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しおりを挟む「わたくしと結婚してください。そうすればあなたの問題も、わたくしの悩みも解決します」
それが、わたくしが心の中で何度も繰り返し練習した言葉だった。
わたくしが悩んでいること、それは途切れることなく申し込まれてくる結婚の話。断り続けると言っても面倒なことこの上ない。
この国の高官である父と縁を結びたがる者も多ければ、単純にわたくしの美貌に寄ってくる者もいる。
美貌……そう、わたくしは母に似て我ながらとても美しく育ったと自負している。少しきつい面立ちではあるが、笑えば愛らしいと言われないこともない。更に気品ある立ち居振る舞いにも自信があるし、社交界での交流も淑女として恥じないほど完璧にこなしている……と思う。
ただ少しばかり、時折本性がもれてささやかな失敗をしてしまうことがあるだけで。でもそれもうまくごまかしてきた。緊張という物をあまりすることがないので、失敗自体少なく、取り繕うのも冷静に行える。
そんなわたくしだからこそ、次々と舞い込んでくる求婚者の山。
結婚が認められる十五才に達してからはそれはもう、ひっきりなしだ。
勘弁して欲しい。わたくしの美貌に釣られてやってこられても困る。必死で取り繕っている特大の猫がはがれた時が恐ろしい。はがれないように家の中でまで取り繕わなければいけなくなったら、わたくしの人生は終わりだ。
そんなわたくしが密かに恋心を抱いているのが名門カールシュテイン家のご子息であるエドガー様。
彼も今大変な状況であることがわかっている。女性とは大人の付き合いをいろんな方としているとの噂も聞くけど、あの方の本質は根っからの騎士だ。人を護り、国を護り、そしてその為に体を鍛え、学ぶこと忘れない、とてもストイックな方ではないかとわたくしは思っている。だから、女性との付き合い、ましてや身を縛られる結婚など興味がないのではないかと。
なのに、立場もさることながら、騎士道精神を女性達に向けて見事に発揮され、なおかつ見目麗しいともなればなおのこと、数多の麗しいご令嬢との結婚話が持ち上がっているのも必然という物だ。
わたくしより八つ年上の彼は、結婚適齢期のまっただ中で、ご令嬢達から夫にしたい男性として注目されている一人だ。
が、現段階で彼は全て断っている。
取り巻く現状を彼が疎ましく思っているのは、わたくしの目からみれば明らかだった。
彼との接点などないけれど、遠い昔「秘密だよ」と胸の内を吐露されたことがあるわたくしだからこそ、気付いているその癖。時折耳に触れているのは相当にイライラしている証拠。
女性達に囲まれにこやかに笑っているが、そんな小さなサインがわたくしを安心させる。
知ったかぶって彼のことをいろいろと分析してみたりしているが、実際のところわたくしと彼とは付き合いが深いわけではない。もっというなら知り合いですらなく、顔見知りと認識されているかどうか、というぐらいの関わりしかない。
けれどわたくしは今夜、密かに彼に求婚しようと思っている。利害の一致からの契約婚を持ちかけるために。
この美貌だ、彼が選んでも誰もいぶかしむことはないだろう。彼のためにわたくしももっともらしく振る舞ってみせる。誰よりも美しく、優雅に、彼の妻を演じるから。
それなら、求婚者に取り繕うのと一緒だろうっていうことは考えてはいけない。一緒のわけがない。何の感情も抱いてない相手に取り繕うのと、大好きな相手に少しでもかわいく見てもらいたくて頑張るのとでは、やる気も持久力も雲泥の差だ。何より頑張った末に好きになってもらえたら、一生涯でもつき抜くぐらいのやりがいがあるんですもの!
