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9. クリスティーナの怒り
しおりを挟む張り詰めた空気の流れるカフェテリアで注目を集めるのは3人。ルパート殿下、クリスティーナ、そしてエイミーである。
つい先日、婚約破棄で注目された3人が再び顔を合わせたのだ。皆が注目するのは当然の事である。
まず先に動いたのはクリスティーナである。
この学園の制服はくるぶしまであるロングの厚手のフレアプリーツスカートである。その裾を持ち上げ、クリスティーナが礼をする。
スカートを摘まんだ両の手から広がり落ちるスカートは緩やかな流れを作る。
クリスティーナの美しい所作に周囲の者からもため息が零れる。
それはあの婚約破棄の日、ライリーが見た美しい礼と同じものだ。
だが、普段のクリスティーナの姿を見ているライリーはその時とは異なる印象を抱く。
優雅な姿の鳥が羽を広げて威嚇をするように、クリスティーナの美しく完璧な姿もまた武装のように見えるのだ。完璧な鎧をまとう事で相手に攻撃の隙を与えない。そんな公爵令嬢としての姿がそこにはあった。
礼をしたままクリスティーナはその姿勢を取り続ける。優雅には見えるがきつい姿勢のまま動かずにいられるのは彼女の修練の賜物であろう。
この数秒間の沈黙の間、視線はルパート殿下へと注がれる。
先に動いたのはクリスティーナ、であれば次はルパート殿下の番である。従者であるテレンスがそっとルパート殿下に耳打ちをする。クリスティーナに気圧されていたルパートは気を取り直したように表情を整え、彼女に声をかける。
「ここは学園であり、そのような態度をわたしにとる必要はないよ」
だが、クリスティーナは頭を上げようとしない。
ルパート殿下の指示に従わない事に周囲からは戸惑いと非難の声が上がる。それに動じず、クリスティーナはルパート殿下に尋ねる。
「恐れながら殿下、発言の許可を頂いてもよろしいでしょうか」
「え、あぁ」
礼をし、頭を下げたままでクリスティーナは言葉を続ける。
「殿下は我々にとって敬うべきお方です」
「あぁ」
「学園においても殿下の尊い存在は揺るぎないものです。多くの者がその認識でおります。そして、今では私自身もそう思っております。どうか、そのご寛大な心でお許しいただければと願います」
あくまでルパートの立場を敬い立てるクリスティーナだが、建前でこそ平等な学園でその立場を用いて婚約破棄を告げたルパートを、遠回しに指摘しているとも捉えられる。
そんな意味合いも込められてはいるが、クリスティーナの美しい礼に皆が気を引かれているため、その言葉に気付く者はいないとライリーは思う。
「そ、そうか…。君の気持ちは理解した。だが、どうか顔を上げてはくれないだろうか」
その言葉にクリスティーナは礼を解く。そして顔を上げるが、その表情にライリーは息を呑む。
微笑みを湛えながらも長い睫毛に覆われた瞳はけっして微笑んではいない。完璧でありながら冷たさを感じる微笑みは、ゲーム上の公爵令嬢クリスティーナ・ウォーレスそのものだ。
ルパート殿下一行はその完璧な微笑みに怯んだようで、適当な挨拶を述べ、クリスティーナとライリーから離れていった。周囲の者も恐れるように目を伏せ、足早に自らの席へと戻っていく。
クリスティーナは心の内でそのような者たちを嗤う。覚悟もなく自らに敵意を向け、集団であるにもかかわらず、怖気づくのかと。同時に虚しさにも襲われる。自分が今まで戦ってきたのは必死に努力してきたのは誰のためなのだろうと。
遠巻きにこちらを見つめる者の中にはかつてクリスティーナを慕う素振りを見せた者たちもいる。クリスティーナには彼らも努力してきた自らも滑稽に思えてくるのだ。
そんなクリスティーナにそっと近付く者がいる。ライリーである。
「あの、クリスティーナ様…」
おずおずと話しかける姿にクリスティーナは彼女も怯えさせたかと案じる。同時にそうでなければいいと願ってしまう自分に気付く。
彼女に嫌われたくない、拒まれたくないとどこかで思ってしまっていたのだ。
だが、ライリーの言葉はどこまでも彼女らしいものである。
「ごはん、食べませんか?冷めちゃいますから」
「…ふふ。そうね」
自らの返事に嬉しそうに笑ったライリーをクリスティーナは興味深く思う。
クリスティーナのあの振る舞いは敢えて身に付けたものだ。貴族として戦う時の姿、それに怯えることも臆する事もなく今まで通りに接してくる少女は、見た目以上に大物で豪胆であろう。
嬉しさから笑いたくなる気持ちを押さえ、クリスティーナはあくまで公爵令嬢らしく席に着くのだった。
*****
もぐもぐと口を動かしながらライリーはエイミーに頼まれていたことを思い出す。
だが、先程の光景を見てもやはりクリスティーナに合わせていいのか悩むのだ。
そもそも、エイミーがクリスティーナと何を話したいのかがわからない。場合によってはクリスティーナが傷付くのではという思いもある。
エイミー自身が素直な子ではあったが、現状を思えばクリスティーナが傷付くか不利な状況になりかねない。
そう思うライリーは無意識に視線をエイミーに向ける。
そこで見たエイミーの様子にライリーは目を見開く。
ルパート殿下やその従者に囲まれるエイミーの表情は愛らしい。だが、それはまるで人形のような微笑みだ。口角を少し上げてはいるが、その表情は同じ笑顔を湛え続けている。会話もほぼ交わさず、話したとしても同意を示す言葉のみだ。
共に過ごしたときとは全く異なるその様子にライリーは戸惑う。
だが、周りの者はそんなエイミーを気にかける事もなく、和やかに食事を進めている。であれば、これが彼らにとって日々の光景ということなのであろうかと疑問に思ったライリーに、クリスティーナが声をかける。
「ライリー、そろそろ参りましょう」
「え、えぇ!そうですね!」
エイミーの様子は気がかりだが、今彼らに近付くのは得策ではないだろう。人形のように作られた可愛らしいが寂しさを湛えた表情に、後ろ髪を引かれる思いでライリーは第一カフェテリアを後にしたのだった。
廊下をクリスティーナと歩きながらも、ライリーは先程のことが頭を離れない。
エイミーの様子、クリスティーナに話したい事、この2つは繋がるのだろうか。だが、クリスティーナにとってはどちらがいいのだろうか。どちらも傷付かない道などあるのだろうかと、つい思いふける。
そんなライリーの少し先を歩んでいたクリスティーナがふと歩みを止める。
「クリスティーナ様?どうかなさったんですか?」
クリスティーナがゆっくりとこちらを振り返ると、ライリーの顔が青ざめる。
「ク、クリスティーナ様?えっと、何か怒ってますか?え?」
「えぇ、そうね」
先程、公爵貴族として振る舞うクリスティーナに怯える事のなかったライリーだが、にこやかな笑顔を浮かべながらも怒りを感じさせる表情とこぼれ出る気迫に顔が引きつる。
だが、ライリーには全く覚えがない。
「ねぇ、ライリー。あなた私に隠し事をしていない?」
「え、え!え?あの…なんでわかるんですか?」
ライリーの隠し事は2つ。前世の記憶を持つことと、エイミーにクリスティーナとのことを頼まれていること。この場合、後者が気付かれたのだろうとライリーは思う。
穏やかな微笑みを湛えながらも怒りが滲み出るクリスティーナ話していいのか悩むライリーは目を瞬かせる。
のんびりとした昼休みになるはずが次から次へと何事かに巻き込まれるライリーであった。
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