息をつく。

「だって、それはあの子が他人のモノを取るからでしょう」

「それでも、ダメです」

「じゃあどうすればよかったの」

「バレないようにこっそりと暗殺者を差し向ければよかったのです。姉上が自らイジメなんてしなくても、相談してくれたら僕が暗殺者を雇ったのに…」

「まあ、思いつかなかったわ。さすがは私の自慢の弟ね。頭がいいわ」

弟は愛する姉に褒められて途端に機嫌が良くなる。

「ですが、王太子殿下の寵愛を得たと自ら騒ぐ愛人殿の行動は確かに目に余ります。王太子殿下の姉上への不当な扱いも」

「でしょう?」

「国王陛下は今、外交の為他国に出向いていらっしゃる。…が、帰ってきたら報告して王太子殿下を吊るし上げてやります」

「ふふ、面白い見世物になりそうね」

「国王陛下が帰ってくれば、姉上はすぐ解放されるでしょう。待っていてくださいますか?姉上」

弟の言葉に、にっこりと笑って彼女は答えた。

「もちろんよ。それまでは暇つぶしでもして待ってるわ」

「そうですか。くれぐれも騒動は起こさないでくださいね」

「うふふ。どうかしら?」

「姉上」

さすがに怒られるか、と弟を見る。しかし、弟は姉に優しく微笑んだ。

「大好きな姉上をこんなところに押し込めておくのは大変屈辱ですが、その分彼の方には自分のしたこと…王命による婚約を勝手に破棄したこと、そもそも姉上の輿入れ前に愛人を作ったこと、勝手に姉上を監獄塔に押し込む越権行為…全部後悔させてやりますので。ご安心くださいね」

あ、別の方向でブチ切れていた。

「ま、待って、なにも私は怒ってはいないのよ?やり過ぎてはダメよ?」

「はい、心得ております」

「ほんとう?本当に?」

「はい、姉上。では、そろそろ時間ですので」

帰る弟の背を見送る彼女。これではさすがに、王太子殿下の身が心配になってきた。

「…まあ、私には今更関係ないことね。婚約はもう、破棄されたもの」

彼女は頭から王太子のことを追い出す。愛する王太子殿下、なんて、もうどこにもいないのだ。















「看守様、看守様」

「なんです?お嬢様」

看守の男は彼女の声に反応する。男は彼女のことを伝え聞いている。なんでも、王太子殿下の愛人様にイジメを行なってここにぶち込まれたらしい。

しかし、彼女は可哀想だと男は思う。そりゃあ、イジメなんてダメだ。どんな理由があろうと絶対しちゃいけない。

だが、同時に他人の男を奪うのも罪深いことだ。絶対に彼女を肯定出来ないが、しかし彼女もまた加害者であると同時に被害者でもあるのだと思った。

「私、今晩の夕食にリクエストがございますの」

「ありゃあ、お嬢様。残念ながら決められたものしか食べられませんぜ。でも、一応聞いておいてあげましょう。なんです?」

「茶碗一杯のご飯に、生卵をかけて欲しいの」

「…え」

「それでね、鰹節をたっぷりとかけて、バターも乗せるの!お醤油ももちろん必須よ?どうかしら」

それは、公爵家のお嬢様が食べるにはあまりにも質素なもの。平民達ですら、節約飯として食べるレベルのものだ。

「…お嬢様。さすがに、監獄塔でももっといい食事が出ますぜ。ここ、貴族向けの場所なんで」

「ふふ、そうね。でも、それがいいの」

男は、その言葉に確信した。お嬢様は、おそらく己の過ちを心から反省している。だから、自分をそこまで追い詰めようとしているのだ。

そんなお嬢様に、なにかしてやれないだろうか。

自分にできることがあるとするなら。

「…わかりました。ではお嬢様、さすがに俺一人で言っても料理長が許可しないでしょうから、お嬢様が自分の字で一筆書いてくだせぇ。それを料理長に持っていきます」

「まあ、ありがとう!」

お嬢様の笑顔は、さながら泉の妖精のよう。こんな人が、嫉妬にかられてこんなところに来るなんて。

「…はい、書いたわ!よろしくね!」

「ええ、たしかに」

男は、魔法で料理長に手紙を届ける。そして料理長と念話した。

『…ということでしてね。心から反省しているお嬢様は自分を追い詰めようとしていらっしゃる。だが、俺はそれを否定せず認めてやりたい。お嬢様のご希望を叶えてやってくれないか』

