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『甘いモノ、お好きでしょう?』
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「え。すごい! 中庭ですか?」
「花音さん好みでしょう? イメージは、イギリスの薔薇庭園だそうです」
「小さいお店だと思ってたのに。奥行きはこんな広かったんだ! それに中庭まであるなんて……」
本当に、入口から店内の様子を見てもココにこんな広い中庭があるとは想像出来なかった。この店舗はきっと特殊な造形をしているのだろう。
知っている人じゃなきゃ分からない特別な空間。
結城さんが案内してくれた薔薇がいっぱい咲く中庭は、まるで秘密の花園みたいだ。
「常連客しか知らない、みたいな?」
結城さんに聞けば、笑みで返事が返ってきた。
庭から見上げた空から降り注ぐ太陽の光。時々風が吹くと、薔薇の甘い香りが辺りを包む。一瞬ここが中庭である事を忘れそうになった。大きな木があったりちょっとした噴水があったり。多分そんなに広い空間ではないだろうと思うけど、……庭作りが上手なのかな? すごく広く感じる。
「お待たせしましたぁ。さあさあ、花音さん! 当店自慢のスイーツと紅茶をどうぞー!」
ワゴンを押して現れたナユタ君は、もうメイド姿ではなかった。
リボンタイのベストスーツは小さいながらもちゃんと紳士風。でもやっぱり彼の可愛いさが前面に押し出されていて、なんだかとても微笑ましく見える姿だ。
「似合ってるね、ナユタ君。さすが店長さん」
「へへっ。頑張ってます! ボクもセツナも、マスターの為に在るべき者ですからっ」
「マスター?」
それって、この店にはオーナーなる人がいるって事なのかな?
……おかしい話ではないかも。小さな店長さんに店を任せて、他に仕事を抱えている――そういう人がいたとしても。こんな不思議な空間を作り上げる人なのだ。とことん変わっている人なら考えられる余地はある。
「おや。それならサボっていると怒られるんじゃないですか? 怒ると大変怖い人、と聞いた事がありますけど……」
「うわあ! ボク真面目に仕事してますからねっ!」
結城さんの声にナユタ君の顔色が変わった。慌ててティーセットをテーブルに置き、ペコリとお辞儀。そのまま足早に店内へ戻りかけたものの、今度は「しまった!」といわんばかりに立ち止まり振り向いた。
「それではごゆっくりです! お二人ともっ」
この慌てよう。よっぽどオーナーは厳しい人らしい。
「慌ただしい店長ですねぇ。苺が落ちてますよ……」
「ん?」
そう言われテーブルにあるショートケーキを見た。急いで置かれたせいなのか、本来上にのっているはずの苺がころんとお皿に転がっている。これは……勢い余って落ちた?
「これでは、オーナーに叱られる前にお客から怒られると思うのですが」
そう呟く結城さんに、私はおかしくなって笑ってしまった。
二つあるショートケーキは、見事に両方とも苺が転がり落ちていて間の抜けた状態だったのだけど、それを呆れ半分残念さ半分で見る美麗顔も、思いのほかシュールな感じ全開だったのだ。
――ともあれ、ショートケーキが残念な姿になっても、味が変わる訳ではないので。せっかく淹れてもらった温かい紅茶が冷める前に、頂くことにする。
とてもいい匂い。……アールグレイ?
好きとはいえ、私はいつもティーバッグに頼りきりなので、こんなに香り高く淹れられた紅茶に出会うのは久しぶりだった。本格的、という単語が頭に浮かぶ。これは、あのナユタ君が淹れたものなのだろうか……。
多分そうだよね。見た目小学生の彼がカフェの店長だというのなら、ここまで完璧にお茶を淹れる特技が認められた結果と考えるのが普通だ。
(あの子がこれを。……すごいなぁ)
私は感心しながら紅茶を味わった。
「どうですか? 花音さん」
「ええ。美味しいですねー。ちょっと感動してます」
「でしょう? きっと気に入っていただけると思ってましたよ」
結城さんは嬉しそうに目を細める。彼も一口紅茶を飲むと、「スイーツも勿論」と苺にフォークを入れた。
「貴女好みのはず。……ショートケーキはその代表格では?」
「えっ!? なんでそこまで知って……」
ショートケーキはケーキの中で一番好き。私の定番スイーツだ。結城さんのリサーチ力……恐るべし!
