上 下
12 / 19

11 制裁

しおりを挟む

 ガウスはかがむと、エルファの首をつかみ、引きずり出すように片手で引き上げた。
 ぐうぅぅぅ……と、息を詰めるようなうめき声がエルファから聞こえたけど、ガウスはそれを気にした様子もない。

「俺はなぁ、察しの悪い奴は嫌いなんだよ。何度も言ったよなぁ? 俺とミーナには近づくなと。てめぇを番にする気はねぇと」

 首を絞めるようにつるし上げられて、エルファは苦悶の表情を見せるものの、うめく声さえ出せないようだった。

「てめぇの兄貴がよく言って聞かせるというから様子を見ていたが、さっさとわからせておくべきだった。穏便に済ませたい兄貴の気持ちを踏みにじるとは。本当にできの悪い妹を持って、あいつも苦労する」

 ガウスの手をかきむしるように動いていたエルファの手が、やがて動きを止めた。だらんと力が抜けエルファの体を、ガウスが面白くなさそうに見やると、そのまま壁にたたきつける。
 どふっと、鈍い音がした。
 私の前に立つ震える雌達が、エルファが投げられた瞬間ビクッと身体を強ばらせた。
 床に力なく落ちたエルファは、びくっびくっ、と身体を痙攣させている。

 もう、訳がわからなかった。なぜこんな恐ろしいことになっているのか。
 ただただ混乱していた。そして、助かったのだという安心する感情と、理解できない状況への恐怖とが一緒に渦巻いていて、何かを考えなければいけないと思うのに、頭が働かない。

 ガウスがゆっくりと獅子獣人に向き直った。

「さぁて、あんたは、あの阿呆な雌に担がれたのか? それとも、自ら乗ったのか」
「……あんたの匂いがしっかり付いてたのなら、手は出さなかったよ……」

 力ない、震える獅子獣人の声が聞こえてきた。

「濡れてんだから、拭われたことぐらい察しろ。バカが」
「……あぁ」

 ひどく苦々しい返事を獅子獣人が返す。

「殺されるか、今すぐこの町を出て行くか、選べ」
「……すぐに出て行く」
「そうしろ。殺す気はない……お前の弟のように「あの雌は俺のだ」などと執着しなければ、だが。引き際を見誤るな。あいつはまだ若く弱かった。だから手加減してやった。……お前なら、殺すしかなくなる」

 グルルル……と、牙をむき出しにし、威嚇するような唸り声が獅子獣人からしていたが、それでもその身体は怯えるように腰が引けた状態で後ずさっている。
 ガウスの言葉から、この獅子の獣人を前にしてさえ、圧倒的な強者なのだとわかる。手加減する余裕はなくても、殺すことはできると確信している。
 そして、獅子獣人はそれを否定しない。

「刃向かうそぶりを見せた時点で、殺す。……行け」

 ガウスが顎で外を示すようにしゃくれば、はじかれたように、獅子獣人は外へ向かってかけだした。
 溜息のあと、ガウスがこちらを見た。そしてゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
 座り込んだ私の目に映るのは雌達の足だ。ガクガクと震えていた。

「……ガウス?」

 こちらに向かってるのに、私を見ようとしない大好きな人に向けて、声を振り絞る。
 ピクリと肩を揺らしたガウスは、チラリと私を見てからすぐに目をそらした。そして、端にいる雌の一人の首をつかんだ。

「キャウ……」

 獣じみた弱々しい声が彼女から漏れた。

「……ガウスっ」

 声を張り上げたけど、ガウスは反応しない。
 どこか遠くの出来事だった今までの光景と違い、目の前の震える彼女たちは、触れられるほど距離が近かったせいか、ひどく身近に感じた。

 怖かった。ガウスのその怒りが、恐ろしかった。
 私のために、ガウスは怒っている。私を守るためにガウスが怒っている。……そのせいでこんなひどいことをしている。
 それが、理由も理解出来ないまま、ただ怖かった。