『…うーん。そりゃあ、そのお嬢様とやらは珍しく己の過ちを反省していて立派だと思うが…卵かけご飯だけで、耐えられるかね』

『なにも毎日ということではないですし』

『…しゃあない。わかったよ、そのかわり鰹節とバターはたっぷりにしてやる』

『ありがとうごぜぇやす』

そして念話は終了した。

「お嬢様、ご希望が叶いますぜ」

「まあ!看守様、ありがとう!」

「へへっ。いいってことよ!」

そして夕食の時間、看守が魔法で彼女の分の食事を取り寄せて、牢を開けて提供する。

「これでいいですかい?」

「ええ!本当にありがとう!いただきます!」

彼女は笑顔で、生まれて初めて食べるだろう卵かけご飯を口に運ぶ。

彼女は美味しそうに噛みしめるように食べる。

それを見て看守の男は思わず涙ぐむ。こんな粗食を、感謝し噛み締めながら食べるなんて。それだけ反省しているのだろうと。

今まで監獄塔に入ってきた貴族は大体、クソ野郎ばかりだった。それと比べてお嬢様ときたら…。

一方、彼女は生まれて初めての卵かけご飯に心から感動していた。

『ああ、やっぱり卵かけご飯って美味しい!一度小説で存在を知った時から食べてみたかったの!でも、我々貴族が粗食を食べるなんて悪行だなんてお父様に叱られて実践できなくて…やっぱり、粗食なんかじゃないわ!すごく美味しい!』

いやはや、思い込み、勘違い、すれ違いとは恐ろしいものである。





















「看守様、看守様」

「なんです?」

「今日はね、うどんの入っていない肉うどんを食べたいの」

翌日、彼女はまたリクエストを看守の男に寄越す。

「…肉吸いのことですかい?」

「そう!」

「他には?」

「たくあんと冷や奴があると嬉しいわ!」

お嬢様のなんと健気なことか。看守の男は涙目である。

「…わかりましたぜ。では、リクエストしておきますよ。また直筆の手紙を書いてくれますかい?料理長に渡しますぜ」

「お願いね」

「ほいほい」

男は、彼女に己の同情を悟られないよう振る舞う。彼女は、意外となんでも聞いてくれる好意的な男に心からの笑顔を見せた。

そして、夕食。またリクエスト通りの食べ物が届く。

「どうぞ、お嬢様」

「いただきます!」

一口、汁を啜る。…なんて、優しい味。

『貴族の食事に足りないのはこれよ、これ!なんでも濃い味付けにすればいいってものではないのだわ!優しくて繊細な味付けはやはり、舌を喜ばせる…』

彼女はあまりの感動に涙を流す。貴族の食事に飽きてしまった彼女には、すごく刺激的なものだった。

一方看守の男は彼女の涙にギョッとする。

「お、お嬢様。そんなにお辛いのなら普通の食事をお持ちしましょうか?」

「つらい?なんのことかしら」

きょとんとする彼女に、ぎゅっと胸が締め付けられる。

「…その食事でいいんですかい?」

「ええ、今の私にはぴったりだわ!」

あまりにも豪華な食事を毎日食べ続けた自分には、こういう食事の方が新鮮で感動的。そういう意味で言った言葉だが、看守の男はまったく違う意味で受け取っていた。





















「看守様、看守様」

「なんです?」

「今日はね、粉吹き芋にバターを添えて欲しいの」

「…じゃがバターですかい?」

「ええ!」

彼女が看守の男に要求するのは、夕食だけ。朝ごはんと昼ごはんはしっかりと食べているので、健康には問題ないが…。

「本当にそれだけでいいんですかい?」

「ええ!あ、でも、イカの塩辛?よくわからないけれど、それもつけて欲しいわ」

「…お嬢様がそれでいいんでしたら」

粗食にも程がある。もっとちゃんと栄養を考えろと言いたいが、まあ朝ごはんと昼ごはんを食べているだけマシだと自分に言い聞かせる。本人が自分への罰としてやっているなら、好きにさせてやるべきだ。