頬が引き攣ってしまう。本当にこの人、どこまで色々調べてるんだっ!?
私の反応に結城さんはプッと吹き出した。
「他意はありません。ほら、女性って大抵ショートケーキ好きじゃないですか。だから言ってみただけです」
ね? と笑いかけられ、私は「ああ、なんだ。そういう事」とホッとする。推測しただけね。私が考え過ぎてた……ちょっと自意識過剰だったみたい。
「そんなに警戒しないで下さいよ。心配しなくとも、私はストーカーじゃありませんから」
「あ……いや、違いますごめんなさい。私そんな風に思ってる訳じゃ……」
「本当ですか? 嗚呼、それは良かった」
私の顔を見た結城さんの口元がゆるりと和らぐ。すると、周りの空気も私の気持ちも一緒に和らいだ感じがした。
ほわん、と浮かれる私のキモチ。
なんだかんだ言っても、結城さんの微笑みは魅力的。彼がそうするだけで景色までもが違って見えてしまう。……白薔薇の色がパステルピンクに見える気が!?
――まさかね。それは冗談としても。
全てを魅了し変化させようなんて、そうそう誰もが持てる魅力じゃない。やっぱり結城さんは、不思議な人なのだ……。
苺にケーキの生クリームを乗せる結城さんを眺めながら、私はまた紅茶をすすった。
スーツ男子が綺麗な所作でショートケーキの苺を食する姿なんて、あまり見れるもんじゃない。私の周りにはスーツで働く男の人……いないもんなぁ。
バイト先は堅苦しい服で働く所じゃないし、大学ではせいぜい教授や事務員さんを見かける位。身近にビジネスマンの知り合いもない。
だからなのかな。見慣れないものにドキドキするのは。
朋絵が「スーツ男子、メガネ男子ってカッコイイ!」と騒ぐ気持ちがちょっとだけ分かった。
「はい、どうぞ。差し上げます」
「はい?」
結城さんに笑われて、私はハッと我に返る。
我に返った時には、目の前に苺。
結城さんがフォークに刺さった苺を私に差し出していた。
あ。もしかして、じっと見ていたのは苺欲しさだと勘違いされた?
……いやいやいや、と首を振って苦笑い。
「別に狙ってませんから、イチゴ。どうぞ食べちゃってくださいって」
「いえ。初めからこうするつもりだったんですよ。私、苺の酸味は苦手なので」
苺欲しさで見ていたと思われるのは恥ずかしい。だからと言って、ただ結城さんを見つめていたと思われるのはもっと恥ずかしい。
……でも。それ以上に。
「はい、あーん」っていう今のこのシチュエーションは、もうとんでもなく恥ずかしいのですがっ!?
(結城さんてば、苺苦手なのにショートケーキ頼んだの?)
何故と、理由を考える余裕はなかった。目の前で、私の口に入ることを待っている苺と結城さんの満面の笑みが、視界でチカチカしてるのだ。思考力なんて鈍りまくりだ。
(どうしよう。何コレ!? こういう時って、大人しく食べてみるもんなの?)
哀しい事に、恋愛経験が少ない私には対処法が分からない。断る言葉を出そうか、それとも素直に受け取ろうか。迷う口は情けなくモゴモゴしてしまう。
そんな私を見透かすのは彼。
「食べて。花音さん」
笑みに細んだ結城さんの瞳。
それが決定打だった。
……この笑顔の目力はいただけない。避けられない雰囲気を醸し出し過ぎる。
いいから食え、と言われてる気分になる。
「……じゃ、じゃあ、遠慮なく……」
それで結局、甘酸っぱさとクリームの甘味を口内に迎え入れて咀嚼。結城さんが満足げに頷いた。
「いかがです?」
「……」
(いかがです? って……。そんな見られても困る)
どんな返答を期待してるんだ。結城さん。
なんだか噛むごとに恥ずかしくなってきて、自分の頬が熱くなるのを感じた。
「えっと……。おいしい……です」
とある想像をしつつの返答だった。
なんというか、結城さんの考えている事が分かりそうな……そんな感じで。いつもはいくら考えても読めないというのに。
「こういうやり取り、恋人同士の定番ですよね」
フフッと結城さんが笑う。ああー……。ホラね、やっぱり! 絶対来ると思ったこのくだり!
