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『手を出したら殺しますよ』
【another side】
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薄暗い店の中。
セツナはシルバーの手入れを怠らない。これは自分に今日与えられた仕事のひとつ。
きちんと仕事をこなすのは、マスターのため。自分のため。
「……これで終り」
最後のスプーンを手入れし終わった所で、セツナは店の入り口に目をやった。小さな物音がそちらでしたのだ。
「……ナユタ?」
今度は音も無くドアが開く。店内に一瞬月明かりが射し込むと、静かに黒い影が入り込んできた。
「……紡」
ホッと息を吐きながらセツナはそれに声をかける。最初を見誤った訳ではない。
入ってきた長身のシルエットの足元をすり抜ける様にして、もう一つ小さな丸い影。
サッと素早く店内の奥へ消えるそれをチラリと横目で確認しつつ、セツナは再び長身の影を呼んだ。
「お帰りなさい。紡」
「留守の間ご苦労様。セツナ」
「でも……。いいつけ、全部はちゃんと出来なかった」
「それは仕方ない」
クスリと影が笑う。あまり表情を変えないセツナへ近づくと、彼女の小さな頭を優しく撫でた。
「彼女の行動は、読めるようで読めない時がありますから」
「でも零が……」
「セツナ」
黒いロングコートを着たまま、背の高い“彼”はカウンター席へ座る。
そしてセツナに紅茶を要求すると、テーブルに頬杖をつき彼女を諭すように続けた。
「過ぎた失敗は教訓として次に活かしなさい。次回活かせたなら、私は君を叱ったりしない」
「……」
「いいですね?」
「……分かった」
頷く少女に、彼は微笑んだ。
「よろしい」
――薄い唇をゆっくり弧にして。艶持つ細長い指先が、瞳を隠しそうな黒い前髪を梳く。その奥で、琥珀色が満足げに細んだ。
置かれた紅茶を手にし、彼――紡は香りを楽しみ目を閉じる。口元を柔らかく緩ませるとカップを傾け、
「良い茶葉を仕入れましたね、セツナ。君にはやはりセンスがあるようです」
小さく頷きを。
紡の褒め言葉に、セツナは二重のオッドアイをほんの少し輝かせた。
「……本当?」
「えぇ」
「あー! 美味しそうなにおいー。ボクにも紅茶、ちょうだい!」
「……ナユタ。何してたの? 今まで」
カウンター席に飛びついてきたのは、今日一日お使いとやらに出ていたナユタ。
呆れ顔のセツナに、無邪気顔の少年はニコニコと満面の笑顔だった。
そっくり双子とはいえ、雰囲気は対照的な二人。カウンターを挟んで温度がくっきりと分かれている。
「何ってぇ……お使い」
「ちゃんと出来たの?」
「途中で道迷っちゃった」
「……寄り道してたのね」
「ち、違うよっ? 迷った先に“あれ”があったんだもん。でも、最終的にはちゃんとお使いしたし!」
「……ナユタ。それって……」
溜息吐きつつ紅茶を淹れて。セツナが、何とか言ってくれ、と言わんばかりに紡を見やる。
二人のやり取りに、紡はクスリと笑った。自分の横に座ったナユタの頭を先程セツナにしてやったように撫でる姿は、さながら保護者の様だ。
「一日よく頑張りましたよ。ナユタも」
「へへっ」
「ミツキの店までちゃんと“取ってこい”が出来た様ですし」
「い、犬じゃありませんっ、ボク」
「どこかでくだらないモノとじゃれついていたのは、少しくらい大目に見てあげましょう」
「ぅああ……なんでそれを。――あ! えっと、コレ! お使いの品ですっ」
わたわたと両手をもたつかせながらも、ナユタはズボンのポケットから小さな小瓶を取り出し紡に渡す。その小瓶は透明で小さく、ナユタの手にすっぽりと収まるサイズ。
