お悔やみ申し上げます

陽花紫

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小学生のころ 近所のおばさん

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 次の死は、小学生低学年のころ。近所に住むおばさんだった。

 おばさんといっても、当時は40代か50代くらいだったかと思う。

いつも綺麗にお化粧をしていて、おすそ分けや旅行のお土産をくれるような優しいおばさんだった。おばさんのところにはぶっきらぼうな20代の娘さんがいて、おばさんの家に近づくのは少し怖かったけど、娘さんがいない昼間に私の家に来ては、祖母と世間話をする傍ら私を孫のようにかわいがってくれた。

「紫ちゃん、お菓子たべる?」

我が家のお菓子といえば、煎餅か焼きのり、もしくはのど飴だった。その時渡されたのは砂糖がついたグミのようなゼリーで、いつもはいからなお菓子をくれるおばさんが私は大好きだった。

そしてゴロウという名前の犬を飼っていた。
その犬はよく吠える犬で、いつもボディーガードのようにおばさんのそばにいた。

 ある日の晩、けたたましく鳴る救急車のサイレンが静かな住宅街に響き渡る。

その音はどんどん近づいて、ある場所で止まったようだった。

私も兄も飛び起きて、パジャマのまま外が見える部屋の窓にかじりついた。ゴロウがわんわん吠えている。母と祖母は、野次馬のようにつっかけをはいて外に出ていった。

 しばらくして、赤い光の中に照らし出される家を見た。
救急隊員の人がストレッチャーを出した。近所でも大声で有名な母の声が響く、しきりにおばさんの名前を呼んでいた。

おばさんはぐったりと横たわっていた。部屋着なのか、いつもは見ない水色の服を着て、救急車に乗っておじさんもそこに乗り込んで再びサイレンが鳴りだす。

 これがおばさんの最後の記憶。

おばさんは、のうこうそくで亡くなった。

何日か後に、そう聞いた。私は死んだのかと思った。

今でもあのお菓子を見るとおばさんのことを思い出す。
おじさんは今でも元気で、娘さんは結婚して今では二児の母だ。ゴロウはいつのまにか死んでいた。

たまに、道端でお孫さんとすれ違う。

 二人のお孫さんは、今では口うるさいご近所おばさんになってしまった私の母のことは知っていても、私のことは知らない。

二人のお孫さんは、おばさんのことを知らない。

でも私はおばさんのことを知っている。とても優しくて、チャーミングなおばさんだった。

今はおじさんとしか挨拶をしないけれど。

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