今までの一連の流れで、結城さんがそっちの方向に話を持っていくのでは? と読んでいたけど、それはまさに大当たりだった。
もしかしたら、私ってば大分結城さんの傾向掴んできたかもしれない。慣れとは素晴らしきかな。もう少しスキルを磨けば、彼に振り回される事もないのだ、きっと!
私は、これ以上結城さんのペースにならないように自信を持って相手の発言を否定にかかる。
「別に恋人同士じゃなくてもやります。親子とか」
「私を父親にしたいんですか?」
「なっ! んな訳ないじゃないですか!」
が、あっさり反撃? された。私のささやかな自信は、たった一言で早くも崩されかけて……。
「ですよねぇ。親子じゃ恋愛出来ませんし」
「だからっ、恋愛とか恋人とか……そういうんじゃな…!」
「では、何でしょう?」
「えっ!?」
結城さんの反撃は続く。
彼のペースにはならないと思っていたのに、どんどん流されていってるような感じがするのは気のせいだろうか?
「ただの隣人ですか? 自宅で二人きりで食事をしたりキスをしたり。仕事終わりにはこうして一緒にカフェでお茶もする……“ただの隣人”?」
「……うっ」
(これは……っ。まずい流れに!)
そこまで踏み込んでしまっていたら、それはもう“ただの隣人”の関係とは言えない。私と結城さんの間に起こった事を言葉で並べられると、「仲良しだから」という弁論も怪しく意味深に聞こえてしまう。
完全にこちらの言い分に対して先手を打たれた。だけど、気が付いた時にはもう遅い。この人は、他人を自分のペースに巻き込む天才なんだ! と改めて思う。
「……」
「ね。恋人みたいですよね?」
「うぅ……っ」
言葉を呑み込んだ私に、結城さんは目をスッと細めながら確認してきた。確認というより、もう半ば脅迫の様にも思えるけど……。
結城さんってこういう時、いつもの紳士感が消える。代わりに有無を言わさない強引さが見える。
まさか職業はやり手の営業マンか!? なんて、私はピンチの時に呑気に考えてしまった。
はっ!! いかんいかん!
「……そ、その手には乗りませんっ。“だからもう恋人ってことでいいでしょう”って完結させる気ですよね?」
「良いじゃないですか、完結。私は朝からずっとそう言ってますが……? 花音さんが先伸ばしにしてるんですよ?」
「だから! それは!」
続けようとして、はたと止まる。あれ? 私いま何言おうとした?
甘い香りが風に舞って、鼻腔をくすぐっていく。
ここの薔薇は咲き過ぎだ。普段ほんのり香るモノしか知らない私には、圧倒される程の濃さが少々キツい。
(ちゃんと告白されてなきゃ返事も出来ないって……言おうとしてた。それって何か)
告白さえしてくれればOKなのに……と言おうとしてるみたいじゃない。流されるつもりは毛頭ないのに、なんて事だ! 私ってば!
「それは?」
「やっぱりなんでもないです」
これ以上口を開いていると、余計な事をどんどん言ってしまい、それこそ相手の思うツボになるだろう。私は、半開きの口の中にケーキを押し込んだ。
あ。美味しい。
ほどよいクリームの甘さ加減と、スポンジのしっとり具合。このお店のメニューは私の好みにがっちり合っている。幸せスイーツに、気持ちと頬が緩んだ。
「良いんですよ、花音さん。私には本当の事を言ってくれても。だってこれからは長いお付き合いになるんですし」
「ほ?」
笑顔の結城さんに、首を傾げた私。変な返答になったのは、ケーキを頬張ってたから。
頑張って咀嚼しなくても、上品なケーキは口の中で溶けていく。ごくん、と美味しさを飲み込んだ私に、結城さんはウットリした表情を見せながら続けた。
「最終的には何でも言い合える仲、というのが理想じゃないですか。隠されていても貴女の事は分かりますが、やはり花音さん自身の口から聞きたいとも思うんですよね。私としては」
「……ん?」
「そう。憂いも羞恥も。その口から何でも、ね」
何言い始めるんだ? この人? 大丈夫か?