「それですか。ご苦労様」
洒落た香水瓶のようなそれを人差し指と親指で摘まむと、紡は目を細め唇の端を持ち上げた。
「探させた甲斐がありました。ミツキの所にコレほどのものが無いとは、到底思えませんでしたからね」
「紡……どうするの? それ」
「いつかは役に立つものです。ならば、今の内に手に入れておこうと思いまして。無粋な者に横取りされても困りますし」
「あれ。すぐに使いたいモノじゃなかったんですかぁ?」
「美味しいネタは後で取って置くものですよ。ミツキだってこれをそう簡単に手放さなかったでしょう?」
「そういえば……。あるの忘れてたくせに、見つけた途端出し渋ってましたねぇ」
「光稀が?」
驚きの色を滲ませ、セツナが小瓶を見つめた。
透明の瓶の中には薄い桃色の液体。
紡は、でしょうね、と怪しく微笑み言った。
「悲しみ深い記憶は、甘美な媚薬となり得るらしいと聞いた事がありますから」
セツナとナユタは顔を見合わせた。
目で会話を交わす二人は、「どういうことかな?」「さあ……分からない……」とのやり取りの後、紡へ視線を向ける。
疑問を向けられている事に紡は気付いている様だったが、彼は何も答えはせず、しれっと紅茶を味わっているだけ。
セツナとナユタは再び顔を見合わせると、静かに落胆した。
(いっつもこうなんだもん)
(私達はただ指示通り動いてなさいって事ね……)
とはいえ、不安はちょっとでも減らしたい。二人はおずおずと口を開いた。
「紡……。零はどうする……?」
「花音さん、また来てくれますよね?」
「怖い思いはしてないから、それは平気だと思うけど……」
「だって、あの零さんだよ!?」
「うん。でも、花音……多分よく分かってない。だから」
疑問を紡へ投げかけたまま双子は考える。
が、言葉途中でセツナが横目で紡の反応を見た。カップを置き、軽い溜息を吐く彼に気付いたからだ。
トントン、と人差し指でこめかみをつつき、彼は少々大袈裟とも思えるほど深刻めいた口調で、
「そうなんですよ……。彼女はそこの部分が鈍感で困る。加えて結構好奇心が旺盛ときてますので、対策はキッチリしないと」
と呟いた。
相手も相手ですからね、続けてそう言う紡の目は、セツナもナユタも見ていなかった。
店の奥、明かりもない暗い空間へ真っ直ぐ向けられている。
佇む闇。
何故かその部分だけ他より圧倒的に黒が濃い気もして、紡の視線の先を追った双子は嫌な予感を背中に感じずにはいられなかった。
「まあ、君が何をしても無駄な努力だと思いますよ。……ねぇ? 零」
「……零!?」
暗闇に嘲笑う紡に、双子はビクリと肩を揺らす。
ああ、やっぱり。セツナとナユタは同時に息を呑み。
直後、そこにある暗闇が微かに風を持った。二人の予感は現実になったのだ。
「……ハッ……言ってろ、紡。――いや、ココでは“結城”だったか?」
低く攻撃的な声音だった。
刺す様な鋭さを眼鏡の奥の瞳から飛ばし、暗さから姿を現した零は三人のもとへ。
紡は肩を竦め笑った。
「コチラではその名の方が使用頻度高めなんですよ。紛れるには都合が良い」
「……だろうな。つか、コソコソ細工して俺の邪魔すんな。さっきも響声封じの術なんか使いやがって……。どうせ“朝の邪魔”もお前だろ?」
「それはこちらの台詞ですよ」
零の強い視線を無視し、紡は優雅にカップを傾け紅茶を飲む。
「細工も、ああも大雑把で乱暴ともなると……細工者の品性が丸判りで非常に恥ずかしいものですねぇ。手当たり次第、というのがまた節操が無くて美しくない」
「はぁ……!?」
(……ふ、二人とも超こわいよっ! セツナ!)
