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『甘いモノ、お好きでしょう?』

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「しっかし、良かったよね~。寝坊して」

 店の裏、本の在庫整理とイベントコーナー作りの準備を一緒にしていたバイト仲間の朋絵ともえが、しみじみとそう言う。

「……うーん……」

 いつも乗るバスに乗れなかった私は、結局ここに来るのが通常より大幅に遅れた。

 エレベーターがいつもと何か様子が違って……なんていうのは、理由にしては微妙だし、しかも、それを話すと必然的に今朝の結城さんとのやり取りまで思い出してしまう。

 結局、私の口から出てきた理由は“寝坊”だった。これが一番当たり障りが無いような気がしたのだ。

「いや……良くないでしょ、寝坊は。遅刻はしなかったとはいえ」
「そりゃあね。基本的には。だけど、今日に限ってはラッキーだったんじゃない?」

 朋絵は明るい声で言った後、「あ。そっか」とすぐに申し訳なさそうな顔をした。

「あんまりラッキーとか大きな声で言っちゃ、ダメかな……やっぱ。あの事故に遭った人達は大変なんだもんね」
「……うん。でもさ、私本当ビックリしちゃった」
「私だってそうだよ! 花音がココにまだ来てないって聞いた時は、一瞬店長と嫌な想像したんだからね!」
「そっか……」
「それが、まさかの『寝坊してバス乗り遅れましたー!』って登場じゃん? あーホント、あの時は脱力だったわぁ」

 苦笑いの友人に、私も同じ笑いを返した。

「それはまぁ……。なんかゴメン」
「いやいやなんの。ていうか、初めてじゃない? 花音が寝坊するなんて。その初めての寝坊の時に“アレ”とか……すっごい悪運」

 そう。今日の私は、不幸中の幸い。まさにその言葉通りだった。

 何か色々面倒な事に遭い、いつものバスに乗れなかったのは、私にとっては結構大事なトラブルに分類される。朝からそんな目に合うのはとんでもない一日だと思ってた。

 ところが、“そんな目”なんてのは、ほんの序の口で。

 なんと、私がいつも乗るバスが、駅前通り手前の交差点で、多数の被害者を出すという大事故を起こしていたのだ。

 乗客は、ほとんどが怪我を負い病院へ。騒然となった現場は、おそらくまだ混乱してるだろう。

「バスがなかなか来ないから、遠回りだけど電車使ってさ。駅が人でごった返してるから、何だろうと思ってはいたんだよね。でも、まさか私がいつも乗ってるバスが事故とかさ……。あるんだね、そういうの」

 本の整理をしつつ、友人とこんな風に他人事で話してるのが、なんだか信じられない。もしかしたら、私もあの現場にいて、今頃は病院のベッドの上だったかもしれないんだもの。

 人生生きていると、何が起こるか本当分からないモノなんだと、身を以て知った。

「とにかくさ、今こうして元気にいるんだもんね。偶然って凄いよ」

 朋絵は、店頭のメインコーナーに並べる本を台車に積みながら、「ところで」と視線を私に向ける。

 彼女の目が好奇心に一瞬光ったような気がして、こちらはつい身構えてしまった。

「寝坊なんてらしくない花音さん。一体何があったのかしら?」
「え? 何もないよ。何、その反応」
「またまたー。それはコッチの台詞だよ。今一瞬、ギクッとした顔したでしょ!」
「してないよっ、そんな顔!」
「嘘うそ。花音は分かりやすいんだから。隠しても無駄だよ。絶対、何かあった感じだね、それは」

 ふふん、と得意げな表情で、朋絵は追求をしようとする。そのうち、探偵や刑事が事件の検証をするみたいに、話を膨らまし始めるかもしれない……。

 彼女は、今、推理物やミステリーといった類の本にハマっているのだ。つい最近も、「一度でいいから探偵事務所で働いてみたい」と言っていたばかり。そんなところに、自分がハマっている世界観をリアルに体験出来るようなおいしいネタが現れたとなっては……。

(どこまで話したら良いんだろーなぁ)

