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幕間 番外編

総統閣下と家族の話 後編

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「レイン・ヒュプノス様。どうか私をあなた様の元で働かせて下さい」
「断る」

 刹那の予言は気味が悪いほど的中した。
 会う人間の半分が俺を避けるか敵意を向け、もう半分が服従しようとする。

 俺は18歳になっていた。
 刹那にしがみついていた頃と違い、今や身長は刹那を追い越し、順調に育ち続けている。

 日本では珍しい金髪のせいもあり、街を歩いていようが刹那に入れられた高校の校内だろうが、注目してこない人間はいなかった。
 敵意を向けてくる相手すら魅了する容姿は利用価値が高かったが、煩わしいことも多い。

 敵意か崇拝、あるいは歪んだ恋慕しか向けられない中で、純粋な親愛を向けてくる刹那とベスがどれほど貴重な存在かを知る。
 注目され、次期悪の総統だと世間でも騒がれ始めた俺が安らげるのは家だけだった。

「おかえりレイン。学校どうだった? 弁当美味かった?」
「いつもと変わらない。弁当は美味かった」

 帰宅すると珍しく早く帰れたらしい刹那が鍋に向かったまま声をかけてくる。
 刹那の頭上でふくふくとくつろいでいるベスもおそらく『おかえりなさい』と言っているのだろう、高い声で歌うように鳴いた。

「今日は早かったんだな」
「ああ、来月あたりには『大戦』が来そうだから英気を養えって帰された。今日はキムチ鍋なんだけど……晩酌してもいい?」
「ああ」
「やった。発泡酒じゃなくてビール開けちゃお」

 晩酌の缶ビールすらたまの贅沢とみなす刹那は、年に一回の『大戦』では就任以降ずっと負け続けており"歴代最低の悪の総統"と称されている。
 しかし戦績とは裏腹に副業に力を入れ、一般市場をターゲットとした多数の新商品を発売。
 戦果として奪われることが無い、『悪の組織』の継続的な収入を増やしていた。
 そのため、安普請ながら本部ビルが建ち『悪の組織』の経済状況は上向いている。

 刹那は決して世間で言われているほど無能な総統ではない。
 しかし<異能>の強さこそ最大の価値とされるこの世界で刹那の評価は不当に低かった。

「む! 美味い! ビールが進む……もう一本!」
「刹那、酒ばかりではなく鍋も食べろ」

 一口二口鍋をつついてビールで流し込む刹那に苦言を呈するとベスも同意するように少し濁った声で鳴く。
 刹那が二本目を取りに冷蔵庫に向かった隙に、空っぽの器に肉と野菜と豆腐を山盛り入れてやった。

「うわ、俺こんなに食えないよ。レインが食べな若いんだから」
「36歳も若いだろう……」

 目の前にあるのは4人分の土鍋だ。
 食事を必要としないベスは味見程度しか食べないからほぼ刹那と俺の分だというのに、俺にほとんどを食べさせようとしてくる。18歳の胃を過信するな。

 刹那も昔はよく食べたからこの鍋では足りないほどだったのだが、35を過ぎた頃からあまり食べなくなっていた。

「……食ったら食っただけ肉がつくんだもんよ……」
「何か言ったか?」
「さすがに二十代と同じようにはいかないって話。ほら肉食え肉」

 お返しとばかりに俺の器にぽいぽい肉が投げ入れられる。
 山のように盛られた白米と共に食べれば、少しきつめの塩気が米に合って丁度いい。

 腹が減っていたのは事実なのでしばらく自分の食事に集中していると、対面から刹那の視線が突き刺さった。
 いつからだろう、刹那は俺が刹那から気をそらしている時こうして熱心に見詰めてくる。

 気づかれないよう視界の端で意識を向ければ、酒が回ってとろんとなった目が俺を眺めていた。
 俺が顔を上げれば刹那はすぐに目を逸らすと知っている。だからわざと茶碗に顔を伏せたままゆっくり咀嚼した。

 俺は目立つせいで視線を向けられることが多い。
 しかし刹那からのものは比べ物にならない。

 親愛と、慈愛――そして微かな熱。
 崇拝からくる熱狂とは違い、親愛の先にある甘やかさ。
 向けられることを心地よいと思うのは、俺も同じ気持ちだからだろう。

「レイン、大きくなったよなあ……」

 ふいに視線がかき消えた。
 刹那が俺に見入っている時は無意識のようで、気づくとすぐに感情を押し隠す。

「あなたのおかげでな」

 刹那の中には多くの葛藤があるのだろう。
 彼は俺の養父であり、18歳という歳の差もあった。
 俺は気にしないそれらが刹那にとって強い枷になっていることは察している。

