上 下
26 / 67

第25話 ヴェイリスとラディリス

しおりを挟む
 
 なぜかエレノアたちが訪れたのは貴族用の厨房である。
 初めて訪れたスカーレットはおずおずと足を踏み入れたが、エレノアにとっては心地よく過ごせる場所の一つである。
 エレノアの突然の来訪に、アレッタが驚きの声を上げる。

「どうしたんだい? お嬢さん。今日は大人数だね。あれ、もう一人綺麗なお嬢さんを連れて来たねぇ」
「えぇ、そうなの。皆で『聖なる甘味』を作ろうと思って」
「え! どうしましょう、私、自信がありません……」
「マーサ! 申し訳ありません。コールマンさま」

 正直なマーサの言葉にエレノアはくすりと笑う。
 実際には、ペトゥラもスカーレットも同じような思いでいるのだろう。不安げな表情を浮かべている。
 
「コールマンさま!」
「あら、リリーさん。あなたも聖なる甘味作りに参加することになったのね」
「はい! その、コールマンさまのご教示のおかげです!」

 青い目をキラキラ輝かせて話すリリーの後ろで、グレースがエレノアに目礼をする。
 今日は菓子作りの日ではないはずだが、二人も明日以降の確認のため厨房に訪れていたのだ。

「お二人ともこのあとのご予定は何かある? よかったらお時間を頂けないかしら?」
「はい! 私はあります」
「私もこのあとは急ぎの用事はありません」

 そんな二人ににこりと微笑みを返したエレノアは、皆を見回す。柔らかな微笑みを称えたエレノアがどんなことを考えているのかはわからない。カミラ以外の者たちは戸惑いながら見つめ返す。

「皆さん、『聖なる甘味』作りにご協力頂けませんか?」
「えっと、マドレーヌをお作りになるんですか?」
「えぇ、貴族向けのマドレーヌを作りたいんです」
「え? 『公爵令嬢のマドレーヌ』を私たちがですか?」

 貴族向けのマドレーヌ、通称「公爵令嬢のマドレーヌ」だが、面と向かって言われてみるとなかなかに気恥ずかしい。エレノアはそんな内心を表情には出さないように、微笑みを皆に向けた。

「ですが現在、注文は頂いておりません」
「えぇ、だからこそ作ったマドレーヌをお世話になった方々にお贈りするのよ。私もクーパー侯爵令嬢も、貴族のお知り合いはけっして少なくないはずよ。兄や父の力も借りるつもりでいるの」
 
 注文が途絶えている「公爵令嬢のマドレーヌ」、だからこそエレノアも時間は十分にある。この作成を皆で行い、その味を普及することで地道に評価を変えていこうとエレノアは考えたのだ。
 だが、その言葉に表情を暗くしたのはスカーレットだ。事件のこともあり、自身の貴族としての伝手にも力にも不安を感じられた。
 
「わたくしはコールマンさまと違って、人望もありませんし、家族も頼れません。お力になれるか……」
「では、お世話になった方はいらっしゃる?」
「それは……ですが、わたくしの作った菓子に不安を覚えるかと」

 罪を犯したときから、人々はあっという間にスカーレットの周囲から距離を取った。皆、侯爵家という身分に近付いてきただけ、友人ではなかったのだという事実はスカーレットをさらに孤独に追いやった。
 だが、エレノアは事もなげに笑う。

「あら、それは私も同じことだわ。でも、毒の有無も安全性も魔法で確認できるでしょう? 問題ないわ。お菓子に簡易なお手紙を添えて、お贈りしましょう――それとも、何もしないで諦めてしまうのかしら?」

 その言葉にスカーレットはハッとする。これはエレノアから与えられたチャンスなのだ。正道院に入っても孤立し、心を閉ざしていたスカーレットにエレノアは手を伸ばしてくれた。
 確かに正道院で出来ることは限られる。だが、何もせずに現状を受け入れてしまえば、相手の思う壺、悪意に屈したことになる。
 スカーレットは気持ちを奮い立たせて、エレノアに向き合う。

「お世話になった方ならおります。その方々に、ご迷惑をおかけしたお詫びの手紙とお菓子をお贈りしてみます」
「えぇ、ではお願いしますね。じゃあ、マーサたちはリリーたちと一緒に菓子作りをして貰えるかしら」
「はい。かしこまりました」
「よろしくお願いいたします」

 こうして、マーサたち使用人とアレッタたち調理人、平民研修士であるグレースとリリーたちと共に、エレノアは「公爵令嬢のマドレーヌ」作りに乗り出す。
 スカーレットはその様子を眺めながら、自分に出来ることは他に何かないかと真摯に考えるのだった。
 