「待って!! ガウス、大丈夫だから!!」

 恐怖に任せて慌てて声を張り上げれば、怒鳴り声が返ってきた。

「大丈夫じゃねぇ!!!! なにをされそうになったのか、忘れたのか!! これで許されたなら、こいつらはまた同じ過ちを犯す!!」
「……っ、だってっ」
「てめぇは人間だ。獣人の習性すら理解出来てねぇくせに、獣の決着の付け方に、口出しをするな」
「だって……!!」

 混乱して訳がわからないまま、私は首を振るしかできなかった。ガウスのやろうとしていることが恐ろしいということだけしかわからなかった。そんなことさせちゃいけないと思えて、必死だった。
 ガウス、私は大丈夫だから、だから……。
 涙をにじませる私を見て、激高していたガウスが、小さく溜息をついた。

「……大丈夫だ、殺しゃしねぇ。あそこで伸びてる雌も生きている。ただ、ちぃとばかし、お灸を据えるだけだ。オレの番に手を出したんだ。それが許されたら、俺自身も侮られる。その意味をよく考えろ」
「……意味」

 ガウスは、苦しげにうなった。

「……お前が、危険なんだよ。俺が侮られるって事は、お前が侮られるって事だ。前に言っただろう。獣性の強い奴らにとって、お前はごちそうだ。良い匂いがプンプンする。黙って見てろ。獣の娼婦にでもなりてぇのか」

 吐き捨てるような低い声だった。
 私は、何の言葉も返せなくなって、唇を噛みしめた。
 暴力は怖い。力が何よりも優先する世界とわかっていたつもりなのに、慣れたつもりだったのに、根付いた価値観はどうしたって捨てきれない。この世界には、どうしたって慣れきれないのだと、こんな時にどうしようもなく痛感する。

「……ごめんなさい、ガウス、ごめんなさい……」

 私のせいで、ひどいことをガウスにさせている。
 そのことが辛かった。自分のせいだと思うと、怖かった。全部、私の弱さも、私の罪も、全てガウスに背負わせている。なのに私は、守られることぐらいしかできないのだ。それに頼って生きるしかできないのだ。

 震えながら涙をこぼすしかできない私の目の前で、ガウスが次々と彼女たちをつるし上げて床にたたきつけて行く。
 雌たちは、震えながらも、逃げることも抵抗することもできず、なされるがままだ。そして、獣のような悲鳴を上げながら制裁を受けていく。
 叩き付けられてギャンと吠えて身動きしなくなる彼女たちの声を、耳を塞ぎながら聞いた。塞いでも、その声は耳の奥にまで届いた。でも、怖くても目は離せなくて、離しちゃいけなくて、それを、ただずっと見ていた。

 あまりにもひどすぎる行為が、恐ろしくて、悲しくて、被害者面をするしかできない自分があまりにも醜悪で、泣きながら震えるしかできなかった。

 行われる一方的な暴力を見ながら、感覚が遠のいてゆくのをうっすらと自覚していた。まるでぼんやりと映画を見ているのにも似ている。他人事のように、目の前で実際に起きている実感が全然なくて。
 感情はひどく遠いまま、理性だけが冷静に働いていた。

 私は、汚い。自分は手を汚さず震えていれば全てガウスが片付けてくれる。それに自ら甘んじている。なんてひどい人間だろう。なのに、それでも助けてくれるガウスに安心している。これからも守ってくれることを望んでいる。
 私は、逃げる。これからも。この世界で生きていくために。ガウスの背中の後ろに逃げて縋り付きながら生きていくしかないのだ。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。

 私に力さえあれば、これは私がするべき事だった。できないから代わりにガウスがやっているのだ。この暴力を振るっているのは、ガウスだけどガウスじゃない。私なんだ。
 私はこの暴力から目をそらしたらいけない気がして、最後までそれを目に焼き付けるように、見ていた。でも、耳を塞ぐ手は、どうしても離せなかった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

王弟殿下の番様は溺れるほどの愛をそそがれ幸せに…

ましろ
恋愛
見つけた!愛しい私の番。ようやく手に入れることができた私の宝玉。これからは私のすべてで愛し、護り、共に生きよう。 王弟であるコンラート公爵が番を見つけた。 それは片田舎の貴族とは名ばかりの貧乏男爵の娘だった。物語のような幸運を得た少女に人々は賞賛に沸き立っていた。 貧しかった少女は番に愛されそして……え?