 全部は、さすがに危険な気がする……。

 彼女の好奇心魂に火を点けたら最後、厄介……じゃなかった、対応に困る事が増えるに違いない。

 結城さんを思い出し、目の前の朋絵に愛想笑いしながら、私はどうしたら地雷を踏まずに済むかを考えた。

「そうだなぁ……」

 何から、いや、何をどう説明しようか。

「ねぇ、朋絵さ」
「おーい、朋絵っち、いるー?」

 店の裏にいるとはいえ、これでも立派な仕事中。他の店員が焦り声で朋絵を呼びに来た。思わず止める、作業の手とお喋り。

「いますよー、ここに」
「ごめん。ちょっと助けて! 客から聞かれたんだけど、科学関係の方は、俺全然分かんなくてさ!」
「はいはーい! 花音、続きはまた後で。ちゃんと教えて貰うからねっ」
「えー……」
「何なにソレ? 面白げな話? 俺も混ぜてよ」
「ダメでーす。女子の恋バナに男は不要ー」
「こ、恋バナ!?」
「恋!?」

 同じバイト店員、田所さんと私の声が重なった。

 田所さんは、私達と同じ大学の先輩で、大学にいるよりバイト先にいる方が多いという働き者(?)。

 明るくて話しやすそうな、いかにも“いい人”感全開で、実は結構女性客に人気があったりする……らしい。田所さん目当てに通う女子高校生を何度か見た、という噂も。――真偽は定かでない。

「え。まさか花音ちゃん、彼氏出来たの?」
「出来てませんっ。ていうか、まさかってどういう意味ですか!?」

 「まったくもう!」と、余計なお世話な田所さんを、追い払う仕草で送り出す。笑った彼は、朋絵の後を追い売り場へと消えていった。

「朋絵ってば。誰が恋バナするって?」

 新しく設置するミステリーフェアのコーナーポップを手に取って、私は一人で「ああー……」と呟く。

『秋の夜長にミステリー』
『上質の謎はいかがですか?』
『推理物から恋愛、ホラー、ファンタジーまで多数揃えてみました!』

「それどころじゃない気が……」

 只今の私は、絶賛リアルミステリーフェア開催中。

 ただし、このポップみたいな、知的な感じでも面白そうな感じでもない状態で。更にはそこにロマンス上乗せなんて、もっと遠そうな雰囲気だったり。

(え。やだ。“遠そう”って。何なのその残念そうな感想)

 無意識って恐ろしい。

 こんな時まで思い出してしまうなんて。もう本当に困ったもんだ。周りに誰も居ないからいいものの……。もし、朋絵が居たら何を言われるか分かったもんじゃない!

 勝手に熱くなる頬と全然忘れられないハプニングの記憶は、自分でも上手くコントロール出来ずにいる。

 結城さんはどうして私にあそこまで構うんだろう。

 どうやら、よっぽどからかいやすい女だって思われたに違いない。じゃなかったら、あんな……あんな――。

「だから、私もどこまで懲りないんだっつーの!」

 持っていたポップの紙を台車に乗る本の上に叩きつけた。

(いい加減自分の思考能力に疑問を持とうよ、花音! 朝から。っていうか、昨日から。私ってばずっと結城さんのことばっかり考えてるじゃん!)

 この無条件に熱くなるほっぺたをどうにかしろってば! 遊ばれてるだけの事なのに、思い出す度脳内で甘っぽく脚色しちゃうのは……ただのバカでしょうがっ!

 バサバサッと派手な音を立てて、台車に積んでいた本が崩れ落ちた。持っていたものを勢いよくそこへ叩きつける様な真似をしたからだ。

 音に我に返った私は、それこそ誰も見てないのに大慌てで本を掻き集めて……。

 本当、何やってるんだろう自分。

 ここ最近私の周りでは、理解不能な事やら不思議な事やら続いているけれど、私の頭の中が、一番分からない状態になっているんじゃないだろうか?

 台車に本を戻しながら、自分に呆れ溜息を。

 そして、手に取った本のタイトルを見て、さらに重ねた深ーい溜息。

『隣人の殺意』

 ココにも隣人か。

 笑えないにも程がある……。

 
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