 魔法オーブンの使い方には不慣れなエレノアは、調理人に頼んで調整をして貰った。菓子作りにのみ活かされるエレノアの魔法を、まだこの場で行使するわけにはいかない。
 何より菓子作りという楽しみを、魔法で済ませてしまってはもったいないとエレノアは思うのだ。
 実際、不慣れなペトゥラやエヴェリンに少しアドバイスすると、彼女たちは懸命にエレノアの言葉に耳を貸す。その熱心さは菓子の出来栄えにも影響した。マーサやリリーは綺麗に焼きあがったマドレーヌに目を輝かせる。
 そんな彼女たちの姿にエレノアもまた刺激を受ける。
 エレノア一人で調理するときでは、得られない楽しさもそこにはあった。
 
「うわぁ、美味しそうですね……!」
「だめよ、マーサ。これは貴族の皆さんにお贈りするものなのだから」
「もうわかってるわよ、リリー」

 どうやら年の近いマーサとリリーはあっという間に親しくなったようだ。
 貴族のメイドと平民研修士という垣根を越えて、気さくに話し合う二人の様子を皆、微笑ましく見つめる。
 だが、距離が縮まったのはマーサとリリーだけではない。
 共に調理をすることで、この場にいる者たちの距離は自然と近付いたのだ。
 綺麗に焼き上がり、あとはアイシングの砂糖などで飾り付けをするだけのマドレーヌ、それを作ることだけがエレノアの目的ではなかったのだろう。
 そう、今変えなければならないのは外の世界の出来事ではない。
 この正道院内の貴族と平民の垣根、それをエレノアは変えようと動き出したのだとカミラを始め、その考えにここにいる大人たちは気付いたのだ。

「コールマン公爵令嬢……」

 グレースが震えそうになる声でエレノアに呼びかけると、彼女は紫の瞳を輝かせて微笑む。

「ね? お菓子を作るのって素敵なことでしょう?」
 
 そう微笑む姿は自然で柔らかく、 高位貴族としてではなく、一人の人間としての魅力に溢れている。
 エレノアの在り方が周囲の人々の心を変えていく。
 自然にごく当たり前のように、影響を与えていくエレノアの姿を、カミラは眩しく誇らしく思う。
 だが、この場で最も影響を受けたのはスカーレットだろう。
 身分も仕事も異なる者たちが協力し合い、一つの菓子を仕上げていく。その中心にいたのは公爵令嬢であるエレノア・コールマンなのだ。

「……わたくしには、何が出来るのかしら……」

 そんな彼女の小さな呟きは、片付けの音や会話の中でかき消されていくのであった。


*****
 

 自室へと戻ったエレノアは、兄カイルへの手紙を綴る。
 今日作ったマドレーヌを知人に振舞い、その評判を高めて欲しいこと。そして、スカーレットとクーパー家に起きた状況を書いていく。
 本来はクーパー侯爵家とヒギンス伯爵家の問題であったが、正道院内にまでその問題を持ち込み、尚且つ正道院の活動に影響を及ぼしたヒギンス伯爵家の行為は目に余るものがある。
 既に事態は、二つの家の問題ではなくなっているのだ。
 書き終えた手紙に目を通し、問題がないか確認するエレノアにカミラが訪問者を告げる。

「スカーレットさまがお一人で?」
「はい。お一人でいらして、伝言を申し付かっております。実は――」

 カミラがそっと、エレノアにスカーレットからの言付けを口にすると、紫の瞳が大きく揺れる。伝えられたスカーレットからの言葉に驚いたエレノアだが、微笑みを浮かべて頷くと魔法鳥に手紙を託し、空へと飛ばす。
 星明かりの中、白い魔法鳥が夜空を飛ぶ姿を、エレノアは祈るような思いで見送るのだった。


 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

少女は自重を知らない~私、普通ですよね?

チャチャ
ファンタジー
山部 美里 40歳 独身。 趣味は、料理、洗濯、食べ歩き、ラノベを読む事。 ある日、仕事帰りにコンビニ強盗と鉢合わせになり、強盗犯に殺されてしまう。 気づいたら異世界に転生してました! ラノベ好きな美里は、異世界に来たことを喜び、そして自重を知らない美里はいろいろな人を巻き込みながら楽しく過ごす! 自重知らずの彼女はどこへ行く?