夢みる詩人みたいな口調になってますが。
私の事を「表情がコロコロ変わる」と言った事がある結城さんだけど、彼だって負けてないと思う。駅で見かけた時から何度となく変わる結城さんの雰囲気に、私はただただ驚いていた。
すると、恍惚と薔薇を見ていた瞳が不意にこちらに向く。恍惚残る茶色の瞳は艶美。その艶やかさにドキッとしてしまった。
「だから、お聞きします」
少し腰を浮かせて、結城さんはテーブル越しに私に近づく。小さなテーブル向かい合わせの状態では、あっという間に鼻先触れそうな距離になった。「ちょっと……」私は僅かに重心を後ろへ。
「近いです、近い」
「花音さん。甘いモノ、お好きでしょう?」
「へっ!?」
超間近で、この質問。なんでそうなるのかと、驚かない方が可笑しいというものだ。ギョッとする私に、結城さんはニッコリと人差し指でショートケーキを指さした。
……何でも言い合える仲が理想。結城さん、私とスイーツ談義でも繰り広げるのが夢なワケ? 他に、スイーツについて熱く語り合える仲間がいないのか?
「え。あ、はい……好きです、けど……」
とりあえず、ということで。
結城さんの指がクリームを掬うのをぼんやり見ながら、私は答えた。細長い綺麗な指。ピアノでも弾いちゃったりしたら、さぞかし絵になるんだろうな……。なんて思う。
いや、もしそれがピアノを弾くという芸術的動作じゃなく、単に指を振るとか他愛ない動作だとしても……絶対絵になる。絶対。
だって、なんてったって彼は「結城さん」なのだ。中身はともかくビジュアル的には優れ過ぎてる、超がつく美男。指一本だって無駄にならない。絵にならない訳がない。
(ところでそのクリームどうするんだろ……やっぱ味見?)
真っ白なクリームの味は、すでに自分の知っている味。口の中で溶けた小さな甘さ。真新しい記憶。
「奇遇ですね」
フッと笑みを見せ、結城さんは囁くように言った。
「私も、甘いモノは好きなんですよ」
そうして自分の指をペロリと舐め上げて。
ゆっくりと、焦らす様な舌の動き。それが凄く艶めかしく淫靡に見えて仕方ない。絵になる男のそういう仕草は、危険極まりなかった。頭の中で警鐘が鳴り響く。危ないぞ、と。
「……っ」
目を逸らしたかった。逸らさなきゃいけない気だってもちろんした。
だけど……出来ないとは!
そうさせまいと、また結城さんが無言の圧力をかけてるのかもしれない。
でも、そうしちゃいけないと、私こそがどこかで思っているかもしれない可能性だってあった。
クリームの真白に、彼の舌の真赤。
視覚に促されて、中途半端に残ってるクリームの甘さの記憶が私の舌によみがえり乗る。それはまるで、同時に味わってるみたいな錯覚。
瞬間、自分の脳内に投影されたイメージ画像は、“可能性”を肯定するには十分なものだった。
『顔に火がつく』とはこうなった時使うんだ、きっと。一秒で私の顔の体温、何度上昇した?
(ちょっ、こんな事思うなんて……わたし!)
おかしいでしょ! バカじゃないの!?
「まあ、甘さと言っても色々ありますけど……。でも花音さん。どうやら私達、そういう好みまで同じようですね」
「え……っん!?」
バカな想像は現実になる。
顎をガッと掴まれたと思ったら、重なる唇。直後には結城さんの舌が緩く開いてた口唇を遠慮なく割って入ってきて、私の舌に絡んでくる。
激しくて性急。そして、融けそうに熱く。甘ったるい。クリームなんかより全然。息継ぎが上手く出来なくなって頭がクラクラしてきた分、キスの甘さが全身を毒していく様だった。
沈む? 溺れる? 分からなくなる自分の状況。
ただ……。混乱してるくせに、困惑してるくせに、この甘さが心地好いと感じてる私。
バカな想像は期待だったんだろうか?