(しっ……黙ってなさい、ナユタ。今は余計な事言っちゃ駄目)
冷然の静と激高の動。
双子の店主は、両極端の空気の間ですっかり萎縮していた。
ピリピリしている零をよそに、紡は残りの紅茶をゆっくりと味わっていた。
その行動が更に零をイライラさせているのだが、彼にはそれも解っていて、あえてそうしている様な素振りにも見える。
間で見ているナユタは、いつ零が暴れ始めるかとびくびく小さい身体を縮こませていた。
(わー……お願いですから、それ以上刺激しないでください~!)
零は怒り始めるととても面倒な人物なのだ。
ナユタはそれを昔からよく知っているだけに、ここでの無用な争いは避けてほしくて堪らなかった。
苦労して集めた飾り棚のティーセット。壊されたら本当に困る……!
「関係の無い人間まで巻き込むのは感心しませんね。私の仕事を邪魔することも、煩わせることも、やめていただきたいものです」
「欲しいモノを手に入れる最大のチャンスに、手を抜くバカがどこにいるんだよ。他の事なんか知るか」
「………」
「それに最終的な辻褄合わせは、ソッチの十八番だろ? しょっちゅうやってるじゃねーか」
「……辻褄合わせだけが仕事じゃないんですよ、こちらは」
一層低い声で、紡が呟いた。
「……ッ」
その声に、ナユタやセツナだけではなく、零までも一瞬動きをめる。
椅子からゆっくり立ち上がった紡は、零を睨むようにしてみると、
「これだから“堕ちた者”は困る。いつまでも自分に許された力があると思わないでくれませんか? 君がやっている事はただの乱獲に過ぎないんですよ。喰い散らかすしか能の無い存在は、私にとって邪魔でしかない」
かなりの威圧感を背に、固まる相手へ言い放った。
「……へぇ。オエライさんは言う事も違うねェ。だけどな、紡。アレを探してモノにするのは、何もお前だけに認められた特権じゃねーよな?」
圧に押されたのは一時。当然、零も言われっぱなしで終わるはずも無く。
クスリと口元を歪め、彼は挑発的に紡へ笑った。
「決めるのは、あの子だ。俺かお前か、はたまた他の誰かか……?」
「馬鹿馬鹿しい。確かに探すのは君にも認められている権利ですが。だけど、彼女は別格の存在なんですよ? 到底君には釣り合わない。自分の身の程を知ってから主張をしては?」
「……。テメェ……さっきから言わせておけば……!」
「何度でも言いますよ。あんなやり方で欲しいモノを手に入れようだなんて、反吐が出ますね。しかし、考えれば実に君らしいやり方だ。流石です」
クスクスと嘲笑を隠さない紡に、零の顔色がそれまで以上に険しくなった。
チッと舌打ちを漏らす。
明るい色の眼鏡を外した零は、いい加減にしろよ、と言葉を吐いた。
「結城……ホントお前、いちいちムカつく」
ゆらりと空気が揺れた。
零の周りの空気が、炎が揺らぐ様に静かに動き、紡とはまた違う威圧感を含んだそれになる。
ひゃっ、とナユタは短い悲鳴を発した。小さな体を弾ませカウンター奥へ跳び、セツナの後ろへ隠れる。やがて、おずおずとオッドアイが二つの影を盗み見てきた。
それを知ってか知らずか、くっと喉の奥で笑いを漏らした紡。零へ肩を竦めて見せる。
「零……勘違いされては困りますね」
やれやれ……といった風に苦笑する紡に零は当然苛立ちを見せたが、次に向けられた言葉に彼は口をつぐんだ。
言葉が出ない。
紡の冷たい嘲笑は空気をも冷やす。時間まで凍った瞬間だった。
「君がまさか私と対等にやりあえると思っているとは……。私も随分甘く見られたものです」
今の紡に、穏やかな色は欠片も見えなかった。
弧を描く口元さえ、形とは真逆の感情を。
