上 下
11 / 19

10 巨体の狼

しおりを挟む
 巨大な狼がいた。

 この世界に来た時見た、あの巨大すぎる狼と同じぐらいの大きさだ。獅子獣人よりも一回り身体が大きい。その狼が、獅子獣人の首に食らいついていた。

 この狼が獅子獣人に体当たりして、私は彼もろとも吹っ飛ばされたのだろうか。運良く獅子獣人を下敷きにしていたようで、私にはたいした衝撃もなかったけれど。
 狼はひどく気が立った様子で唸っていて、獅子獣人を床に押さえつけたまま鋭い目を私に向けた。
 射抜かれて、ドクンと心臓がはねる。直後、私の体は獅子獣人の上から転げ落ちた。狼の前足が私を払い落としたのだ。
 転がって体ふたつ分ほど離れたところで、いつの間にか私を拘束していた獅子獣人の腕がほどかれていたと気付く。
 え? と顔を上げると、目の前を獅子獣人の手がブンと横切った。

「……ひっ」

 とっさにのけぞった。当たる位置ではなかったけど、風圧と目の前を横切った残像に身がすくむ。
 突然の攻撃を食らった獅子獣人の腕が、抵抗するように狼に爪を立てようともがいていた。

 なにが起こっているか全く把握できなかった。何をしたらいいかすら考えることができずに、放心してその状況を見ているしかできなかった。
 見ているといっても、たぶん私は、見てすらいなかった。ただ、その状況を目に映していただけだ。理解出来ていなかった。ただ、こわいということだけを、感じていた。
 震えながら、後ずさりしたのは、無意識だった。

 鋭い爪をむき出しにした獅子獣人が狼を振り払おうともがく。狼はそれを押さえ込み、首を振るって、獅子獣人の巨体を壁に向けて投げ飛ばした。
 ……あれは、咥えて投げ飛ばせるような大きさだろうか。
 あり得ないような出来事を目にした気がする。
 ドシンと音がして、重なるように「ギャン!」という獅子の悲鳴、それからどさっと床に崩れ落ちる獅子獣人が見えて、私は、意味がわからないながらもほっとした。
 と思った瞬間、倒れたと思った獅子獣人が跳ねるように身体を起こし、狼に襲いかかった。

 私の目には、そこまでしか把握できなかった。
 わかるのは、二頭が争っていることだけだ。獣だった。獣人同士の争いを超えていた。
 獅子の振りかざした腕がどこに当たっているのかも、その動きをとらえることができないし、狼の体当たりがなぜできたのかもわからない。
 どちらが優勢でどちらが劣勢なのかさえわからない。
 争っているその姿を、見るともなしに目に映しながら、私は、逃げるという考えさえも思いつかないほど放心して、ただ座り込んでいた。

 どのくらい時間が経ったかも、把握できてなかった。長かった気もするし、それほど経ってない気もする。気がつけば、獅子獣人の腕のひとつが変なところで折れ曲がっていて、首を咥えられて、身体がだらんとしたままビクビクと震えていた。

 そのとき、一つの声がこの場所に割って入ってきた。

「ガウス、待って!! その子は自分で番う相手を見つけたんだから……!!」

 エルファだ。建物の外から駆け込んできたようだ。私は呆然と座り込んだまま、決着の付いたその様子から視線を外し、ゆっくりと、彼女へと目を向けた。
 彼女は二頭の獣の姿を見て、ひどく混乱した様子で、駆け込んできたときの勢いをなくした。

「……獣人? ……獣?」

 エルファは四つ足の狼を見て、震えながら後ずさった。獅子獣人を咥えていた狼がエルファを睨みつければ、その足がびくりと止まる。

 私でさえ、あの狼がエルファに狙いを定めているのがわかってしまった。その目を向けられているエルファが恐ろしさに足が竦んだのだろう事も。
 ブンと狼が頭をふるって、獅子獣人の身体が再び振り投げられ、エルファの身体に直撃した。

「ぎゃっ」

 と、一瞬潰されるような悲鳴が聞こえて、エルファの身体は獅子獣人の身体と共に吹っ飛んでその下敷きになる。

「きゃぁぁぁぁぁ!!」

 響いた悲鳴は、エルファを追ってきた雌達のものだ。
 直後逃げ出そうと彼女たちが駆けだした瞬間、巨大な狼が一吠えして地面を蹴ると、彼女たちの逃げ出す先に回り込んで塞いだ。
 じりじりと歩み寄る狼に、彼女達は怯えながら後ずさり、誘導されるまま建物の中へと自ら後ずさって押し込まれて行く。
 そして、狼によって扉は再び閉められた。

 狼は静かに獅子獣人の元に歩み寄ると、その上着に噛みついて剥ぎ取る。
 私は、狼が何をしているかわからないまま、まだも呆然として、見るとも無しに見ていた。狼が私に向かって歩み寄ってくる。僅かな理性は危険だと思っているのに、なぜか、怖いと感じなかった。