だとしたらみっともないし恥ずかしい。いつから自分はこんな風になったんだろう。キチンと整理もついてない関係の中で、キスの深度ばかり深め合ってくなんて……どうかしてる……。
中庭の木々が風に揺れて葉擦れを起こす。
さわさわ、さわさわ。
それは誰かの囁きか、クスクス笑う小さな声みたいだった。薔薇の香りも益々強くなった気がする。
ふっと一瞬だけ結城さんの唇が離れた時、その香りが呼吸に紛れ一気に押し寄せてきて……。
その後は、キスと薔薇の殺人的な甘さに負けてしまいよく覚えていない。
結局、また何もかも、うやむやに終わってしまったのだ――。
「花音さん好みでしょう? イメージは、イギリスの薔薇庭園だそうです」
「小さいお店だと思ってたのに。奥行きはこんな広かったんだ! それに中庭まであるなんて……」
本当に、入口から店内の様子を見てもココにこんな広い中庭があるとは想像出来なかった。この店舗はきっと特殊な造形をしているのだろう。
知っている人じゃなきゃ分からない特別な空間。
結城さんが案内してくれた薔薇がいっぱい咲く中庭は、まるで秘密の花園みたいだ。
「常連客しか知らない、みたいな?」
結城さんに聞けば、笑みで返事が返ってきた。
庭から見上げた空から降り注ぐ太陽の光。時々風が吹くと、薔薇の甘い香りが辺りを包む。一瞬ここが中庭である事を忘れそうになった。大きな木があったりちょっとした噴水があったり。多分そんなに広い空間ではないだろうと思うけど、……庭作りが上手なのかな? すごく広く感じる。
「お待たせしましたぁ。さあさあ、花音さん! 当店自慢のスイーツと紅茶をどうぞー!」
ワゴンを押して現れたナユタ君は、もうメイド姿ではなかった。
リボンタイのベストスーツは小さいながらもちゃんと紳士風。でもやっぱり彼の可愛いさが前面に押し出されていて、なんだかとても微笑ましく見える姿だ。
「似合ってるね、ナユタ君。さすが店長さん」
「へへっ。頑張ってます! ボクもセツナも、マスターの為に在るべき者ですからっ」
「マスター?」
それって、この店にはオーナーなる人がいるって事なのかな?
……おかしい話ではないかも。小さな店長さんに店を任せて、他に仕事を抱えている――そういう人がいたとしても。こんな不思議な空間を作り上げる人なのだ。とことん変わっている人なら考えられる余地はある。
「おや。それならサボっていると怒られるんじゃないですか? 怒ると大変怖い人、と聞いた事がありますけど……」
「うわあ! ボク真面目に仕事してますからねっ!」
結城さんの声にナユタ君の顔色が変わった。慌ててティーセットをテーブルに置き、ペコリとお辞儀。そのまま足早に店内へ戻りかけたものの、今度は「しまった!」といわんばかりに立ち止まり振り向いた。
「それではごゆっくりです! お二人ともっ」
この慌てよう。よっぽどオーナーは厳しい人らしい。
「慌ただしい店長ですねぇ。苺が落ちてますよ……」
「ん?」
そう言われテーブルにあるショートケーキを見た。急いで置かれたせいなのか、本来上にのっているはずの苺がころんとお皿に転がっている。これは……勢い余って落ちた?
「これでは、オーナーに叱られる前にお客から怒られると思うのですが」
そう呟く結城さんに、私はおかしくなって笑ってしまった。
二つあるショートケーキは、見事に両方とも苺が転がり落ちていて間の抜けた状態だったのだけど、それを呆れ半分残念さ半分で見る美麗顔も、思いのほかシュールな感じ全開だったのだ。
――ともあれ、ショートケーキが残念な姿になっても、味が変わる訳ではないので。せっかく淹れてもらった温かい紅茶が冷める前に、頂くことにする。
とてもいい匂い。……アールグレイ?
好きとはいえ、私はいつもティーバッグに頼りきりなので、こんなに香り高く淹れられた紅茶に出会うのは久しぶりだった。本格的、という単語が頭に浮かぶ。これは、あのナユタ君が淹れたものなのだろうか……。
多分そうだよね。見た目小学生の彼がカフェの店長だというのなら、ここまで完璧にお茶を淹れる特技が認められた結果と考えるのが普通だ。
(あの子がこれを。……すごいなぁ)
私は感心しながら紅茶を味わった。
「どうですか? 花音さん」
「ええ。美味しいですねー。ちょっと感動してます」
「でしょう? きっと気に入っていただけると思ってましたよ」
結城さんは嬉しそうに目を細める。彼も一口紅茶を飲むと、「スイーツも勿論」と苺にフォークを入れた。
「貴女好みのはず。……ショートケーキはその代表格では?」
「えっ!? なんでそこまで知って……」
ショートケーキはケーキの中で一番好き。私の定番スイーツだ。結城さんのリサーチ力……恐るべし!