薄い感情表現しか見せないセツナも、この時ばかりは瞳と頬を強張らせていた。
「彼女からは手を退きなさい。ちなみに、君に選択肢はない。お分かりですね?」
「何を……。そんな事言われて“ああそうですか”と簡単に諦めるかよ」
チャンスなんだからな、零は呻く様に低く呟いた。
「あの魂は俺を…………」
「君も諦めが悪いですね」
深い溜息とともに、紡の声が響く。
「無意味なチャレンジほど馬鹿を見るものは無いですよ」
命が惜しいでしょう? そう言うと零の目をじっと見、
「手を出したら殺しますよ。……それこそ魂の欠片、塵ひとつ残らぬよう消して差し上げます」
紡は嘲笑った。
無慈悲で冷酷な、静かな微笑み。
「………」
それを受け止める零も口元を歪める。
真っ向から戦いを挑む強気な視線を目の前の男へ飛ばして。
「言っただろ? 最終的に決めるのはあくまであの子なんだよ。お前が必死になってみても、肝心の本人が拒否したらそこで終わりさ」
見てろよ結城紡、と不敵に笑い、零はきびすを返し店の奥へと向かう。
暗い闇へ消える直前、彼はぼそりと呟きを残した。
「人間は脆いからな。それに、明るければ明るいほどその近くにある闇も濃くみえるもんだろ?」
花音は大層明るい光をお持ちだ、楽しみだよ。
楽しそうな声が最後に響き、そして、闇に溶けて行った……。
紡は言葉にニヤリと笑みを浮かべた。
そんな姿に、セツナは困惑の表情を見せ、ナユタは影からパッとカウンターへ飛びついた。
「ど、どーすんですか!? なんか、かえって零さんの事たきつけた感じになっちゃいましたけど!?」
「別に構いません」
「でも紡……」
「いいんですよ。言っても聞かない身の程知らずには、その内罰を与えながら身分を分かって貰いますから」
それより紅茶……おかわりください、平然とカップを指さす紡。
セツナは溜息を吐くものの、それ以上反論せず彼のリクエストに応える。
ナユタは再び紡の隣の席に戻って、心配そうに呟いた。
「でも、ああ見えて零さん、結構やる時はえげつないんですよ……?」
「知ってますよ。よーくね」
「花音さんが心配です。ボク」
「言ったでしょう? 彼とは格が違うんです。零と私達では世界が、ね。それに……どんな事があっても、彼女はいずれ私のものになる。これはずっと前から決まっている事です」
「……ずっと前から……?」
「紡と花音は前から繋がりがあるの?」
セツナが紅茶を差し出しながら聞いた。
ひとり楽しそうに微笑む紡は、さてどうでしょう? と二人に言う。
明らかに何かがあると言わんばかりの口ぶりに、双子は揃って肩を竦めた。
(また何も教えてくれない……)
「恋とは、一瞬の勘違いと引きずる熱、犠牲の上にあるもの。また愛とは、続く幸せとあたたかさ、悲しみと苦しみを永遠に受け入れる覚悟の結晶……」
突然囁かれた言葉。
双子は、それを発した紡に首を傾げて。
「それは……なんですか?」
「藤本さんの言葉です」
紡は微笑みを苦笑に変え、
「彼の言葉は深くて中々に興味深い。私もそれなりに生きていますが、全部を理解するにはまだまだの様です……」
指先でこめかみを弾く。
「いずれこんな言葉を理解する日も来るんでしょうね。……此処に居れば」
紡の言葉に、セツナとナユタは顔を見合わせた。
好奇心に満ち溢れた少年と少女が、オッドアイを煌めかせる。
「私も何かを知ることが出来る?」
「ボク、知りたい事たくさんあります!」
二人は紡に答えを求めた。
小さな店主たちの問いに、紡は頷き「ええ、きっと」と返し。
「ですから、それまではキチンと仕事をこなし、“それなり”にしていなくては駄目ですよ? 二人とも」