 狼の咥えた服が、ぱふっと私の膝に落とされた。
 不思議だった。やはり怖くなかった。なんとなく、私を守ろうとしてくれているのだと感じた。
 この狼がきて助かったからかもしれないし、その目が、その雰囲気が、どこか安心するような何かがあったのかもしれない。
 ぼんやりと放心していた私には、狼の行動を認識するぐらいで、意味を考えられるほど頭は働いていなかった。
 だから、どうすればいいかわからないまま、服と狼を交互に見比べるばかりだ。

 狼は人間くさい動きで溜息をつくと、私に背を向け、ぶるりと身体を震わせた。

 巨大な狼の身体が震えるようにうごめきながら歪んでゆく。

「え……?」

 異常な身体の変形に、目を疑った。

 四つ足の動物の身体をした狼の姿が、いびつにゆがみ、獣人に近い骨格へ……それからふさりとした毛皮は毛足の短い体毛へ、……それから人と変わらぬ肌へ……。

 そこに、全裸の男の姿が現れた。
 完全なるヒトの形をしている。よく見知った体つきのその男が、ふとこちらを振り向き、私が手に持っている獅子獣人の服を奪い取って、腰に巻き付けた。

「……ガウス?」

 私の呟きにピクリと震えた男は、チラリと私を振り返り、「あとで話す」と低い声で呟いた。

 あの狼はガウス? 獣人が変化できるとか、聞いたことがない。どういうことなのか、わけがわからない。

 この建物に押し込められた雌たちも、首から血を流しながら身体を起こしていた獅子の獣人も、その下敷きになっていたエルファも、ひどく驚いた顔をしてガウスを見ていた。

「貴様ら、俺の つがいに何をしたのか、わかっているんだろうな」

 エルファと獅子獣人の元に歩み寄ったガウスが、足下に転がる二人を見下ろしながら凄んだ。

「……つ、番?」

 エルファが震えながらガウスの言葉を繰り返す。
 ただでさえこの状況について行けなかった私は、またしても意味がわからずガウスを眺めていた。

「あれだけ、こいつに印を付けていたのにわからねぇとは、獣並みに頭が足りねぇんじゃねぇのか? いいや、獣の方がまだ賢いな。触っちゃいけねぇヤツに手は出さねえだけの本能があるからな。てめぇらが一番阿呆だ。せめて、もうちょっと野生の本能がありゃあ、怖くて手が出せなかったろうによ……。中途半端なのが一番鬱陶しい。この際、消えとくか? 生きているだけで害悪だろう。匂いを消してこの獣をはめるとは、たいした度胸だ。……てめぇは、俺とそいつ両方を敵に回した」
「え……? え……? うそ……?」

 エルファが、ガクガクと震えながらガウスを見つめている。
 ガウスが薄ら笑いを浮かべながら問いかける。

「俺がヒトだと? 勘違いも大概にしろ。てめぇらより獣性の強い雌が、俺に粉をかけてこなかったのを疑問に思わなかったのか? 俺の獣性が強すぎるから相手にならねぇんだよ。ちぃっと考えりゃあわかることだ。まあ頭が獣のてめぇにはちょっと難しかったなぁ?」
「ぎゃぁ!!」

 ガウスが起きかけていたエルファの顔をガツンと蹴り上げ、その胸元を踏んだ。目を見開いたまま震えるエルファは、それに声を返すこともできないまま、怯えるようにガウスを見上げていた。

「あ……あ……」
「俺に楯突いたんだ、覚悟はしてんだろう? 雌だからって容赦はしねぇ」

 獅子獣人はじりじりと身を引いている。それに視線だけよこしたガウスは低く唸る。

「動くな。……おい、お前らミーナの壁になっとけ。命かけて守れよ。逃げ出すんじゃねぇぞ。逃げればその時点で殺す。守れなくて傷ひとつでも付けてみろ。全員殺す」

 ガウスは獅子獣人の動きを制してから、雌たちに当たり前のように命じる。びくりと震えた彼女たちは、訓練された動物のように、すぐさま私を守る位置に取り囲んだ。
 獅子獣人に向き合った彼女たちの背中がブルブルと震えている。
 町のボスとも言えるガウスの命令に逆らえる者はいない。意図的にか無意識にか、解釈を違えて私をはめた彼女たちも、今、この場面でわざとその語釈を取り違えるまねは、さすがにできないようだった。

「なんで、こんな……」
「だいたい、エルファが……」

 震える彼女たちの声が聞こえてくるけど、私は、どうしたら良いのかさえもわからなくて、流されるまま眺めていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