だから……。
わたくしは気合いを入れ直す。
まもなく、彼が庭に逃れてくるだろう。
今夜は、毎年恒例の年越しパーティーだ。
この日をずっと待っていた。
ここでのパーティーの時、彼は必ず会場から抜けてここで一息を付く。その時が狙い目。
胸元で握りしめた手が震えていることに気付く。
わたくしは珍しく緊張しているらしい。そんな自分に苦笑いする。けれどエドガー様と挨拶をするだけでも胸が高鳴って落ち着かなくなるのだから、これからしようとすることを考えれば、緊張するのも当然だろう。
一人冷たい空気の中わずかに身を震わせつつ、そっと空を見上げる。心を落ち着かせながら、何度も言うべき言葉を胸の内で繰り返す。
わたくしと結婚してください、そうすれば……
かたり、と扉の開く音がした。
何気ない風を装ってそちらに目を向ける。
「こんばんは。今夜は、星がきれいですわよ」
先客を見つけてわずかに目を見張ったエドガー様に、わたくしはほほえみかけた。
「……空にまたたく小さな星よりも、目の前の星が一番美しいですよ」
「まあ。……そんなことをおっしゃっているから、いつも女性達に囲まれてしまうのですわ」
「ありがたいことだと思っているよ」
「……煩わしいとお思いでしたら、もう少し冷たくなさいませ」
その場限りの割り切った付き合いの出来る大人の女性とは親しい付き合いをしているようだが、彼は遊びを解さない若い女性には、一切手を出さない。女性に対してすべからく優しいが、それだけだ。
昔、女性の相手は苦手だと言っていたから、もしかしたら、うまくあしらうのが下手なだけなのかもしれない。優しい騎士道精神に溢れた対応ばかりうまくなって、振り払うとなると傷つけそうで嫌なのだろうか。
わたくしの言葉に、困ったように微笑む彼を見ながら思う。
「煩わしそうに、見えたかな?」
「さあ……、それは見る人によって感じ方は変わってしまいますから。ただ、わたくしは同じような状況にある……とだけ」
「シェルマ殿、だったか……フェーホルム伯の……」
じっとわたくしを見つめてくる瞳に微笑むことで答えを返す。
ちゃんと大人っぽい対応は出来ているかしら。
何でもない会話を装っているけれど、わたくしの胸の鼓動が聞こえたのなら、どうしてこんなに平然としてみせられるのか、誰もが首をかしげたに違いない。
緊張しすぎて胸が痛い。
でもうれしい。二人だけでこんな風に言葉を交わせるだなんて、なんという幸せだろう。
手を伸ばせば触れられる位置に、ずっと想い続けた彼がいる。
何かを考え込んでいるその姿に、『思ったままにしゃべると女性は簡単に傷ついてしまうから、苦手だ』とばりばりと頭をかいていた、若き日の彼の姿が重なる。
それは、町中で助けた小さな少女にこぼした、小さな本音。
あなたはきっと、わたくしの事なんて覚えていないだろうけど。
「わたしならだいじょうぶよ!」と、胸をはって宣言した気持ちは今も変わってない。「ありがとな」と笑いながら乱暴に頭を撫でてくれた手の感触も覚えてる。
わたくしなら、あなたをこの状況から助けることが出来るから。あなたの隣に並べるように頑張ってきたのだから。だから、隣にいる権利を、どうか、下さい。
『わたくしと結婚してください。そうすればあなたの問題も、わたくしの悩みも解決します』
胸の中で何度も練習してきた言葉を思い返す。
どくどくと胸がひどく大きな音を立てはじめた。言うべき時が来た。
「エドガーさま……」
声がほんの少しかすれた。
顔が熱い。室内の明かりが漏れてきているとは言え、薄暗い庭では、この真っ赤になった顔色まではわからないだろう。そう自分に言い聞かせる。
何でもないように、さらりと言えば良い。
わたくしはこれから、ずっと思い続けていた人に契約結婚の話を提案する。これは、取引なのだと。そう思わせて、そばにいることが出来れば……と。
なのに彼を前にしてこぼれた言葉は。
「あ、あの……、わ、わたくしと結婚してくだされ……!」
……噛んだ!
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