紅茶のカップが、かちり、と音を立てた。
細い紡の指先がカップを絡め取る。
「はい! ご主人様!」
双子の元気な返事に、紡は瞳を細め微笑んだ。
セツナはシルバーの手入れを怠らない。これは自分に今日与えられた仕事のひとつ。
きちんと仕事をこなすのは、マスターのため。自分のため。
「……これで終り」
最後のスプーンを手入れし終わった所で、セツナは店の入り口に目をやった。小さな物音がそちらでしたのだ。
「……ナユタ?」
今度は音も無くドアが開く。店内に一瞬月明かりが射し込むと、静かに黒い影が入り込んできた。
「……紡」
ホッと息を吐きながらセツナはそれに声をかける。最初を見誤った訳ではない。
入ってきた長身のシルエットの足元をすり抜ける様にして、もう一つ小さな丸い影。
サッと素早く店内の奥へ消えるそれをチラリと横目で確認しつつ、セツナは再び長身の影を呼んだ。
「お帰りなさい。紡」
「留守の間ご苦労様。セツナ」
「でも……。いいつけ、全部はちゃんと出来なかった」
「それは仕方ない」
クスリと影が笑う。あまり表情を変えないセツナへ近づくと、彼女の小さな頭を優しく撫でた。
「彼女の行動は、読めるようで読めない時がありますから」
「でも零が……」
「セツナ」
黒いロングコートを着たまま、背の高い“彼”はカウンター席へ座る。
そしてセツナに紅茶を要求すると、テーブルに頬杖をつき彼女を諭すように続けた。
「過ぎた失敗は教訓として次に活かしなさい。次回活かせたなら、私は君を叱ったりしない」
「……」
「いいですね?」
「……分かった」
頷く少女に、彼は微笑んだ。
「よろしい」
――薄い唇をゆっくり弧にして。艶持つ細長い指先が、瞳を隠しそうな黒い前髪を梳く。その奥で、琥珀色が満足げに細んだ。
置かれた紅茶を手にし、彼――紡は香りを楽しみ目を閉じる。口元を柔らかく緩ませるとカップを傾け、
「良い茶葉を仕入れましたね、セツナ。君にはやはりセンスがあるようです」
小さく頷きを。
紡の褒め言葉に、セツナは二重のオッドアイをほんの少し輝かせた。
「……本当?」
「えぇ」
「あー! 美味しそうなにおいー。ボクにも紅茶、ちょうだい!」
「……ナユタ。何してたの? 今まで」
カウンター席に飛びついてきたのは、今日一日お使いとやらに出ていたナユタ。
呆れ顔のセツナに、無邪気顔の少年はニコニコと満面の笑顔だった。
そっくり双子とはいえ、雰囲気は対照的な二人。カウンターを挟んで温度がくっきりと分かれている。
「何ってぇ……お使い」
「ちゃんと出来たの?」
「途中で道迷っちゃった」
「……寄り道してたのね」
「ち、違うよっ? 迷った先に“あれ”があったんだもん。でも、最終的にはちゃんとお使いしたし!」
「……ナユタ。それって……」
溜息吐きつつ紅茶を淹れて。セツナが、何とか言ってくれ、と言わんばかりに紡を見やる。
二人のやり取りに、紡はクスリと笑った。自分の横に座ったナユタの頭を先程セツナにしてやったように撫でる姿は、さながら保護者の様だ。
「一日よく頑張りましたよ。ナユタも」
「へへっ」
「ミツキの店までちゃんと“取ってこい”が出来た様ですし」
「い、犬じゃありませんっ、ボク」
「どこかでくだらないモノとじゃれついていたのは、少しくらい大目に見てあげましょう」
「ぅああ……なんでそれを。――あ! えっと、コレ! お使いの品ですっ」
わたわたと両手をもたつかせながらも、ナユタはズボンのポケットから小さな小瓶を取り出し紡に渡す。その小瓶は透明で小さく、ナユタの手にすっぽりと収まるサイズ。