そして夕食の時間。

「お嬢様、召し上がれ」

「看守様、本当にいつもありがとう!いただきます!」

彼女はじゃがバターを食べる。そして感動した。

『圧倒的シンプル!粉吹き芋美味しい!バター美味しい!合わさるとすごく美味しい!イカの塩辛ものせて…んー、これも美味しい!イカの塩辛美味!粉吹き芋美味!合わさると神!』

彼女は屋敷に戻れば最後、絶対楽しめない食事に舌鼓をうつ。

そんな彼女の内心など知るはずもない看守の男は、これは彼女の自分への罰なのだとその光景をしっかりと目に焼き付けていた。





















「姉上。国王陛下のご指示で姉上が解放されることになりました」

「あら、もう?」

じゃがバターを食べてから数日が過ぎ、彼女はその間も毎日夕食に粗食を楽しんでいた。だが、そろそろそれも終わるらしい。

「迎えにきたのに、残念そうにしないでください」

「だって…」

看守の男は思う。彼女は牢から出されるのすら悲しむほどに、自らの罪を重く受け止めているのだと。

だが、続く言葉に驚くことになる。

「看守様がなんでもお願いを聞いてくれて、すごく親切だったのだもの」

そんな風に思ってくれていたのか。看守なんて、憎み恨まれることばかりだったのに。

「…そうですか。ならば、彼にはあとでお礼をしておきます。姉上は屋敷へ」

「はぁい」

「そこのあなた」

「へぇ」

「正式なお礼はあとで必ず。…姉上を、ありがとうございました」

姉そっくりの笑顔でそう言って、愛する姉を颯爽と連れ帰る弟を見て看守の男はぽつりと呟く。

「お嬢様。アンタがどんなイジメをしたのか知らないが、やっぱりアンタにはそうやって大事にされる方が合ってますぜ」





















結局のところ。王太子は、諸々のやらかしによって廃嫡された。王太子位は弟に譲り、彼は子を成せない体にされて教会にて出家させられる。

彼の元愛人は、頼りにしていた相手を失った。しかし、贅沢を覚えてしまったため生活水準を落とせず、自滅。娼婦に身を落とした。幸か不幸か、元王太子の愛人というステータスでそれなりに売れていて大事にはされているらしい。

元王太子もその愛人も、なんだかんだでまだ甘い方の処分だったのだがすごく反省したらしい。今では心を入れ替えて、それぞれ自分にできることを精一杯頑張っている。それがいいかどうかは知らないが。

一方で監獄塔に入れられていた彼女は、父から平民などイジメるもんじゃないと懇々と説教されてさすがにやり過ぎたと反省した。

なお彼女のしたイジメとは、人目のあるところで他人の婚約者に手を出したことを延々と咎め続けるというものである。元愛人も徹底的に喚き声で反論していたらしい。それは本当にイジメだろうか…本人が認めているならイジメか…?

「ああ…また粗食が食べたい…」

「お嬢様、体壊しますぜ」

「だってぇ…」

で、監獄塔の看守の一人だった男。彼は彼女の弟が色々と手を回して、彼女の侍従になった。

というのも、監獄塔はその役割の割に給与が低い。まあ、平均的な稼ぎよりはもちろん多いが…そんなわけで、公爵家で雇い入れることをお礼としたわけだ。

彼は、彼女のことを未だに誤解している。粗食を食べたいと口にするのは、反省の証だと。もういいのに、と思っている。

「でもまあ、貴方がそばにいてくれるようになったのは嬉しいわ。これからも末永くよろしくね」

「へえ、よろしくお願いしやす」

彼はわかっていない。彼女が、彼を自分の夫とするため色々準備していることを。そんな彼女の巻き起こすドタバタ劇に、自分も大いに巻き込まれることを。
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