称号チートで異世界ハッピーライフ!~お願いしたスキルよりも女神様からもらった称号がチートすぎて無双状態です~

しらかめこう
ファンタジー
「これ、スキルよりも称号の方がチートじゃね?」 病により急死した主人公、突然現れた女神によって異世界へと転生することに?! 女神から様々なスキルを授かったが、それよりも想像以上の効果があったチート称号によって超ハイスピードで強くなっていく。 そして気づいた時にはすでに世界最強になっていた!? そんな主人公の新しい人生が平穏であるはずもなく、行く先々で様々な面倒ごとに巻き込まれてしまう...?! しかし、この世界で出会った友や愛するヒロインたちとの幸せで平穏な生活を手に入れるためにどんな無理難題がやってこようと最強の力で無双する!主人公たちが平穏なハッピーエンドに辿り着くまでの壮大な物語。 異世界転生の王道を行く最強無双劇!!! ときにのんびり!そしてシリアス。楽しい異世界ライフのスタートだ!! 小説家になろう、カクヨム等、各種投稿サイトにて連載中。毎週金・土・日の18時ごろに最新話を投稿予定!!

没落貴族と拾われ娘の成り上がり生活

あーあーあー
ファンタジー
 名家の生まれなうえに将来を有望視され、若くして領主となったカイエン・ガリエンド。彼は飢饉の際に王侯貴族よりも民衆を優先したために田舎の開拓村へ左遷されてしまう。  妻は彼の元を去り、一族からは勘当も同然の扱いを受け、王からは見捨てられ、生きる希望を失ったカイエンはある日、浅黒い肌の赤ん坊を拾った。  貴族の彼は赤子など育てた事などなく、しかも左遷された彼に乳母を雇う余裕もない。  しかし、心優しい村人たちの協力で何とか子育てと領主仕事をこなす事にカイエンは成功し、おまけにカイエンは開拓村にて子育てを手伝ってくれた村娘のリーリルと結婚までしてしまう。  小さな開拓村で幸せな生活を手に入れたカイエンであるが、この幸せはカイエンに迫る困難と成り上がりの始まりに過ぎなかった。

異世界に転生した俺は農業指導員だった知識と魔法を使い弱小貴族から気が付けば大陸1の農業王国を興していた。

黒ハット
ファンタジー
 前世では日本で農業指導員として暮らしていたが国際協力員として後進国で農業の指導をしている時に、反政府の武装組織に拳銃で撃たれて35歳で殺されたが、魔法のある異世界に転生し、15歳の時に記憶がよみがえり、前世の農業指導員の知識と魔法を使い弱小貴族から成りあがり、乱世の世を戦い抜き大陸1の農業王国を興す。

転生幼女の攻略法〜最強チートの異世界日記〜

みおな
ファンタジー
 私の名前は、瀬尾あかり。 37歳、日本人。性別、女。職業は一般事務員。容姿は10人並み。趣味は、物語を書くこと。  そう!私は、今流行りのラノベをスマホで書くことを趣味にしている、ごくごく普通のOLである。  今日も、いつも通りに仕事を終え、いつも通りに帰りにスーパーで惣菜を買って、いつも通りに1人で食事をする予定だった。  それなのに、どうして私は道路に倒れているんだろう?後ろからぶつかってきた男に刺されたと気付いたのは、もう意識がなくなる寸前だった。  そして、目覚めた時ー

一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?

たまご
ファンタジー
 アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。  最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。  だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。  女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。  猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!! 「私はスローライフ希望なんですけど……」  この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。  表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。

僕は弟を救うため、無自覚最強の幼馴染み達と旅に出た。奇跡の実を求めて。そして……

久遠 れんり
ファンタジー
五歳を過ぎたあたりから、体調を壊し始めた弟。 お医者さんに診断を受けると、自家性魔力中毒症と診断される。 「大体、二十までは生きられないでしょう」 「ふざけるな。何か治療をする方法はないのか?」 その日は、なにも言わず。 ただ首を振って帰った医者だが、数日後にやって来る。 『精霊種の住まう森にフォビドゥンフルーツなるものが存在する。これすなわち万病を癒やす霊薬なり』 こんな事を書いた書物があったようだ。 だが、親を含めて、大人達はそれを信じない。 「あての無い旅など無謀だ」 そう言って。 「でも僕は、フィラデルを救ってみせる」 そして僕は、それを求めて旅に出る。 村を出るときに付いてきた幼馴染み達。 アシュアスと、友人達。 今五人の冒険が始まった。 全くシリアスではありません。 五人は全員、村の外に出るとチートです。ご注意ください。 この物語は、演出として、飲酒や喫煙、禁止薬物の使用、暴力行為等書かれていますが、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。またこの物語はフィクションです。実在の人物や団体、事件などとは関係ありません。

いらないスキル買い取ります!スキル「買取」で異世界最強!

町島航太
ファンタジー
 ひょんな事から異世界に召喚された木村哲郎は、救世主として期待されたが、手に入れたスキルはまさかの「買取」。  ハズレと看做され、城を追い出された哲郎だったが、スキル「買取」は他人のスキルを買い取れるという優れ物であった。

処理中です...