頬が引き攣ってしまう。本当にこの人、どこまで色々調べてるんだっ!?
私の反応に結城さんはプッと吹き出した。
「他意はありません。ほら、女性って大抵ショートケーキ好きじゃないですか。だから言ってみただけです」
ね? と笑いかけられ、私は「ああ、なんだ。そういう事」とホッとする。推測しただけね。私が考え過ぎてた……ちょっと自意識過剰だったみたい。
「そんなに警戒しないで下さいよ。心配しなくとも、私はストーカーじゃありませんから」
「あ……いや、違いますごめんなさい。私そんな風に思ってる訳じゃ……」
「本当ですか? 嗚呼、それは良かった」
私の顔を見た結城さんの口元がゆるりと和らぐ。すると、周りの空気も私の気持ちも一緒に和らいだ感じがした。
ほわん、と浮かれる私のキモチ。
なんだかんだ言っても、結城さんの微笑みは魅力的。彼がそうするだけで景色までもが違って見えてしまう。……白薔薇の色がパステルピンクに見える気が!?
――まさかね。それは冗談としても。
全てを魅了し変化させようなんて、そうそう誰もが持てる魅力じゃない。やっぱり結城さんは、不思議な人なのだ……。
苺にケーキの生クリームを乗せる結城さんを眺めながら、私はまた紅茶をすすった。
スーツ男子が綺麗な所作でショートケーキの苺を食する姿なんて、あまり見れるもんじゃない。私の周りにはスーツで働く男の人……いないもんなぁ。
バイト先は堅苦しい服で働く所じゃないし、大学ではせいぜい教授や事務員さんを見かける位。身近にビジネスマンの知り合いもない。
だからなのかな。見慣れないものにドキドキするのは。
朋絵が「スーツ男子、メガネ男子ってカッコイイ!」と騒ぐ気持ちがちょっとだけ分かった。
「はい、どうぞ。差し上げます」
「はい?」
結城さんに笑われて、私はハッと我に返る。
我に返った時には、目の前に苺。
結城さんがフォークに刺さった苺を私に差し出していた。
あ。もしかして、じっと見ていたのは苺欲しさだと勘違いされた?
……いやいやいや、と首を振って苦笑い。
「別に狙ってませんから、イチゴ。どうぞ食べちゃってくださいって」
「いえ。初めからこうするつもりだったんですよ。私、苺の酸味は苦手なので」
苺欲しさで見ていたと思われるのは恥ずかしい。だからと言って、ただ結城さんを見つめていたと思われるのはもっと恥ずかしい。
……でも。それ以上に。
「はい、あーん」っていう今のこのシチュエーションは、もうとんでもなく恥ずかしいのですがっ!?
(結城さんてば、苺苦手なのにショートケーキ頼んだの?)
何故と、理由を考える余裕はなかった。目の前で、私の口に入ることを待っている苺と結城さんの満面の笑みが、視界でチカチカしてるのだ。思考力なんて鈍りまくりだ。
(どうしよう。何コレ!? こういう時って、大人しく食べてみるもんなの?)
哀しい事に、恋愛経験が少ない私には対処法が分からない。断る言葉を出そうか、それとも素直に受け取ろうか。迷う口は情けなくモゴモゴしてしまう。
そんな私を見透かすのは彼。
「食べて。花音さん」
笑みに細んだ結城さんの瞳。
それが決定打だった。
……この笑顔の目力はいただけない。避けられない雰囲気を醸し出し過ぎる。
いいから食え、と言われてる気分になる。
「……じゃ、じゃあ、遠慮なく……」
それで結局、甘酸っぱさとクリームの甘味を口内に迎え入れて咀嚼。結城さんが満足げに頷いた。
「いかがです?」
「……」
(いかがです? って……。そんな見られても困る)
どんな返答を期待してるんだ。結城さん。
なんだか噛むごとに恥ずかしくなってきて、自分の頬が熱くなるのを感じた。
「えっと……。おいしい……です」
とある想像をしつつの返答だった。
なんというか、結城さんの考えている事が分かりそうな……そんな感じで。いつもはいくら考えても読めないというのに。
「こういうやり取り、恋人同士の定番ですよね」
フフッと結城さんが笑う。ああー……。ホラね、やっぱり! 絶対来ると思ったこのくだり!