 だから俺も8年近く気持ちをひた隠しにしてきた。
 精通して以来ずっと養父に向け続けている欲望を、決して悟られないように。
 刹那にとって『可愛いレイン』である間は牙を隠そうと努めている。

 ――しかし俺が成人して、堂々と刹那の庇護下から出ることになれば容赦はしないと決めていた。
 『可愛いレイン』の幻想を打ち砕いて、俺が刹那に焦がれる一人の雄であることをわからせてやると。

「高校卒業までに、どうなんだよ、彼女とかできそう?」

 そんな心境を知ってか知らずか刹那は自分の気持ちを吐き出す気は一切無いようで、何かにつけてこんなことを言う。

「何度も言っているが、興味が無い」
「そっ、か~」

 あなた以外には、とは告げず否定だけすると刹那は拍子抜けしたような、それでいて安堵が隠せていない顔で笑った。

(俺があなたを好きだと言って、欲望をさらけ出したら、どんな顔をするんだろうな)

 刹那が俺を拾ったのは23歳の頃。総統に就任したのは22歳の頃。
 俺がそこに辿り着くまでもう数年しかないというのに、刹那の中でいつまで庇護すべき子どもなのだろうか。

「恋人できたら、よかったら紹介してくれよ。俺――お前のこと、大事な家族だと思ってるから」
(ああ、またか)

 酒を飲むと気弱になるのか、時折刹那は同じことを繰り返す。
 幼少期の俺に厳しくしたことを負い目に思っているのか、それとも他の理由なのか。
 『家族だと思っている』――本当の家族ではないが、と前につく台詞だ。

 記憶の無い俺にとって刹那とベスはかけがえの無い家族であり、本人にも何度も伝えている。
 しかしなぜか刹那は、いつか俺が離れて『本当の家族』の元へ行くなり新たに作るなりすると思い込んでいるようだった。

 自分の言葉で傷ついた顔をする、誰よりも家族を欲している寂しがりや。
 今すぐ抱きしめて愛を囁き、愛されていると理解するまで抱き潰してやりたいが。

「いっぱい食べろよ。締めにラーメンもあるからな」

 俺の食事を赤ら顔で嬉しそうに見守るこの人はまだ保護者の顔が強すぎて。
 もう少しだけ、成人するまでは――『可愛いレイン』でいてやろうと、決意を新たにするのだった。


***


 ――数日後、刹那から抱かれに来た時は本当に驚いた。

「ごめん……ごめん、レイン。好きだ。可愛い人。お願いだから、一回だけ、何も言わず、目をつぶっていてくれたらいいから……」

 何やら思いつめた顔で、俺が何かしようとすれば辛そうにするものだから大人しくする。
 しかし俺の上に跨って自ら受け入れようとした刹那の顔が痛みに歪んだのを見て、すぐに体勢を逆転させた。

「だめだレイン、唇は、好きな人に――」

 逃げようとする刹那の顎を掴み念願だったキスを何度もしてじっくり愛撫する。

「刹那、嬉しい。ずっとこうしたかった」

 緊張で固まった体を撫でて宥め、愛の言葉を囁いて、抱いた。
 我慢が効かなかった自覚はある。痛くしてしまったという後悔も。

 しかし、まさか朝になったら消えているとは思わなかった。

「……さすがにひどいんじゃないか?」

 最悪なことに、この日を境に刹那は姿を消す。
 どれだけ探しても見つからず、ベスも居場所に心当たりが無いようで途方に暮れた。

 刹那の手がかりを探し続け、何も得ることがなかった長い2年が始まる。

「刹那。見つけた時は――覚えていろよ」

 刹那が不在のまま、刹那が決めた誕生日を迎え20歳になった俺は心に固く誓った。

 一人で悩み、暴走し、消えてしまった愛しい人。
 捕まえたら、二度と逃さない。

 ――刹那だけが俺が愛する唯一であり、添い遂げる家族だと、理解させてやる。


【番外編:総統閣下と家族の話 完】
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