「それですか。ご苦労様」
洒落た香水瓶のようなそれを人差し指と親指で摘まむと、紡は目を細め唇の端を持ち上げた。
「探させた甲斐がありました。ミツキの所にコレほどのものが無いとは、到底思えませんでしたからね」
「紡……どうするの? それ」
「いつかは役に立つものです。ならば、今の内に手に入れておこうと思いまして。無粋な者に横取りされても困りますし」
「あれ。すぐに使いたいモノじゃなかったんですかぁ?」
「美味しいネタは後で取って置くものですよ。ミツキだってこれをそう簡単に手放さなかったでしょう?」
「そういえば……。あるの忘れてたくせに、見つけた途端出し渋ってましたねぇ」
「光稀が?」
驚きの色を滲ませ、セツナが小瓶を見つめた。
透明の瓶の中には薄い桃色の液体。
紡は、でしょうね、と怪しく微笑み言った。
「悲しみ深い記憶は、甘美な媚薬となり得るらしいと聞いた事がありますから」
セツナとナユタは顔を見合わせた。
目で会話を交わす二人は、「どういうことかな?」「さあ……分からない……」とのやり取りの後、紡へ視線を向ける。
疑問を向けられている事に紡は気付いている様だったが、彼は何も答えはせず、しれっと紅茶を味わっているだけ。
セツナとナユタは再び顔を見合わせると、静かに落胆した。
(いっつもこうなんだもん)
(私達はただ指示通り動いてなさいって事ね……)
とはいえ、不安はちょっとでも減らしたい。二人はおずおずと口を開いた。
「紡……。零はどうする……?」
「花音さん、また来てくれますよね?」
「怖い思いはしてないから、それは平気だと思うけど……」
「だって、あの零さんだよ!?」
「うん。でも、花音……多分よく分かってない。だから」
疑問を紡へ投げかけたまま双子は考える。
が、言葉途中でセツナが横目で紡の反応を見た。カップを置き、軽い溜息を吐く彼に気付いたからだ。
トントン、と人差し指でこめかみをつつき、彼は少々大袈裟とも思えるほど深刻めいた口調で、
「そうなんですよ……。彼女はそこの部分が鈍感で困る。加えて結構好奇心が旺盛ときてますので、対策はキッチリしないと」
と呟いた。
相手も相手ですからね、続けてそう言う紡の目は、セツナもナユタも見ていなかった。
店の奥、明かりもない暗い空間へ真っ直ぐ向けられている。
佇む闇。
何故かその部分だけ他より圧倒的に黒が濃い気もして、紡の視線の先を追った双子は嫌な予感を背中に感じずにはいられなかった。
「まあ、君が何をしても無駄な努力だと思いますよ。……ねぇ? 零」
「……零!?」
暗闇に嘲笑う紡に、双子はビクリと肩を揺らす。
ああ、やっぱり。セツナとナユタは同時に息を呑み。
直後、そこにある暗闇が微かに風を持った。二人の予感は現実になったのだ。
「……ハッ……言ってろ、紡。――いや、ココでは“結城”だったか?」
低く攻撃的な声音だった。
刺す様な鋭さを眼鏡の奥の瞳から飛ばし、暗さから姿を現した零は三人のもとへ。
紡は肩を竦め笑った。
「コチラではその名の方が使用頻度高めなんですよ。紛れるには都合が良い」
「……だろうな。つか、コソコソ細工して俺の邪魔すんな。さっきも響声封じの術なんか使いやがって……。どうせ“朝の邪魔”もお前だろ?」
「それはこちらの台詞ですよ」
零の強い視線を無視し、紡は優雅にカップを傾け紅茶を飲む。
「細工も、ああも大雑把で乱暴ともなると……細工者の品性が丸判りで非常に恥ずかしいものですねぇ。手当たり次第、というのがまた節操が無くて美しくない」
「はぁ……!?」
(……ふ、二人とも超こわいよっ! セツナ!)