今までの一連の流れで、結城さんがそっちの方向に話を持っていくのでは? と読んでいたけど、それはまさに大当たりだった。
もしかしたら、私ってば大分結城さんの傾向掴んできたかもしれない。慣れとは素晴らしきかな。もう少しスキルを磨けば、彼に振り回される事もないのだ、きっと!
私は、これ以上結城さんのペースにならないように自信を持って相手の発言を否定にかかる。
「別に恋人同士じゃなくてもやります。親子とか」
「私を父親にしたいんですか?」
「なっ! んな訳ないじゃないですか!」
が、あっさり反撃? された。私のささやかな自信は、たった一言で早くも崩されかけて……。
「ですよねぇ。親子じゃ恋愛出来ませんし」
「だからっ、恋愛とか恋人とか……そういうんじゃな…!」
「では、何でしょう?」
「えっ!?」
結城さんの反撃は続く。
彼のペースにはならないと思っていたのに、どんどん流されていってるような感じがするのは気のせいだろうか?
「ただの隣人ですか? 自宅で二人きりで食事をしたりキスをしたり。仕事終わりにはこうして一緒にカフェでお茶もする……“ただの隣人”?」
「……うっ」
(これは……っ。まずい流れに!)
そこまで踏み込んでしまっていたら、それはもう“ただの隣人”の関係とは言えない。私と結城さんの間に起こった事を言葉で並べられると、「仲良しだから」という弁論も怪しく意味深に聞こえてしまう。
完全にこちらの言い分に対して先手を打たれた。だけど、気が付いた時にはもう遅い。この人は、他人を自分のペースに巻き込む天才なんだ! と改めて思う。
「……」
「ね。恋人みたいですよね?」
「うぅ……っ」
言葉を呑み込んだ私に、結城さんは目をスッと細めながら確認してきた。確認というより、もう半ば脅迫の様にも思えるけど……。
結城さんってこういう時、いつもの紳士感が消える。代わりに有無を言わさない強引さが見える。
まさか職業はやり手の営業マンか!? なんて、私はピンチの時に呑気に考えてしまった。
はっ!! いかんいかん!
「……そ、その手には乗りませんっ。“だからもう恋人ってことでいいでしょう”って完結させる気ですよね?」
「良いじゃないですか、完結。私は朝からずっとそう言ってますが……? 花音さんが先伸ばしにしてるんですよ?」
「だから! それは!」
続けようとして、はたと止まる。あれ? 私いま何言おうとした?
甘い香りが風に舞って、鼻腔をくすぐっていく。
ここの薔薇は咲き過ぎだ。普段ほんのり香るモノしか知らない私には、圧倒される程の濃さが少々キツい。
(ちゃんと告白されてなきゃ返事も出来ないって……言おうとしてた。それって何か)
告白さえしてくれればOKなのに……と言おうとしてるみたいじゃない。流されるつもりは毛頭ないのに、なんて事だ! 私ってば!
「それは?」
「やっぱりなんでもないです」
これ以上口を開いていると、余計な事をどんどん言ってしまい、それこそ相手の思うツボになるだろう。私は、半開きの口の中にケーキを押し込んだ。
あ。美味しい。
ほどよいクリームの甘さ加減と、スポンジのしっとり具合。このお店のメニューは私の好みにがっちり合っている。幸せスイーツに、気持ちと頬が緩んだ。
「良いんですよ、花音さん。私には本当の事を言ってくれても。だってこれからは長いお付き合いになるんですし」
「ほ?」
笑顔の結城さんに、首を傾げた私。変な返答になったのは、ケーキを頬張ってたから。
頑張って咀嚼しなくても、上品なケーキは口の中で溶けていく。ごくん、と美味しさを飲み込んだ私に、結城さんはウットリした表情を見せながら続けた。
「最終的には何でも言い合える仲、というのが理想じゃないですか。隠されていても貴女の事は分かりますが、やはり花音さん自身の口から聞きたいとも思うんですよね。私としては」
「……ん?」
「そう。憂いも羞恥も。その口から何でも、ね」
何言い始めるんだ? この人? 大丈夫か?