強面な騎士の彼は、わたしを番と言い張ります

絹乃
恋愛
わたしのことを「俺の番だ」「運命の相手だ」という大人な彼は、強面でとても怖いんです。助けて、逃げられないの。

異世界で婚活を ~頑張った結果、狼獣人の旦那様を手に入れたけど、なかなか安寧には程遠い~

リコピン
恋愛
前世、会社勤務のかたわら婚活に情熱を燃やしていたクロエ。生まれ変わった異世界では幼馴染の婚約者がいたものの、婚約を破棄されてしまい、またもや婚活をすることに。一風変わった集団お見合いで出会ったのは、その場に似合わぬ一匹狼風の男性。(…って本当に狼獣人!?)うっかり惚れた相手が生きる世界の違う男性だったため、番(つがい)やら発情期やらに怯え、翻弄されながらも、クロエは幸せな結婚生活を目指す。 シリアス―★☆☆☆☆ コメディ―★★★★☆ ラブ♡♡―★★★★☆ ざまぁ∀―★★☆☆☆ ※匂わす程度ですが、性的表現があるのでR15にしています。TLやラブエッチ的な表現はありません。 ※このお話に出てくる集団お見合いの風習はフィクションです。 ※四章+後日談+番外編になります。

【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!

高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。 7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。 だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。 成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。 そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る 【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

このたび、あこがれ騎士さまの妻になりました。

若松だんご
恋愛
 「リリー。アナタ、結婚なさい」  それは、ある日突然、おつかえする王妃さまからくだされた命令。  まるで、「そこの髪飾りと取って」とか、「窓を開けてちょうだい」みたいなノリで発せられた。  お相手は、王妃さまのかつての乳兄弟で護衛騎士、エディル・ロードリックさま。  わたしのあこがれの騎士さま。  だけど、ちょっと待って!! 結婚だなんて、いくらなんでもそれはイキナリすぎるっ!!  「アナタたちならお似合いだと思うんだけど?」  そう思うのは、王妃さまだけですよ、絶対。  「試しに、二人で暮らしなさい。これは命令です」  なーんて、王妃さまの命令で、エディルさまの妻(仮)になったわたし。  あこがれの騎士さまと一つ屋根の下だなんてっ!!  わたし、どうなっちゃうのっ!? 妻(仮)ライフ、ドキドキしすぎで心臓がもたないっ!!

散財系悪役令嬢に転生したので、パーッとお金を使って断罪されるつもりだったのに、周囲の様子がおかしい

西園寺理央
恋愛
公爵令嬢であるスカーレットは、ある日、前世の記憶を思い出し、散財し過ぎて、ルーカス王子と婚約破棄の上、断罪される悪役令嬢に転生したことに気が付いた。未来を受け入れ、散財を続けるスカーレットだが、『あれ、何だか周囲の様子がおかしい…?』となる話。 ◆全三話。全方位から愛情を受ける平和な感じのコメディです! ◆11月半ばに非公開にします。

中将閣下は御下賜品となった令嬢を溺愛する

cyaru
恋愛
幼い頃から仲睦まじいと言われてきた侯爵令息クラウドと侯爵令嬢のセレティア。 18歳となりそろそろ婚約かと思われていたが、長引く隣国との戦争に少年兵士としてクラウドが徴兵されてしまった。 帰りを待ち続けるが、22歳になったある日クラウドの戦死が告げられた。 泣き崩れるセレティアだったが、ほどなくして戦争が終わる。敗戦したのである。 戦勝国の国王は好色王としても有名で王女を差し出せと通達があったが王女は逃げた所を衛兵に斬り殺されてしまう。仕方なく高位貴族の令嬢があてがわれる事になったが次々に純潔を婚約者や、急遽婚約者を立ててしまう他の貴族たち。選ばれてしまったセレティアは貢物として隣国へ送られた。 奴隷のような扱いを受けるのだろうと思っていたが、豪華な部屋に通され、好色王と言われた王には一途に愛する王妃がいた。 セレティアは武功を挙げた将兵に下賜されるために呼ばれたのだった。 そしてその将兵は‥‥。 ※作品の都合上、うわぁと思うような残酷なシーンがございます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※頑張って更新します。

女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「友好と借金の形に、辺境伯家に嫁いでくれ」  行き遅れの私・マリーリーフに、突然婚約話が持ち上がった。  相手は女嫌いに社交嫌いな若き辺境伯。子爵令嬢の私にはまたとない好条件ではあるけど、相手の人柄が心配……と普通は思うでしょう。  でも私はそんな事より、嫁げば他に時間を取られて大好きな歴史研究に没頭できない事の方が問題!  それでも互いの領地の友好と借金の形として仕方がなく嫁いだ先で、「家の事には何も手出し・口出しするな」と言われて……。  え、「何もしなくていい」?!  じゃあ私、今まで通り、歴史研究してていいの?!    こうして始まる結婚(ただの同居)生活が、普通なわけはなく……?  どうやらプライベートな時間はずっと剣を振っていたい旦那様と、ずっと歴史に浸っていたい私。  二人が歩み寄る日は、来るのか。  得意分野が文と武でかけ離れている二人だけど、マイペース過ぎるところは、どこか似ている?  意外とお似合いなのかもしれません。笑

処理中です...