(しっ……黙ってなさい、ナユタ。今は余計な事言っちゃ駄目)
冷然の静と激高の動。
双子の店主は、両極端の空気の間ですっかり萎縮していた。
ピリピリしている零をよそに、紡は残りの紅茶をゆっくりと味わっていた。
その行動が更に零をイライラさせているのだが、彼にはそれも解っていて、あえてそうしている様な素振りにも見える。
間で見ているナユタは、いつ零が暴れ始めるかとびくびく小さい身体を縮こませていた。
(わー……お願いですから、それ以上刺激しないでください~!)
零は怒り始めるととても面倒な人物なのだ。
ナユタはそれを昔からよく知っているだけに、ここでの無用な争いは避けてほしくて堪らなかった。
苦労して集めた飾り棚のティーセット。壊されたら本当に困る……!
「関係の無い人間まで巻き込むのは感心しませんね。私の仕事を邪魔することも、煩わせることも、やめていただきたいものです」
「欲しいモノを手に入れる最大のチャンスに、手を抜くバカがどこにいるんだよ。他の事なんか知るか」
「………」
「それに最終的な辻褄合わせは、ソッチの十八番だろ? しょっちゅうやってるじゃねーか」
「……辻褄合わせだけが仕事じゃないんですよ、こちらは」
一層低い声で、紡が呟いた。
「……ッ」
その声に、ナユタやセツナだけではなく、零までも一瞬動きをめる。
椅子からゆっくり立ち上がった紡は、零を睨むようにしてみると、
「これだから“堕ちた者”は困る。いつまでも自分に許された力があると思わないでくれませんか? 君がやっている事はただの乱獲に過ぎないんですよ。喰い散らかすしか能の無い存在は、私にとって邪魔でしかない」
かなりの威圧感を背に、固まる相手へ言い放った。
「……へぇ。オエライさんは言う事も違うねェ。だけどな、紡。アレを探してモノにするのは、何もお前だけに認められた特権じゃねーよな?」
圧に押されたのは一時。当然、零も言われっぱなしで終わるはずも無く。
クスリと口元を歪め、彼は挑発的に紡へ笑った。
「決めるのは、あの子だ。俺かお前か、はたまた他の誰かか……?」
「馬鹿馬鹿しい。確かに探すのは君にも認められている権利ですが。だけど、彼女は別格の存在なんですよ? 到底君には釣り合わない。自分の身の程を知ってから主張をしては?」
「……。テメェ……さっきから言わせておけば……!」
「何度でも言いますよ。あんなやり方で欲しいモノを手に入れようだなんて、反吐が出ますね。しかし、考えれば実に君らしいやり方だ。流石です」
クスクスと嘲笑を隠さない紡に、零の顔色がそれまで以上に険しくなった。
チッと舌打ちを漏らす。
明るい色の眼鏡を外した零は、いい加減にしろよ、と言葉を吐いた。
「結城……ホントお前、いちいちムカつく」
ゆらりと空気が揺れた。
零の周りの空気が、炎が揺らぐ様に静かに動き、紡とはまた違う威圧感を含んだそれになる。
ひゃっ、とナユタは短い悲鳴を発した。小さな体を弾ませカウンター奥へ跳び、セツナの後ろへ隠れる。やがて、おずおずとオッドアイが二つの影を盗み見てきた。
それを知ってか知らずか、くっと喉の奥で笑いを漏らした紡。零へ肩を竦めて見せる。
「零……勘違いされては困りますね」
やれやれ……といった風に苦笑する紡に零は当然苛立ちを見せたが、次に向けられた言葉に彼は口をつぐんだ。
言葉が出ない。
紡の冷たい嘲笑は空気をも冷やす。時間まで凍った瞬間だった。
「君がまさか私と対等にやりあえると思っているとは……。私も随分甘く見られたものです」
今の紡に、穏やかな色は欠片も見えなかった。
弧を描く口元さえ、形とは真逆の感情を。
薄い感情表現しか見せないセツナも、この時ばかりは瞳と頬を強張らせていた。
「彼女からは手を退きなさい。ちなみに、君に選択肢はない。お分かりですね?」
