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三章 総統閣下の無くしもの

3 「お前だけは、おかしくならない」

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『やあ人類諸兄姉。我が名は不可思議(ふかしぎ)阿摩羅(あまら)――君たちを管理する者だ』

 突如中継に割り込んだ声と姿。
 フードを被った男が画面全体に映し出される。

『世界は歪んでしまった。間違ってしまった。我こそは正常へと戻す救世主。ああしかし、諸君らにも協力していただこう。まずは――大罪人を見つけ出してもらおうか』

 阿摩羅はおもむろにフードを外した。

 見間違えようが無い。
 フードを外した不可思議阿摩羅の顔は――間違いなく、俺だった。

『これと同じ顔の男を我が眼前に連れてこい。大罪人は、名を阿僧祇(あそうぎ)刹那(せつな)という』
「なっ――」

 まさかのご指名に目を見開くと同時、異様な光景に気がつく。
 周囲にいた無数の人々、老若男女全ての目が俺を見ていた。

 いや、正確には――俺の後ろにいた、阿僧祇36歳の体を。

 パニック映画のゾンビのように虚ろな目になった人々が、一斉に阿僧祇へと掴みかかる。

「やめ――……っ!」

 制止しようとした瞬間、心臓がドクンと跳ねた。
 強烈な吐き気に襲われ、更に足に力が入らず地面に崩れ落ちる。

 幸い人の波は統制された動きで俺を避け、踏まれることはなかった。
 しかし吐き気の後はめまい、続いて全身に痛みが走ってまともに息をすることすらできない。

 胃の中のものを全て地面にぶち撒けながらしばらく苦しみに呻いた俺が、ようやく落ち着いた頃には人はすっかりいなくなり――阿僧祇の姿も無くなっていた。

「……なん、だっていうんだよ……」





「ぜぇっ……はっ、やっと……ついた……」

 道中何度も吐いたり気絶したりを繰り返しながら、やっとのことで家に帰りつく。
 幸いなことに電車などは動いていたが、運転手も乗客も皆目が虚ろで、不気味なほどに静かだった。

「ただいま……」

 さっきまでのは悪い夢で、家に帰ればいつもの温かく騒々しい日常が待っているんじゃないか――なんて一縷の望みを持っていたが、鍵を開けると寒々しい空気だけが流れ出てくる。

「……ベス、皆……」

 ベスの美しい声も子ども達の喧騒も、当たり前にあったはずのものは全て消えていた。
 床に落ちた食べかけの昼食。取り合いになるほど人気だったはずのおもちゃも打ち捨てられている。

 リビングのテレビが点きっぱなしで、今年の『大戦』は引き分けで終わったことをキャスターが異様なまでの無表情で告げていた。

『――続いてのニュースです。不可思議阿摩羅様が国際政府特別顧問に就任しました』
「……」

 映像が切り替わり、首相官邸の前で日本の首相と握手をする阿摩羅が映し出される。

『阿摩羅様はその後各国の首相らとテレビ電話を用いて会談し――』

 テレビに映る人々は皆一様に虚ろな目をしている。
 口元だけは笑顔だが、作らされた表情だ。

『――更に、阿摩羅様は今年の『大戦』の延長戦を提案されました』
「……!? テトロさん……!」

 切り替わった映像では『正義の味方』総司令官、蛸薬師(たこやくし)テトロさんまでもが無機質な表情で部隊再編の指示を出していた。

 『大戦』の後だ、どの人員も疲れ切っているしボロボロだ。
 それなのに全員文句ひとつ言わず粛々と、延長線とやらの準備を進めている。

『蛸薬師テトロ、レイン・ヒュプノス両名ともにこれを快諾』
「――レイン、ベス……ッ!!」

 現実を受け止めきれず呆然とテレビを眺めていたが、映し出された光景に思わず走り寄ってテレビに齧りついた。

 再編成されていくる両組織を悠々と見下ろしている、俺と同じ顔をした男、不可思議阿摩羅。

 その肩に止まっていたのは長年辛苦を共にした赤い鳥。
 隣に立つのは最愛の養い子――

「ぐ……っ、うぇ……、げほっ、げほ……!」

 レインもベスも虚ろな目をしていた。
 あまりの光景に謎の体調不良がぶり返し、床に倒れて咳き込む。もう胃から吐き出せるものすら無い。

「な……だよ、これ……! く、っそ……3日も、生きれる、かな……」

 ズリズリと這いずって台所に向かう。
 手を伸ばし、かろうじて指先を引っ掛け――ありったけの力で、冷蔵庫を開いた。

「はぁっ……、はぁ……」

 日が翳り、台所は薄暗い。
 そんな中で冷蔵庫内の明かりは救いに思えた。

「――ベス」

 冷蔵庫はいつも食材でいっぱいのはず。
 ――しかし今はベスの卵が半分ほどを占めていた。
 体調が悪い俺を心配し、産んでおいてくれたのだろう。

「いただき……ますっ!!」

 片っ端から引っ掴み、口にねじ込んで噛み砕いた。
 ベスの卵は殻が喉を傷つけることはない。栄養として殻すらも飲み込む。
 1ダースほど流し込んだ頃、ようやく立ち上がれる程度に体力が戻ってきた。

「……助かった……」

 あのまま衰弱死するかとすら思ったがどうにか持ち直す。
 フラフラとリビングに戻ってテレビを消し、ソファに倒れ込んだ。

「テトロさん、ベス……レイン……」

 夕闇に染まる天井を見上げ、起こったことを反芻する。

 原因不明の体調不良。
 虚ろな目の人々。
 連れ去られた阿僧祇
 ――阿摩羅の元へ行ってしまった、ベスとレイン。

「何が起きている……? 俺は、何がわかっていない……?」

 不可思議阿摩羅の正体は薄々わかってきた。
 しかし、なぜ俺が大罪人などと呼ばれたのか。
 そしてなぜ、俺と同じ姿をしているのか。

 ――頭が回らない。
 弱っていることもあるだろう。
 それ以上に、孤独が強く頭を淀ませていた。

 賑やかだった家。でも、今は一人だ。
 家の中も外も不気味なほどに静かで。
 誰も帰ってこないまま夜が来るのだと、考えただけで涙が出そうになる。

 失ったものの大きさを受け止めるには、俺は孤独に弱すぎた。

『――♪ ――♪』
「……?」

 遠くで何やら音楽が聞こえる。
 よろよろとソファから立ち上がり、音を頼りに探した。

 2階の寝室で、固定電話代わりのスマホが充電器に繋がれて置いてある。
 その画面が光って振動していた。切れても、すぐにまた光りだす。

「……電話か。――電話!?」

 こんな状況で一体誰からだと飛びついた。
 画面に表示された番号を見て、笑う。

「はは、ははは……! そうだよな、お前なら……お前だけは、おかしくならない――」

 スマホを充電器から外し、通話ボタンを押して耳に当てる。

「これの番号を教えた覚えはないぞ――モリノミヤ」
『ふふん、タスマニアのアイドルに不可能があるとでも?』
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