禁踏区

nami

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3章 呪い

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「ごめん。恐がらせちゃったね」

「ううん。凛、辛かったよね」

 美伽は私の手を取ると、ぎゅっと握った。
 きっと私の辛さを和らげようとしているんだ。その思いやりが嬉しい。


 気を取り直して、問題のケースを探す。
 手始めに、真人さんはデスクの引き出しを開けてみた。

「あった……」

 ケースは苦もなく見つかった。
 真人さんは、じっとそれを見つめる。

「どうしたんですか、真人先輩?」

「……いや、あの時、ぶん殴ってでも返しに行かせてればと思ってな……。そうすれば、ヒロも死ぬことは……」

「それは一体どういうことなのっ!?」

 突然、バンッとドアが開け放たれた。
 新井さんのお母さんは、今の話を聞いてしまったようだ。ずかずかと大股で真人さんの元に近づくと、彼の横面を思いっきり張った。

「人殺しッ! あんたのせいで博之は、博之は──ッ! 私があんたを殺してやるッ!」

 真人さんの首を絞める。凄まじい形相だ。憤怒の仮面を被っているかのようである。

「やっ、止めてくださいッ!」

 私と美伽は慌てて止めに入る。
 が、怒りで我を忘れているからなのか、新井さんのお母さんはものすごい力だ。引き剥がすことができない。
 
「うっ……ぐぐっ……!」

 ぐいぐい絞め上げられる真人さん。顔が変色しつつある。苦しげな呻き声をあげて抵抗するが、新井さんのお母さんの力は緩まない。その双眸の奥には憎しみの嵐が逆巻いている。

 純粋にして本気の殺意を見せつけられ、太い氷柱つららで射抜かれた戦慄が襲った。

「だっ、誰かーッ! 誰か助けてぇーッ!」

 私は喉を潰す勢いで叫んだ。

「何をやっているんだ! 止めなさいッ!」

 血相を変えて飛び込んできたのは、白髪が目立つ中年の男性。新井さんのお父さんだと思われる。
 男性は新井さんのお母さんに飛び付くと、渾身の力を以て真人さんから引き剥がした。

 解放された真人さんは激しく咳き込み、酸素を求めて大きく忙しなく呼吸する。

「止めないでッ! 博之の仇を討つの!」

 新井さんのお母さんはもう一度真人さんに襲いかかろうとするが、

「いい加減にしないかっ!」

 男性は頬を張った。
 新井さんのお母さんは、裏切りにあったような顔で男性を見る。

「博之の死に方は、人知を越えたものだったんだ。彼らを責めたところでどうにもならないだろう……!」

 絞り出すようにして男性は言った。世界中の辛酸を嘗めたような苦い顔である。
 新井さんのお母さんは男性にすがり付くと、咆哮のような声で号泣する。

「……君達も早く帰りなさい。…………帰ってくれっ!」

 全てを拒絶するような、鋭いトゲに覆われた硬い声であった。


 △▼△


 関越自動車道に差し掛かった頃から雨が降りだし、急速に雨足は激しくなった。
 襲撃するように雨粒がフロントガラスを打ち付けている。ワイパーは懸命に雨粒を拭い落としているが、あまり効果はない。

 車内には陰陰滅滅とした空気で満たされていた。
 皆、口を閉ざしている。ラジオなどもつけられていないため、静寂が陰気な空気をより強力なものにしていた。

 バックミラー越しに、後部座席にいる美伽の様子を見る。
 深く項垂れているため表情はわからない。眠っているように見えるが、時折、体がビクッと小さく動くので眠っているわけではなさそうだ。

 睡魔が襲っているが、眠るまい、と耐えているのだろう。眠ればあの悪夢を見ることになるから……。

 私の中は溢れそうなほどに不安で占められていた。多分、2人も同じだろう。
 不安を抱えたまま、常安寺でのことを思い出す。


 △▼△


 後味の悪さを引き摺りながら、私達3人は常安寺に──峰岸さんの元へ訪れた。
 真人さんは前置きもなく、問題のケースを峰岸さんに差し出した。冷静な人だが、今回ばかりは焦りが優勢であったらしい。

 いきなり差し出された峰岸さんはというと、優しげな瞳を丸くして、ケースと真人さんを交互に見る。
 ここでようやく真人さんは事情を説明した。

 峰岸さんの柔和な表情が厳しいものに変わった。
 彼はもう一度ケースの方に目を向ける。そのまま数秒ほど凝視し、

「……やはり、何も感じられません。あなた方を祓った時もそうでしたが、この入れ物も霊的な力は何一つ感じられません……」

「そんな……じゃあ、私達に起きている異変は? ヒロ先輩を死に至らした原因は、一体なんだって言うんですか……?」

 美伽の声は震えている。
 峰岸さんは心底申し訳なさそうに眉を下げて、

「わかりません……。正直、私の手には余ります……」

 美伽はそれ以上何も訊ねなかった。……いや、訊ねることができなかったのだろう。
 絶望の底から這い上がろうとしていたところを、さらに深い──底がないくらいの絶望に落とされてしまったのだから……。


 希望は雲散霧消した。
 打つ手はない。
 私達3人は言葉も交わせずに、絶望に沈んでいた。
 耐え難い沈黙が場の空気を凍りつかせている。


 そんな凍れる空気を、峰岸さんが溶かした。

「……この入れ物は、あなた方の夢の中に現れる霊の宝物だったかもしれないと仰っていましたね?」

「ええ……」

「ならば、持ち去られて腹を立てているのかもしれません。元の場所に返せばあるいは……」

 峰岸さんは自信なさげであったが、他に解決法も浮かばない。
 私達はすがる思いで、すぐさま月隠村つごもりむらに──あの忌まわしい噂の屋敷に向かうことにした。

 雨雲は広範囲に渡って空を覆っているようだ。長野県に入ってからもずっと降り続けている。それでも、いくらか小降りになったのは幸いというもの。


 月隠村に入り、車は山の麓に駐車させた。
 ここからは徒歩だ。途中立ち寄ったパーキングエリアで購入したレインコートを着て降車した。

 山道は濡れて滑りやすくなり、かなり危険であると思われる。
 しかし、命の危機にあるのだ。臆している場合ではない。


 小さな崖状に盛り上がった場所へとやって来た。この小さな崖が目印であり、あの廃村のような場所へと続く入り口にもなっている。

「あれ、確かこの辺だったよな……?」

 トンネルを探すが見つからない。
 側面に密集する膨大な量の蔦で隠されていたトンネル。それを再び蔦で隠して帰るような余裕はなかった。
 だから、剥き出しになっているとばかり思っていたがそうではなかった。

「あのお爺さんが元通りにしたのかもしれませんね」

 美伽が言った。
 そういえば、調査を妨害してきた、得たいの知れない老人がいたっけ……。世捨て人のような雰囲気をまとった──。


 その時だった。



「こっち……こっち……」



 あの時と同じように、か細い子供の声が聴こえた。
 
「!」

 いつの間にか崖の傍に、いつかの冬服姿の男の子が立っているのに気づいた。
 男の子は無表情に蔦の一部を指差す。

 男の子のすぐ近くには美伽と真人さんがいる。
 だけど、2人とも男の子の存在には気がついていないようだ。

「あ……」

 2人に注意が向いたのはほんのわずかだ。にもかかわらず、男の子の姿は忽然と消えていた。


 あの場所にいざなう少年──彼は、一体何者なんだろうか──?
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