「何を……。そんな事言われて“ああそうですか”と簡単に諦めるかよ」
チャンスなんだからな、零は呻く様に低く呟いた。
「あの魂は俺を…………」
「君も諦めが悪いですね」
深い溜息とともに、紡の声が響く。
「無意味なチャレンジほど馬鹿を見るものは無いですよ」
命が惜しいでしょう? そう言うと零の目をじっと見、
「手を出したら殺しますよ。……それこそ魂の欠片、塵ひとつ残らぬよう消して差し上げます」
紡は嘲笑った。
無慈悲で冷酷な、静かな微笑み。
「………」
それを受け止める零も口元を歪める。
真っ向から戦いを挑む強気な視線を目の前の男へ飛ばして。
「言っただろ? 最終的に決めるのはあくまであの子なんだよ。お前が必死になってみても、肝心の本人が拒否したらそこで終わりさ」
見てろよ結城紡、と不敵に笑い、零はきびすを返し店の奥へと向かう。
暗い闇へ消える直前、彼はぼそりと呟きを残した。
「人間は脆いからな。それに、明るければ明るいほどその近くにある闇も濃くみえるもんだろ?」
花音は大層明るい光をお持ちだ、楽しみだよ。
楽しそうな声が最後に響き、そして、闇に溶けて行った……。
紡は言葉にニヤリと笑みを浮かべた。
そんな姿に、セツナは困惑の表情を見せ、ナユタは影からパッとカウンターへ飛びついた。
「ど、どーすんですか!? なんか、かえって零さんの事たきつけた感じになっちゃいましたけど!?」
「別に構いません」
「でも紡……」
「いいんですよ。言っても聞かない身の程知らずには、その内罰を与えながら身分を分かって貰いますから」
それより紅茶……おかわりください、平然とカップを指さす紡。
セツナは溜息を吐くものの、それ以上反論せず彼のリクエストに応える。
ナユタは再び紡の隣の席に戻って、心配そうに呟いた。
「でも、ああ見えて零さん、結構やる時はえげつないんですよ……?」
「知ってますよ。よーくね」
「花音さんが心配です。ボク」
「言ったでしょう? 彼とは格が違うんです。零と私達では世界が、ね。それに……どんな事があっても、彼女はいずれ私のものになる。これはずっと前から決まっている事です」
「……ずっと前から……?」
「紡と花音は前から繋がりがあるの?」
セツナが紅茶を差し出しながら聞いた。
ひとり楽しそうに微笑む紡は、さてどうでしょう? と二人に言う。
明らかに何かがあると言わんばかりの口ぶりに、双子は揃って肩を竦めた。
(また何も教えてくれない……)
「恋とは、一瞬の勘違いと引きずる熱、犠牲の上にあるもの。また愛とは、続く幸せとあたたかさ、悲しみと苦しみを永遠に受け入れる覚悟の結晶……」
突然囁かれた言葉。
双子は、それを発した紡に首を傾げて。
「それは……なんですか?」
「藤本さんの言葉です」
紡は微笑みを苦笑に変え、
「彼の言葉は深くて中々に興味深い。私もそれなりに生きていますが、全部を理解するにはまだまだの様です……」
指先でこめかみを弾く。
「いずれこんな言葉を理解する日も来るんでしょうね。……此処に居れば」
紡の言葉に、セツナとナユタは顔を見合わせた。
好奇心に満ち溢れた少年と少女が、オッドアイを煌めかせる。
「私も何かを知ることが出来る?」
「ボク、知りたい事たくさんあります!」
二人は紡に答えを求めた。
小さな店主たちの問いに、紡は頷き「ええ、きっと」と返し。
「ですから、それまではキチンと仕事をこなし、“それなり”にしていなくては駄目ですよ? 二人とも」
紅茶のカップが、かちり、と音を立てた。
細い紡の指先がカップを絡め取る。
「はい! ご主人様!」
双子の元気な返事に、紡は瞳を細め微笑んだ。
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