夢みる詩人みたいな口調になってますが。
私の事を「表情がコロコロ変わる」と言った事がある結城さんだけど、彼だって負けてないと思う。駅で見かけた時から何度となく変わる結城さんの雰囲気に、私はただただ驚いていた。
すると、恍惚と薔薇を見ていた瞳が不意にこちらに向く。恍惚残る茶色の瞳は艶美。その艶やかさにドキッとしてしまった。
「だから、お聞きします」
少し腰を浮かせて、結城さんはテーブル越しに私に近づく。小さなテーブル向かい合わせの状態では、あっという間に鼻先触れそうな距離になった。「ちょっと……」私は僅かに重心を後ろへ。
「近いです、近い」
「花音さん。甘いモノ、お好きでしょう?」
「へっ!?」
超間近で、この質問。なんでそうなるのかと、驚かない方が可笑しいというものだ。ギョッとする私に、結城さんはニッコリと人差し指でショートケーキを指さした。
……何でも言い合える仲が理想。結城さん、私とスイーツ談義でも繰り広げるのが夢なワケ? 他に、スイーツについて熱く語り合える仲間がいないのか?
「え。あ、はい……好きです、けど……」
とりあえず、ということで。
結城さんの指がクリームを掬うのをぼんやり見ながら、私は答えた。細長い綺麗な指。ピアノでも弾いちゃったりしたら、さぞかし絵になるんだろうな……。なんて思う。
いや、もしそれがピアノを弾くという芸術的動作じゃなく、単に指を振るとか他愛ない動作だとしても……絶対絵になる。絶対。
だって、なんてったって彼は「結城さん」なのだ。中身はともかくビジュアル的には優れ過ぎてる、超がつく美男。指一本だって無駄にならない。絵にならない訳がない。
(ところでそのクリームどうするんだろ……やっぱ味見?)
真っ白なクリームの味は、すでに自分の知っている味。口の中で溶けた小さな甘さ。真新しい記憶。
「奇遇ですね」
フッと笑みを見せ、結城さんは囁くように言った。
「私も、甘いモノは好きなんですよ」
そうして自分の指をペロリと舐め上げて。
ゆっくりと、焦らす様な舌の動き。それが凄く艶めかしく淫靡に見えて仕方ない。絵になる男のそういう仕草は、危険極まりなかった。頭の中で警鐘が鳴り響く。危ないぞ、と。
「……っ」
目を逸らしたかった。逸らさなきゃいけない気だってもちろんした。
だけど……出来ないとは!
そうさせまいと、また結城さんが無言の圧力をかけてるのかもしれない。
でも、そうしちゃいけないと、私こそがどこかで思っているかもしれない可能性だってあった。
クリームの真白に、彼の舌の真赤。
視覚に促されて、中途半端に残ってるクリームの甘さの記憶が私の舌によみがえり乗る。それはまるで、同時に味わってるみたいな錯覚。
瞬間、自分の脳内に投影されたイメージ画像は、“可能性”を肯定するには十分なものだった。
『顔に火がつく』とはこうなった時使うんだ、きっと。一秒で私の顔の体温、何度上昇した?
(ちょっ、こんな事思うなんて……わたし!)
おかしいでしょ! バカじゃないの!?
「まあ、甘さと言っても色々ありますけど……。でも花音さん。どうやら私達、そういう好みまで同じようですね」
「え……っん!?」
バカな想像は現実になる。
顎をガッと掴まれたと思ったら、重なる唇。直後には結城さんの舌が緩く開いてた口唇を遠慮なく割って入ってきて、私の舌に絡んでくる。
激しくて性急。そして、融けそうに熱く。甘ったるい。クリームなんかより全然。息継ぎが上手く出来なくなって頭がクラクラしてきた分、キスの甘さが全身を毒していく様だった。
沈む? 溺れる? 分からなくなる自分の状況。
ただ……。混乱してるくせに、困惑してるくせに、この甘さが心地好いと感じてる私。
バカな想像は期待だったんだろうか?
だとしたらみっともないし恥ずかしい。いつから自分はこんな風になったんだろう。キチンと整理もついてない関係の中で、キスの深度ばかり深め合ってくなんて……どうかしてる……。
中庭の木々が風に揺れて葉擦れを起こす。
さわさわ、さわさわ。
それは誰かの囁きか、クスクス笑う小さな声みたいだった。薔薇の香りも益々強くなった気がする。
ふっと一瞬だけ結城さんの唇が離れた時、その香りが呼吸に紛れ一気に押し寄せてきて……。
その後は、キスと薔薇の殺人的な甘さに負けてしまいよく覚えていない。
結局、また何もかも、うやむやに終わってしまったのだ――。
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