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

【完結】わたしはお飾りの妻らしい。  〜16歳で継母になりました〜

たろ
恋愛
結婚して半年。 わたしはこの家には必要がない。 政略結婚。 愛は何処にもない。 要らないわたしを家から追い出したくて無理矢理結婚させたお義母様。 お義母様のご機嫌を悪くさせたくなくて、わたしを嫁に出したお父様。 とりあえず「嫁」という立場が欲しかった旦那様。 そうしてわたしは旦那様の「嫁」になった。 旦那様には愛する人がいる。 わたしはお飾りの妻。 せっかくのんびり暮らすのだから、好きなことだけさせてもらいますね。

ずっと好きだった獣人のあなたに別れを告げて

木佐木りの
恋愛
女性騎士イヴリンは、騎士団団長で黒豹の獣人アーサーに密かに想いを寄せてきた。しかし獣人には番という運命の相手がいることを知る彼女は想いを伝えることなく、自身の除隊と実家から届いた縁談の話をきっかけに、アーサーとの別れを決意する。 前半は回想多めです。恋愛っぽい話が出てくるのは後半の方です。よくある話&書きたいことだけ詰まっているので設定も話もゆるゆるです(-人-)

捨てたのは、そちら

夏笆(なつは)
恋愛
 トルッツィ伯爵家の跡取り娘であるアダルジーザには、前世、前々世の記憶がある。  そして、その二回とも婚約者であったイラーリオ・サリーニ伯爵令息に、婚約を解消されていた。   理由は、イラーリオが、トルッツィ家よりも格上の家に婿入りを望まれたから。 「だったら、今回は最初から婚約しなければいいのよ!」  そう思い、イラーリオとの顔合わせに臨んだアダルジーザは、先手を取られ叫ばれる。 「トルッツィ伯爵令嬢。どうせ最後に捨てるのなら、最初から婚約などしないでいただきたい!」 「は?何を言っているの?サリーニ伯爵令息。捨てるのは、貴方の方じゃない!」  さて、この顔合わせ、どうなる?

君は番じゃ無かったと言われた王宮からの帰り道、本物の番に拾われました

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ココはフラワーテイル王国と言います。確率は少ないけど、番に出会うと匂いで分かると言います。かく言う、私の両親は番だったみたいで、未だに甘い匂いがするって言って、ラブラブです。私もそんな両親みたいになりたいっ!と思っていたのに、私に番宣言した人からは、甘い匂いがしません。しかも、番じゃなかったなんて言い出しました。番婚約破棄?そんなの聞いた事無いわっ!! 打ちひしがれたライムは王宮からの帰り道、本物の番に出会えちゃいます。

【完結】恋人との子を我が家の跡取りにする? 冗談も大概にして下さいませ

水月 潮
恋愛
侯爵家令嬢アイリーン・エヴァンスは遠縁の伯爵家令息のシリル・マイソンと婚約している。 ある日、シリルの恋人と名乗る女性・エイダ・バーク男爵家令嬢がエヴァンス侯爵邸を訪れた。 なんでも彼の子供が出来たから、シリルと別れてくれとのこと。 アイリーンはそれを承諾し、二人を追い返そうとするが、シリルとエイダはこの子を侯爵家の跡取りにして、アイリーンは侯爵家から出て行けというとんでもないことを主張する。 ※設定は緩いので物語としてお楽しみ頂けたらと思います ☆HOTランキング20位(2021.6.21) 感謝です*.* HOTランキング5位(2021.6.22)

処理中です...