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エピローグ
しおりを挟む第一庭園をエレノアはカミラと共に歩く。
光を受けて緑が瑞々しい色合いで輝くその光景に、エレノアは微笑みを浮かべた。
聖女問題が一段落し、こうして平穏な日々が戻ってきたのだ。
「これでスローライフを満喫できるわね」
「すろーらいふが何かはわかりませんが、お嬢さまに平穏な生活が戻ってよかったです」
シルバーの存在を目の当たりにした信仰会は、聖女の選定を向こう30年は行わないと公式に発表した。貴族からは反発の声が上がったが、それを封じたのは王家である。そもそも、聖女は数十年現れていない。
であれば、次代、その次の代で聖女を選定しても構わないのだ。
王家としても信仰会としても、そもそも聖女を選定することを望んでいたわけではない。聖女を騙るウィローとギル・ヒューズを民が支持しなければ充分である。
ウィローは子どもであること、また聖リディール正道院やコールマン侯爵家からの強い要望で謹慎処分となった。場所はここ聖リディール正道院である。
一方、ヒューズはウィローを聖女だと偽り、民を先導したこと、また貴族を騙ったことで処分が下される予定である。
「エレノアさま! 見てください! 洗って綺麗になりました!」
「まぁ、本当。良かったわね、シルバー」
エレノアの姿を見て、駆けて来たリリーとマーサだが、リリーの腕には白いぐったりとしたものが抱えられている。水で濡れて体が半分ほどの細さになったシルバーである。
《うぅ、我の美しい姿が……》
「綺麗になってよかったじゃない。これから乾かしたらまたふわふわになるわよ」
《清らかな魂の子よ、我に厳しくないか?》
びしょびしょのまま、きゅうきゅうとシルバーは抗議する。
そんなシルバーのおでこにエレノアはぴしっと指を刺す。
「約束を破ったでしょう?」
《うっ! な、何を言う! 汝らを救うためではないか! 我の矜持としてはだな、人の世に直接かかわるのはしてこなかったのだぞ!》
あの日、シルバーとの別れを惜しみながら自室に戻ったエレノアの目に飛び込んできたのは、ベッドの上で丸くなり、きゅうきゅうと鳴く白い狐であった。
《我はもうここにはいられぬのだ》そう言って泣くシルバーをエレノアはぎゅっと抱きしめた。その紫の瞳からは今度は喜びの涙が零れ落ちる。
再び、人の姿に戻ったらここにはいられない。初めて人の姿になったときの約束を、シルバーは律儀にも覚えていたのだ。
「ふふ、冗談よ。シルバーのおかげでまたこうして平穏な日々が戻ってきたんだもの。ありがとう、シルバー」
《清らかな魂の子よ……》
青い瞳を潤ませて、エレノアを見つめるシルバーをマーサは不思議そうに見つめる。先程からきゅうきゅうと鳴く姿はエレノアによく懐いていることがわかるくらいだ。リリーは大事そうに布に巻いたシルバーを抱きしめ、エレノアと会話する姿を尊敬の眼差しで見つめた。
「じゃあ、リリー、マーサ。シルバーを乾かしてきてくれる?」
「はい! 責任を持ってふわっふわに仕上げてまいります! もっと可愛くしますね、シルバーさま。 行こう、マーサ!」
「うん! エレノアさま、失礼します!」
《ううっ、我ほどのものが子どもに犬のように扱われるとは……》
パタパタと駆けていく二人の少女の後姿は愛らしい。げんなりとしたシルバーの表情にくすくすと笑いながら、エレノアは第一庭園を歩いていく。
その視線の先にはグレースたちが果実を摘み取っている。
「ねぇ、見て! あの果実、美味しそうね。ベリーかしら。そのまま食べてもいいし、きっとジャムにしてもいい。お菓子なら何がいいかしら?」
「あ、お嬢さま!」
駆け足でグレースたちの元へと向かうエレノアは貴族令嬢らしくはない。だが、これがエレノアの一面なのだとカミラは思う。
この聖リディール正道院へと訪れなければ、見られなかったであろうエレノアの少女らしい姿にカミラは目を細める。
貴族と平民の垣根を越えて、エレノアは研修士同士の関係を変えた。聖なる甘味の復活させ、その菓子で人々の笑顔を生みだしたのだ。
「ほら、カミラ。置いてっちゃうわよ!」
「お待ちください、お嬢さま」
振り向いたエレノアは満面の笑みを浮かべて、カミラに呼びかける。
エレノアの言うスローライフが何か、カミラにはわからない。
だが、エレノアがこうして笑顔で過ごせる日々がこれからも続くようにと、神というものがいるのならこれからは祈ってみてみよう。そんな気になる。
紫の瞳を輝かせ、銀の髪は風を受けて広がる。
エレノアはこれからも菓子作りに勤しむだろう。
そして、その向こうには人々の笑顔がきっとある。
聖なる甘味を作る転生令嬢エレノアのスローライフ、これからも彼女は誰かのために菓子を作り続けるのだ。
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